クロノとマールとルッカの三人は、太陽石を使ったアイテム作りの為に現代に居る。すっかり馴染みになった時の最果てである。エイラは居眠りし、ロボも微動だにしない。魔王は相変わらずどこか中空を睨んでいる。
カエルはぼーっと空を眺めていた。空と言っても雲も無ければ星もない。ただ、時の最果てからは断片的な何処かの時代の風景が見える。注意しなければただの暗闇なのに、じっと見ていれば目まぐるしく情景が溢れてくるのだ。それはまるで、記憶のようだった。
カエルはここから眺める景色が嫌いではない。自分とは直接関わりの無い世界。しかしそれら全てが繋がっていて、それでいて全てが切り離された固有のものなのだと実感出来る。
さまよう騎士の魂……。話を聞いた時に感じた予感の通りに、それは無二の親友、サイラスのものだった。我を忘れ、現世に縛られた救われぬ姿。崩れて通れない廃墟の修理を待つこの間にも、目に焼きついたその姿がグレンの心を乱す。だがその不毛な焦燥も、永く遠い時の流れを目にしていると、不思議と静まっていく気がした。
「ここに居る時と、滝行してる時の気分は似てる気がする」
ハッシュが起きていたので、その気持ちを何気なく口に出す。ハッシュは笑った。
「確かに、心を無にするにはうってつけの場所じゃな。ここには全てが無く、全てがある……。いい修行になるかもしれん」
「ここから出ようって、思った事は無いのか?」
ハッシュは考える仕草をする。
「そうさな……。あと二十年は若ければ、そんな気にもなっただろうがな。過ぎた身には虚しさしか残らんさ……それよりも、ここで時代の流れを見守り、あんた方のようなそれを変える者が現れた時……その行く末に微力ながら手を貸す方が、有益だと思ってな」
「現れるかも、わからんのにか?」
「そこが賭けの面白いところだろう?」
「か、賭け……」
「そう。見えるじゃろう、この星を巡る膨大な記憶が。眺めていれば、自分がいかにちっぽけな存在かわかる……」
カエルはハッシュに倣うようにそれらの風景を眺め、頷いた。
「そうだな……」
「時は無数の選択を紡ぎ歴史となる。時を越えその選択を修正したところで、結局その結果を予見する事は出来ないのだ。ただ過ぎ去った後を見つめる事しか、な」
「……それで、十分って事か?」
ハッシュはその問いには答えず微笑む。
「なるようになる。そういうものだ」
その言葉に、カエルはしばらく考えていたが、ぽつりと呟いた。
「……分かってるんだけど、な」
その言葉は、時の賢者の目を細めさせる。
「……いいんじゃよ、それで。葛藤が希望になり、願いとなって力になる。賢さは安寧を齎すが、物事を変える力があるのは愚かしさだけだ」
「変わった先が、悪くてもか?」
「少なくとも、時は選択の良し悪しを問うことはせん」
「そりゃ、そうか……」
変わる時、変わらない時。時はありのままに流れ、なるようにしかならない。なってくれない。
こちらが揺蕩うとも、彷徨うとも、全ては己の在り方に過ぎないのだ。
「ままならないもんだな」
カエルのぼやきにハッシュは笑った。
「そうだな……。だが、あんたはもっと自信を持っていいぞ。何といっても、グランドリオンの持ち主なのだから」
「……関係あんのか?」
「グランもリオンも相当シビアなやつらでな。認められているという事は、あんたの心の在り方は奴らのお眼鏡に適ったということだ。中々おらんぞ、少なくとも私はあんた以外に見た事が無い」
「……、俺は……俺よりも……」
その声に滲む揺らぎ。どうしてもそこに引き戻されてしまう心。不意に、それを抉る声が響いた。
「……グランドリオンは、対魔神器用として作られたあかきナイフが、そのエネルギーを吸い剣となった『生きた武器』だ」
魔王の言葉に、カエルは顔を上げる。相変わらずこちらに背を向けたまま、魔王は言った。
「その正統な所有者……剣と一体となった者ならば。剣は決して折れる事は無かった筈だ」
「……!」
「あのサイラスという男は、グランドリオンの持ち主たる資格に及ばぬ人間だった」
「……何だと……! 俺にあって……サイラスに無かったとでも言うのか!」
「そうだ」
「そんなバカな!」
魔王は振り向き、離れた位置で両者の視線がかち合う。ハッシュは早々に静観の姿勢をとった。
今にも溢れそうなカエルの心の動揺、不安。それをそっとしておいたまま核心に触れに行く事が、良いのか悪いのかハッシュには測りかねていたが――魔王はそれを否としたらしい。
いやそれとも、単に揺らいだのは魔王の心であるのか。
「事実だ。あの時よりも格段に強力な魔法でも、お前のグランドリオンは折れなかった」
「あの時は……サイラスは俺を庇おうとして……!」
「その瞬間心に隙が出来たからだ。お前が死ぬと認識した瞬間、奴の精神が弱くなった。サイラスはお前に依存していた」
「……依存?」
「お前を足手纏いと言ったのは、戦力においてではない。グランドリオンは無いにしろ、剣の腕だけならお前の方が上だった。問題はサイラスの方だ。お前を過剰に守ろうとして、お前がやられそうになればすぐ注意が散漫になった。腕は中々の男だったが、お前はあの男の弱点だった」
絶句するカエルに更に魔王は続ける。
「それでいてこちらに向かってくる時は、お前に一度意識を向けてからでなければ向かって来れない。おそらくお前ぬきのサイラスは、お前同様に腰抜けのカエル同然だっただろう。奴は弱かった。強い部分があるとすれば、それはお前への依存の上で成り立ったもので、そしてそれが最大の弱さだった」
「……やめろッ! 死者を愚弄して何になる……! お前が……お前が何故そんな事を言える!」
「事実だと言っているだろう。俺はお前の……」
「違うッ!」
言いかけた言葉を否定する。
「俺と同じ立場でもあるお前が……! それを言って何になる!?」
魔王の顔から表情が消えた。昏い目がスッと細まる。
カエルは苦しげな表情でそれを睨んでいた。魔王は、静かな声でその発言を肯定する。
「……私が貴様等についてきたのは……興味があったからだ。私はお前の全てを奪った。そう、お前の言う通り……私がラヴォスにされた事と同じように。そのお前が何故、私との決着をやめたのか。私はそれが知りたかった」
「…………」
「私とお前は、ある面では同じものだ。……私にはお前の怒りが手に取るように分かる。強い者に弱い者は奪われ、全てを奪われた弱者は奪った強者を呪い……それを糧に生きていかざるを得なくなる。自身の全てを失ってしまえば、後はもう取り戻すしかないのだ。奪われた命を相手から奪い返す事によって贖わなければ、前に一歩も進めなくなる。恨みとはそういうものだ」
「……だが……」
「だがお前はそれをやめた。俺にはそれが理解出来ん。今のお前ならば、俺と互角に戦えるかもしれん。不思議な事にグランドリオンはお前がどんな選択をしようと、お前を手放す気は毛頭無いらしいからな。――何故と聞きたいのはこちらの方だ。何故お前は俺を憎まない? お前から怒りと悲しみの気は感じられる……だが憎しみの気だけは終ぞ感じない。同じ立場だからこそ、俺とお前は違う……俺なら、間違いなく、殺す」
その言葉に滲むのは嘲笑でも侮蔑でもない。本当に純粋な疑問だ。サイラスの事を愚弄ではなく事実だと言ったように。
カエルは葛藤に頭を押さえ、暫し沈黙した後……首を振った。
「……俺が、あの時決闘をやめた理由は……二つ。ひとつは、癪だったからだ。お前の言うとおり、全てを失くし絶望した人間は、だからこそ同じ場所に救いを求める……。俺とお前の場合、それはお前であり、ラヴォスだった。たとえそれが不毛な事だと分かっていても、その為にしか生きられなくなる。固執する……藁にも縋るように……」
「…………」
「お前はあの時、人生を賭けたその戦いに敗れ絶望していた。そして同じ立場である俺に勝負を持ち掛けてきたのだ、――まるで生き急ぐように。俺も、お前の気持ちが痛いほど分かった。お前は同じ立場である俺の復讐を果たさせる事で、お前自身の復讐を擬似的に満足させようとしているのだと」
「……!」
「そんな破滅的な満足を得させる為に、俺はお前に挑んできたんじゃない。……もうひとつは……哀れに、思ったからだ」
「……何だと……?」
「お前が魔王と呼ばれ……俺の仇敵となったのは、お前の仇敵がラヴォスというあまりにも強大な存在だったが故だ。俺は……俺たちはお前が救いを、ラヴォスを倒す力を求める過程で犠牲になった弱者だ。結果として俺にとってのお前は、お前にとってのラヴォスと同じものになった。ならばもしあの岬で、俺がお前を倒したとすれば――その骸は、俺の骸でもあるのだ。その、救われぬ魂は……大切なものを失くし、それに縛られる以外どうしようもなかった、人間の末路は……それは、俺の末路でもあるのだ。それを知ってしまった……気付かされてしまった! 他でもないお前に!」
その声に滲む絶望と苦悩が、思いも寄らない強さで魔王を蝕む。胸が痛かった。それは一方から発せられた声でありながら、同じ場所から発されている言葉だった。
「俺は哀れに思った……お前を、自分を。それが、この十年を、無に帰すものだとしても……! ……俺だって分からん! どうすればいいかなんて……何が正しいのかなんて! だが……」
カエルは一度激した心を沈めるように俯く。
「……お前だって分かる筈だ。俺がサイラスを失ったのは、お前が強かったせいじゃない……俺が弱かったせいだ。それ以上でも以下でもない……失った時は戻せない。だから悲しいんだ。当たり前のことだ。どうしようもない……。だからこそ、こうなった……」
二人は離れて向き合ったまま、立ち尽くす。魔王の表情は歪んでいた。分からないからではない。分かり過ぎるほど、分かる。
分かっているが――。ハッシュと話していたカエルの言葉が頭の中で反芻される。あまりにもお互いの抱えるものは似ていた。どちらも同じ愚かしさで足掻いている。そうする事で何か変わるかどうかなど、予見する事も出来ないのに。
カエルは俯いたまま言った。
「……とにかく、今はラヴォスを倒す事が先決だ。お前との決着は少なくともその後だ……。グランドリオンがそれを、どう思うかは分からないが……」
「エイラ その考え 好きだぞ!」
唐突に響いた快活な声に、カエルはびっくりして声の方向を見る。
さっきまで寝ていたエイラが、真面目な顔をしてカエルを見ていた。
「エイラ アザーラ 戦った。アザーラ 恐竜族の王。人間 滅ぼそうとした。仲間 いっぱい犠牲になった……。でも それ 大地のおきて。強いやつ生き 弱いやつ死ぬ。」
「エイラ……」
「最後の戦いの後 ラヴォス飛んできた。エイラ アザーラ 連れ出そうとした。アザーラそれ拒んだ。大地が決めたこと いう。キーノも わからない 言ってた。でも エイラ アザーラ死んでほしくない 思った。たしかに 仲間たくさん死んだ! いっぱい苦労した。でも それ 関係ない。アザーラにも 誇り あった。だから あの時 助けたい 思った。それ すべて!」
「……。」
「カエル お前 いいやつ。お前みたいなら アザーラ 一緒に生きれた。お前 弱くない。お前強い。じしん もて!」
「……、……ありがとう……エイラ……。」
精一杯の礼だった。それ以上に何も言えない。――ありがたかった。
エイラは力強く頷く。そして静かに聞いていたロボも、ピピピピ、と思考するとき特有の音を出して言った。
「お二人のモンダイに、ワタシハ何ノチカラにもなれまセン……。デスガ、古代から離レル時サラさんは、ジール王国とお母様をニクまないでと言っていマシタ。ニクシミという感情ハ、ロボットにもワカリマス。排除セヨという、とても強い意思デス。ニクシミは悲しみを呼びマス……ソレハトテモ恐ろしいチカラを持ってイマス。ニンゲンをキズつけマス。ワタシはガンジョウデスガ、ニンゲンは違いマス。大変なコトデス」
「ロボ……。」
「ナノデ、きっと、サラさんの言葉はヤサシサだったのだと思いマス」
カエルは小さく笑い、頷く。
「……ありがとな。……二人とも。」
その時、慣れ親しんだ駆動音が時の最果ての端に響く。シルバードに乗ったクロノ達が戻ってきていた。ハッチを開け、ルッカが降りてカエルに言う。
「お待たせ! カエル、勇者の墓の修理終わったわよ!」
「……! 本当か!」
ひとまず三人はシルバードから降りて、ハッシュの居る中央まで来た。そしてどこか普段と違う空気に気付いたのか、全員の顔を見回す。
「な、なに? なんかあったの?」
「いや……」
「早速行こうぜカエル。気になるだろ?」
クロノがシルバードを指す。カエルは頷いた。
「……そうだな」
「あと一人はどうする?」
「俺は誰でも……」
言いかけたカエルの言葉を遮って、ずっと黙っていたハッシュが口を開く。
「魔王さんが行ったらどうかね」
「えッ!?」
帰って来た三人は恐ろしい人選に飛び上がった。
「……!」
カエルはハッシュを見る。ハッシュは静かな表情で、険しい表情の魔王を見ている。
「一体、そのサイラスという騎士がどんな思いを抱えて現世に留まっているのか……。後学のために、その目で確かめるのも良いのではないかな」
魔王は顔を逸らした。
「……私が行けば、成仏するものもしなくなると思うが」
「物陰に潜んだりすればいいじゃろう」
適当なのか真面目なのかよく分からない。
そこにエイラが一言だけ添えた。
「いってこい!」
……エイラの言葉はシンプルなだけに、誰よりもパワーがある。
カエルはぽつりと言った。
「……俺はかまわん」
魔王はその瞳に酷く複雑な色を湛えて、カエルを見た。
クロノはそんな二人を見比べていたが、やがて頷いて二人を促す。
「よし、じゃあ行こう!」
三人がシルバードに乗り込み去っていった後、ハッシュは深く息をつき、項垂れた。圧倒されていた。あの二人の、あまりにも深く重い因縁――運命の因果さに。
「これも……時の導きか」
「……なるようになる 言ったのお前。」
エイラの言葉にハッシュは虚を突かれたような顔をして、それからゆっくりと苦笑した。
「……そうじゃったな」
「カエル いいやつ……。だから なやんでる。エイラ あいつ好き。」
細かい事情は分からないにせよ、大まかな所は分かっているのだろう。だからこそエイラには核心が分かるのかもしれない。
「そうじゃな……。元来優しい男なのだろう。人を憎める人間ではないのだ……」
ハッシュは少し沈黙した。
「……グランドリオンが、彼を選ぶのも分かる気がする」
「どういう事?」
ルッカが不思議そうに訊く。
「赤い石から作った三種の神器は、結果として悲劇しか生まなかったが……本当は全て、民を守るために作ったものだ。天と地がともに、厳しい氷河期を越えるために……。無限のラヴォスエネルギーを引き出す魔神器、それを制御するペンダント、そしてもしもの時、制止するためのあかきナイフ……」
「……そうだったの……」
「ボッシュはラヴォス計画に反対していた。自然に背いた力ばかりを欲していったところで、目的を誤った力は破滅しか呼ばないと。結果その通りになった……。グランとリオンは、あかきナイフに込められたボッシュの希望なのだ。殺すのではなく、生かす力……奪うのではなく、与える力であれという」
「与える力……」
「カエルさんはクロノさんのように一本気ではない。色んな思いを抱えて迷って、考えて生きる人に私には見える。だからこそグランドリオンを持つ資格があるのかもしれん。力を考えて使う事の出来る人だ……」
それを、自分達は出来なかった。それが結果、あの二人の悲劇を招いている。
目を閉じるハッシュに、ルッカはシルバードの去った方向を見つめながら頷いた。
「……そうかもね。でも、大丈夫かしら。死ぬ原因になった張本人とお墓参りなんて、穏やかにとはいかないかもよ」
「……それでも、彼らには必要な事だと思う。許すのも、許されるのも……知ることと、葛藤を避けては通れん」
そしてそれは、他者に対してのものだけとは限らない。
ハッシュはここに流れ着いてからの後悔を思い返しながら、数え切れないほど見上げた時の風景を仰ぐ。
若い彼らの心が、悲劇に染まったまま止まらぬこの時間の流れを変えてくれる事を、ただ祈った。
ロボは先ほどから考えている。もし、ルッカが誰かに……。そうなった時、自分はどうすればいいのか。とにかく何故、と相手に問うだろう。
それでも相手がそれを起こしたという事実は変わらない。そこに至る理由を理解出来るとは思えないし、仮に理解出来たとして、そうなった時ロボはどうすればいいのか。
カエルは理解出来てしまうのだ。そして、どうするのか。
考えていると回路が熱くなってきた。ルッカが「ちょっとあんた湯気出てるわよ」と焦っている。
ロボにとってニンゲンの感情は、まだまだとても難しいものだ。だが、先ほどの話を聞いて出される暫定的な結論、これは、カナシイという分類だと。
どうしたらこの問題を処理出来るのか。カエルの出した結論を知りたいとロボは思った。
