飛び去っていくシルバードの光を目で追うカエルの横顔を、リーネは見つめていた。
「カエル……」
光の線を見送ると、カエルはリーネに詫びる。
「……隊列を乱し、申し訳ありません」
「今のは、クロノ達の……?」
「ええ。まったく、何をしているのやら……」
あれが最後の別れと思ってゲートを潜ったが、まだ時間旅行を続けているのか……?
考えると、どこか拍子抜けしたような心地である。
「……確かめたいのでは?」
悪戯っぽく微笑んで言うリーネに、カエルはちょっと吃驚した顔をしてから、目を細めて首を振った。カエルの姿でも、苦笑しているのだと分かる。
「……行きましょう。先頭の兵が待っています」
長き魔王軍との戦いに終止符が打たれ、世界は見違えるほど平和になった。統率するトップが居たからこそあれほど脅威だったのであり、個別に襲い掛かれば王国軍に勝ち目は無いと知ると、目だって暴れるモンスターも殆ど居なくなった。それでもたまに現れる者については、現大臣の指揮により目下建設中の空中刑務所で裁かれるようになるらしい。
危険だからと家に篭っていた子供たちも外で遊ぶようになり、ようやく戻ってきた長閑な風景に兵士達も穏やかな顔をしている。
もうカエルのやる事も無いに等しいのだが、王を送り届けた時に「貴方も城に戻ってくれますね」とリーネ王妃に微笑まれ、戻らざるを得なくなった。
不満は無いのだが、ただの腕の立つ怪しいはみ出し者だった以前と違い、クロノと共に平和を齎したとして変に丁重に扱うような空気が流れており、居心地悪い事この上ない。
だがそれも、些細なことではあった。未来はもう、明るいのだから。
クロノ達と別れて数週間経っていた。王と王妃、それに従う王国軍は、平和を祝し正式に各地の町を凱旋する事になった。その最初の目的地はドリノである。カエルは当然のことながら初めは参加を辞退した。そんな晴れがましい場に自分は不釣り合いであると。
しかし結局は王妃と騎士団長に言い包められ、渋々同行している。王妃に対しては勿論のこと、カエルは騎士団長に対しても強く出られなかった。騎士団長は、何となくカエルの正体に薄々気付いている様子があるのだ。騎士団長はかつて、サイラスがその位置にいた時の副団長を務めていた。サイラスと共に旅立つ前に少しだけ話をした事がある。
王妃に対し、早く自分が〝あの〟グレンだと明かして、生死不明のままになっているサイラスの最期をお伝えしなければという思いは常にあった。しかしまだ告げる事が出来ずにいる。十年前の絶望と、十年間の煩悶が、カエルの口を重く閉ざしてしまう。
魔王討伐に馳せ参じて暫く、一つも音沙汰のない勇者サイラス。おそらくその身に何かあったのだと、皆気付いてはいるのだ。それでも死んだという明確な報せが何も無いため、魔王軍との戦いの際でもサイラスは皆の希望にされた。きっと生きていて、この辛い状況をいつか変えに来てくれる筈だと。
カエルはこの姿に変えられた後、唯一遺品とわかる勇者バッジを前に、悩みに悩んだ。お互い天涯孤独の身であったので、サイラスの死を伝えるべき義理があるのは、疲弊し追い詰められたガルディア王国に纏わる人々だけだった。そうして結局は、サイラスの遺言だけを……王妃をお守りするという約束だけを果たしに、全ての過去を封印してリーネ王妃の前に立った。グレンという男もまた、死んだのだと思って。そう思わなければ、一歩も踏み出せなかった。
王妃はカエルの奇怪な見た目を気にせず、剣の腕と忠誠心を買って護衛として側に置いてくれた。いや、王妃もまた無意識の下で何かに気付いていたのか。
今となっては勝利の喜びによって、この国がこれまで味わった全ての悲しみが忘れ去られようとしている。もう新しい悲しみなど二度と来ないのだというように。
だから、いつか言わなければならないと――それは今なのではないか、とも思いながら……逡巡している。途切れた十年の間を繋げば、また王妃の心に悲しみがぶり返すだろう。今無いものをかつて在ったと告げる事は、何を生むのだろうか。
「浮かない顔だな、勇者殿」
ドリノの広場で凱旋パレードが行われている中、カエルは喧騒から少し離れた人気の無い木陰に居た。ゆったりと近づいてきて呼び掛ける騎士団長の声は、穏やかだった。カエルは渋面を作る。
「……その呼び方は、やめてくれ」
「謙遜しなくても良いだろう」
朗らかに笑って、騎士団長は「失礼」と一言断りカエルの隣に座る。
「……悩んでおられるようだ」
ぼそり、と指摘された率直な言葉にこわばる。
「……。俺は……」
「私は、どちらでも良いと思う。貴殿が我が国にとっての英雄である事には変わりが無い」
――貴殿には自由がある。
言外にそう伝える騎士団長に、カエルは俯いた。
「けじめというものがある」
「……貴方の背負うものは、私には計り知れぬほど多いのだろう。だが、少なくとも貴方以外に、貴方を責める者などいない。それだけ、覚えておいて欲しい」
「……。いっそ責めてくれれば……」
騎士団長は何か言いかける。カエルは首を振って、立ち上がった。
「お気遣い、痛み入る。……ちょっと、歩いてくる」
「ああ……気を付けて」
静かに見送る顔の、その哀しそうな目を見たくなくて、カエルは背を向けたまま頷いた。
しばらく無心に歩いていた。
考えがどこにも行き着かないのならば、一度心を無にするに限る。これはこの十年間で得た教訓である。
ドリノを抜けて、草木が枯れ始め、砂が地面を埋め尽くすようになった時――ふと、気が付いた。
ここではまだ遠いが、この先続く砂漠をずっと進んでいけば、フィオナの家がある。
そこには400年後に再会する前の、砂漠に緑を蘇らせるため働いているロボが居る筈である。――ラヴォスをまだ倒す前のロボが。
しかし、待てよ、とカエルは首をひねる。
ロボはラヴォスによって荒廃した未来で生まれた。ジェノサイドームでの悲壮な戦いは記憶に新しい。
ならば、ラヴォスを倒した今、この先に居るロボはどうなっているのか?
それだけではない。ずっと中世に居た筈のロボが、400年後の焚き火を囲んだ会話の中で、ラヴォスやカエルのその後を口にする事は終ぞ無かった。もし今これから会って言葉を交わしさえすれば、ロボはあの時既にラヴォスとの戦いの結果を知っていた事になる。だが記憶の中のロボは、どう見ても何も知らない風だった。
ロボは正直なヤツだ。既に知っている事をさも知らないような素振りで接する事など出来ない筈だとカエルは思う。
なら、これからフィオナの森で作業するロボと会って洗いざらい現状を話したら、既に記憶にある焚き火の夜のひとときは――どうなる?
カエルは奇妙な考えに一人唸っていたが、すぐに考えるのをやめた。
先ほどまでも考えて考えて、結局答えは出ていないのだ。結局この頭は、難しい事を考えるのには向いていないのかもしれない。
百聞は一見に如かず。実際見れば分かる、と思い直し、とりあえずカエルは自分の目で確かめてみる事にした。何より単純に、ロボに会いたかったのだ。共に戦った仲間に。
広い砂漠といっても、平坦なため周りに何も見えなくなる訳ではない。遠目に見える森などを目印に進んでいけば、すぐにフィオナの家と――その周りであくせくと働く、馴染みの姿が見えた。間違いなくロボだ。
やはり居るのかと、別れてからそれほど日は経っていないが、懐かしいような気持ちになって自然と笑みが浮かぶ。それにしても、そうなると益々ロボの存在は不思議だと思う。記憶もちゃんと、別れる前のロボなのだろうか。
確かめてみるか、と安易に近付きかけた所で――突然、背のグランドリオンが光りだした。
「……!? グランドリオンが……」
柄を手にすると、目の前の空間が微妙に歪んでいるのに気付く。まるで導かれるように、気付けばその歪みをグランドリオンで払っていた。いやむしろ、カエルの肉体を使い、グランドリオンが自らそうしたように。
直後、その刃の軌道に合わせて空間が切り裂かれ、歪んだ虚空――ゲートが出現する。
「!?」
驚きに息を呑む間もなく――カエルはあっという間にその歪みへ取り込まれてしまった。
「……?」
空間の揺らぎを感じ取った気がして、ロボは顔を上げキョロキョロと辺りを見回した。
しばらく周囲をサーチし、何もないとわかったので再び土を掘り起こす作業に戻る。風も吹いているし、遠くで起こった砂嵐だと結論づけた。
まだまだ先は長い。
ロボはインプットされたデータの中から、地面の水分量を上げる方策を検討する。空を見上げれば、おそらく最低でも三日は快晴の空模様であった。
「わーったった!」
ゲートを抜けて出て来ると、そこはあと少しで海という浜辺だった。カエルは慌てて踏み止まる。見るからに冷たそうな黒い海に、頭から浸かるのは例えカエルの姿だろうと遠慮したい。何とかバランスを取って踏み止まると、辺りを見回し――ぎょっとした。
「こ……ここは……未来じゃねえか!」
重くどす黒い雲が立ち込めた空、身を切るような冷たい風。荒廃した大地と、遠くに見える見たことも無いような建物。
それは旅の間幾度も訪れた、紛うことなき未来の世界だった。ただ、太陽の様子だけが違っていた。吹きすさぶ雪風の中でも廃墟を照らしていた陽光は日食によって隠れ、黒い円の周りを縁取る陽光によってのみ辺りが照らされているため、景色は薄暗く沈んでいる。まるで、時の卵を使った時のように。
カエルはしばらく呆然と立ちすくんだ。
「ラヴォスを倒して、未来は……変わったんじゃなかったのか……?」
近くにはトランドームがある。グランドリオンはもうさっきの光を失い、普段通りの剣に戻っていた。
「……何だってんだ……」
途方に暮れるが、とにかくここでぼーっとしていても仕方が無いと剣を収める。何より、じっとしていると寒い。カエルはふらふらと歩き出した。
今まで行った事のある建物を回る内、すぐに異変に気付く。
ミュータントやロボットは変わらずに存在するものの、人間の姿を一度も見ないのだ。ドン達の姿もどこにも無い。人間の居ない未来は、不気味な程の静寂に包まれていた。
そうなると話の通じる当ては限られてくる。32号廃墟に行ってみると、そこには相変わらず手下を従えたジョニーが居た。知っている顔に、カエルは少しホッとしながら声を掛ける。
「おい、ジョニー!」
「オッ? オメー、アノツンツン頭ノヤローノ仲間ジャネーカ。アイツトデナケリャ、勝負ハシネエゾ」
「しねーよ。俺はそいつの操縦苦手なんだ。それよりどうなってんだ、ここは? 人間達はどうなった?」
「サーナ。コナイダスゲエ光ガ出テカラパッタリ居ナクナッチマッタゼ。マ、元々モウオレノ相手ニナルヤツハ居ナクナッチマッタシ、ドーデモ良イケドナ!」
「光……?」
アニキカッコイー!と盛り上がるジョニー達に別れを告げ、廃墟を去りながらカエルは唸る。
――未来を変える為にラヴォスを倒した筈だが、変わらなかったという事か?
しかしドン達の不在はどうなる。
実際見た訳じゃないが、以前マールはリーネ王妃と間違えられた際に危うく消える所だったのだと言っていた。突然光って、跡形も無く消えてしまったのだというクロノの話を覚えている。
だがマールが消えそうになった理由は分かるが、ドン達未来の人間はむしろ消えるどころか増えてたっていい筈だ。
それにここへ飛ばされる前に見た、ロボの存在は……。
……難しい事を考えない為にロボに会うつもりが、もっと難しい問題に直面してしまった。
地下水道を抜ける。そこに聳え立つのは、変わらずに凍てついた死の山。
「まさか、ラヴォスの子供は……残ってたりしねえだろうな」
自然とグランドリオンの柄を握り締めつつ、先に監視者のドームに入ってみる。中には最後に訪れた時のまま、時を止めたヌゥと空になった倉庫があった。
カエルの頭の中は、どんどん混乱していくばかりだ。
もしラヴォスを倒して当初の予定通り未来が変わったとしたら、さっき中世で見かけ、今まで旅を共にしてきたシルバードの存在はどうなるのだろう。シルバードは古代から未来に飛ばされた、ジール王国の理の賢者ガッシュが発明したものだ。この凍てついた未来で、その記録を見た。
――もし未来が変わったなら、それはいつからだ?
ガッシュが飛ばされた未来、クロノ達が初めて訪れた未来、今こうしてカエルが立っているラヴォスを倒した後の未来。
何も変わっていない風景の中で、人間だけが忽然と消えている。
カエルは何度か吹き飛ばされながら、以前助けられたヤドリギの力を借りて死の山を登った。不幸中の幸いというべきか、あれほどいたプチラヴォスの姿は一体も見ない。動かないモンスターが何体か残っているのみで、カエルはそれを無視して雪道を進んでいく。
じわじわと、不安が心に広がってきた。
死の山、その頂に辿り着いて、カエルは白く放射線状に伸びる太陽の輪を見上げる。
――ここで、大切な友人が蘇生した。だが、もし未来が変わったとしたら……クロノの存在は、どうなる。
事実が変わる。歴史が変わる。そうすれば、死の山は無くなり、シルバードも、ガッシュも、ロボも。
全ての存在が覆ってしまう。
しかし、こうして在りし日の未来は目の前に存在している。変わらずに、凍てついた風が吹きすさぶ極寒の中で。
「……よく分からん……」
結局カエルにはその答えしか出せない。ルッカでも居れば、納得のいく理屈を付けられそうなものだが。
人っこ一人居ない薄暗い世界は不気味で、いい加減嫌になってくる。半分腹立ち紛れに、カエルは叫んでみる事にした。
「おーーーーいッ! 誰か居ないかーーーーーッ!!」
するとその直後、物凄い音を立てて目の前の崖の下から、青い光線が天に向けて一直線に伸びた。
「うおおおおーッ!?」
反応があった事も予想外なら反応の種類も予想外だった。辺りが一瞬にして青く照らされ、カエルは思わずひっくり返った。
「な、なんだあ!?」
飛び起き、おそるおそる下を覗き込む。
下は一面の雪原だったが、一箇所だけ違う色があった。見た途端、カエルは叫ぶ。
「ロボ!?」
積もった雪の中に埋まっていたのは、この世界に飛ばされてきたキッカケである戦友――ロボの姿だった。
厚く積もった雪原に、思い切り埋まったロボの重い体を掘り出すのは容易なことではなかった。
崩れないよう周りだけを何とか除雪し、隙間に入り込んだ雪を出来るだけ掃ってやって、どうにか二人で立てる所まで避難してくると、ロボはグレンに深々と頭を下げた。
「アリガトウゴザイマス、カエル。お陰様で氷漬けにならずに済みマシタ。出ようとするとどんどん埋まってシマッテ……ワタシだけでは解決不可能デシタ……」
「いいってことさ。それにしてもビビったぜ……。何だってこんな所で埋まってたんだ? というか何が起こってるんだ? なんで俺はここに居るんだ」
「最初の質問しかお答え出来まセンガ……」
ひとまず埋まっていた谷から上の方まで歩きながら、ロボは丁寧に事の経緯を話した。皆とあの日別れて、ゲートを潜ったロボが辿り着いたのは、この人間の姿のない未来であったのだという。
未来は変化した筈ではないのか、そもそも己は消える筈ではないのか? 現状の疑問点に関する計算と調査をしながら過ごす内に、この死の山付近から、微弱だがラヴォスエネルギーと似た反応が観測出来ることが分かった。
しかし常に観測できるというわけではなく、不定期に出たり消えたりしているようだ。詳しい調査のため、ロボは死の山を隅々まで探索することにした。その途上、予期せぬ滑落により、ロボは埋まった。
「カエルの声が聞こえた時ハ、とうとうマイクセンサーが故障したのではと考えマシタ。最後のエネルギーを振り絞って良かッタ」
「大変だったな……」
カエルがケアルガをかけると、すっかりロボは元通りになった。どういう仕組みかカエルは知らないが、ロボにも回復魔法はちゃんと効く。ルッカが前に、整備とは違うけれどバッテリーがどうだとか排熱がどうだとか言っていた。
喜んでいるのか派手な動きで駆動系の確認をした後、改めてカエルの経緯を聞く。
「フィオナさんの所でお手伝いしているワタシに接触しようとしたら、この未来ニ……?」
「ああ。グランドリオンが突然光り出して、ゲートが出来たんだ」
「……グランドリオンは、あかきナイフがラヴォスエネルギーをキュウシュウして剣になったものデス。この星にゲートが現れた原因モ、ラヴォスが大きく関わってイル……グランドリオンにもゲートに関係するチカラがあるのでショウカ?」
「だがこんなこと、初めてだったぞ」
「ここで不定期に観測されるラヴォスエネルギーとも何か繋がりガ……そもそもこの世界ハ……」
しばらく回路をフル稼働させてロボは考えていたが、やがてヒートアップした体から湯気が出だしたのでカエルは慌てて止めた。
「まあ、まだ分からんってことだな! 何にせよお前とまた会えてよかった。考えてみりゃあ消えちまう可能性だってあったんだもんな。理由はともかく、うれしいよ」
ロボは少し沈黙した後、深く深く頷いた。
「ワタシも、ウレシイデス。カエル……」
カエルは喉を鳴らして、ロボは機械音で。静まり返った世界の中でしばらく二人は笑い合った。
「時間が流れてない?」
「おそらく、デスガ。環境の状態を観測しているト、以前の未来ではあったハズの、風化といったゲンショウすらもここでは消えてイマス。それに、あのタイヨウ……」
「ああ。まるで、時の卵を使った時みてえだ……ぞっとしない光景だぜ」
「ここは、本当の未来ではナイのかもしれマセン」
「本当の未来?」
「ハイ。つまり、時代と繋がった未来……」
「俺たちの知らない、ガッシュが飛ばされない、そしてお前が生まれない未来……か?」
「ソウデス。未来のヒト達は、きっとそこにいるのではないでショウカ」
「ふーむ……」
再び峠に戻ってきた二人は、隠れた太陽を見上げた。風は吹いているが、この世界が時の静止した世界だとすると、何もかもが不気味に思えてくる。
「……どうやったら出られるんだろうか?」
カエルが満を持して口にした問いに、帰ってきたのはやはり沈黙である。
しばらく風の音を聞いていた。ふと、ロボが顔を上げる。
「来まシタ。微弱なラヴォスエネルギー反応デス」
「何っ?」
「やはり、この下……?」
揃って慎重に崖の下を覗き込む。
<以下NO DATA>
