【ネタバレ注意】プロジェクトヘイルメアリー感想

観てきました映画を!原作既読勢として!ワッペンもらいました!
というわけで感想を書きたいと思います。

ネタバレで。

もう全部、全部ネタバレ気にせず書いてます。原作と映画両方見てない人は読まない方がいいと思います!よろしくお願いします!

 

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理屈をショートカットするからこそ到達するTRUE END

なんといっても私が今回の映画で感動してるのはここです。映像化RTAしたことでしか届かないハッピーエンドが見れたこと。
原作だと上下巻に分かれるストーリーを一本の2時間40分くらいの映画にまとめるにあたって勿論色々な部分をカットしてるわけですが、その大体が言ってみれば物語に「経過のリアリティ」と「世界観のリアリティ」を付与するための筋立て部分と言えなくもないくだりでした。
それをカットしたことでつまりどういうことになったか?

以下原作と映画版との違いその違いによって何が変わったかの話をします。

カールという男の発明

原作ではグレースが最終的に宇宙船に乗ることになったのは「優秀だから」ではない、ということがエピソードと設定で丹念に強調されていたと思います。
「水をまったく必要としない生物も存在するはず」って内容の昔書いた論文を理由に、太陽の表面でも生きてるアストロファージの解析に協力させられることになる。ここは原作と映画共通です。ストラットが直々に学校まで迎えに来るのも同じです。
莫大なエネルギーを秘めており、増やしさえ出来れば原因究明の宇宙船を飛ばすための燃料問題を解決する見込みがあるという所まで分かって次の手の準備も進めてるのに、肝心の増やす方法どころか成分すら碌に分かっておらずかなり行き詰ってたんでしょう。
ただ原作の場合、だからこそ一縷の望みをかけてグレースに、というよりはアストロファージはかなり危険な物質のため、「科学者」という残機の中で一番失っても惜しくないやつからセレクトしたという感じの事を言われます。

で、成分の解析までクリアしたところアストロファージの成分はほぼ水だったため、水不要生物の権威だったグレースはさっさとお役御免になりかけたところを、「ぼくには子供たちがいます!自分の子供じゃありません、学校の生徒たちです!それでもぼくには大事な子供たちです!その子たちの未来が脅かされようとしている時にじっとなんてしてられません!ぼくは科学者です!アストロファージをください!」とストラットに啖呵をきる、エヴァの『男の戰い』みたいな熱いくだりがあって研究続行となるんですが、映画だとそういう個人的な社会的立場から発生した責任感からもう一歩抽象にずれて「地球の危機に貢献したい、人類を救いたい、という使命感が自分にもある…だからここでやめたくない…と思う…」という感じで、気持ちはあるけどちょっと自信なさげにモジモジする感じがあったと思います(原作に比べると、ですが)。
このフェーズで映画オリジナルキャラとして登場するのが「カール」というグレース世話係の男です。「でっ…でもどうなんだろう?」という感じでスケールでかい話に対する煮え切らない戸惑いを見せるグレースに「私ならやります」という短い言葉で後押しするナイスガイ。このキャラクターの発明がかなりエポックメイキングだったと思います。
原作だと同じく世話係として陸軍兵士のスティーヴという一応のネームドキャラが宛がわれますが、こっちは最初のラボ缶詰期間だけの付き合いだったし、必要なものがあったらおつかいに行ってくれるという感じの事務的なモブでした。アストロファージ繁殖方法の発見まではグレースがひたすら一人で徹夜で色々試しまくって知的好奇心と溢れるパッションによって一抜けで発見し、それを電話で報告するや否や数秒で電話切られて速攻で拉致られて正式にストラット長官率いるプロジェクト・ヘイル・メアリーに参加させられる、という流れ。

原作ストラットとしては、アストロファージの繁殖という最も重要かつ喉から手が出るほど解決を求めていた問題をクリアしてみせた+その裏にある個人的な使命感や人となりについても大体把握したことによって「使える人間」と判断して招くことにしたんでしょう。
その後は教師なので門外漢にわかりやすく説明できるスキルがある+人当たりがいい+科学オタクだし「飛びぬけたスペシャリスト」ではないものの優秀ではある、ということでいつの間にかストラットに重用されるようになっていき、たまに科学的見地からの意見や解説を求められつつひたすらストラットの横でアストロファージ牧場の経営者として端末片手に研究に勤しむという独特なポジションに収まっていきます。
グレース本人はその状況を「ストラットの可愛い科学愛玩犬であるぼく」と皮肉っていましたが、計画が佳境に入ってきたころのパーティーで周囲のメンバーからは「ストラットとデキているのでは?」と思われていたことが判明。慌てて否定しますが、それでもグレースがこのプロジェクトのナンバーツーである、という認識が周囲では共有されている事実を突きつけられます。
しかしグレースがプロジェクトの中枢にいた一番の肝は遺伝子マーカーという選別です。
目的の星であるタウ・セチは遠すぎるので、片道で4年かかります。4年密室状態で他人同士を共同生活させたら、まず統計上殺し合いになる可能性が非常に高いというデータをストラットが出します。少なくとも精神的に不安定になることは免れない。計画に支障をきたすその問題を解決するため、4年の旅程を昏睡状態で過ごさせるという案がありました。昏睡状態であれば精神衛生のために多様な宇宙食を用意する必要もなく、ただ栄養を流し込めばいいので合理的。
ただ、既に行われている長期の昏睡実験では「ある条件」を覗いて全員昏睡状態から復帰できず死んでしまうということがわかっていました。その条件というのが特定の遺伝子を持っているか否かということ。この遺伝子自体は人間以外の生物にも広く見られる古いものですが、数が問題で、総人口のおよそ7000人にひとりしかその遺伝子群を持つ人間はいません。人口にして大体100万人。その中から計画にふさわしいパイロット、エンジニア、科学者のクルーを選ばなければならない。片道切符の旅という条件に納得した上で…。
そして不幸にもグレースは適合者だったわけですね。プロジェクト関係者全員に実施された検査でそれを知ったストラットは、グレース本人にはその事実を伏せていました。おおよその性格を把握しているため、明かしたら万一のリスクを察して逃げられる可能性があると思っていた可能性があります。何にせよ現実にはグレースがずっと科学担当クルーの3人目の適格者とみなされていたこと、主要な会議にはすべて参加させたり最低限の訓練をさせたりしていたから十分対応できる状態に仕上がっていること。そしてグレースが適合者だったことは、グレースにとっては不幸でも、我々にとっては本当に計り知れないほどの幸運だと思っていることをストラットは告げます。
「こんなに長いあいだプロジェクトに関わらせていたのは中学の教師が必要だったからだと思う?」と。
グレースは絶望・錯乱します。
つまり原作グレースは「もうあなたしかいない、そしてあなたはこういう性格だし適正もあるからきっとこういう状態になればやり遂げるだろう」という類のことは言われますが、「あなたなら(あなただからこそ)できる」というような言い方は誰からもハッキリとしてもらえてないわけなんですね。

でもグレースが適合者であると判明する前、クルーを昏睡状態で送り出すという案を採用するか迷っている時、ストラットはわざわざ呼び出してまでグレースに一対一で相談しました。そうやってプロジェクトにおける重要な決定をする場面には必ず同席させて、他にはしない相談をし、周囲からプロジェクトのナンバーツーと満場一致で認知されるほど重用していたことが、遺伝子マーカーで適合していたからだけのはずはないんですよ。実際第一候補と第二候補まで用意していたわけで、その二人が一挙にロストしたことは本当に予定外の事故だったわけだし。
ストラットが言った「あなたが信じようと信じまいと、グレース博士、わたしはあなたのことが嫌いじゃないわ。あまり尊敬はしていないけれど、あなたは基本的にいい人だと思っているの」という言葉がすべてだと思うんですよね。冷たいような言葉で、実際ある面で冷たくはあるんですが、「嫌いじゃない」という個人的な感情に言及する時点で親しみを持ってたのは確かだと思うんです。
「あまり尊敬はしていない」と言う通り、グレースは子供たちの相手をするのが天職なだけあって子供っぽいところがあって、顕微鏡を覗き込みながら興奮に落ち着いてられなくて足をジタバタさせるし、ストラットの強権力をすぐ茶化す言葉を口にするし、初対面の相手との会話でも気軽に口を挟むし、丹精込めて育てたアストロファージを分け与えたくなくて抵抗したりするし、科学の話で夢中になるとすぐ本題から逸れようとするし。そんなグレースを事あるごとに諫めつつ傍に置いていたストラットの感覚というのは、やっぱり周囲が邪推したような感情を含むものではなく、グレースが皮肉気に形容した「可愛い科学愛玩犬」というのが一番近かったような印象です。犬とまではいかなくてもなんか可愛げがあったというか、臆病で生意気だけど基本的に善人だしバカ素直なんで心を許してたという感じなのかなって。そして詰んでる未来を前に一縷の望みをかける過酷なプロジェクトの中、そういう暢気な存在がそばにいたことがストラットの癒し兼支えになっていたことは確かだと思います。

そんな可愛いグレース博士をライカ犬よろしく宇宙へ送り出す他に道なしとなってしまった以上、二人の関係は「無理やり特攻ミッションに参加させた独裁者と哀れな犠牲者」という結末で終わるしかなくなってしまいました。それは無念ですが仕方のないことです。
だってどれだけ「仕方ない」かを、丁寧な事実と理論の積み重ねで描写されてしまっていたから。右も左も分からないまま目覚めたら宇宙というグレースの状況がどれだけ恐ろしく絶望的かはグレースの苦闘を追ってきた読者は痛いほど分かっているし、同時に世界がどれだけ詰んでいて、唯一の頼みの綱であるプロジェクトヘイルメアリーがどれだけギリギリの綱渡りで、グレースという存在を送り出す選択をとらざるを得ないかも嫌になるほどわかっている。
本当に悲しいことなんですけど。ですけど…!

なんと!
映画は!
遺伝子マーカーの設定とか全部カット!加えて原作ではロシアの科学者だったディミトリが行っていた実験を映画ではグレースが実行&説明してた等、代わる代わる登場する各分野のスペシャリストの役割もおおむね詳細カットorグレースにまとめた結果、原作の「遺伝子適合者+人柄とかの不思議な見どころがあるのでストラットの右腕的なポジションでプロジェクトに参加していたイレギュラーな数学教師」から、「何らかのキャリアの失敗によりたまたま数学教師をやっていた、自己評価が低くて自信がないだけの普通に優秀な科学者」というニュアンスが増し、それによって「他にすごい科学者はいくらでもいるのにあえてただの中学数学教師を重用する裏にあった打算」とかの陰謀色が薄まり!

生徒の子供達のためという個人的動機の強調をやめたことにより「本当に子供達のことを思うなら躊躇なく船に乗るはずだわ、あなたは臆病者なだけ、自分の論文を気に入ってもらえなかったからといって輝かしいキャリアを捨て自分を崇拝してくれる子供たちという安全圏に逃げ込んだ、失恋するかもしれないから本気でつきあった人は誰もいなかった、疫病のようにリスクを避けているのよ」という決定的な人格否定をつきつけるイベントが発生しなかったので、二人の関係が修復不可能な所に行く手前で踏みとどまり!

そしてこの二つの改変を、カールという基本どっしりとそこに立ってグレースを見守ってるだけの映画オリジナルキャラが「私ならやります」「あなたなら出来ます」という二言だけで上記の改変で失われた説得力すべてをカヴァーするという大活躍を見せます!!

つまり「積極的な志願じゃないし申し訳ないんだけど地球を救えるのはもうあなたしかいない」という苦渋の決断を、原作ではストラットが一人で悪役になることでグレースに課したわけですけど、映画ではカールという男による
①「長官に言われて手伝ってたけど、まるで子供みたいにはしゃいで楽しい気分で一緒に実験手伝った学校の先生やってる男がなんか世界中の誰も見付けられてなかったアストロファージの繁殖を見事成功させた」事実を目の当たりにして、迷う男に「俺ならやります」とプロジェクト継続参加の背中を押した
②その後もプロジェクトで八面六臂の活躍をするのを影ながら見守っており(再登場したことでその後もずっと近くにいたことが分かる)、土壇場になってもうその男以外ふさわしいクルーがいないという状況を目の当たりにして再び尻込みする男に「あなたならできます」と最後に背中を押す言葉をかける
という「俺は科学とかよくわかんねえけど世界を救うのはああいう人だと思う」的な後方腕組みポジになっていたことを伺わせる二言によってグレースは「無理やりそこに祭り上げられるに足る仕方のない理屈」をすっ飛ばして『主人公』の格を手に入れることが出来るわけなんですねぇ!!
これによってグレースが「ストラット個人の決断によって決定された生贄」から「世界に選ばれた不世出の天才」になるわけなんですね!!
それによってストラットのポジが碇ゲンドウから葛城ミサトに変わることが可能になったわけなんです!!

科学考証のスキップによる夢

加えてアストロファージが太陽光を遮ることによって食糧問題が発生し十九年後には世界人口が半減するだろうという気候学者の予測を覆すためストラットが温室効果を作り出すため核爆弾で北極の氷溶かしてメタンで空を覆うとか、アストロファージ大規模生産のためサハラ砂漠の4分の1を潰すとかそういう環境破壊を強権で行ったくだりも全カットになりました!

これによって何が可能になるか!?
つまりこれらのイベントが劇中で書かれてしまっていると、26年後のストラットがグレースから届いたビートルズを開封して画面越しに微笑みあうあのラストのリアリティが実現不可能なレベルに落ちる!これらのくだりがカットされたことによって初めてあのシーンは可能になったと思うんです!!

だって原作だとストラット自身が言ってたようにヘイルメアリー飛ばした後はもう出来ることはあんまり無くて手詰まりで、定期的に氷を海に投入しつつ限られた食糧を奪い合うフェーズに突入するわけで、自分は投獄されるかもしれないって言ってたし26年後グレースからのビートルズを受け取れる立場にいるか相当怪しいと思うんですよ。生きてるかも怪しいかもしれない。
何よりグレースの方に遺恨があるので、もう素直に和解できる相手ではなくなってしまってます。
しかし映画ではそう思うに至るくだりが全部カットされていて、それによって「ああ無事受け取ったんだ」というあのハッピーな数秒が「ギリギリでアリ」になるんですねぇ!!

この映画を見たことで、自分が実は原作の二人の別れ方をめちゃめちゃ悲しいと思っていたことに気づきました。気づいてなかったっていうか、深く考えないようにしていた!だって仕方なかったし!
でも本当はストラットに、グレースはやり遂げたんだって知って欲しかったんだと、それをストラットという個人がちゃんと確認できたかを知りたかったんだと気付きました。そして欲を言うなら宇宙人と会ったんだって、そんな事態に生物学者グレースは大興奮して大喜びしてたって、クルー3人無事に到着とはいかなかったって、それでもグレースは一人で頑張ったんだって、知ってほしかった!出来ることなら!

でも原作ではそれは無理でしょう。ビートルズに載せたのもタウメーバと対処法の最低限の説明ぐらいだったんじゃないかな。無事地球に届くかリスクあるし、ちょっとしか載せれないか、あるいは載せられるけど事務的なデータ以外送るなんて発想にも出なかったか。何より原作の流れに乗ったストラットは、そういう人間的なメッセージをグレースから受け取る資格がない。

でも映画のストラットは原作ほどグレースを深く傷つけなかったし、原作ほど逃げ場なく起こした事実・起こった事実・起こるであろう事実が描写されなかったから!
そういう映画の限定された流れでなら、まるで抜け穴のようにそのメッセージを受け取ることが「不可能ではない」!
そして何より、何よりですよ、そうして脱法みたいなRTA化をした果てに、ああやって画面越しに二人が「お別れ」を出来たことが…明るい気持ちで無言で一瞬腕のジェスチャーをして、ストラットが画面の中のグレースと笑い合えたことが…私は…私は本当に…もうあの数秒を見せてくれただけで…今回の映画に1兆点つけたくってぇ…!

あとグレースの結末もですよ!
例によって端折りが発生したことによってロッキーの星ではめちゃめちゃ重力が強いこととか、エリドに無事着いても食糧が無くなるからいずれ詰むとか、いやタウメーバ食えるんじゃねとか、でも栄養失調なるとか、そういうくだりが丸々カットされたことによって何が可能になったか?
エリドのグレースがめちゃめちゃ元気そう!!!!
いや流石にステキな環境が構築されすぎだろというツッコミも無問題です。エリドがどれだけ人間には過酷な環境か、そこに人間が住めるだけの環境を整えるにはどういう紆余曲折があったかという理屈をスキップしているため「エイドリアンがマイクラガチ勢だった」ぐらいで全然説明つく。想像で補完しよう。
だからグレースが関節の痛みとか脚気とか色んな病気になったり苦しんだりそのせいで普通より早く老け込んだりする苦労を偲ぶ必要もないわけです!いや実際はあるだけで描かれなかっただけなのかもしれませんが!しかし描かれなかったということが重要なわけです!「そうならなかった」可能性があることが!

理屈で構築されるリアリティ、五感で構築されるリアリティ

スターウォーズについて「宇宙空間で音は鳴らないよ」と指摘してきたファンに対し、神(ジョージルーカス)はおっしゃいました。「俺の宇宙では鳴るんだよ!」と。
「リアリティ」を作る上で、膨大な理屈を重ねて筋を通して構築されるそれよりも、「五感で感じた」というだけの事実の方が圧倒的に勝ってしまうことがあります。それが映像の力です。だって実際それが起こってるのが見えるし聞こえるんだから!幻覚を前に理性は脆弱です!

そういうチート表現を使ってやってくれたことが「努力した再現」ではなく「そういう版」だったことに海より深く感謝したい気持ちです。
いや勿論単に映像表現という部分を抜き出しても本当に素晴らしかったですよ。ロッキーの宇宙船とかめちゃめちゃ神秘的だったし、トンネルの先にある壁の透明な部分越しにロッキー見えるビジュアルとかそこで一緒に親交深めてく様子とか、想像通りかつ想像よりも素晴らしく描かれててよく映像化したなと思った。

何よりこの『プロジェクトヘイルメアリー』が他のSF作品と一線を画すところは「悲愴感がない」ところだなと思いました。明るいんですよね。
人間が宇宙へ出る話は大体悲愴感が伴います。時間のずれとか、人間を悲劇に誘うには十分なギミックすぎますからね。インターステラーとかゼログラビティは子供を思う親、トップをねらえ!とかほしのこえは愛する男を思う女、といったように日常の時間の流れと切り離された孤独な環境が、日常への未練を浮き彫りにさせる装置として機能するわけです。
でもグレースは家族もいないし恋人もいないし友達もあんまりいない!科学オタク!子供たちには人気の先生!それだけ!なにか悪いですか!?(逆切れ)という身軽な男が主人公で、全体的に漂うムードは悲愴感ではなく「やけくそ」とか「悔しさ」とか「友達と会えた喜び」とかなわけです。

兄がプロジェクトヘイルメアリーのCMを見たらしく「ロッキ~!」ってグレースが叫んでる場面見て「なんか、B級…?」という印象を抱いたらしいんですが、ある意味そういう面もあると思います。名作だけど重くない。妙な軽さとすがすがしさがある作品です。
そしてそうは言うても宇宙という人間に適さない過酷な環境を科学考証に基づいて全力でポジティブに駆け抜けているため、明るい雰囲気を失わないまま「冷静に考えると」的な悲愴感もうっすら漂ってるのが原作小説だったんですが、
映画はそういう厳密さの部分をパージした分ライアンゴズリングのアンニュイさでバランスとった結果「全力で駆け抜けたら何とかなったなあ」みたいなポジティブな感じが増していてめちゃめちゃ爽やかな仕上がりだったと思います。

最後ストラットのいる所が北極なのか、それとも本来北極じゃないところが氷河期化のせいで北極みたいになっているのか分からないけど、グレースはやり遂げたし、もしかしたら死なずに「友達」と一緒にこの宇宙のどこかで生き延びてる可能性すらあるし、何にせよもう会うことはないけれど、ストラットも届いた希望を糧に最後の責任を果たす。

あの時、唯一の希望の船に突き飛ばすように送り出した男が、本当に使命を果たしたのを目の当たりにしただけでストラットの人生もまた報われたと思うんです。
ビートルズが地球に向かっている第一報をもしストラットが聞けたならどんな気持ちになるんだろうと想像してしまうし、それは第三者には絶対にわからない。原作のそういう渋さが好きだし、だからこその名作だと思います。
でもそこにあの日裏切った中学教師からの、「色々あったけど、まあ、やっといたよ。あとはよろしく。友達待ってるから行くわ」みたいなメッセージが、記憶のまま変わらない元気そうな姿で、異星人とドタバタ楽しそうにしてる様子つきで送られてきたのを凍てつく地球で見たストラットの驚きと気持ちを想像すると、なんかもう、たまらなくなるんですよ。

例えるなら、『かまいたちの夜』で一番完成度が高くて「これがメインシナリオなんだろうな」と思わせるのは誰も死なない状態で解決したTRUE ENDではなく、一人目の犠牲者が出た後に解決するビターエンドの方だったと思うんですよね。スーファミ版だとそのエンディングにもTRUE ENDの証である「完」が表示されていたのに移植版ではBAD ENDの証である「終」に修正されて納得いかないなんて話がありましたけど。

私にとってプロジェクトヘイルメアリーの映画はそれとは逆に、完成度が高くてこれが本道だと思うのはやっぱり原作のビターエンドの方なんだけど、それはそれとして誰も傷つかないTRUE ENDもあってほしいという、そういう叶わなかった夢を叶えてくれた映画って感じですね…。
めちゃめちゃ嬉しくなっちゃったから。ぶっちゃけ劇場版の方が好きかもしれないレベルで。
だってこっちの方がファッジ(やわらかくて甘いキャンディの一種)なんだもん!!!!!

やるせなさすぎて原作軸で一本二次創作のネタを思いついてたんですよ。ディミトリ視点で、ヘイルメアリーが飛び立った後に仕事終えて引き払う準備終えてストラットに挨拶する時に「本当は彼は搭乗を拒否したのでは?」って指摘して、一番グレースと親しかったディミトリ相手なのでストラットも素直に認めて、でも彼以外いないということはディミトリも同意見だったのでグレースについて少し話して、あっさりと別れて、ディミトリが今後の世界と今後のグレースについて一人思いを馳せるっていう短編です。
でももう満足です!映画によってそういう無念が成仏してしまいました。補完されました!(関係ないですが「成仏する」と「補完される」って同じ意味合いですよね)

今はただ感謝したいです。ありがとうライアンゴズリング!ありがとうフィル・ロード&クリストファー・ミラー!ありがとうアンディ・ウィアー!
映画ストラットにさようなら!そしてすべてのチルドレンに!おめでとう!!

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