もろい世界の堅牢な繭で - 2/9

 また明日ね悟飯くーん、と残念そうに手を振る女子たちに悟飯がぱたぱたと手を振り返す横で、「ビーデルもまたね~」という声に笑顔で応える。しかしその心中は穏やかではない。
 ――なによ……! モテるのは仕方ないけど……ベタベタ触られても全然嫌がんなくて、されるがまんまで……男の子ってみんなそうなのかもしれないけど……悟飯くん優しいから強く拒否できないのもわかるけど……でも……でも……!
 並んで歩いてはいるけれど心なしか遠い、ギリギリ手の届かない距離を恨めしく思いながら、ビーデルは唇を噛む。
 着実に前より親しくなっているのに、気のせいか前よりもパーソナルスペースが広く感じられてならない。かといって今別れた女子たちのように、無邪気にくっついてスキンシップをとるような明け透けさもビーデルは持てない。
 モヤモヤするビーデルの横で、悟飯が口火を切った。
「でも、安心したよ」
「っ、なにが?」
 ビーデルは慌てて聞き返す。悟飯が復学してから、ようやくこうして帰りに二人きりになれるルーティーンを確立したばかりなのだ。くだらないやきもちでせっかくの貴重な時間をふいにしたくない。
 悟飯はホッとしたような声で言った。
「イレーザさんとかシャプナーたち、金色の戦士がオレだって言わなかったんだ」
「ああ……ううん。週明け早々言いふらしてはいたのよ……。ただそれどころじゃなくなったから、みんな今は深く気にしてないだけで」
「そうなの? ……そっか、そんなに気にすることなかったのかな」
 晴れやかな表情でそう言う悟飯に、ビーデルは複雑な思いで言葉に詰まる。
 ――仲間のみんなが、ふつうに暮らしたいなら強いってことバレちゃいけないって。……だから……。
 悟飯がいつか、口ごもりながら言ったその弁解。今ではあの不思議な場所で出会った人たちが、本気で彼を案じてその助言を与えたことが分かる。彼はおそらく、あのとんでもない人達の間でも更に、一際――規格外なのだ。
 しかし彼の安堵に水を差すのも違う気がして、ビーデルはとりあえず自分の気持ちだけを伝えた。
「わたしも、安心したわ。悟飯くん正体がバレること、気にしてたから……あんなことがあって、もう学校に来てくれないんじゃないかって、ちょっと心配してたの」
 本当はものすごく心配したのに、つい控えめに言ってしまった。
 悟飯は軽く笑って頷く。
「うん、皆の前で変身した時は、もう学校は諦めようかと思ってた」
「えっ」
「それか、ドラゴンボールが復活したらブウの記憶と一緒に、ボクの記憶も消してもらおうかって……。でもそれを待ってたらかなり授業に遅れちゃうし……色々考えたけど、何だかそのうち、大丈夫なんじゃないかなって思えてきて。むしろ今まで、なんであんなにコソコソ隠れて怯えてたんだろうって不思議な気分になったんだ」
「……怯えてた?」
「うん。仲間のみんなに脅かされたのもあるけど、もしみんなとちょっと違うってことが知られたら……みんなを気味悪がらせたり、怖がらせたりしてしまうんじゃないかって思ってたんだ」
「……。」
「でもそんなこと気にしたって仕方ないよね。オレはオレなんだから」
 そう言って笑う悟飯の表情は落ち着いた自信に満ち溢れている。魔人ブウと戦うために大きくパワーアップしたらしいこの姿になってから、悟飯からは以前のような柔らかい雰囲気が失せ、代わりにきらめくような周囲を圧倒するオーラを放つようになった。皆が悟飯の正体を気にしなくなったのは、ほぼほぼこの頭がぼうっとなるようなオーラにあてられてしまっているためだ。特に女の子は皆、些末な噂や記憶よりも今目の前の悟飯のことしか見えなくなっている。
 それはやっぱり、馴染めているわけではない。いわばカリスマとして、異質に君臨しているだけだ。それが良いことなのか悪いことなのか、ビーデルには分からなかった。ただ何か、このままでいいのかと迷うような、漠然とした胸のつかえがある。ビーデルは悟飯のように、不安のすべてを掻き消せるようなパワーアップはしていないから。

「ごめんね。悟飯くんは一生懸命隠そうとしてたのに……バラすって脅して、天下一武道会に出場させたりして」
 ビーデルは心の底から謝罪した。とても無神経なことをしたと今は思う。あの頃は何も知らなかったのだ。この世界はもっと、とても単純なものだと思っていた。世界で一番強いパパがいて、悪者がいて、自分はそれをやっつけながら世界で二番目の位置を目指していけるのだと無邪気に信じていたのだ。
 悟飯は朗らかに笑って、あっさりと許しの言葉を口にした。
「いいんだよ。今になってみれば、どの道あの場には居なきゃいけなかったと思うし。何だかんだ結局出場することになってたんじゃないかな」
「ありがとう……」
「それに、あの時ビーデルさんに正体がバレて良かったって今は思うんだ」
「えっ?」
「色々知ってくれてる同年代の友だちがいてくれるって、すごく心強いんだね。またビーデルさんと一緒に学校に通えてすごくうれしい」
 目をまっすぐ見つめて微笑む悟飯に、一瞬で顔に血が上ってクラっとする。
 舞い上がり過ぎて文字通り飛んでしまいそうになり、続いた悟飯の言葉にうまく反応できなかった。
「そもそも、人間が一人一人違うのなんて当たり前なんだ。ビーデルさんが、他の人と違ってるみたいに」
「……そ、そ、それってどういう」
 まごついて上手く聞けないでいる内に、いつの間にかいつも別れる曲がり角の所まで来ていて、それを告げる悟飯の声にビーデルのもごもごした問いは掻き消されてしまった。
「じゃあここで。オレ、今日はブルマさんの所に寄る用事があるんだ」
 さっぱりとした声でそう言う悟飯に、ビーデルはつんのめりながら何とか頷く。
「あっ、う、うん。また明日……」
「また明日」
 爽やかな笑顔で手を振って、悟飯は人気につかないビルの影で一足飛びに屋上に登り、あっと言う間に見えなくなってしまった。

「……『オレ』……」
 ぽつり、とその場に残されたビーデルは呟く。
 悟飯はあれから、一人称すら変わってしまった。まるで内側から湧きだすパワーが外側に染み出して、態度や思考まで染め上げていっているみたいだった。もう孫悟飯は弱そうでもないし、田舎っぽくもないし、幼げな可愛らしい様子を残してもいない。間違いなく同じ人ではあるのだけれど、では孫悟飯という人物の核は、人格すらも変えてしまうそのパワーにあるのだろうか?
 それはやはりどこか、いびつな人間の形であるような気がした。

 ――でも。
「……かっこいい……」
 ビーデルはまだ熱い頬を掌で包んで、はあ~~~とその場で大きくため息をついた。