「もし適合したとしても俺、黒トリガーなんていらない」
『風刃』争奪戦の後。
自販機の横にしゃがみ込んだ太刀川慶は、心の底から不服そうな顔で不平を漏らしていた。太刀川自身はそもそも黒トリガーに選ばれなかったため、争奪戦に参加してもいなければ負けてもいなかったのだが、太刀川の不満はその結果にあるのではない。
風間は太刀川の隣で壁に凭れ、幾分スッキリとした心持でその愚痴を聞いている。今しがた迅に敗北したばかりの身だが、悔しさはなかった。争奪戦に臨んだ迅は、一言で言って、気迫が違っていた。完敗するのも止む無しと思える、絶対に渡さないという決意が見えた。
「なんだよS級って。普段からみんなと戦えないならボーダーいる意味ないじゃん」
「……それはお前だけだ」
一笑に付す風間に太刀川は食い下がる。
「でもさ風間さん、すごい武器を手に入れました、強くなりました、強すぎるのでいざというときのためにとっておきます……それでいいのかな!? それにさ、黒トリガーさえ装備出来たらランク戦で最下位だろうが最上位だろうが問答無用でS級なんだぜ? 運ゲーじゃん。強さってそういうことじゃないと思うんだよな俺!」
「だから今しがた争奪戦をやって、相応しい人間を決めたんだろう。それに知らなかったようだが、ボーダーは誰が一番強いか決める場所というわけじゃない。近界に対応する民兵組織だ」
「さすがに俺もそれは知ってたけどお!」
迅は黒トリガー保有者になったことで自動的にS級となり、今後隊員同士での模擬戦は出来なくなる。太刀川はただただその一点に大きな不満を抱いているようだった。
風間としても、太刀川を始めとした強者とのランク戦を迅本人が心から楽しんでいる様子だったのを知っているだけに、思うところはある。しかし。
「……迅があの黒トリガーに執着するのは仕方のないことだ。あれは迅の師匠の形見なんだろう。思い入れが違う」
静かに諭す風間の言葉に、太刀川は俯いた。
「それは、知ってるけどさ……」
「お前だって……もし忍田さんが、黒トリガーになったら」
「ならないし!」
間髪入れず、考慮の余地もなく師の暗い想像を否定する速さに、風間は苦笑する。
「仮に、の話だ」
太刀川は不貞腐れた顔で、頬杖をついた。
「……そういう難しいこと考えるの、苦手だなって思う」
やけに素直にその言葉は響く。そうか、と風間はその話題を打ち切った。
しょぼくれたその横顔を見ながら、アンバランスな男だと、改めて思う。
近界に恨みもない。何か戦役で失ったものがあるわけでもない。だが――強い。ただ単純に。
勿論B級までの隊員なら、ボーダーに所属する理由の比較的薄い、部活やアルバイトのような感覚で在籍する者もざらにいる。むしろ積極的にそう思わせるようシステムを組んでいる節もある。ボーダーは常に人手不足なのだ。
ボーダーの方からトリオン能力の高い人材をスカウトすることも積極的にしているし、そうなると当然、動機というものは基本的に重視されない。能力が高ければ高いほどその傾向は顕著になる。
しかしA級以上、それも上位をキープし続けるとなると、必ず普通以上の努力は必要になる。努力を続ける者は、やはり大なり小なり“そこまでする”動機を持っているものだ。
それはボーダーという組織自体の目的、つまり近界に絡んだ何かではなくても、例えばチームメイトと切磋琢磨して得られる自己実現であったり、育まれた己の能力へのプライドのためだったりもするだろう。
しかし太刀川という男を傍で見ていて、そういう目標に対する情熱やプライドといったものを感じたことは特にない。
“戦って勝つこと”が手段ではなく、そこが終着点なのだ。太刀川の満足の頂点はそこにしかなく、それによって何かを得ようという意欲や興味は全く無いように見える。
戦闘という場に身を置き、勝とうとすること。その行為だけに向く、あまりにもシンプルな、しかし本能レベルの欲求だけで太刀川は入隊以来頂点に居座り続けている。
理由に見合わぬ強さ――いや、“理由なき強さ”と言うべきか。
「なあ風間さん、遠征って楽しい?」
一先ず気を取り直すことにしたのか、太刀川が何か期待するような目で風間を見上げて尋ねる。
「……楽しくて行ってるわけじゃないが、お前は楽しいかもしれないな」
「へえーいいな~」
「お前も来ればいい。次の次の回からになるだろうがな」
「えっ。なんで次の次? 次の遠征じゃダメなの?」
「黒トリガーの性能を試すために、次の遠征では迅含めた玉狛支部もまとめて出る事になっている。上位陣が多くこっちを空けるから、お前は今回に限っては防衛上こちらに残った方がいいだろうというのが本部の考えらしい。衛星軌道上に襲撃可能性のある敵がないわけじゃないからな」
「ふうん……確かにそれは、残っといた方がいいかも」
「まあ、件の迅が何も言わないなら十中八九大規模な侵攻は無いだろうが」
「それもそうだ」
つまらなそうにため息をついて、太刀川は呟く。
「俺は置いてけぼりかぁ」
そこには恨みがましさというよりは、ただ寂しそうな色があった。
「……次の次があるだろ」
置いていかれるのが遠征の話だけではないと知りながら言う。
太刀川は「まあね」と言って黙り込む。
珍しく憂鬱な色の消えないその目つきを眺めながら、風間はふと思いついて口にした。
「お前が黒トリガーをどう思っているかはともかく、お前自身、黒トリガーのような所があるな」
「……どういうこと?」
「お前自身は目的を持たないが、お前がそこに居るかどうかで、組織そのものの力を左右する。突然そこにある、よく砥がれた抜身の剣みたいなものだ」
あるいは、子供でも押せる兵器のスイッチのような。
無作為な力としてそこに在り、使われるのを待っている……剥き出しの力そのもの。
「何それ、危ないじゃん」
驚いた顔で太刀川が大真面目に言う。
危なさとは程遠い素朴な反応に、風間は笑った。
