「弟子の模擬戦を見学か」
観戦室で林藤が声を掛けると、忍田は機嫌の良さそうな笑顔を見せた。
「いいトリガーだな」
「“スコーピオン”か。迅の意地と、エンジニアの汗と涙の結晶だよ。ここを改良しろ違うそこを改良しろって、注文が多いのなんの」
おどけて言う眼下では、迅の構えた件のスコーピオンが太刀川の弧月と同等の剣速でぶつかり合っている。
太刀川の振るう弧月とまともにぶつかれば強度に劣るスコーピオンにはすぐにガタが出てくる筈だが、迅の方も上手く鍔迫り合いを回避して繋いでいた。
「スピード重視の割り切った性能がいい。出し入れに融通が利くところも便利だ。攻撃手に幅が出るな」
「あれが出来たことで太刀川と互角に戦えるようになったって、大喜びだよ。態度には出さないが」
「ライバルとの切磋琢磨がボーダー全体の技能の発展に結びつくのなら、大いに素晴らしいことだ」
「まあな。何より、楽しそうだよ。太刀川慶が現れてからの迅は。これまでに無いぐらいな」
忍田はそうか、と感慨深げに頷いた。
「最上さんが亡くなって以来、常にどこか周囲と線を引いているような所があったが……」
「斜に構えてる場合じゃないってなったんだろう。実際俺も驚いたよ。迅が未来視があっても勝てないなんて相手は、こっちじゃもうお前ぐらいのもんだと思ってた。視えてても、剣が鮮やか過ぎて対応し損ねるんだそうだ」
「まあ、視えるだけではな」
「さすが忍田真史の秘蔵っ子ってところか」
「……あいつは、剣にかけては……特別だからな」
「ほお~」
あまり聞けない弟子へのコメントに林藤が興味津々な相槌をうつと、忍田はじろりと林藤を睨んだ。
「何だ。何かおかしいか」
私人として教えていた弟子を入隊させる際、自分の弟子であることをアピールして多少“考慮”させたことを生真面目な忍田は未だに若干後ろめたく思っているらしい。入隊後の太刀川の活躍を考えれば、「とにかく入れない事には」と苦渋の選択をしたのであろう忍田の意向に誰も文句があるわけもない。それでも忍田が人前で太刀川の能力を褒めることは滅多に無く、他の隊員よりも厳しめに接するようにしているようだった。でなければ示しがつかないと考えているのだろう。
林藤は笑って首を振った。
「いいや? ただ、どう思ってんのかなって若干気になってたんだよな」
「何が」
「迅が一対一で歯が立たなかった少し前までは、結局相手になる奴がいねーから、太刀川の奴しょっちゅう模擬戦やろやろってお前にくっついてってたろ。それが最近は迅、迅って迅の方にばっか懐くようになって、師匠としては寂しい限りなんじゃないかって」
忍田は目を剥いて反論しようとして、むせた。
咳払いして気を落ち着けた後、地を這うように低い声で言う。
「……馬鹿を言うな」
林藤はヘラヘラと笑い、話題を切り替える。
「なあ。一つ気になっていたんだが……太刀川は、お前の弟子にしてから日が浅いってわけじゃないんだろう? 迅が最上さんに弟子入りしたより早いか遅いかは知らんが」
「そうだな……多少、こっちの方が早いぐらいだろう」
「“今の”ボーダーになってから初めてアイツを引っ張ってきたのは、緊急脱出装置が出来たからか?」
数拍返答に間が出来る。
「……何が言いたい?」
林藤は軽い調子で手を振り、警戒している様子の忍田を宥めた。
「いや、ただの質問。アイツ最近、迅と戦うためにしょっちゅう『たのもー』って玉狛に来るんだが、どうやら本人は“遠征”に興味があるみたいだからさ。でもお前、太刀川の遠征行きを渋ってるだろう。なんでかなーと」
「……今更な疑問だな。別に、改まって相談されたわけでもないんだろう? アイツのことだ、迅と戦うついでに玉狛の応接室に我が物顔で寛いで駄弁ってる延長で言っただけだろ」
「まあポテチ食いながら小南たちとトランプしてる時に言ってた話だったと思うけど」
さすが師匠、弟子の性向を把握してんなと、林藤は短くなった煙草を灰皿で揉み消しながら笑う。
「今の遠征艇には緊急脱出装置もついて、リスクの高い行動時でも安全はある程度保証されてる。そもそも今、すでに遠征に行ってる隊員の誰よりも太刀川は強いんだ。そこまで神経質になることも無いんじゃないかと、少し気になったのさ」
「……本部からも、同じ指摘を何度も受けてるよ。太刀川の実力でリスクを気にしているのだとしたら、既に遠征に行っている太刀川より低いランクの隊員はどうなるんだとな」
「まあ、あちらさんの本心は結局、番付一位の最大戦力を遠征に連れて行って成果を得たいってとこに尽きるんだろうけどな」
「それで……これまでそうした綱引きを把握していながら傍観一方だった玉狛支部長が、今になってそこを気にし出した理由はなんだ?」
「……本部のエンジニアから入った情報なんだが。『風刃』の所有者を、そろそろ決めるかもしれない」
忍田の顔色が変わる。林藤も真面目な顔になって、下で戦う二人を見下ろした。
「既に調整に入っている。あとは所有者を決めるだけだ。……迅は必ず獲りに行くだろう。そうなると、規定で黒トリガー所有者は自動的にS級に昇格だ。以降、他隊員との模擬戦は原則出来なくなる」
「……そうなるな」
「太刀川のやつ、相当ガッカリするだろ。迅もライバルが出来て嬉しそうだったが、太刀川はもっと嬉しそうだったからな」
「…………そうだろうな」
頭が痛い、という顔をする忍田に、林藤は新しい煙草に火を点けながら、表情を緩める。
「俺はそこんところで、わりと太刀川に感謝してんだ。有吾さんが考えたシステムだが……その発想の主眼は、“楽しく強くなる”って所にあったからな。実際発想は大当たりだったわけだが、俺はそれを迅にも楽しんで貰いたかったんだ。一人で、自分にしか見えない世界を見て、黙々と修行するんじゃなく……歳の近い仲間と、切磋琢磨する楽しさを味わって貰いたかったっつーかな。太刀川の存在がそれを叶えてくれた。まあ、これからそういうわけにも行かなくなるんだが」
林藤は頭を掻く。黒トリガー所有者のランク戦除外だけは、システムの公平性を保証するためにはどうしても外せない要素だった。システム作成に携わった身として、そこに若干の申し訳なさもある。
「だから、新しい楽しみがあったら多少はマシか、と思ってな。もしウチのエリート隊員が原因でエースのモチベーションが下がるとしたら由々しき事態だ。丁度俺は次の遠征の引率だし、改めてちょっと聞いておこうかと思ったんだよ。お節介だけど」
忍田は暫しの沈黙の後、長く息を吐いた。
「……あのタイミングで慶をボーダーに入れたのは、どちらかといえば、そのランク戦システムが出来上がったからだ」
「お? そうなの?」
「知っての通り、あいつは戦闘バカだからな。制約なくずっと戦っていられるという、あいつにとってこの上ない理想の環境が出来た。ランク戦システムをボーダーで一番気に入って、楽しんでるのは間違いなく慶だろう……こちらこそ感謝している」
「いやいや。製作者冥利に尽きるよ」
「ランク戦システムの存在が、慶本人にとってもボーダーに所属する動機になるだろう、というのが入隊させた一番の理由だ。だが、緊急脱出装置が出来たから……という理由も確かに一つにはある。身の安全のため、というのとは少し違うが」
「と言うと?」
「身の危険の回避というより……何と言うか……私の思うリスクの回避というか」
「……もうちょっと具体的に」
「つまり。あいつは戦うことを……楽しみ過ぎるのが問題なんだ。常に強い相手、もっと言えば“勝てない相手”を求めている。そしてその相手に勝つためなら何でもする。それも負けたくないからじゃない、ただそうするのが楽しいからそうしているだけだ。負けた時の方が嬉しがっている節すらある」
「勝つためなら何でもするのに?」
「負けたら、勝とうとするだろう。その過程が好きらしい。何でもするほど勝ちたいんじゃなく、勝つために何でもしたい」
「そりゃまた……努力家……いや、戦闘狂?」
「まあ、そうだな。……もし仮に慶が、緊急脱出装置のない状態で、勝てない相手に出くわしたとして……そして、逃げれば周りに被害が出るような、そんな状況だったとして。慶はおそらく、喜んで逃げないだろう。そのまま平気で死ぬまで戦ってしまうのではないか……そういう懸念がある。あいつには、敗北への恐怖がない」
「まあ、負けても悔しがらず嬉しがってるってんならな。だが……死への恐怖は流石にあるんじゃないのか?」
「わからん。アイツが危険な状況になったことがないから」
「あー……」
防衛任務では厳しい状況になる事もしばしばあり、A級一位の太刀川は強敵の相手を幾度もこなしてきたが、まったく任務に失敗しなかった。危ない状況にそもそも陥らないため、実際に危機的状況に際してどういった反応を見せるか、未だ未知数のところがあるのだろう。
「だから緊急脱出装置が出来たことは、慶にとって……いや私にとって、命綱というよりは首輪が出来たといった意味で重要だった。好き勝手な方向に行かせないための」
言う忍田の表情は真剣だった。何ともコメントに困りつつ、林藤は重ねて問う。
「しかしそれなら、やはり緊急脱出装置があれば遠征は安心なんじゃないのか? いざとなれば強制的に呼び戻しちまえばいいんだから。それともまだ何か他に、懸案事項が残ってるのか」
少し言うのを躊躇いながら、忍田はゆっくりと口にした。
「……慶ほどの実力があれば……近界でも、戦士としての需要は高いだろう」
林藤の脳裏には、自然と一人の男の姿が浮かぶ。先ほども話に出た、久閑有吾――“あちら側”へ渡った、偉大な先達の。
「信じていないというわけじゃない。実力も、私が一番よく知っている。ただ、それでも未だに慶にはどこか……計り知れない所がある。違う世界を見て、あの子が何を感じるのか……それを考えた時に、例え緊急脱出装置があっても、換装さえ解けばあの子を縛るものは何もないのだという事実が……躊躇わせる」
半ば独白のように零される言葉。
いつの間にか呼称が“あの子”になっている。子供の頃から見てきた弟子だ、内心では今でもその頃の印象が残っているのだろう。
同時に伝わってくるのは、忍田が本当に太刀川を大事にしているのだろうという事だ。
身の危険を気にしているわけではないと言っても、結局は方向性が違うだけで、その身が帰ってこない事を案じている。
例えそれが、本人の意思によるものだったとしても。
――だから緊急脱出装置が出来たことは、慶にとって……いや私にとって、……
私にとって、か。
林藤は短くなった煙草を揉み消して、フーと紫煙を吐き出した。
私情を含んでいることに本人が自覚を持った上での態度である以上、林藤から口を出せることはない。名実ともに太刀川の保護者は忍田だ。
しかし忍田の方でも葛藤があるのだろう、ため息をつきながら言った。
「それでも、確かにそういう事なら……慶の遠征参加について、改めて考えるべきだろうな。何にせよ、本人と話してみる。情報ありがとう、林藤」
「……いやいや」
下では丁度、ライバル同士の勝負がひと段落した所らしい。十本勝負、結果は一本差で太刀川の勝ち。
楽しそうに笑う弟子の様子を、忍田は眉間に深刻な皺を刻んで見下ろしている。
林藤は、“換装さえ解けばあの子を縛るものは何もない”という忍田の言葉について考える。
本部完成のタイミングで太刀川を入隊させた理由の第一は、ランク戦システムが完成したことで太刀川自身にとっての、ボーダーに所属する積極的な動機が出来たから……と語っていたが。しかし今の体制が出来る以前にも、戦い自体は常にボーダーと共にあった。本番か、訓練かという違いだけで。
そしていきなり本番だろうと、太刀川はそこに愉しみを見出した筈だ。相手が斟酌の要らない敵であるならば、戦いに安全性があるかどうかは問わないだろう。話を聞く限りでは、保身に対する要求というものが著しく欠けているようだから。
力だけを手に入れ、それを振るう機会も乏しく、戦える場所が“あっち側”に集中していたのなら。己の剣の腕が最大限発揮できる場所が、そこだけだったとしたら。
確かに……危うかっただろう。その剣をこちらに縛り付けるものが何もないというのならば、行ってしまった可能性はある――久閑有吾のように。
そうして実際こちら側を去って行ってしまった男の置き土産が、太刀川のような有望な若者をこちらに繋ぎ止めていると思うと、その先見には感服せざるを得ないが。
しかし師である忍田にとっては、太刀川にとって楽園のような今のボーダーでも尚、その不安な想像を完全に拭い去るには足らないらしい。
今までですら遠ざけていたのだから、迅が居なくなった今は尚更遠ざけたい所だろう。
ふと、勉強を放り出して夢中になり過ぎるからと、子供からゲームを取り上げようとする親のイメージが降って湧く。
立場上言ってはならないと理解しつつ、玉狛支部に引っ込んだ比較的自由な見地から、林藤はあえてそこに問うてみたくなった。――もし仮に、その恐れていた事態が起こったとしても。本人がそう望んだなら、諦めてやる選択肢は無いのか?
久閑有吾という大きく侵しがたい前例だけは、少なくとも否定されるべきものではないと林藤は考えている。林藤よりは色々思う所があるだろうが、忍田も概ね同じ気持ちだろう。
返答を聞いてみたい気もしたが、褒められた問いではないという自覚はあるので口にするのはやめておく。何より、答えを出させることが忍びない。
他所の子供がいくらゲームに夢中になろうが、誰も構いはしない。ずっと見てきた可愛い我が子だからこそ、現在から行く末まで、どこまでも案じてしまうのだろう。
自由な弟子に手を焼いている、という印象があったが。そしてそれも決して間違いではないのだと思うが。案外、太刀川の方でも苦労があるのかもしれない。
これまで本部からせっつかれても頑として譲らなかったのだ。所詮、外野が口を出せる問題ではないのだろう。
どちらにせよ風刃の所有者は決まる。林藤は軽く最後に挨拶して、観戦室を後にした。
