茶碗一杯分の未練

 以前の儂のようにひょろりと上背を縦に伸ばしつつある鬼太郎は、既に養父である水木の背を追い越していた。
 しかし、かつてあの村で幽霊族の血をその身に取り込み幾星霜、瞬く間に移り変わっていく人の世の片隅にあって我らと同じ時間を生き、変わらぬ姿で傍に居続けてくれる水木。彼の前では、鬼太郎は未だに幼子のように甘えた様子を見せている。
 今も特になんの前触れもなく後ろから水木に抱きついたかと思うと、その身に染みついているであろう紫煙の匂いを嗅ぐようにその肩に顔を埋めて動かない。
 勝った体格での抱擁のため、抱きつくというより巻き付くといった方が近い様だが、水木もすっかり慣れた様子で好きにさせている。
「これ鬼太郎。もうお前も大きゅうなった、いい加減もう少し水木離れをせんか」
「いやです」
 定期的にしている諫言は、今回も間を置かずサクッと拒否された。
「まったく……」
「仕方ないだろう」
 煙草を指で挟み口元から離すと、紫煙を吐き出しながら水木が穏やかな口調で言う。
「生まれてからずっとお前がそのナリだったから、甘え足りないのさ。俺で埋め合わせるしかない分、少し物足りないんだろう」
「そういうわけじゃないです」
 心外だという鬼太郎の声に、水木はわかったわかったと言うようにその頭をポンポンと撫でる。
 不満げにそんな水木の横顔をじっと見ていた鬼太郎は、ふと思いついたように儂を見て言った。
「僕が父さんに甘えられない代わりにこうしてるんじゃなくて、水木さんをこうやって抱きしめられない父さんの代わりに僕がこうして抱いてるんです」
 それを聞いた水木は「ふはっ」と吹き出した。
「ハハ、何だそりゃあ。俺を抱いてどうすんだ」
「さあ……」
 自分で言っておきながら無関心な様子で片付けると、鬼太郎は水木を更にきつく抱き直して、名残惜しむように擦り寄る。
 そうしてようやく満足したのか、用は済んだとばかりに離れて行った。
 水木はそれを見送ってから儂を見下ろすと、優しい顔で笑った。
「まあ元気出せよ。抱きしめてやりたいお前の想いは十分アイツに伝わってるさ」
 風呂でも入るか? と湯を用意してくれようとする水木をしみじみと見上げて、儂は礼を言う。
「すまんな水木よ。頼めるか。……しかし、確かにのお」
「ん? 何だよ」
「いや、なに。一本取られたわ」
 確かに、ずっと思っている。我が子をこの手で抱きしめてやりたかったという想いと、ともすれば同じくらい。
 
 もう叶わないにしても、ならばせめて一度くらいは出逢ったあの時あの場所で二人並び立てている間に、この男を正面からしっかりと自身の腕の中に抱いてみておけばよかったと。
 
 もう呆れるほど永いこと抱え続けているそんな小さな未練を、慎ましやかに茶碗を満たす湯の温さが、せめても僅かに慰めてくれた。