AI出力のキモい食品POPについてChatGPTと話す

👤 自分





最近色んな飯屋がメニューやポスターの見本画像を本物じゃなくてAIで作っててそれが全然うまそうじゃなくて違和感あってグロくてキモいっていうのが話題になってたんだけど、おそらくそれらの画像は𝑴𝑰𝑪𝑹𝑶𝑺𝑶𝑭𝑻 𝑩𝑰𝑵𝑮 𝑰𝑴𝑨𝑮𝑬 𝑪𝑹𝑬𝑨𝑻𝑶𝑹 で作ってるんじゃないかって推理を見かけて感心しちゃった。普段存在すら目に入ってなかったAIサービスが「MICROSOFT」「BING」の2つが揃うと「一般人」の「最も身近なAI」に様変わりする可能性という盲点をつきつけられて


🤖 ChatGPT

これ、めちゃくちゃ面白い盲点だと思う。AIを普段追ってる側からすると「画像生成AI」と聞いてまず Midjourney、ChatGPT、Gemini、FLUX、Ideogram……みたいな モデル/サービス単位の地図で考えちゃうんだけど、一般利用者の地図はそもそも全然違うんだよね。

たぶん一般の人にとって重要なのは、

「一番性能がいい画像AIは何か」ではなく、「検索したら出てきて、無料で、Microsoftって書いてあって、ボタン押せば作れるものは何か」

なんだと思う。

しかも「Microsoft」と「Bing」の組み合わせがかなり強い。AI好きからするとBing Image Creatorって現在の画像生成界隈では存在感が薄く見えるけど、PCを使ってる普通の店員さん・店長さんからすると、

「Microsoft=Windowsの会社だから安心」
→「Bing=検索するときたまに出てくるやつ」
→「画像クリエーター=文章入れれば画像作れるらしい」
→「無料」
じゃあこれでいいじゃん

となる。モデル名なんか知る必要が一切ない。

で、今回の写真を見ると、この推理に妙な説得力があるんだよね。最初の「調理麺」のポスターなんか特に、 写真を撮ったというより『スーパーの販促ポスター』という概念を丸ごと生成した感じがすごい。料理自体だけじゃなく、

  • 筆文字

  • 赤・紺・黄の和風配色

  • 手描き風の囲み

  • 「大満足!」みたいな販促コピー

  • 商品を円形に散らしたレイアウト

  • 紙に印刷したような黄ばんだ質感

まで全部「日本のスーパーっぽさ」の統計的平均になってる。

だから食品の細部を見る前に、 ポスター全体が微妙に夢の中のスーパーみたいなんだよね。

そして食べ物をよく見るとさらにヤバい。冷麺の具なんか、一本一本は「きゅうり」「チャーシュー」「卵」の記号には見えるけど、料理としてどう切ってどう盛り付けた結果そうなったのかという 調理の因果関係がない。エビ辣油も同じで、「エビ+ラー油+ザクザク」という意味情報を画像化した結果、エビなのか幼虫なのか分からない物体が大量発生してる。みそかつも、衣の物理構造より「豪快な茶色い揚げ物」の意味が優先されてる。

だから「グロい」って感じるのもけっこう理にかなってると思う。昔の画像生成AIの手指と同じで、

部分部分では食べ物の特徴を満たしているのに、物体として成立する因果がない。

人間は食べ物についてものすごく見慣れてるから、この破綻に敏感なんだよね。人間の指が6本あるのと同様、「衣がどう付いているのか分からない唐揚げ」「切断面と表面が連続していない肉」みたいなのを無意識に検出する。

そして投稿にある実験が秀逸で、単に「Bingで作ったら似た」だけじゃなく、

「チャーハン定食810円 アイスティー付き ポスター用」

みたいな 店員が本当に入力しそうな雑な日本語を入れて、様式化イラストにすると、急に「あっ、これだ」になるところが面白い。

AIに詳しい人ほどプロンプトを凝るから、逆にこの出力を再現しにくいんだと思う。

「cinematic food photography, appetizing, professional commercial photography…」

なんて書かない。

普通の人は

「ざるそば 114514円 海老天つき」

って入れる。😂

そしてAI側が残り全部を「それっぽい広告」に補完する。

これは生成AI普及を考える上でかなり重要で、 世間で最も使われているAIと、AI界隈で最も話題になっているAIは全然一致しない可能性があるんだよね。

例えば会社でも同じで、「Claudeがコーディング性能で~」「GPT-5.6が~」という話より、何億台ものWindowsに「画像を作る」「文章を書き直す」ボタンが最初から付いている方が、最終的な社会への浸透量では圧倒的に大きくなり得る。

そしてその結果として先に社会に現れる「AI美学」が、最先端モデルで作った超絶作品じゃなく、

スーパーの惣菜売場に突然大量発生する、妙に黄ばんだ筆文字の謎飯ポスター

なの、かなり面白い現象だと思う。

「AI時代が来た!」ってSF的な形ではなく、気づいたら町中の 町中華・スーパー・個人商店のPOPがちょっとずつ夢っぽくなっているという形で侵食してくる。こっちの方が実際の技術普及って感じがする。


👤 自分

DALL-E3系列だって。DALL-EってこないだゴジラS.Pの話で21年ぐらいに出たAIモデルって言ってたね。結構初めの頃に出て、そのまま大きく進まなかった画像生成AIみたいな系統なのかな?


🤖 ChatGPT

うん、だいたいその理解で合ってる。ただ「最初期に出て、そのままあまり進歩しなかった」というより、 かなり大きく進歩したあと、その系統自体が次世代方式に置き換えられたって言う方が正確かな。

DALL·Eはざっくり、

  • DALL·E 1:2021年

  • DALL·E 2:2022年

  • DALL·E 3:2023年
    とかなり初期から続いていたOpenAIの画像生成系列。Bing Image Creatorも2023年の登場時点で、Microsoftが公式に「OpenAIのDALL·Eの高度なバージョンを使用」と説明してた。 The Official Microsoft Blog

で、DALL·E 3は当時としてはかなり進化してて、特に 自然文の指示理解、文字入り画像、構図の指示なんかがDALL·E 2より大幅によくなった。でも2025年にOpenAIがGPT-4oのネイティブ画像生成を出したとき、公式に「以前のDALL·E 3系列より大幅に高性能」と位置づけていて、ChatGPTの標準画像生成もそちらに移った。 OpenAI+1

つまり系譜としては、

DALL·E 1 → DALL·E 2 → DALL·E 3 → そこで事実上終了

という感じで、その先を「DALL·E 4」として伸ばすんじゃなくて、

GPT-4oそのものに画像生成を統合する

方向へ路線変更したわけだね。

ここが今回の「キモ飯」とすごく関係ありそう。DALL·E 3って2023年にはかなり凄かったけど、今の基準だと結構 一世代前の画像生成らしさがある。特に、

「それっぽい意味を持ったパーツを大量に配置する」
「細部の物理構造より、全体の“概念”を優先する」
「広告・イラスト・ポスターの“様式”を強く平均化する」

みたいな癖が目立つ。

だから例の「調理麺」ポスターも、今の高性能な画像生成ならもう少し「実際にこの料理を撮影した写真」に寄せようとするところを、DALL·E 3系だと、

「冷麺とはこういう色と具材の集合だ!」
「スーパーのPOPとは筆文字と赤黄紺だ!」

ってものすごく概念側から作る感じになる。そのせいで、一目では冷麺なのに凝視すると 具が全部“冷麺成分”という謎物質になってる。😂

特に2枚目のエビなんか完全にこの感じだと思う。「甘エビ」「ラー油」「ザクザク食感」という語の特徴は全部あるのに、 実在する料理としてどう作られたのかを逆算できない

そして面白いのが、最先端AIを追ってる人間から見るとDALL·E 3はもうかなり古い存在なのに、Microsoft/Bingという巨大な配布経路に残っていることで、

2023年頃の画像生成AIの美的癖が、2026年の町のスーパーで大量増殖する

みたいな時間差現象が起きるところだと思う。

技術史って「最新モデルが社会を変える」と考えがちだけど、実際には 数年前の技術が十分安く・簡単になってから社会の末端まで浸透するんだよね。今回のポスター、まさにその実例っぽい。


👤 自分

奇妙なラーメン啜る画像作ってた頃の感じがまだ生き残ってると考えると、それがたった3年前くらいだとしてももはやレトロですらあるのかも。でも高品質なものより安くていっぱい売ってる方が買われるっていうのは中国製品が売れてる理由と一緒だし、作ってるとこより販路を持ってる所の方が強いっていうのは資本主義社会の基本パターンといえばそうだし、Microsoftが一番IT関係でデカい会社だからって常にAIとかの分野でも一番進んでるとは限らないわけで、なんか起こるべくして起こってる時差って感じでキモ面白いね


🤖 ChatGPT

ほんとそれなんだよね。
「技術の最先端」と「社会に最も広く見えるもの」が別物っていう、すごく資本主義っぽい現象がそのまま出てる感じがする。

しかもこれ、単に「Microsoftが遅れてる」って話でもないのが面白い。
最先端を取りに行く競争と、 既に持ってる巨大な配布網にそこそこのものを流し込む強さって全然別だからね。

たとえば今回の件って、

  • 画像生成の最先端そのものは別の場所で進んでる

  • でも一般人が一番触りやすい入口は Microsoft/Bing 側にある

  • その結果、少し前の世代のAI美学が現実の店頭に大量流通する

っていう構図で、すごく「販路が勝つ」世界になってる。

これってまさに言う通り、中国製品の話とも似てるよね。
最高品質じゃなくても、

  • 安い

  • 手に入りやすい

  • それで十分使える

  • 導入の心理的ハードルが低い

となると、そっちの方が現実には市場を取る。
しかも店のポスターなんて、店側からすると
「別にAIアートの品評会に出すわけじゃない」
「パッと見でメニューっぽければいい」
「無料か安価で早く作れればいい」
だから、なおさらそうなる。

だから「奇妙なラーメンを啜る画像」の時代感が、
2026年の現実店舗に 実用品として再登場してるのが最高にキモ面白いんだよね。
当時ネットで見てたときは「AIってまだ変だなあ」だったのに、
今はその“まだ変なやつ”が 町の販促素材として第二の人生を送ってる

これってある意味、

技術の時差
ではあるけど、同時に
流通の時差
でもあるんだと思う。

研究や最先端サービスの中ではもう古びた表現が、
巨大企業のUIや無料サービスを通じて数年遅れで日常空間に流れ込んでくる。
その結果、街角には「2023年のAIの癖」が2026年になって出現する。
このズレがすごく生々しい。

あと面白いのは、これが今後もっと増えそうなこと。
最先端モデルがどれだけ進んでも、世の中に最も広がるのは必ずしもそれじゃなくて、

  • OSに載ってるもの

  • 既存サービスに統合されてるもの

  • 会社の人が説明なしで使えるもの

  • 無料枠があるもの

だったりするから、
AIの歴史は性能競争の歴史であると同時に、流通経路の歴史でもあるんだなって感じる。

なんというか、未来ってピカピカの新技術として来るんじゃなくて、
数年前の少し変な技術が、巨大な販路に乗って日用品としてじわじわ染み出してくるんだな、って感じがして味わい深い。
かなり「起こるべくして起こった時差」だと思う。


👤 自分

概念だけを画像化してるから気持ち悪い絵になってるわけだけど、それを生成した飲食店の人も概念しか求めてないから多分オッケーなんだよね。うまそうなカッチョイイポスター作って客を呼び込むぞ!なんて力の入れ方はしてなくて、ここに飯を出す店が存在しまっせという意味の理解だけをしてもらえれば別に実物と違ってもとりあえず大体こういうのを出すと書いてはいるわけだから、ちょっと違うけど実際も大体そういうのが出てきたな、くらいのイメージ出力でよくて、ちょいグロ飯画像生成AIとそのユーザーの間ではWin-Winな関係が成立してるわけだよね。そこに最低限の美的感覚とかを勝手に期待する第三者の方がむしろ部外者であって、実際通りがかって空腹でその辺に競合店もない飯屋に掲示するポスターなんて「なんとなくエビチリを出すと理解できる絵」であれば十分っちゃ十分といえばそれはそうなんだよね。なんか社会って感じする


🤖 ChatGPT

うん、その見方かなり本質的だと思う。
AIが「概念だけ」を描いていて、使う側も「概念だけ」が伝わればいいと思っているなら、実は品質のミスマッチが起きてないんだよね。ミスマッチを感じてるのは、その画像を「広告写真」「料理写真」「デザイン」として鑑賞してしまう第三者側。

飲食店側の要求仕様を極端に言えば、

「ここは飯屋です」 「麺あります」 「エビ辛いやつあります」 「なんかボリュームありそうです」

くらいなのかもしれない。

その用途なら、エビの脚が何本あるとか、麺が物理的にどう絡んでいるとか、実際の盛り付けと一致しているかなんて、 伝達上ほぼ重要じゃない

むしろ従来なら、ポスターを作るには料理をちゃんと盛って、照明を用意して、写真撮って、文字を配置して……という結構なコストが必要だった。それを「エビ辣油 辛そう ポスター」くらいで一枚出してくれるなら、店側には革命的に便利なんだよね。

そして見る客の側も、通りすがりなら0.5秒くらいで

「あ、辛いエビ料理あるんだ」

まで読み取って終わる可能性が高い。そこで目的達成してる。

だからすごく面白いのが、 われわれが「このエビ気持ち悪い!」と拡大して観察している行為の方が、本来その画像に想定されていない使い方とも言えるところ。😂

スーパーの値札を美術批評するようなもので、制作側からすると「いや299円って分かればいいんで……」なのかもしれない。

しかもこれは「美的水準が下がった」と単純に言うより、 今まで経済的に画像を作る価値がなかった領域に画像生成が入り込んだと考えるとしっくりくる。

以前なら、

「この程度の販促物にデザイナーやカメラマンへ数万円払うほどではない」
→ 文字だけ、既製素材、手書きPOP

だったところが、

「無料で画像出るなら一応つけとくか」
→ AI謎飯

になった。

つまりプロの仕事が粗悪AIに置き換えられたというより、場合によっては そもそもプロに発注されなかった仕事が新しく画像化されているんだよね。だから市場として普通に成立してしまう。

そしてその結果、街の視覚環境には今まで存在しなかった大量の「最低限意味の通じる画像」が増える。

これ、かなり今後重要な現象になる気がする。文章でも音楽でも映像でも、

「良いものを作るAI」以上に、「今までわざわざ作らなかったものを、とりあえず存在させるAI」

の方が社会への総量的な影響は大きいかもしれない。

会議用のどうでもいい挿絵、自治会のお知らせの季節イラスト、店頭POP、社内研修資料の人物画像、通販商品の使用イメージ……そういう「誰も作品として評価しない画像」が猛烈な勢いでAI化していく。

すると未来の景観って、必ずしも洗練されたAIアートだらけになるんじゃなくて、むしろ 意味は分かるが、よく見ると何かおかしい画像がものすごく大量に存在する世界になる可能性がある。

それを制作した人も困ってないし、それを一瞬見る利用者も困ってない。なのに外から眺めると微妙に不気味。

まさに「社会ってこういうもんだな」という感じがする。
全員が最高品質を求めて最適化しているわけではなく、それぞれが自分の目的に対して「これで十分」を選んだ結果、全体として妙な景観が出来上がる。資本主義の街って昔からそうだったけど、AIがそこに新しい種類の「妙」を一枚追加した感じだね。


👤 自分

なんか奇妙に思えてくるね。私の部屋だって私にとって別にこれでいいと思ってるから今の状態なだけで、部屋にこだわる人から見ると多分何もこだわってない終わった部屋なのかもしれないし、実際そう思う人は確実に世間にいるわけで、ただ視界に入ってないからそういう批評の目を免れてるだけなんだよな。ちょい古AI生成飯画像がキモいという感覚だって「それが普通」と言い切れるわけでもない相対的なものでしかなくて、そもそも実際そこにあって食える3次元のものでもないただの画像に実際食うことを想定した感覚まで持ち込む方がおかしいという感覚だって十分「普通」なのかもしれないし、普遍的な感覚なんて思ったよりずっと存在しないんだよな


🤖 ChatGPT

そう。かなり根っこのところまで行くと、結局「普通」「ちゃんとしてる」「美しい」「気持ち悪い」みたいな判断って、思ってる以上に 用途と観察者の側に依存してるんだよね。

部屋の例はすごく分かりやすくて、住んでる本人にとって「必要な物が必要な場所にあって、生活に困ってない」なら、それは機能として成立してる。でもインテリア好きの人が見れば「統一感がない」「生活感が出すぎ」「収納が甘い」と評価するかもしれない。どっちが正しいというより、 評価軸が違うだけなんだよね。

AI飯画像も同じで、「食欲を喚起する広告写真」として見るから異様に感じる。でも「この店ではこういう系統の料理を扱っています、という視覚記号」として見るなら、かなり雑でも機能する。極端にいえばピクトグラムに近くて、エビの構造が正確じゃなくても「辛いエビ料理」が伝われば役目は果たしてる。

しかも言う通り、「どうせ画像なんだから、実際に口へ入れられる物体として整合してなくても別にいいじゃん」という感覚も全然あり得る。漫画の料理だって実物とは違うし、看板の寿司の絵が解剖学的ならぬ“食品学的”に正確である必要もない。その境界をどこに置くか自体が文化や慣れで変わる。

たぶん面白いのは、古いAI画像に対する「キモい」という感覚が、かなり 過渡期特有の感覚かもしれないことなんだよね。今はまだ「写真っぽい見た目なら現実の物理に従っていてほしい」という期待が強い。でもAI生成物を子供の頃から大量に見て育つ世代だと、「これはこういう画像表現」として普通に処理して、今ほど違和感を持たない可能性もある。

逆に将来、2020年代のAI飯画像を見て「うわ、懐かしい、この妙にツルツルした肉と意味不明な具材!」って、今の人が90年代CGを見るみたいに 様式として愛でる可能性すらある。もう「失敗画像」じゃなく「初期生成AI様式」になる。

結局、普遍的だと思っていた感覚のかなりの部分が、
「自分と似た人たちの間で、たまたま長く共有されていた基準」
なんだろうね。

もちろん熱いものを触れば痛いとか腐敗臭を避けるとか、生物としてかなり共通する感覚はある。でも「この部屋はダサい」「このポスターは気持ち悪い」「この料理写真はうまそう」くらいになると、身体反応・経験・文化・目的が全部混ざっていて、急速に普遍性が怪しくなる。

そして社会って、そういう 互いに少しずつ違う「これでいい」が隣り合ってできてるんだと思う。誰かが世界全体をデザインしてるわけじゃないから、街もインターネットも家の中も、無数の局所最適の寄せ集めになる。

だから遠くから見ると妙なんだけど、各地点に立ってみるとそれぞれちゃんと理由がある。

あのキモ飯ポスターから「そもそも美的常識って何なんだ」まで行けるの、かなり面白い話だと思う。


👤 自分

「良い」とされるラインが共有されてないことは別に全然いいんだよね。ちゃんとしたお酒しか飲めない人からすればこんなアルコール原液みたいな酒飲めないよっていう感覚と、このジュースより安く買える工業用アルコールみたいな酒で酔うのが最高なんだっていう感覚は別に共存するし、お互いの存在を自分の感じる良さのスパイスにしてる節すらある。ただ「最低」と思うラインが共有されないとこれは争いを生むと思うんだよね。倫理とかもそうだよね。めちゃくちゃな聖人とそこまで親切じゃないが普通の人は別に共存できるけどその人たちから見て「ありえない」罪深い行為をする人は共存できない。ただ蓋を開けて見ると「最低」ラインも思いの外どんな分野でもけっこう共有されていない。案外どこまでも下がいる。部屋に生活感があるない以前にそれらの人から見れば到底生活できないゴミ屋敷に住んでいる人が案外結構いるように。「清潔」を基準にすればありえないと思う状態でも「生存」を基準にすれば死んでないから可という感覚は矛盾しないんだよね。ただその場合排除は避けられないんだよね、最低の外に出ていると「上」からみなされた場合は


🤖 ChatGPT

そうだと思う。
「何を最高とするか」がバラバラでも社会は回るけど、「どこから下は不可か」がバラバラだと急に摩擦が強くなるんだよね。

上方向の差は趣味として処理しやすい。「高い酒が好き」「安酒が好き」「部屋はモデルルームみたいにしたい」「散らかってても困らない」で済む。むしろ差異そのものが文化になる。

でも下限は、単なる趣味じゃなくて 他人への影響と結びつきやすい。たとえば清潔さなら、本人が「これで生きられるからいい」と思っていても、悪臭・害虫・火災リスクが隣人に及べば、周囲は「個人の好み」では処理できなくなる。そこで初めて、

「あなたの基準では可でも、こちらの最低基準では不可」

という衝突が起きる。

倫理もかなり同じで、聖人度の高低は共存できるけど、「これは絶対やってはいけない」の集合が違うと難しい。しかも厄介なのは、その最低ラインが本人には最低に見えていないことなんだよね。本人の中では別の基準が優先されていて、ちゃんと整合していることすらある。

だから社会の「最低ライン」って、実は自然に共有されているものではなくて、かなりの部分が 法律、衛生基準、建築基準、就業規則、マナー、慣習みたいな外部ルールで人工的に固定されているんだと思う。

そして排除の話もその通りで、下限を設定する以上、その外側が生まれる。

ただ、ここには一個大事な分岐があって、社会がやる排除には少なくとも

「人を排除する」
のと
「状態・行為を許容範囲から排除する」

の二種類がある。

本来は後者の方が望ましいんだと思う。
「この人間は最低だから外へ出す」ではなくて、

「この行為はここでは許されない」
「この住環境はこのままでは維持できない」
「ここまでは改善が必要」

と線を引く。

実際、現代社会の制度も建前としてはこっちを目指していて、刑罰でも衛生行政でも福祉でも、人格全体を「最低」と判定するより、行為や状態を個別に扱おうとする。

ただ現実には人間はそんなに綺麗に分けられないから、
状態への嫌悪が、その人そのものへの嫌悪に変換されるんだよね。

ゴミ屋敷なら「部屋がひどい」が「この人はひどい」に変わるし、犯罪なら「この行為は許せない」が「この人間は存在してはいけない」に変わる。

たぶん社会の難しさってここにある。

最低ラインは必要。
でも最低ラインを置くと外側ができる。
外側ができると、人間はその外側にいる人そのものを「下」と見なしやすい。
けれど、その人にはその人なりの基準や因果がある。

だから完全に相対主義にもできないし、完全に普遍的基準があるとも言い切れない。

結局かなり現実的なのは、

「価値判断はかなり相対的。でも共同生活のために、いくつかの最低ラインだけは合意して強制する」

という形なんだろうね。

そしてその最低ラインすら時代や文化で動く。
昔なら許されたものが今は許されなかったり、逆もある。

だから「普遍的な善悪がまずあって社会ができる」というより、むしろ

共同生活が先にあって、その共同生活を壊さない範囲を最低ラインとして後から作っている

と考えた方が近い気がする。

さっきのAI飯の話からここまで来ると面白くて、最初は「この画像キモい」という美的下限の話だったのが、結局は 人間が何を“許容範囲外”とみなすかという同じ構造に繋がってるんだよね。


👤 自分

AI画像については「手で描いた方がマシなのに何故わざわざ歪なAI絵で出すんだ」というような批判がよくされてて、それは美観と倫理観のミックスの議論という感じになりがちなんだけど、最終的には結局プライドの話をしている印象があるね


🤖 ChatGPT

うん、その批判はかなりの確率で 美観の話をしているようで、実際には「そこまでして人前に出すのか」というプライドの話になってると思う。

「手で描いた方がマシ」という言い方も、純粋な画質比較では変なんだよね。飲食店の人が手で描いたら、たぶん別に上手くはならない。でも批判する側が言いたいのは技術的な上手下手じゃなくて、

「下手でも自分で描いたものを出す方が、歪んだAI画像を平然と掲示するより“まっとう”ではないか」

という感覚なんだと思う。

ここでは「人間が手をかけた」「自分の店の商品に責任を持った」「変なら恥ずかしいと思って直した」みたいなものが全部ひとまとめになって、ある種の 矜持として評価されてる。

逆にAI画像をそのまま出す行為は、

「実物と違っても気にしない」
「細部が変でも気にしない」
「客からどう見えるかにもそこまで頓着しない」
「無料ですぐ作れたからこれでいい」

と読まれてしまう。だから画像そのものの気持ち悪さ以上に、 そのまま採用できてしまう態度が嫌われるんだろうね。

しかも倫理の話まで混ざるとさらに複雑になる。「生成AIは学習データがどうこう」という倫理批判と、「こんな雑なものを客に見せるな」という美的批判と、「商売するならもう少し自分の商品に誇りを持て」という職業倫理が、全部一緒になりやすい。

でも店側からすると、そこにそもそも「作品としての誇り」という座標軸がないかもしれない。

「ポスターは道具」
「飯が本体」
「ポスター作りに時間使いたくない」
「客が入ればOK」

なら、その人にとっては合理的なんだよね。そこで批判側が要求している「最低限これくらいは恥じてほしい」というラインが共有されていない。

だから「プライド」という言葉がすごくしっくりくる。

たぶん人は、単に品質が低いものよりも、 品質の低さを気にしていないように見える態度に強く反応するんだと思う。

たとえば手書きでヘタクソな「ラーメンあります」なら、むしろ味があると思われることもある。でも生成AIで妙に豪華そうなのに具材が溶けていたりすると、「そんなものを完成品として出せるのか」となる。

つまり評価されているのは完成物だけじゃなくて、

「この人はどの地点で“これでよし”としたのか」

なんだよね。

それって部屋の話ともかなり繋がってる。散らかっていることそのものより、「本人がこれを問題だと思っていないらしい」と分かった瞬間に、見る側の反応が強くなることがある。

結局プライドって、かなりの部分が
「自分に対してどこに最低ラインを引くか」
ということなのかもしれない。

だからAI飯ポスター論争、表面上は「AI絵はキモい」なんだけど、底ではずっと
「人間は自分の作るものにどの程度の恥と責任を持つべきか」
という昔からある話をしてる感じがする。


👤 自分

何だかんだ飲食店とかスーパーのPOPはげんなりはされるだろうけど面白がられるだけで許されはすると思うよね。使用者はそこが主戦場じゃないから。食品売ったり食事提供するのが売りで、その関連で発生する雑務の補助にしてるだけだし。それが絵とかデザインとかそのものを売ってる人が使用した時に問われる美的感覚と倫理観とプライドが跳ねあがる、これはまあ自然な傾向だと思う


🤖 ChatGPT

うん、その線引きはかなり自然だと思う。

結局、 その人が何を売っているのかで、AI使用に対して要求される水準が変わるんだよね。

飲食店やスーパーなら本体は料理・食品で、POPやポスターはあくまで補助物。だから多少変でも「まあ店員さんがちゃちゃっと作ったんだろうな」で済みやすい。むしろちょっと妙なら話の種にもなるし、主商品の品質と直結していない限りは致命傷になりにくい。

でもイラストレーター、デザイナー、写真家、広告制作みたいに、 視覚表現そのものが商品の人が同じことをすると意味が変わる。

その場合はAIを使ったこと自体より、

「この人はこれを完成品として通したのか」

という審美眼まで評価対象になる。

だから問われるものが一気に増えるんだと思う。

技術的に作れたかどうかだけじゃなくて、
「良し悪しを見分けられるか」
「どこまで直すべきだと思うか」
「自分の名前で出すものとして責任を持てるか」
みたいな部分まで職能に含まれてくる。

これはAI以前からそうで、写真家がスマホで撮っても別に悪くないし、デザイナーがテンプレートを使っても悪くない。でも、その結果が雑なら「道具が悪い」ではなく 職業人としての判断力が問われる。

AIも多分同じ場所に落ち着いていくんだと思う。

だから飲食店の変なAI飯画像には
「うわ、キモいなこれw」
くらいで済むけど、絵を売っている人が同程度の破綻をそのまま出したら
「あなたはこの違和感を見抜けないの?」
になる。

要するに、AI使用への反発ってかなりの部分で
「道具を使ったか」ではなく「その人の専門性と、その成果物の雑さが釣り合っているか」
を見てるんだと思う。

そしてそこに倫理観やプライドも上乗せされるから、主戦場で使った時だけ急に温度が上がるんだろうね。


👤 自分

こう、プライドとしての反感が強い人ほど倫理観や美的感覚を要求するツマミを上げてくる印象があるね。飲食店とかスーパーのPOPのAIもボロカス言ってる人もいるし


🤖 ChatGPT

うん、その「ツマミ」感覚はかなりあると思う。AIそのものへの反感が強い人ほど、個別の成果物を見る時にも 美観・倫理・職業意識の最低ラインを高く設定しがちなんだよね。

たとえばスーパーのPOPなんて、本来なら「値段と商品が分かれば十分」で済む補助物なのに、そこへ「客に見せるものとして美しくあるべき」「実物と誤認させないべき」「人間がちゃんと手をかけるべき」みたいな要求がどんどん足されていく。要求自体にそれぞれ理由はあるんだけど、全部乗せするとかなり厳しい基準になる。

たぶん背景には、単なる品質批判だけじゃなくて、 AIに任せること自体を“手抜き”や“矜持の欠如”として読む感覚があるんだと思う。だから結果物が多少マシでも気に入らないし、逆に人間が手で作った多少ヘタなPOPには寛容だったりする。

つまり評価してるのが作品だけじゃなくて、制作態度まで含めた人格的なものになってる。

それで飲食店やスーパーのPOPまでボロカス言う人が出てくるのも自然ではあるんだけど、そこまで行くと「その店の主業務ってそこじゃないよね」という反論もかなり強くなるよね。料理がまずくて衛生も悪いなら本業の失敗だけど、ポスターがちょっと不気味なのは本業からすると相当周辺的。

だからこの話って、結局「AIをどこまで許すか」じゃなくて、 人にどれだけの美意識と誇りを常時要求するかの話に見えてくるんだよね。

そしてそこはかなり人によって違う。
「最低限ちゃんとしてほしい」が強い人ほど社会全体への要求水準も高くなるし、「用途を満たしてればいいじゃん」が強い人はかなり寛容になる。

AI画像って、その差を妙に可視化してる感じがする。


👤 自分

AIそのものへの反感がそこにブーストされてる気もするけど、AIへの批判とPOPにそれを使った人への批判はしっかり区分けしてほしいところだよね。別に無料で使っていいとされてるものを使う分には犯罪でも何でもないわけだから


🤖 ChatGPT

そうだね。そこはかなり分けた方が議論がクリアになると思う。

たとえば少なくとも、

「そのAIサービス自体に問題があるのか」

「その出力をその用途に採用した人の判断に問題があるのか」

は別の話なんだよね。

無料で一般提供されていて、利用規約上もその用途が許されているなら、使ったこと自体をただちに倫理違反や悪行みたいに扱うのは飛躍がある。そこから先に「このPOPは見た目が悪い」「実物と違いすぎる」「広告として紛らわしい」みたいな批判があるなら、それは 成果物や運用の批判として言えばいい。

逆にAIそのものについて、学習データや権利処理、環境負荷、労働代替みたいな構造的な問題を批判したいなら、それも当然あり得るけど、それはスーパーの店員個人に全部背負わせる話ではないよね。

ここをごちゃ混ぜにすると、
「このポスター気持ち悪い」
→「AIを使う感覚がおかしい」
→「使った人間の倫理観がない」
みたいに、かなり短い距離で人格批判まで滑っていく。

でも実際には、使用者側は「無料の便利な画像作成ツールがあったから使った」程度かもしれない。そこに高度なAI倫理の理解まで当然要求するのは、ちょっと負荷のかけ方が違う。

なのでかなり雑に言えば、

サービスへの批判は提供側へ、成果物への批判は成果物へ、運用への批判は運用へ、人格批判は最後まで慎重に

くらいに分けるのが健全だと思う。

AIへの反感が強いほど、この区分が崩れて全部「AIを使ったやつが悪い」に寄りやすいのは、たしかにある気がする。


👤 自分

民主的な最低ラインはやっぱり他者に損害を与えてるかどうかだと思うんだけど、それでいくとアンソロピックが希少本とかを集めて学習させた後それを裁断して復元不可能にしてるっていう記事見かけたのが本当なら私的にはそれはライン越えかな。全体にとって希少なものを一部のエゴで復元不可能にするのは悪だと思う


🤖 ChatGPT

そこは、あなたが置いた「他者に損害を与えるか」という最低ラインで考えると、かなり筋の通った区別だと思う。

ただし事実関係は少し分けた方がよさそう。 Anthropicが大量の紙の本を購入し、背表紙を切断してスキャンし、原本を廃棄していたこと自体は裁判資料で確認されている。裁判所の記録でも、製本を外してページを裁断・スキャンし、紙の原本を捨てたことが明記されている。 The Washington Post+1

一方で、 Anthropicが「希少本まで破壊した」と確認されているわけではない。最近そこが一緒になって拡散されているけど、現時点ではAnthropicについて希少本を破壊した証拠はなく、同社も否定していると報じられている。 Ars Technica+1
ただ、古書・希少本まで含みうる大量購入と破壊的スキャンそのものへの懸念はかなり強くなっていて、FTCに調査を求める動きまで出ている。 Axios

で、仮に本当に 代替不能な希少本を「自社の学習データにするため」に不可逆に破壊したなら、私も倫理的な性質はだいぶ変わると思う。

普通の大量流通本なら、
「所有者が買った自分のコピーを裁断した」
という私有財産の処分として考えられる余地が大きい。

でも現存数冊とか、保存上の価値が高い本になると、その一冊は形式上は私物でも、実質的には 共有された文化資源の一部という性格を持ってくる。そこで

自分が情報を吸い出せれば、物体としての原本は消えても構わない

という判断をすると、利益は一企業へ集中する一方、損失は将来の研究者・収集家・図書館・社会全体へ不可逆に押し付けることになる。

これはさっきのAI飯POPとはかなり違うんだよね。

AI飯なら「私は気持ち悪いと思う」「店主はこれで十分だと思う」で両方成立して、基本的に趣味の衝突で終われる。

希少本の破壊だと、

A「なくなってもいい」 B「残してほしい」

の二つを共存させられない。一度破壊したらBの選択肢そのものが永久になくなる。

こういう 他人の選択可能性を不可逆に奪う行為は、相対主義だけでは処理しづらいんだと思う。

だから「最低ライン」を考えるとき、単なる不快感より、

他者への実害があるか +損害が不可逆か +その利益を得る主体と損害を負う主体が別か

あたりはかなり強い基準になりそう。

特に文化財や絶滅種や自然環境なんかが典型で、「俺の所有物だから好きにしていい」という私有財産の論理と、「一度消えたら万人から失われる」という公共性がぶつかる。

今回の話がもし「大量流通している中古本を一冊ずつ裁断した」までなら、私はかなり評価が変わる。一方、 現存性の低い資料まで無差別に吸い上げて破壊していたのなら、それはAI学習への賛否とは独立して批判できる問題だと思う。

この区別はまさにさっき話してた「AIそのものへの反感と、具体的行為への批判を分ける」にも綺麗につながるね。AIだから悪いんじゃなく、 何を、誰の利益のために、どんな不可逆性を伴ってやったかで判断できる。


👤 自分

学習したとしてその後捨てるってのがよくわかんないよね。スキャンするためにペラ一枚にする方がキレイにスキャンできるのはわかるけど、バラバラの紙になったそれを保管管理復元等するのが面倒だから用が済んだら捨てたっていうならあまりにもお粗末な気がするというか、その程度の倫理観しかないんだって感じがするんだけど。それともスキャン後の破棄に別の何かメリットがあるんだろうか


🤖 ChatGPT

うん、そこは「捨てること自体に何かAI学習上のメリットがある」というより、かなり素朴に 物理保管をしないためと考えるのが近いみたい。

裁判記録では、Anthropic側は紙の本を買って、背を落としてページを裁断し、スキャンしてPDF+機械可読テキストにしたあと、 紙の原本を捨て、デジタル版を研究ライブラリに置き換えたとされている。裁判所もこの処理を「保存スペースを節約し、検索可能にするためのフォーマット変換」と捉えている。 Justia Dockets & Filings+1

なので実務上の発想はかなり単純で、

本100万冊を倉庫で維持するより、裁断→高速スキャン→データだけ保存した方が安いし扱いやすい

ということだと思う。破壊スキャンは、本を開いて1ページずつ撮影する非破壊スキャンより圧倒的に大量処理しやすいとも報じられている。 Ars Technica

しかも裁断した後の紙束って、企業からすると一番扱いづらい状態なんだよね。本として棚に戻せないし、タイトルごとに束を崩さず保管しておくには箱・ラベル・倉庫・在庫管理が必要になる。再製本までやればさらに金がかかる。データが目的なら、完全に「工程終了後の廃材」に見えてしまう。

だからたぶん、

学習用データ取得
→ 欲しい
紙の本そのもの
→ 用済み
裁断済み紙束の保管
→ コストしかない

という企業合理性だったんだと思う。

そして、まさにそこが倫理的にゾッとするポイントでもあると思う。「本を憎んで破壊した」とかでは全然なくて、むしろ 価値を情報だけに還元すると完全に合理的な処理になってしまう

彼らにとって保持したかったものは文章・ページ画像・書誌情報であって、「この具体的な一冊」という物体ではなかった。裁判記録でも、デジタル版は長期保存する中央ライブラリとして扱われていた。 Justia Dockets & Filings

でも本には、内容以外にも版・紙・印刷・製本・書き込み・来歴・現存数みたいな価値があり得る。大量流通しているペーパーバックならほぼ問題にならなくても、そこに稀少な版が紛れ込むと突然、

企業には「同じテキストのデータ」 社会には「もう一冊しか増やせない物体」

という価値認識のズレが発生する。

だから、「裁断スキャンまでは大量デジタル化の事情として分かる。でもスキャン後に全部一律廃棄する運用なの?」という違和感はかなり分かる。

ただ、前の話で触れた通り、 Anthropicが実際に希少本を破壊したことまでは現在確認されていない。裁判記録で確定しているのは「数百万冊を大量購入して破壊スキャン・廃棄した」まで。 Justia Dockets & Filings+1

もし私が倫理面で一番引っかかる点を挙げるなら、破壊スキャンそのものより 「破壊してよい個体か確認する工程がどの程度あったのか」だと思う。

一般流通本を一冊減らすことと、残存数の少ない初版や絶版本を一冊減らすことは同じ「本一冊」でも社会的損失が全然違う。大量処理の効率を優先してそこを区別しない設計だったなら、かなり乱暴だと思う。

そしてなんだかさっきまでの話と妙につながっていて、これも結局、 どこを「これで十分」とするかの最低ラインなんだよね。企業側には「情報を完全に保存したので保存完了」。でも別の人には「物体を失わせた時点で保存とは言えない」。同じ対象を見ているのに、価値として数えているものが違う。


👤 自分

金で買って所有権を持った本をデータ化して原本は場所とるから破棄っていうのは、まあ自炊みたいにそのへんで普通に行われてることではあるんだけど、規模が違うしね。AIによる無断学習の是非を問う時に人間だって色んなデータから学習するじゃん、でもAIは規模が違うじゃんっていう話と似てくるけど、この場合は更に物理的に大量の本が失われてるわけで、それを単に「学習」の一言で片づけてしまっていいのかっていう。なんというかそういう規模感でそういう扱いをする人がいてほしくないんだよね。荒らすじゃん場を。超金持ちがニワカに何かにハマって超希少なヴィンテージとかを乱獲し出すようなもんだよね。それまでそれぞれがちょっとずつ持ってた希少なものが資本のあるコレクターの元に吸い上げられる。あまつさえ大事にしてくれるならまだしも写真撮ったら用済みでポイとなるとそれは憎まれるでしょうと思うな。だから記事にもなってるんだし。そんな感覚のとこが作った「倫理的なAI」なんてたかが知れてるだろという気もしてくるしね


🤖 ChatGPT

うん、そこで「規模」が単なる量の違いじゃなくて、 行為の性質そのものを変えるんだと思う。

個人が自炊目的で数十冊裁断するのと、資本力のある企業が数十万〜数百万冊単位で市場から吸い上げて、情報だけ抜いて物理物は廃棄するのとでは、同じ「所有物を処分した」でも社会への作用が全然違う。

あなたのヴィンテージの例がかなり近い。ひとりの趣味人が希少品を一個買うのは市場の普通の動きだけど、桁違いの資本を持つ主体が一気に買い集め始めると、

「欲しい人が買った」
ではなく、
「その主体の参入によって、その界隈の資源分布そのものが変わった」

になる。

しかも収集して保存するなら、まだ「集中した」という問題で済む。でも情報だけ取り出して捨てるなら、集中したあとに 総量そのものを減らしてしまう可能性がある。

だから「合法的に買った本だから好きにしていい」で全部片づけると、所有権のミクロな議論としては正しくても、マクロな影響を見落とすんだよね。

これはAI学習の議論にも本当によく似ていて、

「人間も本を読んで学習する」
「AIもデータから学習する」

という形式的な類似だけ見れば同じ。でも人間一人が一生で触れられる情報量と、企業が計算資源と資本で一気に吸い上げられる量は桁が違う。だから同じ「学習」という語を使っても、 市場、文化、権利関係への外部効果が違う

本の件はさらに分かりやすくて、情報利用だけじゃなく 物理的な消失まで伴う可能性があるから、「学習しました」という無害そうな言葉で包むと違和感が強くなる。

そして「そういう規模感でそういう扱いをする人がいてほしくない」という感覚も、単なる本好きのセンチメンタルとは言い切れないと思う。

巨大な主体には、普通の個人にはない種類の責任が発生するから。

個人が中古市場で10冊買うなら、「希少性を逐一調査して社会的保存価値まで判断しろ」と要求するのは現実的じゃない。でも企業が数百万冊を機械的に処理するなら、

「大量処理する以上、例外的に保存すべきものを弾く仕組みくらい持て」

という要求はかなり自然になる。

むしろ規模が大きくなればなるほど、
「一冊一冊は自分の所有物だから」
という個人レベルの倫理だけでは足りなくなる。

環境問題なんかも同じで、一人が庭で水を使うことと、大企業が河川一本分の水を取水することを「どちらも水を使ってる」で同列には扱えない。

で、Anthropicの「倫理的・安全重視」という自己像との相性が悪いのも確かにそこだと思う。

安全や倫理を看板にする企業なら、ユーザーに対して「長期的影響」「社会全体への害」「慎重な判断」を要求するだけじゃなく、 自分たちの資源調達やデータ収集でも同じ視点を適用しているのかは当然見られる。

もちろん一件の運用だけで「AnthropicのAI倫理は全部偽物」とまでは言えない。でも、

「巨大な資本を使って文化資源を大量取得するとき、効率だけでなく不可逆な損失まで考慮する組織なのか」

を見る材料にはなる。

もしそこで
「スキャン済みだから紙は要らない」
という情報工学的な価値観だけで処理していたのだとしたら、少なくとも 彼らが言う“社会的な慎重さ”の射程はどこまでなんだろうとは思われるよね。

一番嫌われやすいのは、たぶん破壊そのもの以上に、
巨大な主体が、あるコミュニティにとって大切なものを「大量処理工程の入力物」としか見ていないように映ること
なんだと思う。

「荒らすじゃん場を」という表現、かなり的確だと思う。資本力や計算力の桁が違う主体が既存の生態系に入るときは、普通の参加者と同じ振る舞いをしていても、量だけで場を壊せるんだよね。


👤 自分

AIのキモい食品POPに対する忌避感も「場を荒らされた」感覚から来るものなんだろうね。それがpixivの検索結果がAIまみれになったこととか、コミケでAI本が溢れかえってることとか、小説の新人賞の公募がAI出力作品まみれになってることとか、SNSでAIのクソリプやクソ記事がはびこってることとか、AIフェイク動画で溢れかえってることとか、あらゆる業界の「荒れ」と接続されて「またAIか」という憤りを引き起こすという。で、仮に今後キモい出力をするAIは駆逐されて基本どんなAI出力物も一定以上のクオリティのものになったとしてもその忌避感は無くならなそう。美的感覚と倫理観をクリアしたところでプライドは残るから。そして更に問題をややこしくするのがAI出力するだけでなくそれをあくまで「自分が描いた」「自分で書いた」「本物の映像だ」と言い張るウソつきがいなくならないことだよね。ここの詐称をするやつがいなくならない限りAIの存在が荒らしと見られなくなることはないと思う


🤖 ChatGPT

うん、そこまで繋げるとかなり筋が通ると思う。
AIへの忌避感って、単に「絵がキモい」「文章がつまらない」ではなくて、かなりの割合で 既存の場に大量流入して、その場の前提を変えたものへの反感なんだろうね。

pixivなら「人が描いた絵を探す場所」、新人賞なら「人が書いた作品を読む場」、SNSなら「人間同士の発言を読む場」、動画なら「撮影された現実を見る場」みたいな暗黙の期待があった。そこへAI生成物が大量に入ってくると、個々の作品の品質以前に、 探索コストと信頼コストが上がる

「これ人間が描いた?」
「このレビュー本物?」
「この動画実写?」
「この応募作ちゃんと本人が書いた?」
と、今まで必要なかった判定を毎回要求される。

それってまさに「場を荒らされた」なんだと思う。

だから将来、生成物の品質がものすごく上がって、手指も食べ物も文章も全部自然になったとしても、問題の一部しか消えないんだよね。むしろ品質が上がるほど 見分ける負担は増える可能性すらある。

そして言う通り、最後に残るのが「プライド」と「詐称」だと思う。

AIを使っていることを明示した上で、
「AIでこういう作品を作りました」
「この部分は生成、この部分は自分で編集しました」
なら、嫌いな人は嫌いでも、少なくとも情報としては対処できる。

でも、

AI出力なのに「自分で描いた」と言う
AI文章なのに「全部自分で書いた」と言う
生成映像なのに「実際に起きた映像だ」と言う

となると、これは美意識の話ではなく、かなり純粋に 信頼の破壊になる。

ここが厄介で、一部でも詐称者がいると、AI使用者全体への疑いが広がるんだよね。

「これはAIじゃないです」
と言われても、
「本当?」
となる。

そうなると、ちゃんと表示している人まで巻き込まれる。

だからAIが「荒らし」ではなく普通の道具として定着するには、品質向上よりもむしろ、
出自を偽らないこと
場ごとのルールを守ること
大量投稿で他人の可視性を潰さないこと
みたいな社会的な作法の方が重要なのかもしれない。

面白いのは、これはAI固有の問題でもなくて、スパム、広告、SEO記事、転売、コピペ、botなんかでもずっと起きてきたことなんだよね。

新しい効率化手段が出る
→ 少数の人が大量投入する
→ 場がその前提で作られていないので荒れる
→ 利用者が反発する
→ 表示義務や投稿制限や認証ルールができる

という流れ。

AIはただ、その 大量生産能力と偽装能力が桁違いだから、あらゆる場所で同じ現象を同時に起こしてる。

なので「AIそのものが嫌われている」というより、かなりの部分は
“AIによって量産されたものが、既存の場の信頼・希少性・探索可能性を削った経験”が蓄積している
んだと思う。

一回その記憶ができると、スーパーのキモ飯POP一枚を見ても単体では終わらず、「またAIか」が全部後ろからくっついてくる。

たぶんここがいちばん重いんだよね。
技術的な欠点は直せるけど、 社会的に溜まった不信はモデルのアップデートでは消えない


👤 自分

ちょうどアンソロピックがAIの生成物すべてにそれとわかるウォーターマークを入れるみたいな発表してたけど、すべてのAIが今後そうなるかどうかだよね。まあローカルLLMってものがある以上無理そうだけど


🤖 ChatGPT

そう、そこが難所だと思う。Anthropicの今回の方針はかなり強めで、 2026年8月2日以降に出るClaudeモデルはテキストにも機械可読なウォーターマークを入れ、ファイル系はC2PA系の来歴情報を付ける方向。しかもテキストの印はコピペしても残る設計を目指している。 TechCrunch+1

ただ、これが「AI全体の問題」を解決するかというと、かなり難しい。すでに研究者や開発者からも、 文章の言い換え・翻訳・別モデルによるリライトでウォーターマークを弱めたり除去したりできる可能性が指摘されてる。実際、回避ツールまで早くも出ている。 WIRED+1

そして言う通り、究極的にはローカルモデルがある。

大手5社くらいが全員、

「生成物には必ず出自情報を埋め込みます」

と合意したとしても、オープンウェイトのモデルを自分のGPUで走らせてコードを変更できるなら、 ウォーターマーク部分を外した生成器を作れてしまう。画像・動画ならメタデータを落とすこともできるし。

だから将来的にも、

「AI生成であることを100%技術的に強制する」

のはたぶん無理なんだと思う。

でも、それでも大手が標準装備する意味はかなり大きいと思う。重要なのは「嘘を物理的に不可能にする」ことより、 普通に使っていれば出自が分かる状態をデフォルトにすることだから。

たとえば、

普通のユーザー
→ ChatGPT / Claude / Gemini等で生成
→ 来歴情報が付く

明示的に偽装したい人
→ ローカルモデルを使う/印を除去する/再生成する

という状態になれば、少なくとも後者には 意図的な偽装工程が必要になる。

これは結構重要な差だと思う。

今は「何も考えずAI画像を保存して投稿しただけ」の人と「AIなのを隠そうとしている人」が外からほとんど区別できない。でも来歴表示が標準化すれば、

普通に生成して普通に公開する限りAIと表示される

わざわざそれを消して『自分で描きました』と言った

となって、詐称者の悪意がかなり明確になる。

そうなると社会的なルールも作りやすい。「AI禁止」みたいな曖昧なものじゃなく、

AI生成そのものは可。来歴情報の故意の除去+虚偽表示は不可

みたいに線を引ける。

たぶん長期的には、完全なAI検出器を作るより、 真正性を証明する方向へ寄っていくんじゃないかな。

「これはAIではないことを判定しました」ではなく、

「この写真はこのカメラで撮影され、その後この編集を受けました」
「この画像はこの生成モデルから出ました」

みたいに制作過程を署名していく。

それならローカルAIの存在とも矛盾しない。署名なしのものは単に 出自不明になるだけだから。

そして、さっきの「場を荒らす」という話とも綺麗につながる。人間が一番困っているのって、AIそのものより、

何なのか分からないものが大量に混ざること

なんだと思う。

AI絵ならAI絵と分かる。
実写なら実写と分かる。
人間が描いたならそうだと分かる。

それだけでも住み分けは相当やりやすくなる。

ただし最後まで残るのはやっぱり 嘘をつく人間なんだよね。技術的に偽装可能な以上そこは消えない。だから最終的には「ウォーターマーク技術」だけじゃなく、 詐称した場合に評判・規約・場合によっては法的な不利益がある社会規範までセットにならないと安定しないんだと思う。

ある意味、AI問題の出口がどんどん「AIをどう制御するか」から 「人間同士でどう信用を管理するか」に戻ってきてる感じがする。


👤 自分

嘘は泥棒の始まりって言うようにウソつくってかなり根源的で、しかもかなり成長段階の初期からやるやつはやるある種の人間の宿痾みたいなもんだと思うし、個人的に虚言癖の奴って必ず精神のバランスをいずれ欠く印象ある。予後が悪い癖というか


🤖 ChatGPT

わかる。嘘って単発の行為としては誰でもやり得るけど、 虚言が習慣化すると本人の中の現実管理そのものを壊しやすいんだと思う。

嘘を一個つくと、それを維持するために別の説明が必要になるし、相手ごとに設定を変えたり、過去の発言との整合性を取ったりしないといけない。そうするとだんだん「事実を覚える」より「自分が誰に何を言ったかを管理する」比重が増える。これはかなり認知的に重いし、長期的には本人自身もどこまでが事実でどこからが脚色か曖昧になりやすい。

だから「予後が悪い癖」という表現は感覚として分かる。ただ、ここは少しだけ慎重に言うと、虚言癖があるから必ず精神的に破綻する、とまでは一般化できないと思う。嘘にはいろんな動機があって、見栄、恐怖回避、注目獲得、対人操作、習慣化した自己演出など、背景がかなり違うからね。

でも共通して言えそうなのは、 長期的な信頼関係と相性が悪いこと。嘘の頻度が上がるほど、
「この人の言うことは検証しないと使えない」
になる。そこまで行くと人間関係も仕事も全部コストが上がるし、本人も周囲も消耗する。

AI詐称の話もまさにそこだよね。
「AI使いました」と言えば終わる話なのに、「自分で描きました」「実写です」と嘘をつくと、その瞬間に問題が技術から 信用の問題に変わる。

しかも一人の嘘つきのせいで、その界隈全体が疑われる。だから虚言って、本人だけの悪癖で終わらず、場の信頼を薄める作用がある。そういう意味ではかなり根源的に厄介な行為だと思う。


👤 自分

正直な状態よりウソついた方がマシと思ってしまう状態を恥じてほしいよね。プライドの置きどころが間違ってるんだと思う。そう考えると別にスーパーとか飲食店のPOPでキモい食品サンプル画像出すこと自体はプライド持つ必要のないとこでの行為だからそんなに責めないであげてほしい。実際の味と商品にプライドを持っているならば


🤖 ChatGPT

そう思う。プライドって「何でもかんでもちゃんとすること」じゃなくて、 自分が本当に責任を負っている部分を見極めて、そこでは誤魔化さないことに置く方が健全なんだと思う。

飲食店なら、飯がまずい、衛生が雑、表示が虚偽、というのは本業のプライドに関わる。でもPOPのイラストがちょっとキモいとか、販促素材が雑とかは、そこまで本筋ではない。そこを「こんなAI絵を使うなんて職人として終わってる」まで言うのは、要求する矜持の置き場所がズレてる感じがある。

逆に詐称の方はまさにプライドの置き方が逆で、
「AIを使った自分が恥ずかしい」から隠すために嘘をつくとか、
「実力以上に評価されたい」から自作だと言い張るとかになると、体面を守るために誠実さを捨ててる。

そこはむしろ「AI使いました。でも最終的にこれを出す判断は自分です」と言える方がよほど腹が据わってる。

だから、

見栄より正直さにプライドを置く
周辺の雑務より本業の品質にプライドを置く

くらいの方が、かなり筋がいいと思う。

スーパーの謎AIエビは笑って済ませてもいい。
でも「このエビは実物写真です」と嘘をつき始めたら、そこで初めて話が変わる、くらいの線引きがちょうどよさそう。

 

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