「忍田さん、稽古つけて~~~~勝負して~~~~」
デスクの端に突っ伏しながら篭った声で申し込んでくる弟子を、業務書類を整理しつつ忍田は呆れた目で見やった。
「……そのうちな」
「そのうちっていつ。何分後」
「一週間ぐらいみておけ」
「遠い~~~~」
めそめそと抗議していたが、バッと顔を上げると太刀川は真剣な顔で尋ねる。
「ランク戦一位に登り詰めし者はS級に挑戦できる、とかそういうシステム無いのかな」
忍田はにべもなく切り捨てた。
「現状ない。予定もない」
「センスねえ~~~~~」
再び机に突っ伏して堂々と体制を貶す頭を、忍田はポンポンと軽く叩いた。
「仕方ないだろ。そういう規則なんだ。お前ももう子供じゃないんだから聞き分けろ」
「俺にはわからねえ~」
「何がわからない」
「だってさ、武器ですべて決まるもんなのか? 相手が黒トリガーだろうと何だろうと、戦えば勝てるかもしれないだろ。分かんないだろ。そもそも近界民との“本番”で相手が黒トリガーな場合だってフツーにあるんなら、尚更ランク戦で弾くのはおかしい。実戦に備えるための鍛錬だろ、模擬戦だろ」
相変わらず自分が必要だと思ったことに関してだけは頭の回る奴だ、と内心で感心する。
「考え方としては間違っていないが……相手が黒トリガーでも勝負になる見込みが僅かなりともあるノーマルトリガーの正規隊員なんて、お前みたいな一部の規格外に限った話だ。ランクシステムで育成すべき大多数の隊員たちのためには、公平さを規格によって整備してやる必要がある」
「じゃあ黒トリガー使った私的戦闘を、一部の規格外に限って許可してよ」
「お前は規格外だが組織の一員だ。子供みたいなことを言うな」
「大人って何だい忍田さん!」
「今のお前みたいな駄々をこねない人間のことをいう」
「そうやってみんなすぐ難しいこと言う~~~」
完全に心が折れたと言いながら、反抗の意思表示なのか忍田の手にぐりぐりと頭を押し付けてくるのを適当にあやす。
体格はすっかり大人並だが、頭の中身を表したような自由にあちこち跳ねる髪の感触だけは昔から変わらない。フワフワしていた。
「……戦い、技を磨き、強くなるのはあくまで何かを守るための手段であって、それ自体が目的ではない。いつも言っているだろう」
言い含めるような師の言葉に、太刀川は少し黙った後、妥協するような調子で言った。
「じゃあ、遠征行かせてよ」
忍田は太刀川の頭から手を退けると、少し間を置いてからゆっくりと問う。
「お前があちら側の世界に行ってみたい、動機とはなんだ?」
太刀川は不満そうに眉尻を下げた。
「えー、それにも動機がいるの? 遠征行くこと自体が目的にはならないの?」
「当たり前だろう。何のために行くか、という話だ」
「え~~~~」
腕を組んで難しい顔で考え出す。
「……おもしろそうだから……」
「……何故」
「知らないトリガーとか、いっぱいあるっていうし……強い奴とか、いっぱい居そうだから……」
「……。」
「遠征艇とか……乗ってみたいし……」
「……。」
「一度も行ったことないし……見てみたいし……」
忍田は静かに重く息を吐いた。
太刀川はそのため息に、答えを聞かない内から悲観し出した。
「ダメなんだ! やっぱりダメなんでしょ! なあ忍田さん! ハッキリ言ってよ!」
「……別にダメとは言ってない」
「えっ」
「本当に行きたいんだな? 遠征に」
「えっ……う、うん」
「……今からでも遅くない。私から頼めば次の遠征、お前の枠ぐらいは空けてくれるだろう」
「えっ。次の遠征?」
「ああ。今回は面子のおかげでトリオン量に余裕があると聞いたから、乗るスペースは」
「じゃあいいや」
「は?」
突然躱されて、忍田は虚を突かれた。
ずっと欲しがって鳴いていたおもちゃをいざ差し出したら、急にそっぽを向いて去っていく猫のような脈絡のなさだ。
「行かせてくれるんなら、次の次でいいよ」
「……いつになるか分からないぞ?」
「うん。いいんだ。どうしてもすぐ行きたいわけじゃないから」
髪をいじりながら、急に素っ気ない調子で言う。
忍田はその態度にふと思い至る。
「……もしかして、戦力を分散させないようにという本部の意向を聞いたのか?」
「うん」
「しかしそれは保険のようなもので……いざという時には、こちら側には私も居る」
「うん。でも、いい。……なあ忍田さん」
「なんだ?」
「俺さ、別に強くなって何かをしたいわけじゃない。ただ強ければそれでいい。でね、俺はきっと、何があったって“こう”だよ」
「……」
「みんな何か目指してボーダーに居て、戦いはその手段に過ぎない。でも俺は、戦うついでにボーダーにいるだけだ。多分それは俺が、幸運にも本気になるような経験をしてないから偶々そうだってわけじゃない。俺にとって一番大事なことは、みんなにとってはくだらない事に過ぎないっていう、ただそれだけなんだ」
「……慶」
どう分からせたものか分からなかった周囲との差異を、本人がちゃんと理解していたことに、忍田は密かに動揺した。しかし続く太刀川の呟きにハッとする。
「俺って不真面目な男なのかな」
そうではない、と思った。しかし己と異なる太刀川の在り方を、うまく肯定する言葉が見つからない。心情の上では何よりも、得難く思っていても。
「……お前が前向きに剣を振るい、それが結果として広く世の平和を守ることに繋がるのなら、何を後ろ暗く思う必要もない。お前を引き入れた張本人である私は尚更だ。お前の強さは誰かの助けになっている」
結局そんな、月並みな言葉しか言えなかった。
太刀川はそれでも頷いて笑う。
「うん……だから俺、しいて言えば今のところは、楽しいことよりも役に立つことがしたいんだよね」
「何故……」
「だって俺って実際、強ければいいっていう、それだけだから。役に立って、それで、強いだけでいいって思われたい……いや、思いたい?」
首を捻りながら言って、ちょっと考え込んだ後、「まあそんな感じ」と一方的に切り上げて太刀川は立ち上がった。
「空腹なので太刀川帰ります」
「あ、ああ……」
「失礼しました。忍田さんお仕事がんばってね」
あっさり言うと、来た時と同じく唐突に忍田のデスクを去っていく。
忍田はしばらくそのままの体勢で静止していたが、やがて深々と息を吐き、項垂れた。
