悲鳴嶼の葬式で宇随に会った。
「見たかい。悲鳴嶼の顔」
「……ああ」
「あんな穏やかな顔したアイツを見るのは初めてだ」
「……そうだな」
強烈な印象の男だった。身体能力としては槇寿郎の見聞きする中で最も優れた人間だっただろう。
槇寿郎が柱だった頃から現役の四人のうち宇随と不死川と冨岡は生き残ったから、悲鳴嶼が死亡者に数えられていたのは正直意外だった。片足が捥げたところで悲鳴嶼の生命力なら到底死にそうになく思える。
実際、本当の死因は失血死ではなく〝痣〟を出した代償によるものらしい。日の呼吸の開祖に生まれつきあった奇妙な痣。それを後天的に発現させる隊士が、歴代の鬼殺隊には時折現れた。痣を出した隊士は呼吸の練度も身体能力も飛躍的に高めることが出来るが、しかしそのいずれもが二十五の歳までに死亡する。限界を超え肉体の能力を引き出した結果現れる痣は、肉体の全盛期までしか辛うじて生き延びられないほど生命力を消費するものだった。知る限り炎柱の手記にも載っていない、全てはお館様だけが把握していた事象だ。
竃門炭治郎が上弦との戦いにおいて初めに痣を出し、柱はそれに続いて痣を出す事を目標に柱稽古に臨んでいた。寿命の件は皆納得ずくであったという。
そして二十五を過ぎて痣を出した悲鳴嶼は無惨の消滅を最後まで見届けた後、定め通りに急逝した。生き残った不死川も冨岡も同様に痣を出している。あと数年後には同じ道を辿るだろう。
見舞いに行った際に確認したというそれらの事実を宇髄は淡々と述べ、そこに何か感想を差し挟むことは無かった。槇寿郎も何の反応も返さない。何を言えるものでもなかった。
話が終わる頃、焼香を済ませた千寿郎が駆け寄ってきた。
沈んだ表情で傍に寄るその頭を、宇随がぽんぽんと撫でる。
死に顔を見たくない――と、葬儀場に着いた時にとても言い難そうに申し出た千寿郎は、槇寿郎と宇随とは焼香の順番をずらしていた。
「最期のお顔を見てしまうと、しばらくそのお顔が消えないのです」
その理由を、千寿郎は肩を落としてそう形容した。
「元気に目の前で生きておられた姿を、話し掛けてくれた眼差しを思い出そうとするのに、棺の中のお顔が思い出されてしまって……。それでも兄上には数え切れない沢山の生き生きとした思い出がありますから、今はもうそのお姿を自然と思い描くことが出来ますが……柱の皆さんのことは、壮健で、お強い姿だけを大切に覚えておきたいのです。僅かしかないその記憶を忘れて、亡くなった後のお顔しか思い出せなくなりそうで怖いのです。未熟な考えだとは分かっているのですが……生きて話しておられる姿こそが、本当のその人だと思うので……」
喪に服しながら、いつも快活で生命力に満ち溢れた兄の姿を思い描こうとして、あまりにも明白で最も新しい死の肖像にそれらが掻き消されてしまう苦しさに一人藻掻いていたであろうその吐露。槇寿郎はただ、そうした方がいいとしか言えなかった。
そして伊黒小芭内の死に顔を見た時、千寿郎の自衛はまったく正解だったと思い知る。
色の白い、繊細な顔立ちの青年だった。助けた己に恩義を感じているようだった。杏寿郎と仲が良く、千寿郎にも好意的に接していたらしい。
目元まで全体を大きく幾条も割かれた顔は痛々しく、悲惨で、しかし表情だけは眠るように安らかだった。それが一層やるせなかった。一生忘れることは出来ない死に顔だろう。
式の帰り、宇随が蝶屋敷へ見舞いに行こうと千寿郎を誘った。
「ギリギリくたばってねえ奴らの顔を見に行こうぜ。重症者は寝てばっかだが、竈門妹辺りは目覚めてて暇してるからよ」
千寿郎はじわりと顔を明るくして「はい!」と頷いた。そのまま期待するような目で槇寿郎を見上げてくる。
「父上も行きませんか?」
「いや……俺はいい」
「アンタはそう言うと思った」宇随が肩を竦める。「ま、葬式に顔出すようになっただけ進歩か」
「……千寿郎が行きたがったんだ。皆、杏寿郎の葬式に来てくれていたからな」
「ふーん……」
どこか感心したような相槌をうつ宇随の横で、千寿郎がやんわり言った。
「退院までは皆さんまだかかるでしょうから、いつか父上も一緒にお見舞いに行きましょうね」
「……。」
「ねっ」
「気を付けて帰ってこい」
話題を逸らす声掛けに、千寿郎は仕方なさそうに笑って「はい。行ってきます」と宇随と共に蝶屋敷へ向かった。
それから千寿郎は定期的に蝶屋敷へ見舞いに行くようになった。
「もう皆さん目は覚ましているのですが、立ち歩くことはまだ出来ないそうです」とか、「回復訓練が始まりました。逃げる相手を捕まえられるかで足腰の回復を見るそうですよ。担当だったカナヲさんも怪我をされてるので、僕もちょっと訓練の手伝いをさせてもらっちゃいました」等、行く度に経過を伝えてくる。そしていつも最後にゆったりとした口調で「父上も今度一緒に行きませんか」と誘ってくるのだった。その度に槇寿郎は返事を濁した。
また、見舞いの帰りに時折宇随を連れて帰ってくるようにもなった。
千寿郎の飯を食いに来たと敷居を跨いでは振る舞われた飯を宣言通り美味い美味いと食いまくり、千寿郎を構いまくり、槇寿郎が普段死ぬ気で節制している酒をガブガブ飲みまくり、管を巻いて居間で爆睡して朝食も食い帰っていく。騒がしい事この上ない。
宇随は見舞いに行けとは言わないが、葬式と墓参りには行くのに見舞いには行かないというのは不健康だ、というような事を酔っ払いながら言ってくる。千寿郎を見習え、死んだ奴らのことばかり見るな、生き残ってる奴も居るんだからそっちを優先しろと。
そんな事はもう当の千寿郎のおかげで十二分に身につまされている。しかし生きている人間と動かない墓石とでは責任の重さが違うのだから足取りの重さが違うのも仕方がない。お館様の墓に酒を供えたところで墓石は何も言わないのだ。
が、そうこうしている内にとうとう退院日が決まったという。当日は忙しいだろうから前日に見舞いに行く、と千寿郎は言った。
「前にお会いした時、宇随さんもその日に奥さんと見舞いに来られると仰ってました。きっと他の方も来られるでしょう」
言い聞かせるような目が槇寿郎をじっと見る。
「父上も一緒に行きましょう」
有無を言う余地は最早なかった。
しかしやはり、躊躇いがある。
当日訪れた病室の手前、ぴたりと足を止めた槇寿郎を振り返って千寿郎は首を傾げた。
「どうしました?」
「……気まずい」
千寿郎はぽかんとした後、困ったように笑った。
「ここまで来て何を仰ってるんですか」
確かに尤もだが。手紙で詫びたとはいえ、直接会うのはあの最悪な対面以来だ。渋る槇寿郎に、やれやれという笑みをひとつ零した千寿郎は励ますように腕をぐいぐいと引っ張って、さっさと病室に顔を出してしまった。
「こんにちは! 父上早く早く。ねえ!」
「あ、ああ……」
勢いで押し切る千寿郎へ、観念して引っ張られる槇寿郎に気付いた室内の宇随が「何を遠慮してんだよ旦那!」と可笑しそうに手招きする。
すっかり親しい様子の千寿郎と笑顔で抱き合った竈門炭治郎は、槇寿郎にも至ってにこやかに挨拶してきた。
「ご無沙汰してます!」
「ああ……。……」
居た堪れなさに若干目を逸らしながら、槇寿郎は炭治郎へ対する抵抗感の正体を自覚した。罪悪感もあるが、それ以上に、引け目を感じているのだ。
日の呼吸、そして、杏寿郎の意思の継承。無惨の討伐。痣による短命を背負う覚悟。日輪刀で家族を守り抜くこと。その上で生き残り、帰ってくること。
己の成し得なかった全てを掴んだ人間だ。正反対の剣士と言っていい。
初対面の僻んだ目には、その選ばれた者の有りようが見下しているそれと見えた。
今はただ畏敬するのみだ。彼はただ、槇寿郎が選べなかった道を選び続け、その果てに辿り着いてみせた男だった。
長く息を吐き、まっすぐ目を見て感謝を述べる。諦めに似た素直な感服をもって。
「息子の……杏寿郎の鍔をつけて戦ってくれたそうだな。ありがとう。あの子もきっと喜んでいると思う」
炭治郎は全く裏の無い様子で恐縮しきり、むしろこちらの方が励まされたのだと謙遜した。
千寿郎は何も言わず微笑んで二人のやりとりを見ている。
そのまま槇寿郎も炭治郎もお互いそれ以上の言葉が続かず間が出来る中で、病室内には刀鍛冶の里の者や隠の面々が集団で一気に訪れ混沌とした様相を呈してきた。
騒がしくなる周囲を見回した炭治郎は、ハッとして刀鍛冶の一人を見た。
「そうだ! 鋼鐵塚さん!」
「ア゛ァん!?」
「すみませんが、俺の日輪刀から鍔を外してもらう事って出来ますか? 今!」
「今だぁ? 鍔だぁ? 付けろって言ったり外せって言ったり忙しない奴だなっ」
「痛っ! 痛っ! すみません! お願いします! それとも今すぐには無理ですか?」
「できらぁ!!」
指で突いていた炭治郎の額をパァンと弾いて、ひょっとこの面をした刀鍛冶はいそいそと渡された日輪刀を携え隅で鍔を外す作業に入った。
炭治郎は申し訳なさそうに千寿郎に謝る。
「ごめんね千寿郎くん。もう日輪刀の出番も無くなったし、預かっていた杏寿郎さんの鍔を返そうと思ってたんだ。でもいつも話すのに夢中になって、何より大事なことなのに、こんなギリギリに……」
「いえ! そんな……全然かまいません。僕もすっかりはしゃいでしまって……」
お互い恐縮し合う。見舞いに通う間、回復訓練で皆と追いかけっこしているのだと、いかにも楽しそうに話していた千寿郎を思い出して槇寿郎は小さく笑った。
弟が楽しんだ結果帰るのが少し遅れるぐらい、それこそ杏寿郎ならいくらでも許すだろう。
笑ったことが意外だったのか、少し驚いたようにこちらを見ている炭治郎に、先の刀鍛冶が「ほらよ」と外し終わった鍔を差し出した。
「わあ早い! ありがとうございます!」
「当然なんだよォ……」
面越しにも分かる得意げな様子でふんぞり返った刀鍛冶は、「ありがとうございます」と横から頭を下げる千寿郎に背を向けたまま鷹揚に手を上げ去っていく。
炭治郎は鍔を両手で手渡し、受け取った千寿郎の手をそのまま包んで言った。
「本当にありがとう千寿郎くん。この鍔に何度勇気づけられたか分からない」
千寿郎は少し照れたように微笑んで頷く。
そこへ不意に、「僕も助けられました」と面を付けた少年が横から挙手して言った。刀鍛冶の里の子供だろう。
「この鍔を預かって懐に入れていたおかげで、鬼の攻撃から致命傷を受けずに助かったんです。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げられ、槇寿郎と千寿郎は顔を見合わせた。
少し言葉を失くした後、どこか切なさの滲んだ微笑を浮かべて千寿郎は少年に礼をする。
「教えてくれて、ありがとう。やはり兄上は……いつも、人の命を守っておられるのですね」
細かな傷の入った鍔をそっと撫でる手に、槇寿郎も視線を落とす。記憶の中の底抜けに快活な笑顔が、また胸中を過った。
炭治郎は少し躊躇うような素振りを見せた後、言葉少なに、杏寿郎の仇である上弦の参を討ったことを告げた。
水柱と二人掛かりで、あの頃よりずっと自身も強くなり、二人とも痣も出して、それでも限りなく厳しい辛勝だったと。本当に強い相手だったと。
それだけ報告して俯いた炭治郎に、千寿郎も何と言っていいのか分からないように、ただ落涙した。
二人とも仇を倒したという事実に対して、それ以上の結論を出せない様子だった。
確かに、奪われたものに対してその勝利が返すものは本当は何も無いのかもしれない。失ったのは、そういう類のものだった。
それでも、槇寿郎は炭治郎に向けて頭を下げた。
「杏寿郎の仇を取ってくれて有難う」
そう言う事、そう思う事に意義があるのだと。今はもう解っている。
炭治郎は目を見開いた後、顔を歪め、ただ言葉もなく頭を下げて一礼した。
騒がしかった周囲は、深刻になった話に気を遣ったのか、少し離れた場所で思い思いに雑談を続けている。
賑やかな病室の片隅、暫し三人の間には沈黙が落ちた。しかし、不意にハッと思い出したような声で炭治郎が言った。
「あっ! ごめん千寿郎くん。これももっと早く言わなくちゃいけなかった! 手紙、送ってくれてありがとう!」
「……ああ!」
千寿郎もポンと手を打つ。そして不安そうに首を傾げて尋ねた。
「お役に立てましたか……?」
「物凄く助かったよ! あれで日の呼吸の最後の型が分かったんだ」
「わあ、よかったです! やっぱり、型は十三個もあったのですか?」
槇寿郎はお館様の護衛に発つ朝、千寿郎が何か言いかけてやめていた事を思い出した。それはかつての炎柱が呼吸の開祖から聞いた、日の呼吸の型数の事だったらしい。
炭治郎は頷いた。
「初め手紙を読んだ時、俺はちゃんと日の呼吸を継げていなかったんだと思ったんだ。俺が教わったヒノカミ神楽は十二の型までしか無かったから。でも、それで合ってたんだ。日の呼吸は、十二の型を一から十二まで続けて出して、また一に戻る円環にすることで十三番目の型になるように出来ていたんだ」
「えぇ……」千寿郎は驚きと困惑の声を上げた。「でも確か以前炭治郎さんは、ヒノカミ神楽は一つ型を出しただけでも体が思うように動かなくなってしまう、とても難しいものだと……」
「うん……正直俺も、頭では仕組みを理解出来ても、実際何回繋げられたのかは……。本当の日の呼吸は、その十二で円環を描いた十三の型を夜明けまで繰り返し続ける技だったみたいだけど……実際に一晩中それを出来るのは、縁壱さん――その型を作った人だけなんじゃないだろうか。本当に強い人だったみたいだから……」
炭治郎は訥々と、先祖の記憶で知り得たという日の呼吸の開祖の話をした。
知り得た経路こそ俄かには信じがたいが、その内容は概ね炎柱の書に書いてあった事と一致した。
生まれた時から特別強い体を持っており、一晩中日の呼吸の型を繰り出し続けても耐え得る体力を持ち、今の柱の皆が各々の工夫で為し得た赫刀より遥かに強力な赫刀をただ握るだけで為し得る腕力があったこと。
戦いを嫌う素朴な人柄だったが、妻子を鬼に殺され鬼殺隊に入ったこと。
無惨を逃がしてしまった事を生涯悔い続けていたこと。
しかしたった一度の邂逅でつけた傷が、四百年ずっと無惨の皮膚の下で細胞を灼き続けていたこと。
倒せずに一度で終わってしまったのではなく、その一時に加えた一太刀が、ずっと今日まで無惨を弱らせ続けていたこと。
聞けば聞くほど想像を遥かに超える規格外の話に、槇寿郎は改めて己の狭量な視野を思い知らされた。
その強さを語る炭治郎の口調もまた重い。その志を継ぎ、その技に助けられ、だからこそあまりにも絶対的過ぎる剣士としての次元の差を、感情とは異なる部分で芯から理解させられたが故だろう。
自然黙り込む二人の横で、圧倒されたように目を丸くして話を聞いていた千寿郎は、ふと呟いた。
「……今は、安心されておられるでしょうか。よりいちさんも……」
古い先祖の手記においてのみ知り得た存在。初めて知るその名を、慮るようにしんみりと口にする、剣を持たない煉獄の子孫。
そんな千寿郎の顔を炭治郎はどこか茫然とした表情で見つめた後、僅かに目に涙を浮かべ、笑った。
「うん。きっと、そうだといいな……」
