「ケンカでもしてたのか? 二人とも」
シルバードを操縦しながら、クロノが気さくに訊く。
「……そんなんじゃねえ」
カエルはそっぽを向きながら言う。魔王も逆方向を見ている。シルバードの構造上、操縦者以外の二人は後部座席に隣り合って座る事になる。もういい加減慣れたが、クロノはよく気まぐれにこの二人を連れ出した。その真意を改めて尋ねた事は無いが、クロノが戻ってきて――カエルが魔王との決着をつけなかったと聞いた時、クロノは笑っていた。どこか嬉しそうに。「カエルらしい」と。なんとなく、その表情に救われた気がしていた。
俺らしさ……。
「どんな人だったんだ? ……サイラスって」
計ったようなタイミングでクロノが訊く。カエルは素直に、サイラスという男を思い返した。
「……面倒見のいいヤツだったよ。俺より五歳上で……孤児院で一緒だった俺の世話をいつもみてくれていた」
「親御さんは……どうして?」
「詳しくは知らないが……事故で死んだらしい。顔も覚えていない」
「そうか……じゃあ、ちっちゃい頃から一緒だったのか?」
「ああ。俺はよく近所の悪ガキにいじめられてな……。しょっちゅうサイラスに助けてもらってた」
「へえ! やり返さなかったのか?」
「同じ事言われたよ。男は立ち向かって行かなきゃいけない時もあるんだぞ、って」
「で、何て返したんだよ」
「……あいつらだってぶたれたらイタイよ、って」
クロノは笑った。
「かわいいな」
「うるせえ」
カエルは流れる景色を見ながら、呟いた。
「結局俺は、バカなまま……なんにも変わってないのかもしれんな……」
その声は、どこか寂しそうに響いた。クロノは少し沈黙して、それから優しい声で言う。
「それがカエルだろ」
「……」
「優しすぎると、損するけど……でも絶対、悪い事じゃない。それで救われる奴も居るんだ。俺はそういうカエルが好きだよ」
「……クロノ……」
「それだけ色々あったのに、変わらないんだ。きっとそれがカエルの本当なんだよ。だから、大事にしろよ。間違ってなんてないんだから」
「…………おう」
物凄く小さく、消え入るように言われた言葉。その声があまりにも頼りなくて、クロノはまた笑った。
燃え残った僅かな骨や装備をかき集めて、戦いの後、誰も近付かない廃墟の中に墓を作った。誰も寄り付かないという事は、魔族が寄り付くという事。それを分かっていながらも、二度と来る事が出来ずにいた。向き合えないまま、動けないまま……。その結果、400年後の現代まで成仏も出来ずに……サイラスは現世に縛られたままだ。
『魔王に戦いをいどんだ、おろかな男サイラス、ここに眠る。』
どこから嗅ぎ付けたのか、魔族によって刻まれた文字。
墓石の前に向き合ったカエルの脳裏に、サイラスとの思い出が遡るように次々と蘇る。サイラスが城を出た日、勇者バッジを取り返した日、橋の上で騎士団に入る事を打ち明けた日、魔王に敗れた日……。
幽霊となった姿と初めて会った時から……最後は、いじめられていた子供のグレンを、サイラスが助けてくれたあの日。
それはカエルが思い出しているというよりも、誰かの記憶を見せられているような感覚だった。まるで、時の最果てから見える風景のように。
「サイラス……」
拳を握り締め、カエルは顔を上げる。失った時は取り返せない。しかし、前には得るべきものがある。サイラスが最後に残した願いは、奪う事ではない――守る事であった筈だ。それなら。
グランドリオンを高く掲げ叫ぶ。
「サイラスよ、俺は帰って来た。幼き日の誓いを、そして、お前との最後の約束を果たすために!!」
空気が変わった。周囲が水を打ったように静まり返り、そして眼前に浮かび上がる――サイラスの魂。
「サイラス……」
カエルは静かにこちらを見下ろす在りし日のその姿に、目を見張る。
「グレン……よく……よくここまで、来てくれた……」
穏やかな声。カエルは――グレンは、拳を震わせ俯いた。
「サイラス……俺を……、恨んでいるのだろう……」
十年間ずっと胸に溜めてきた問い。俺のせいで剣が折れた。俺のせいで負けた。俺のせいで……死んだ。その重さに押し潰され……来てやる事も出来ず……。
しかしそんなグレンの問いに、変わらずサイラスは穏やかに笑った。
「フフ……私は今のお前ほど、立派な騎士ではなかった……。この体を魔王の炎に焼かれた時、私の心はこの世に残された人の事を思い、千々にみだれた。ガルディア王……リーネ王妃……魔王……そして……親友のお前の事を……」
「サイラス……」
グランドリオンが折れた理由。魔王はそれを事実だと。
あの頃のグレンは、サイラスが誰よりも強いのだと思っていた。まるで雛鳥のように付いていくばかりで……無条件に全幅の信頼を置いていた。依存していた。しかし、サイラスもグレンに依存していたのだと。魔王に立ち向かっていく勇気を、グレンが居なければ出せなかったのだと。
気付かなかった。サイラスにも弱さがあったなんて。戦うなら、強くなければ、死んでしまうから……。だから、強い筈だと……根拠も無く思い込んで。気付けなかった。グレンは弱かった。……誰よりも。
「だが、長い時間をかけてえたお前の強さは本物のはずだ……これで心おきなく眠りにつける……さらばだ、グレン……」
「ま、待ってくれ、サイラス! 俺は……、俺は………!」
まだ迷っている。強さなどない。長い時間、俺はずっと迷ってばかりいた。
今、俺は、魔王を……許したいのだ。そしてそんな俺を許す事が出来ない。
しかし、サイラスは笑う。いいのだと、全てを肯定するように。
消えていく光に息が止まる。消えていくのが、それがお前ではなく俺だったならと、俺は、何度も何度も何度も――
「王妃を……リーネ様をたのむ……さらばだ……我が友 グ……レ………ン…………」
「サイラァーーーースッ!!」
確かにあった筈の光は、瞬きもしていないのに、まるで夢だったかのようにそこに無い。
グレンは呆然と座り込み、沈黙し、そして――ずっと言いたかった言葉を言った。
「すまなかった……サイラス……」
言いたかったのだ。十年間。それすらも許されないと自分を呪いながらも。
しかしサイラスは初めからグレンを許していた。許していなかったのは……己自身だけだ。
「……!?」
ふと周囲に広がる、眩い気配にグレンは目を開ける。
「グ、グランドリオンが?」
掲げると、生きた剣は浮き上がり、光を放って違う形をとった。いつも気配だけでそこに息づく精霊が、直接その声でもって語りかけてくる。
「フフ……」
「そうさ!」
光が収まると、二人の精霊グランとリオンが実体を持ち、嬉しそうにグレンの顔を見つめていた。
「あんたは、なやんでたろ。」
「勇者の強さは、意思の強ささ!」
「罪ほろぼしのためなんかじゃない。」
「あんたの意思が、今、本当の強さを持ったのさ!」
グレンは目を見開く。
「俺の……意思……!」
許されるなら――許したい。
罪滅ぼしのためではなく、新たな罪を生み出さない為に、この剣を振るいたい。
たとえその裏に弱さを隠していようと、サイラスが俺に与え続けてくれたもの……。それは確かにグレンの中に在る。生きている限り息づいている。例え終わっていようとも、無くなりはせず、変わる事もなく。
そして俺だけが与えられるものを、まだ続いている何かに、与える事が出来たなら。それがきっと。
グランとリオンは顔を見合わせた。
「これで、心おきなくボクらも力を出せるね、兄ちゃん!」
「そうだな、リオン!」
向かい合い、再び一つとなって剣に戻る二人。手中に戻ってきた剣に訪れた明確な変化に、息を呑む。
「この……みなぎる力……! これが……これがグランドリオンの、本当の姿なのか!!」
荘厳なまでの気。そこに込められた力強く暖かい思いを感じ、グレンは胸が詰まった。
グランドリオンが、それでいいと言ってくれているのが分かる。グレンを許してくれている。力になり、共に歩んでくれると。
グレンはグランドリオンを手に、改めて親友の墓へ誓いを立てる。
「サイラスよ、俺は行く。お前のこころざしを継ぐため……。それが……!」
天高く掲げると、薄闇の中でグランドリオンは鈍く光り輝いた。
「お前への最後のはなむけだ!」
一瞬漂う、懐かしい気配。気付くと、墓石に刻まれた文字が変わっていた。
『そのおもいを親友グレンにたくして 勇者サイラス、ここに眠る。』
――お別れだ。
もう本当に、会えない。グレンは少し目を閉じて――潔く墓前に背を向けた。
段を降り、クロノと……マントに包まれ、表情のよく見えない魔王に言う。
「さ、行くぞ……」
努めてそっけなく言われたその言葉が向けられた先は、明らかにクロノだけではない。
クロノは小さく頷いて、魔王を促し、三人は歩き出す。
次に来る時は、この旅が終わった時だ。
廃墟を出るまで、グレンは二度と後ろを振り向く事はなかった。
