青い理想、白い現実

 世界中大騒ぎだと、ココは哄笑した。
 何が起こったのかを把握出来ている人間はまだ少ないという。仮に把握出来たとしても、〝お城〟まで辿り着くことは出来ないと。
 ココは空を生贄にして、情報の海の神様になったから。

 宣言通りアゼルバイジャンでの大規模な紛争をココは止めた。というより、めちゃくちゃにした。
 国を出るのも、それからの移動も平穏ではなかったけれど、コンピューター制御された敵を相手にする必要のない戦場を切り抜けることは難しくなかった。
 果てしなく見えた南アフリカへの道も、途中で海に出てしまえばあっと言う間だった。
 船に乗ってひと段落ついた時、飛行機の飛ばない世の中ってこんなに静かなんだな、とルツがぽつりと呟いた。

 道中ココはずっと笑っていた。端末の小さな画面を覗き込んで、細い指を狭いキーボードの上で踊らせながら、ここではない世界のざわめきに夢中のようだった。
 時折堪え切れないように吹き出して、隊のみんなに意気揚々とその笑いを共有するけれど、その意味はヨナには殆どわからない。
 ただ、今まで見たことも無いくらいココの機嫌が良いのはわかった。それはどこか、大きな傷を負っているのに痛みが分からなくなっている負傷兵の陽気さに似ていた。

 辿り着いたメルヒェン社の第二製作所は、以前来た時と全く変わっていなかった。
 二年を過ぎて、ココは髪が短くなっていて、バルメは髪が長くなっていて、カレンの髪も伸びていた。けれど、ドクター・マイアミはそのままだった。
 しばらくここに滞在するとココは言った。いつまでかは言わなかった。

 夜は連日お酒を飲んで大騒ぎ。昼はココもドクター・マイアミも、何をしているのか分からない。ヨナは隊の皆と訓練したりして過ごした。強くなったとレームが言った。
 何日か経った頃、外で時間を潰していたヨナに、ドクター・マイアミが話し掛けてきた。
「お散歩しようぜヨナ。二年ぶりに」
 仕事は、と訊いたヨナに、ドクター・マイアミは「休憩中」と笑った。

「キャスパーさんの所はどうだった?」
 いつか登った見晴らしのいい丘まで来ると、単刀直入にそう言われる。
 返答に困り、黙り込むヨナに、ドクター・マイアミはぷぷぷと笑う。
「ココに聞いたとき、正直ヨナはもっと早くキャスパーさんとこリタイアすると思ってたよ」
「……キャスパーのこと知ってるの」
「主にココの愚痴と、ウワサ話でだけ。直接会ったのは一回だけだよ。前に私の発明の一つが兵器利用されちゃった時に会ったんだけど、最初見た時あまりにも兄妹そっくりでチョーうけた」
「ドクター・マイアミは、キャスパーのことをどう思うの?」
「ん? どう思うか、ねえ」
 逆に問い返されたドクター・マイアミは、うーんと考え込み、言った。
「コワい人、かな」
「こわい?」
「何もかもさ、見透かされてる感じがするんだよね。ココは思い通りの展開を引き寄せる能力を持ってるヤツだと思うけど、あの人は……どう展開するか始まる前に全部わかってるって感じだ」
 ヨナは思わずドクター・マイアミの顔をまじまじと見上げた。反応を見て「おっなになに?」と笑みを向けるドクター・マイアミに、「……驚いた」とヨナは答える。
「僕の思ったこととおんなじだ」
「ほんと? うれしいねー気が合うねー」
 上機嫌に煙草に火をつけるドクター・マイアミに、ヨナは遠くの地平線に目を向けた。前に一度、この広い世界を、真上から見たことがあった。

「本当は、ココの言ってることが正しいのか、間違ってるのかは、今でも分からない」
 ヨナの呟きに、ドクター・マイアミは「そっか」と軽く言った。驚きは見せなかった。
「でも……キャスパーの言うことはいつも、間違ってないんだと思う。悪いことだけど、正しい……本当のことを言っているんだと」
 ドクター・マイアミは笑った。やっぱり、否定はしなかった。
 ヨナは続ける。
「キャスパーと色んな戦場に行った。キャスパーは数え切れないほど武器を売った。キャスパーが背中を押さなければ、色んなことが先延ばしに出来たかもしれない戦争がたくさんあった。それでも、戦争をしているのはキャスパーじゃないんだ。キャスパーは、実際そうなっているものを……実際にそうなることを、証明してるだけだ」
「うん」
「僕はキャスパーのやり方を許すことはできない。でも、キャスパーは少なくとも、嘘をつかない。約束を破らない。それが良くても悪くても、本当のことを見せてきて……優しくないのに優しくて……ひどいところがあると分かってるのに、それでも、嫌いになれない」
 ヨナの中で、かつてキャスパーに抱いていた筈の激しい憎しみは死んでしまっていた。
 突き刺さるような陽射しの下で、むせかえるような熱帯雨林のそばで、見上げるような高層ビルの間の暗闇で。
 真っ白なキャスパーは、それでも何故か景色に溶け込んでいた。どこにいても浮いて見えるココとは正反対に。
『今までよく働いてくれた。心優しき、元少年兵』
 目を合わせて告げられた言葉が蘇る。
 あのアイスブルーの瞳を見ると、いつしか、落ち着くようになっていた。
「今まで僕が生きてきた世界の、しるしみたいな人だ」
 遠いのに、最後まで嫌いだと言えなかった、残酷できれいな世界の。

 ドクター・マイアミは静かな笑みを浮かべて、長く煙草の煙を吐き出した。
 そして呟くように言う。
「でも君はそんな彼に別れを告げ、ココについてきた。〝新世界〟を見るために」
 ヨナは頷いた。

 にんまりと笑みを深め、ドクター・マイアミは内緒話をするような口調になり、言った。
「ココのヤツもね、子供の頃はキャスパーお兄さんにべったりだったんだって。前アイツがベロンベロンに酔っ払った時に聞いたんだけどさ」
「そうなの?」
「そーなの。お父さんのこと、アイツ見るのも聞くのも嫌ってぐらい毛嫌いしてるんだけどね。キャスパーさんの方は昔から一貫して、別に父親がどういう人でもどうでもよかったみたいでさ。会話もしたくないココと違って、お父さんとも上手いことやってたんだって。今もそうかな?」
「何回かHCLIの本社に行ったけど、フロイドさんに会ってくる、って普通にどっか行ってた」
「へえー。ほんとにお兄さんの方は仲悪くないんだ。あの兄妹、物心ついた頃から武器商人育成・スペシャル英才教育を叩き込まれてたらしいんだけどさ。その期間が終わったら即効でソロデビューしたココと比べて、キャスパーさんの方はそれなりの歳になるまでお父さんの仕事に同行したり、そばで仕事を手伝ったりしてたんだって」
「どうして?」
「まあ、キャスパーさんが遅くまで残ってたというよりは、ココが無理やり早く出てったっていうか。普通ならまだ学校通ってるような歳でソロデビューなんて危なくてしょうがないじゃん? ボディガードが何人居たって足りないよ。それを兄妹揃って同時に、なんて流石に無茶だ。どちらか順を追って独り立ちすることになる。でも普通ならお兄さんの方が年上なんだから先にデビューしそうなもんを、キャスパーさんが出てってフロイドさんのとこに一人残されるなんて絶対に嫌だとココがギャン泣きした。で、お兄さんは気前よく、危険な代わりに自由な立場をココに譲ってくれたってわけ。お先にどうぞってね」
「へえ……」
 子供の頃のキャスパーってどんな感じだったんだろう、とヨナは想像した。そういえばチェキータが、昔はかわいかったと言っていた気がする。かわいいキャスパーというのが想像できなかった。
「今でも父親と近付かなきゃいけないようなHCLIの仕事は、ココの代わりに全部引き受けてくれてるんだって。そういう経緯があるから、ココはキャスパーさんに今もある面で頭が上がらない。ま、その借りがあるせいで、人遣いの荒い頼まれごとされても協力せざるを得ないんだって愚痴ってたけど」
「ふうん」
「何にせよ、憎たらしいお父さんから庇って味方してくれるし、自分みたいに辛い様子も表に出さず、かといって父親のそばにいても全く父親の色には染まらない、会うたびニコニコ可愛がってくれるパーフェクトなお兄さん。ガキンチョだったココは大いに懐いてたんだってさ。でも成長して色々知っていく内に、キャスパーさんが父親のこと全然気にしてないところも、いつもニコニコ機嫌よくいられて、ソツなく何でもこなして武器商人してるところも、段々薄気味悪く思うようになったんだって」
「……」
「顔もそっくりで、父親と違って優しくて、自分に味方してくれて。でも自分と決定的に違う存在だって、分かるようになっちゃったみたい」
「……そうか」
 ヨナは、ココの気持ちが分かる気がした。今までで一番。
「それからは昔みたいにべったりじゃなくなって、ココ曰くの壁が出来たらしいんだけど。それでもお兄さんはそういうの全部見抜いた上で、全然変わらない態度で接してくるんだって。結局思い返してみたら、べったりしてたのはココだけで、お兄さんがココにべったりしたことなんて昔から一度もなかったって自嘲してたよ。キャスパー兄さんはただ、何でも許してくれるだけだ、って」
「分かるよ。……キャスパーが許さないことなんて、この世には無いんだと思う」
「ほほう?」
「悪い人間が悪くいることを許すのに、優しい人間が優しくいることも許すんだ」
「……それ、どっちも本当に同じ価値に思ってないと出来ないことだね」
 ドクター・マイアミは肩を竦めて苦笑した。
「ココが分かり合えないって言う理由がわかるわ。ま、誰も分かり合えないと思うけど。でも、ヨナは――そういうキャスパーさんの所を経たからこそ、ヨルムンガンドを受け入れられたのかな」

「……うん。多分、そうなんだと思う」
 凪いだ心で、ヨナは頷いた。

 新しい煙草に火を点けて、ドクター・マイアミが言う。
「ココのやつがムスッとしてて、詳しくは聞けなかったんだけど。ココがヨルムンガンドのこと明かしても、キャスパーさんは焦りもしなかったってさ。むしろ歓迎、みたいな感じだったって」
「……〝新世界〟は、キャスパーのことも……キャスパーみたいな武器商人のことも、呑み込むのかな?」
「どうかねー。もしかしたら、呑み込まれちゃうのは〝新世界〟の方かも。というより、吞み込まれたまま快適な環境にカスタムしちゃう感じ?」
 あっさりとした言葉に目を瞠るヨナの反応を気にせず、ドクター・マイアミは続ける。
「でも、一つ言えるのは……キャスパーさんは〝新世界〟を利用できるけど、〝新世界〟はキャスパーさんを利用できない。ココの理想の色に、あの人を染めることは出来ないよ」
 ヨナは少し黙り込み、違う疑問を口にした。
「ココはキャスパーを憎んでいるのかな。今までの世界を憎んでいたように」
「さあねえ。私もさすがにその辺は深くつっこめないんだな」
「……ドクター・マイアミでも、遠慮なんかするんだ」
「するする! 失敬だなあ。……私、ある意味あのお兄さんの方が、お父様よりよっぽどココの理想にとっちゃ大きな敵なんじゃないかって思ってるんだけど。でもココの判定は、明らかにお兄さんの方へは甘々なんだよねえ。ま、仕方ないか。アイツも何だかんだ人間らしいヤツだから。お兄さんとは違って」
「……うん」
「でもま、これから未来っつー結果が訪れるわけだけど。負けるなら負けるでそれもアリなんじゃない? あ、これ私が言ったことココには内緒ね?」
「言わないよ」
「よし」
 頷いて、ドクター・マイアミは晴れやかな顔で言った。
「ココは世界を好きにはなれなかったけど、好きになりたいとはずーっと思ってるヤツなんだよ。そう思って頑張っちゃってる時点で、憎み切ることなんか出来てないんだ。ぷぷぷ。面白いヤツ」
「……そうだね」
 ヨナも同意して、笑った。

 ひゅうと音を立てて、強い風が丘の上に吹き始める。
「うわ、寒っ。戻ろっか、ヨナ」
「うん」
「はー、早くあったかくならないかなー。蝶、蝶~」
「……これからは、ドクター・マイアミも蝶を探しに行くのが大変になるんじゃないのか?」
「まあねー。それはすっごく考えた。でも我慢して、船とか汽車とかでのんびり行くよ。〝平和な世界〟なら、それも出来るでしょ」
「……そっか」
「実は前に行った山にさあ、また新種の噂があるんだよねえ。ほら、雪山の奥、君と初めて会った場所」
「ああ……」
「また行きたいな~。早く状況が落ち着かないかな~。そん時はヨナ君、ついてきてくれる?」
「いいよ。ココがいいって言うなら」
「よっしゃー!」

 鼻歌混じりに坂を下るドクター・マイアミの後ろを歩きながら、ヨナはかつて仲間と歩いた、件の雪原を思い出した。
 まるで世界が隠れていたいかのように、草も木も石も区別なく覆われ、白い色に溶けて、そこに生きる者を惑わせる世界。

 ヨナはココに対して、ひとつだけ許せないことがあった。
 ガラス張りの飛行機の先端、まるで空を飛ぶような光景――その忘れがたい特権を、ヨナに味わわせたこと。
 いつかあえて棄てるものの美しさを、知りたくなどなかった。
 世界を美しいと感じることを罪にはしたくなかったのに。

 それでもきっと、全てが白く染まった世界でなら、空を飛んだところで地に居るのとあまり変わりはないだろう。
 白い世界なら、飛ぶ夢を諦められる。
 ここにも雪が降ればいいのにと思った。
 それはきっと、許しをくれる。分を知らない夢を見たことへの。
 冷たさの代わりに。

 ヨナは虚空に向けて、はーっと息を吐いた。
 口から出た吐息が、白くその熱を見える形にした。
 ドクター・マイアミが振り返り、ヨナの仕草を見て、おかしそうに笑っていた。