ちょっと待ってたら終わることだから

 親御さんを診察している間、一緒についてきた小さな子の面倒を見てなさいという重大指令を受けた。
 しかし何を聞いても言われても、幼子はママと離れたくない、早く帰りたいと顔をくちゃくちゃにしてぐずるばかりで、龍太郎は隣にしゃがんだままへにゃりと情けない顔をしてしまう。
「寂しいんだよね~……。もうちょっと待ってたら終わるからね」
 幼子はうう~、と唸りながら、気持ちを持て余したように白衣に小さな頭を押し付けてきた。
 その頭をただ撫でるしか出来ない龍太郎に、隣で見守ってくれていたイシさんが言う。
「何かわらべ唄でも歌ってやったらどうじゃ」
「わ、わらべ歌っスか……? た、例えば?」
「色々あるじゃろ、最近のはよう知らんが。そうじゃな、桃太郎さんなんか今でも歌うじゃろ」
「ああ~! もーもたろさんももたろさん、おっこしにつっけたーきびだんごー、ってやつっスね! 知ってる? これ」
 しがみついている子どもに聞くと、顔下半分を白衣に埋めたままぼそりと言った。
「……しってるけど、きらい」
「アハハ、そっかあ~」
「ハッハッハ」
 微笑ましくなり、龍太郎とイシさんは破顔して笑ってしまう。
「じゃあ、なにがすき?」
「……」
 子どもはもじもじと考え込んでいる。
「確かに〝嫌い〟は分かるけど、〝好き〟ってちょっと難しいよねえ」
「お前さんは何が好きだったんじゃ? 子どもの頃」
「童謡っスか?」
「ワシに比べればつい最近のハナシじゃろ」
「いや~まあ、イシさんに比べればそうですけどお……」
 どつかれつつ腕を組んで考え込む。
「オレちっちゃい頃はドイツに居たから……あ、でも日本とおんなじメロディーの唄もあるんですよね。ハチの唄とか」
「ハチ?」
「Summ, summ, summ, Bienchen summ’ herum!」
「あ?」
 イシさんがハテナを顔に浮かべる一方で、幼子はメロディーに反応して、顔を上げて訂正してきた。
「ちがうよ。ぶんぶんぶん、はちがとぶー、だよ」
「Ei, wir tun dir nichts zuleide, flieg’ nun aus in Wald und Heide!」
「ちがうよ! おいけのまわりにのばらがさいたよ!」
 教えるように大声で日本語版を歌ってくれる子どもに、龍太郎はニコニコしながらドイツ語版を歌う。
「Summ, summ, summ, Bienchen summ’ herum!」
「ちがうよー!」
「あははは!」
 もどかしさに気をとられたのか、元気になって地団太を踏む子どもに龍太郎は笑った。
「なんぞ、呪文のようじゃな」
「先生のいたとこではねえ、歌詞がちがったんだよ」
 優しく教える龍太郎の言葉に、子どもはちょっと考えたあと、「ほかは?」と聞いてきた。
「ほか?」
「ホレ、ほかは無いんか」
「う~~~ん」
 おかわりを所望されて龍太郎は首をひねる。
「Bruder Jakob, Bruder Jakob.Schläfst du noch, schläfst du noch?」
「あっ、それ! それ知ってる!」
「Hörst du nicht die Glocken,hörst du nicht die Glocken?」
「ちがう! それもちがうの!」
「Ding dang dong. Ding dang dong.」
「右手はグーで、左手はパーで、なにつくろー、なにつくろー」
「アハハハ! そういう歌なんだ」
「面白いもんじゃのう」

 結局歌がきっかけで気が紛れたようで、子どもはその後ずっと親の診察が終わるまで大人しくしてくれていた。
「イシさんのおかげで助かったっス」
 皿を運ぶのを手伝いながら龍太郎が感謝を述べると、イシさんは受け取りながら言った。
「大したことはしとらんよ。しかしお前さんも、中々苦労しとるな」
「え?」
「言葉の違う国から越してきて、慣れるまで大変だったじゃろ」
「あ~」
 ちがう、ちがう、と無邪気に訂正する子どもの声の記憶。
 龍太郎は首を傾げて少し考え込むと、あっさり笑って言った。
「どうなんスかね。あんまり覚えてないってことは、そこまで大変じゃなかったのかも」
「なんじゃ、暢気なヤツじゃな。まあ、お前さんらしいがの」
 呆れたようなイシさんの言葉に、龍太郎は何も言わずに笑った。