もろい世界の堅牢な繭で - 1/9

「……やばいよな」
「ヤバイ」
「マジやばい」
 誰が言い出したでもなく馴染みの男面子で集まった放課後の教室、開口一番に出てきた意見とも呼べないような意見は、とりあえずそんなものだった。議題は『近ごろの孫悟飯について』だ。
「やっぱ何度も言うけど、顔つきが違うじゃん」
「途中で棄権したっつー天下一武道会の時点じゃまだ普通だったんだろ?」
「棄権っつーか……普通っつーか……」シャプナーが苦悩した表情でコメントに窮している。
「こないだ聞いたよ、金色の戦士の正体が悟飯だったんだろ?」
「でも納得だよな、アイツ明らかにおかしかったじゃん体育の時とか。天下一武道会出れるぐらい強いんなら、自警団ぐらいやっててもおかしくない」
「でもマジで一瞬だったぜ。一瞬で金髪になったんだぞ。そんなことあるか?」
「何かそういうアイテムでもあるんじゃねえの。C.Cの新製品とかで」
「あの会社ならあり得なくもないな」
「だから金色の戦士だった事はとりあえずいいよ別に。今更驚かねえよ。問題は休み明けのあの変貌ぶりだよ」
「ヤバいよな」
「やばい」
 話がループした。暫し場に沈黙が落ちる。

 天下一武道会という一大イベントが開催されたその日の午後、世界はそれどころではない恐ろしい事態に直面した。魔人ブウというこの世の終わりを経験したのである。
 全世界の人間はじわじわと街が消滅させられていく恐怖の記憶の最後、無数の光弾が降り注いで周囲の人間が全滅する白昼夢を見た。しかし次に目覚めた時、世界は何事も無かったかのように元の姿を取り戻していた。そしてどういった中継装置を使ったのか、世界中に響いた『天に手をかざせ』というミスターサタンの声に世界中が従い、その結果何だかんだ世界は再びセルの時のように救われたらしい。
 何か悪い夢でも見ていたかのような現実感のなさだった。サタンも今回の件に関してはどこかインタビューに消極的なのも相まって、まだ日が浅いのにも関わらず魔人ブウの一件は急速に人々の興味関心を薄れさせている。
 このオレンジスターハイスクールでも最早魔人ブウの話をしている人間など誰もいない。代わりに専ら全生徒の噂の中心になっているのが、我らがクラスの孫悟飯というわけだった。

 しばらく休んでいた悟飯があの日の天下一武道会に出場していて、そこで金髪になっただの、場外から闖入した暴漢に襲われただの、ビーデルと空を飛び去っただのというシャプナーとイレーザが持ち込んだ情報は、まだ魔人ブウの事件から間もなかったのもあってあまり驚くほどでもない眉唾情報として流された。アイツならそんなこともあるかもな、だってアイツ変だったし、ぐらいのテンションだ。そのぐらい孫悟飯という生徒は編入早々誰の目から見ても不思議ちゃんだった。
 しかしその翌週、復学し登校してきた孫悟飯本人の姿を前に、全ての些末な噂はその変貌ぶりによる衝撃で塗り替えられた。

「顔つきも変わったけどさ、もうそういう問題じゃないよね。根本的に雰囲気が変わったっていうか……」
「ああ。なんつーか自信に満ち溢れてる」
「凄味がある」
「なんか圧倒される」
「……何があったんだろうな。休みの間に」
「やっぱ魔人ブウの件とも関わってんのかな?」
「流石にそれは無いだろ。サタンが倒したってハッキリしてるんだから」
「でも娘のビーデルと一緒に武道会場出てったのは目撃されてるんだろ?」
「ビーデル本人は魔人ブウの戦いに全く関わってないって言ってたぜ。ビーデルが関わってないなら悟飯も関わってないんじゃねえの」
「じゃあその後の休みの間に何かあったのかな……」
「童貞卒業したとか?」
「そんなんであんなビフォーアフターが起こってたまるかよ」
「もうさ、原因なんてどうだっていいんだよ。問題は今後だよ」
「やべーよな。本人の態度は、別に大人しいもんだけど……周りがな」
「マジでやべえよ。確実にあと一押しで付き合えそうな子が居んだけど、最近その子も悟飯のことばっか見てんだよ。このままだと悟飯に寝取られる」
「寝てから言え」
「あの妙なオーラのせいだよ。もう女子生徒は全員悟飯しか目に入ってねえよ」
「明らかに目にハートマークが見えるもんな」
「一度でも視界に入れたらひとたまりもないぜ」
「仕方ねえよ、オレも女ならああなってたよ。何なら今でもドキドキするし」
「オレも……」
「ウッソだろお前ら」
「いやマジ近くで見てみ。それかもう近付くだけでいいよ、オレの言うこと分かるから」
「なんか、出てるよな。威圧されるような、オーラっていうか、パワーっていうか……」
「うん。あてられる」
「近くにいるとダメになる」
「雄として勝てねえって感じる」
「イキってた他校の不良も、悟飯にただ見つめられただけで逃げ出したらしい」
「すでに伝説が生まれ始めてんじゃねえか」
「態度とか口調もさ、前と違わない? 真面目だけど、なんか明るくなったっていうか堂々としてるっていうか」
「だから尚更女子が話し掛けるんじゃん」
「ビーデルはどうなったんだよ」
「一応いつも近くにいるよ。すごい顔して」
「罪深いヤツだ」
「もうずっとあのままなのかな?」
「勘弁してくれよ、これからずっとあのオーラを間近で浴び続けるのかよ」
「マジで何が起こったんだろう」
「オレもあんぐらいイメチェンしてみてえ~~~」
「イメチェンってレベルじゃねーぞ」

 話が再び一周し始めたその時、窓の外からさざめくような黄色い声が聞こえてきた。音の発生源を確かめるため一同は窓の外を覗き込み、真下にある正面玄関から正門まで続く道を視界に入れる。
 そこではちょうど玄関から出てきた孫悟飯が、周囲を複数の女生徒たちに囲まれながら下校する所だった。
 口々に話しかける女子たちに顔を向け、何事か答えてはきゃっきゃと沸き立つ輪。どこか困った様子ではありつつも、やはり些細な事には囚われないという風に堂々として見える悟飯の均整のとれた後ろ姿。
 一同はゆっくりと移動するその一団をしばらく見送り、誰からともなく顔を見合わせると、言葉少なに粛々と帰り支度を始めた。