城戸と鬼怒田、根付、唐沢の四名で行われた小規模な会議の席。次の遠征の予定時期は既に決まっていて、今回は各スケジュールの進捗確認だった。各員の報告が終わった後、城戸が発言した。
「『風刃』の所有者を近いうちに決定する」
おお、と鬼怒田と根付が色めき立つ。
「とうとうですか!」
「次の遠征で性能を試したい。黒トリガーを実戦投入するとなれば、対外的なアピールにもなるだろう」
「勿論そうでしょうね!」
根付が大きく頷いた。
「早速エンジニアと調整に入らなければなりませんな!」
鬼怒田が張り切って言う。遠征までそう日があるわけでもない、所有者の決定は近々に行わなければならないだろう。
二人の興奮を横目に、唐沢は営業予定の企業リストを見返した。
ボーダーの最重要セキュリティエリアに保管されている、黒トリガー『風刃』。確かにボーダー内では勿論、外部でも些かミーハー的に知られた存在ではあるようだ。
ボーダーへの信用というのは、そのままボーダーが保持する戦力への信用ということでもある。襲撃に際して、それを封じ込めるだけの力を実際にボーダーが確保しているのかどうか。
現実問題、運悪く上級隊員の到着が間に合わずに家屋の被害等が大きくなってしまったケースは度々起こっている。その度にボーダーの“質”が問われ、より確実な成果の見込みが要求される。
それを考えると黒トリガーという特殊な装備の追加は、確かにパワーアップの指標として分かりやすくはあるのだろう。
しかし不意に根付が、我に返ったように幾分かトーンダウンした声で言った。
「しかし現状、一番所有者として可能性がありそうなのは――やはり、迅悠一でしょうか」
「ぬう……」
鬼怒田も、嫌なことを思い出したといった様子で腕を組み唸った。
迅悠一――玉狛支部の“未来視”の青年。抜け目のない、その意志の強そうな目を思い出す。確か『風刃』は彼の師のものだと聞いている。適合することも既に判明しているらしい。
慎重な口調で鬼怒田が言う。
「幸い、一番手強い本部長派の太刀川が“使えない”ことはもうわかっとる。風間蒼也が健闘してくれれば、あるいは……」
「ありますかね、見込みが?」
根付が少し期待するような声で返した。しかし話を黙って聞いていた城戸が、淡々と口を挟む。
「……迅悠一は必ず『風刃』を獲りに来る。そして、彼にはサイドエフェクトがある。その上で何も言ってこないということは……十中八九、迅悠一が手にすると見ておいた方がいいだろう」
はあ、と落胆のため息が鬼怒田と根付から零れた。
「段々と、パワーバランスに差が無くなってきますねえ……」
「せめてその分、今回の遠征で収穫が増えればいいんだが」
憂鬱そうな二人に、唐沢は興味深く問い掛ける。
「優秀な隊員よりも、やはり優秀な武器……黒トリガーを備えることの方が、派閥の力を増すんですか」
「それはそうですよ。黒トリガー所有者が自動的にランク戦から除外されるのは、あまりにも性能差がありすぎて勝負にならないからです」
「勿論使い手の力量が問われるのはノーマルトリガーと一緒だがね。言うなれば、反則のような技が使えるのが黒トリガーの性能だ。反則技を自由に出せる人間が一人いれば、それは強いに決まっとる」
すごい勢いで反応が返ってきた。
唐沢はこれまでの城戸司令派の意向を振り返りながら尋ねる。
「例えば、それこそ……こちらの派閥に太刀川君が加わるのと、黒トリガーが手に入るのとでは、どちらが“買い得”なんでしょうかね?」
「それは……」
鬼怒田と根付は言葉に詰まり、考え込んでしまった。
太刀川慶。個人戦ランク一位であり、攻撃手ランク一位であり、A級上位チームの隊長も務める、名実ともに一般ボーダー隊員のトップに君臨している青年である。
ノーマルトリガー最強の男と目される忍田本部長の直弟子との事だが、旧ボーダー時代から籍を置いていた忍田や迅とは異なり、太刀川の入隊時期は唐沢とあまり変わらない。ボーダー本部の完成・発足と共に忍田が連れてくるや否や、圧倒的な強さで瞬く間に頂点に収まってしまった。
太刀川以外に忍田が縁故の者を招き入れた事例は後にも先にも無い。たった一人、だが最も大きな戦力をボーダーに連れてきたとあって、自然と太刀川慶は“忍田預かり”と見なされるようになった。
街の防衛に注力する忍田派の、最右翼、切り札……いっそある意味で専有物のような、そういう一線を画した存在として。
しかしこの城戸司令派の間では、そんな太刀川慶をこちら側に引き入れる、あるいはせめて忍田本部長派占有では無くそうという画策が以前からあった。
その理由は色々あるが、一番大きな点で言えば――。
「どちらがより有用と言えば……やはり黒トリガーじゃないか?」
「しかし実際、威光という面から考えても、黒トリガー所有者は自動的にランク戦から除外されますからねえ……ランキング一位という肩書きの箔を考えると、単純な比較は出来ませんよ」
「まあ確かに直接戦えないS級よりも、対戦して肌身で強さを知っている方が隊員間での強さの認識は明確かもしれん」
「何より黒トリガーは限られた人間しか扱えませんが、ノーマルトリガーは誰でも持てる。まったく同じトリガーを使っているのに強い、という所に求心力があります」
「黒トリガーが強力な武器となるのは有事の際だけだ。使用にも承認がいる。その点トリガーの性能に頼らずただ単純に強い太刀川の用途は色々ある」
「その最たる用途が、遠征なわけで……。……あの、城戸司令、今回の遠征には太刀川君を……その、勧誘しないので?」
伺うように尋ねる根付に、城戸は少し間を置いて言った。
「……今回の遠征は、玉狛含めた実力者が多く参加する。これだけの戦力が本部を空けることは滅多にない。有事の際を考え、太刀川慶には今回声を掛けない方針でいく」
「そうですか……まあ、今回は太刀川君が行かなくても、黒トリガーも居ますしねぇ……」
ふう、と根付が息を吐く。鬼怒田も城戸の考えに異論は無いようだった。しかし次の遠征の際には、また同じ議題が顔を出すだろう。
根付の言った通り、黒トリガーは近界流出を防ぐため原則として常時遠征に帯同させる方針ではない。その点ノーマルトリガーで強力な戦闘力を持てる太刀川は、まさに遠征向きの人材といえる。
城戸司令派が太刀川をあわよくば派閥に引き入れようと苦心している、一番大きな理由がそれだった。
ボーダー発足以来、近界への遠征は既に定期的に行われており、実績もある。しかし太刀川慶はA級一位の実力者でありながら、そこに未だ参加したことが無い。
勿論、実力者の全員が遠征に参加するというわけではない。ボーダーでは原則として、希望しない隊員への遠征の強要は不可となっている。
そして希望する隊員の場合でも、近界に赴くに足る実力があると認められるだけでは足りない。改めて、身元保証人の同意書類が必要とされていた。
未成年がボーダー入隊する場合でも保護者の同意は必要だが、遠征に参加する際の書類は年齢を問わず提出必須とされる。ただし後者の場合、保証人は血縁者でなくとも連絡先がはっきりしている人間なら誰でもいい。
何故そんな規定を設けているかというと、渡航先で隊員に万が一のことがあった場合の隠蔽工作のためだ。遠征の事実を表沙汰に出来ないボーダーとしては、隊員のロスを何としても“こちら側”で起こった事故として処理する必要がある。その際に身元保証人の証言が効力を発揮する。
同意書といっても、遠征に対する同意書ではない。保証人の口から遠征の情報が洩れる可能性があるのでそれは伏せる。同意させるのはあくまで、“隊員が通常の任務よりも危険性の高い任務に従事する事”への認知だ。
そして万が一のことがあった場合は、“こちら側”に現れた近界人に連れ去られたのだと説明する。保証人となった人間は、“危険性の高い任務”とはその事だったのかと納得する。
いわば外部にも“予め危険性を認知していた第三者”を作っておくことで保険にする仕組みだ。本人の希望が前提とはいえ、些か狡猾なシステムであることは否めないだろう。幸いにも保証人の存在が実際役立った例は、今のところ数例しか無いが。
ただ遠征任務は、選抜されて行ってくるだけで戦功と同レベルのボーナスが確約されている。リスクの分だけのリターンは当然あるし、当然遠征でも緊急脱出装置は配備されている。万が一はあくまで万が一であって、基本的には無事に行って帰ってこれるものだと見なしていいものの筈なのだが。
「本人は興味があると言っているのに、困ったものです。隊のメンバーも隊長が行かないなら行かなくていいやというスタンスのようですしねえ」
やはり太刀川の今後についてまだ考えていたのか、根付がぼやき足りないように言った。
「緊急脱出装置もある。安全性は保障されとる。何より太刀川より下位のランクの隊員が普通に遠征に出ている以上、一位の太刀川が行かない理由はない」
鬼怒田もため息をつきながら言う。
「やはり出し惜しみしているんですよ。こちら側に虎の子を貸出す気は無いと。太刀川君を私物化したいのですな完全に、忍田本部長は」
そう、太刀川慶本人はどうやら遠征に乗り気でないどころか、むしろ興味津々らしかった。それを止めているのは忍田本部長らしい。太刀川は、遠征の同意書にサインする保証人を忍田に頼んでいた。
両親も健在であるのに、万が一の緊急連絡先をあえて師に託したその心情は不明だ。同じボーダー関係者、しかも引率を務める事もある立場なので、保証人として適合するかどうか若干物議を醸した。もし二人ともが遠征に出て、最悪何かあった場合には共倒れのケースもあり得る。
しかし実際そんな事になればボーダー自体を揺るがす大事であるし、保証人どころの騒ぎでは無くなっているだろう。という事で忍田が太刀川の遠征同意書の署名者になることは認められた。そして忍田がそれにサインをしない、というのが現状のようだ。
興味があると言っても忍田の反対を押し退けてまで行きたいという程では無いようで、太刀川は保証人を親に変える等の策は講じず、大人しく防衛任務に収まっている。
忍田さんがいいって言ったら行くからセットクしてくださいよ、と無邪気な笑顔で根付や鬼怒田にねだる始末で、そうなると当然これまで忍田は相当その事でチクチク言われ続けてきた。
しかし忍田の方も頑固であり、どれだけ言われようと全く堪えた様子もない。そもそもが単騎で現ボーダーの最後の砦を務める男だ。普段は穏健派だが、いざという時の胆力は始めから勝負がついている。
結局太刀川の遠征に同意しない理由すら碌に語らないので、根付と鬼怒田はこうして色々憶測して恨み言を募らせるしかない。
唐沢としても、忍田が太刀川の遠征を渋る理由は気になる所だった。
根付が言ったような、組織における己の派閥の権威性を気にしているような男には見えない。
かといって、鬼怒田も言ったように安全面の心配をしているのだとしたら、他の隊員に示しがつかない。そういう贔屓はせず、むしろ特別厳しく扱っている印象を受けた。
だとすると、本人が行きたがっているのに遠征を渋る、その理由は一体何なのか?
