女中をこの家で全く雇わなくなったのは、千寿郎が確か十を過ぎてすぐ位の事だ。
元々煉獄家には、日が上っている間しか外部の者に敷居を跨がせてはならぬという代々の仕来りがあった。
鬼の形態は様々だが、人間と見分けのつかぬ鬼の例はいくらでもある。そして人を欺く術を持っている鬼は、それを利用して多くの人間を喰い力を蓄えているものが殆どだ。
鬼殺隊にとっての十二鬼月のように、鬼にとっても柱の首は格を上げる獲物であるらしく、強力な鬼ほど常に柱を狙ってくる。煉獄家は代々炎柱を輩出してきた家系のため、鬼の来襲には鬼殺隊との関わりが始まった頃からずっと神経を尖らせて来たらしい。槇寿郎自身も幼少の砌より注意を促されてきた。
それは危険性がどうこうというよりは、もし家内から鬼の被害が出たなどとあれば煉獄家の恥であるという、どちらかといえば権威保持のための考えに因るものであったらしい。
何にせよ以前は、日が出ている間だけは女中を雇っていた。瑠火が生きていた頃、そしてその死後も杏寿郎が鬼殺隊に入隊するまでは、朝から日暮れ前まで数名の女中が常に出入りしていた。
しかしまだ炎柱として討伐困難な現場には呼び出されていた槇寿郎と、一般隊士として方々を駆けずり回る杏寿郎が揃って家を空けるようになると、二人の居ない夜、幼い千寿郎は近所の親類の家に預けられるようになった。
更に千寿郎が小学校に通い始めると、当然夜間の預け先からまっすぐ通う事が多くなり、少なくとも午前中は基本的に家人が不在になる。槇寿郎と杏寿郎が帰ってくる時間は元より不定期だ。
そういう訳で、女中は千寿郎が放課となり在宅となる昼過ぎから夕方までに訪れて、掃除や洗濯、作り置きの食事の用意等をするという体勢になった。
幼い千寿郎が居るだけの家に余所者が出入りする状況を槇寿郎は良く思ってはいなかったが、家を手入れする人間が必要な事は確かで、それを安定して迎えられる家人が現状千寿郎しか居ないのも確かだった。幸い千寿郎は己の鍛錬や勉強をしながら女中達に可愛がられて上手くやっており、数年はそれで問題なく回っていた。
しかしある時雇っていた女中の一人が、不在と分かっている夜間に物盗りに入るという事件を起こした。
犯行を唆した情人と二人で、日中用意しておいた抜け道から忍び込み金になりそうな掛け軸等を盗み出そうとした、と後に白状した。
未遂に終わったのは、その晩煉獄邸は無人ではなかったからだ。偶々槇寿郎の任務が立ち消えになり、報せた千寿郎もその日は家に留まると言って二人で夕餉を囲み、就寝していた。
物盗りがばれただけならまだ笑い話で済んだが、あろうことか盗人は鬼に尾けられていた。女中の悲鳴に気づいて外に出ると、庭先で丁度女中の情人が喰われている所だった。藤の花の汁を塗り込んである塀の一部を、そうと知らず女中が外した為、鬼も入り込んだものらしい。
縁側で恐怖に立ち尽くす千寿郎に隠れているよう命じ、背後から鬼の首を刎ねた。弱い鬼だったため姿を見せぬまま絶命させる事は容易だったが、もし梃子摺って視認された後に殺せば、もしかしたら家の場所と、そこに住む日輪刀を持った男の顔が割れた可能性がある。鬼は始祖を通して記憶を共有出来ると言われていた。尾行を警戒し、槇寿郎も杏寿郎も日が上ってからしか寄り付かないようにしている労苦が水の泡になる所だ。
いくら罵倒してもし足りずしこたま怒鳴り付けたが、最早気絶寸前といった風情の女中を前に、千寿郎が涙目で「もう許してあげて下さい」「お連れの方が鬼に……もう罰は受けております」と頼み込んで来たので、忌々しいが矛を収めた。
女中はそこで初めてわっと感情を露わに泣き出し、顔を覆って千寿郎に詫びた。何度も何度も「千坊ちゃま、ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返す女中に、千寿郎は心を痛めた表情で、その背を慰めるように摩った。
その一件で責任を感じたものか、千寿郎は二人の不在時にも自分は一人で家に留まると言い出した。
今回は偶々父が居たから良いものの、同じ事が再びあればお前一人ではどうにもなるまいと返せば、もう女中の方を雇うのはやめましょうと言う。家のことは全て自分がやるからと。
自棄で言っているのかと思ったが、どうも本気らしかった。前々から女中の仕事を手伝いながら、家事のやり方を教わっていたのだという。
「父上がなるべく外の者を家に入れたくないと思っていらっしゃる事は知っています。私はもう一人でも大丈夫です。始めは少し手こずるかもしれませんが、きっと出来るようになります」
珍しく粘り強い調子で言い募った千寿郎は、申し出の最後にこう結んだ。
「父上や兄上のようにまだ人の助けになれぬ分、せめて違うことでお役に立ちたいのです」
槇寿郎は好きにしろと答えた。やりたいようにやらせて、不便さが目に余るようになれば再び女中を雇えばいいだけの話だ。子供の未だ小さな手で、広い煉獄邸の管理が本当に務まるなどとは思っていなかった。有体に言って、子供の飯事と思っていたのだった。
しかし想像より千寿郎の決意は固かったらしく、小さい体でよく働いた。何よりそうした小器用さが求められる仕事に関して、どうやら適正があるらしかった。
家が多少汚れていようが飯が不味かろうが最早どうでも良いと思って任せたのだが、家内の様子が雑然とする事は終ぞ無かったし、反応を伺うように供される飯は単純に美味かった。
女中を雇うのをやめると言ってもすぐに全員を首にするという事はなく、段階的に任せる仕事を減らしていったのだが、今日の飯はいつもより美味いと思ったある日に、この食事は全て千寿郎が作ったのだと一緒に食卓を囲んでいた杏寿郎から告げられ驚いた。
思わず素で、料理の才〝は〟あるのだなというようなことを言ってしまった。千寿郎は言葉に詰まり、何とも言えない顔で視線を落とした。料理の出来が良かったゆえ出た言葉だと理解した為か、はたまた自分でも思っていた事だったのか。幸い落ち込むよりも、ただ父の言葉をどう感じればいいか判じかねているといった様子だった。
一方杏寿郎は、普段どれほど邪険に扱おうと眉一つ動かさないのに、その時に限っては珍しく怒りの念を顔に滲ませ、青筋を立てて非難の眼差しを向けてきた。流石にばつが悪く、槇寿郎は最早何も言わずに黙って供された飯を全て食った。
初めは弟に家事仕事をさせる負担を気にしていた杏寿郎も、女中の一件と本人の意思を聞いてからは千寿郎の意思を尊重していた。結局その頃には槇寿郎が任務に出向く頻度も落ち、夜に千寿郎が家で一人になる事も少なくなっていたから、却って安全かもしれぬという考えもあったらしい。
杏寿郎は以前にも増して任務が終わる度に足繫く帰ってきては、千寿郎の飯がこの世で一番うまい、家がいつも綺麗で心地よい、千寿郎はすごいと逐一大声で褒め称えてやまなかった。
確かに槇寿郎からしてみても、ただひたすら鬼を狩って、それを可能にする戦力の維持だけ考えていればいい鬼殺隊よりも、千寿郎がこなしているのは余程困難な生活に思えた。
朝食と昼の弁当を作り、学校に行き、帰ってきて勉強と鍛錬をしながら掃除もし、買い物に出かけ、夕飯を作り、風呂を焚き、週末には洗濯をする。
もう煉獄家の敷居を稀な客人以外が跨ぐことは無く、以前は昼餉以外作り置きで冷めているのが普通だった毎日の飯は、常に作りたての温かいものが出てくる。
そんな生活をしながら学業の成績も頗る良いと何時だったか杏寿郎がまくし立てていたから、基本的に要領がいいのだろう。
だが千寿郎が自身の行状を語る時の声には、常に己を責める調子があった。
杏寿郎は小学校を卒業してから間もなく最終選別に臨んだ為、千寿郎もずっとそのつもりで鍛錬に励んでいた。しかし千寿郎はこの春小学校を卒業する段になっても、とうとう日輪刀の色を変えることが出来なかった。
一番最後にその報告に来た時、すみません、と千寿郎は謝っていた。それが取り返しのつかない罪であるかのように。
一般隊士が最終選別に進むには育手の推薦が必要になる。そこには実力的な足切り以外に、非政府組織に部外者を入れるに当たっての保証人のような意味合いがある。そこで行くと煉獄家の者は煉獄家出身である時点で身元の証明など不要であるため、例外的な立場にあった。
実際杏寿郎の入隊時に槇寿郎は推薦も何もしなかったが、杏寿郎は勝手に選別を受け勝手に入隊を終えている。
それでも一応名義上の育手は槇寿郎という事になるのだろう。実質的には到底言えたものではなかった。基本的なことだけは教えたが、それからは杏寿郎のほぼ独学だ。
千寿郎に関しては更に何も教えていない。幼い頃に児戯の延長で鍛錬の真似事をした記憶があるが、それだけだ。千寿郎の育手は専ら杏寿郎が務めたという事になるだろう。
しかし槇寿郎は碌に指導しない立場でありながら、自己鍛錬する千寿郎の太刀筋を側から見た上で、入隊を希望する千寿郎へ一つだけ条件を課した。〝色変わりの刀〟が変わるようになってからでなければ最終選別への参加を許可しない、というのがそれであった。
その横槍に、それでも直接指導している立場の杏寿郎も異を唱えなかった。杏寿郎も手ずから教える中で気付いていたのだろう。千寿郎の剣には、致命的に欠けているものがあると。
槇寿郎としても最終選別に行かせたくなかったのは確かだが、理不尽な課題を課したつもりは無い。結局最終選別を生き残って日輪刀を支給された所で、色が変わらなければ使い物にならないのは同じ事だ。
それは課題どころか満たさなければ話にならない必須条件と言ってもいいが、実際、最終選別を生き残ったのに刀の色が変わらぬ人間は稀に居るらしい。通常玉鋼を使った真っ新な日輪刀に初めて触れられるのは選別後に支給された時点であるから、折角合格して新規に刀を打って貰っても無駄になるという事はあり得る。
しかし煉獄家には古い先代が使っていた日輪刀が蔵に仕舞われていた。己の担当だった鍛冶師に頼んでそれを鍛え直してもらい、新規の日輪刀として十分使える状態にした上で、千寿郎に与えた。
色は変わらなかった。
初めて持った日輪刀の反応に千寿郎は表情を曇らせ、まだ剣士として未熟だからだと、鍛錬を続けることを誓った。
しかし槇寿郎が刀の反応を確かめさせたのは、剣の腕が未熟だからではない。技術だけで言うならば、今の千寿郎より遥かに力量の劣る剣士など下級隊士には幾らでも居る。それでも彼らの刀は色を変え、千寿郎のそれだけが冷たい鈍色を保っている。今に至るまでずっと。
それは決して卑下するような事実ではない。少なくとも槇寿郎はそう思っている。
千寿郎の剣から、技術でも力でもなく、しかし致命的に欠けているもの。それは怨念だ。
怒り、憎しみ、恨み、蔑み――殺気と転ずるためのそうした負の感情。形ある生き物の肉を裂き、骨を砕き、五体を断とうとするその気迫が刃に伝わった時、日輪刀は色を変え応える。色の変わらぬ日輪刀はただの刀と変わらず、鬼を滅する刃とはならない。
この煉獄家のように特殊な例を除けば、自ら鬼殺隊に志願する者などは殆どが身寄りを鬼に殺され天涯孤独となったような人間ばかりだ。鬼を恨み、怒り、憎み、蔑む者が弑す力を求めて藤の花の下に集う――それが鬼殺隊という組織の正体だ。
死とあまりにも近いその道行きをあえて選ぶ、他に生きる手立てを知らぬ人々。最終選別の参加者には圧倒的に若年者が多い。早い内から鍛錬するほど有利というのもあるが、第一には、子供に近いほど負の感情も純粋なのだ。
千寿郎の剣には鬼を殺害するためのそういった怨念が全く籠っていなかった。籠らぬどころか、千寿郎にはそうした心自体が無いのではないかと思える。少なくとも父の前で見せる態度を見る限りでは、今まで生きてきて怒った事があるのかすら怪しい。
槇寿郎も杏寿郎も、初めて日輪刀を握った時点で刀身は鮮やかな赤に染まっていた。身内を亡くしたわけでもなく、死んでゆく仲間も未だ碌に持たないまま初めて刀を握ったその心に在ったのは、個人的な恨みや怒りではない。育まれた価値観に則った、義憤と侮蔑であった。鬼は醜く、唾棄すべき、この世から滅することこそが至上命題の、例外なき害悪であると教えられて育った。
千寿郎にその心が根付かなかったのは何故か。
鬼の被害に遭った人々へ抱く同情心はむしろ人一倍あるだろう。そこから義憤を鼓舞し、悪鬼滅殺の使命を天命と説く母親が千寿郎の人生において初めから不在であった為か。杏寿郎はかつての槇寿郎から受けた影響を未だに口にするが、思想的に一番大きいのは母の影響であることは明らかだ。
あるいはこの父のせいかもしれない。
鬼殺隊に属し剣を振るっていた間に終ぞ一度も手傷を追わぬまま、始祖と戦える至高の型にまで至った、神の遣いのごとき剣士――そのようには生まれついていない卑小で脆弱な凡百の我々。
死ぬために戦うようなものだと、爾来息子達に言い続けてきた。鬼殺隊とはそういう組織なのだと。第一歩である最終選別からしてそうではないか。戦うために死ぬか、死ぬために戦うか。それしか我々には許されていないのだ。
戦って死ぬ人間が居たとして、死ぬと分かって戦ったその認識を愚かと定義してしまえば、その死の怒りを鬼だけに全て科すことは難しくなる。それは呪いを緩める別の呪いだ。
だが伝聞の中だけに生きる母親や、道を外れた姿しか知らぬ父親より、千寿郎に思想的な影響を与えるとしたらやはり兄を差し置いて他には無かっただろう。
そして杏寿郎は弟の剣の稽古に付き合い、型を教え、その志を尊重はしていたが、結局自らと同じ道を歩ませようとはしなかった。千寿郎の刀の色が変わらないことが、その何よりの証拠だ。
いつか兄上のように、と願う千寿郎を実際そのようにさせたかった――つまり、命を賭して鬼を殺させたかった――のならば、杏寿郎が本当に継がせるべきだったのはその技術というよりも、杏寿郎自身が抱く鬼への怒りだった筈だ。食われた同胞や罪もなき人々の無念、鬼の所業を呪わしく思う心を共有し、鬼殺に向ける負の情念を千寿郎も抱くようにと働きかけること。
人を守る、感謝される、そうした結果として付随する部分ではなく、その原因たる鬼への怒り、憎しみ、蔑みを共有しなければならなかった。だが杏寿郎が千寿郎に導として与えたのは、聞こえの良い陽の当たる部分ばかりだ。
結局杏寿郎は、なってほしくなかったのだろう。ひたむきに憧れてくる無垢な弟に、自分のようには。
あるいは――槇寿郎が炎柱としてまだ辛うじて任務に就いていた頃、元は人間だった鬼へ同情心を抱いているという奇特な娘が、新しい柱として一時同僚になった。
鬼と化してしまったから非道を働くだけで、人間であった頃の心がまだ残っているのではないか。それを取り戻しさえすれば殺し合わなくても済むのではないか。そんな事を本気で考えているようだった。
しかしその娘も結局は色の変わった日輪刀で鬼の首を刎ねることが出来た。いくら同情しようとも、目の前で実際に己の肉親は殺されたのだという事実が最終的には勝る。当然の道理だ。
だからもし、杏寿郎が死んだのが、千寿郎の目の前だったならば。千寿郎の刀の色は変わったのかもしれない。
どうかしている。
刀の色が変わった、鬼を殺せる力を手に入れた。それが一体何になると言うのか。
全て奪われ最早この世に縁もない根無し草ならば、奪われた恨みつらみに命ごと捧げて怨嗟の捨て石となるのも一つの途だろう。
しかしまだこの世に僅かでも縁があるならば。死にしか繋がらぬその復讐の道を歩むことは、残された者への呪いになりこそすれ、救いになることはない。
杏寿郎は悪鬼滅殺を至上命題としながら、それが千寿郎にとっても至上の目的となる事を是としなかった。
妹が鬼殺隊に居るといつかの柱合会議で言っていた、あの花の呼吸の娘もおそらく同様だったのではないか。
怨恨に塗れた復讐の道が正気の沙汰ではないことを、正しさでもって歩もうとすればするほど理解していく。そして辿り着く妥協点はいつも同じだ。歩むのは己だけでいいから、お前は陽の当たる世界を生きろという自己犠牲、自己満足。
その願いを最も阻むのは己の殉死だと、理屈では分かっている事だろうに。
そして己自身が、それを誰かに望まれた存在でもあると、知らぬわけではないだろうに。
葬式が終わってからも、参列出来なかった弔問客がしばしば家を訪れた。客人は煉獄家と縁故の者であったり、藤の家の者だったり様々だ。嫡男で炎柱も務めたとなれば未だ年若い死であろうと香典も引切り無しに届く。客の多い日は家中に線香の匂いが漂った。瑠火の葬式の後も香ったその匂いが、最早どうしようもなく不快だった。酒で鼻と口を馬鹿にしてやり過ごす外ない。
以前杏寿郎に命を救われたという人間もしばしば訪れたが、そうした縁の浅い人間は追い返した。納骨が終わってから墓参りでも何でもすればいい。
それ以外の客人は流石に当主として無下にするわけにもいかず、初めは槇寿郎も応対していた。しかし、あの痣のある隊士に託された杏寿郎の遺言を聞いてからは顔を出す気力も萎えた。
その間は千寿郎がどうにか対応していたらしい。時折家の中を密やかに動く気配と囁くような話し声がしていた。
気丈な子供だと改めて思う。
ただ、以前より早起きだった千寿郎が杏寿郎の死後ずっと、朝を通り越し太陽より早い未明に起き出すようになったのには気づいていた。
酔いの醒めきらない、清澄な夜明け前の空気にそぐわぬ泥のような意識で、小さな気配が蝋燭を頼りに仏間へ移動するのを今日も感じ取る。
ぼんやりと、遺体を燃やす前に聞いた話を思い出す。杏寿郎は夜明けと共に事切れたのだと。
ああしてこの先の人生、千寿郎はずっと黎明に兄を想い続けるのだろうか。
〝この先〟。
あまりにも現実感のないその言葉に、槇寿郎は視線の先で床に力なく落ちる己の手をじっと見た。握り続けた剣により分厚くなった手は、この期に及んでも血色よく頑健で、未だ有り余る筋力を保ち衰えは見えない。心が朽ち果てたまま、いつまでこの身は生きるつもりなのだろう。
〝体を大切にして欲しい〟。
それが何になるのだ杏寿郎。お前にとって、それが何の足しになるというのだ。
