ルーラで辿り着いたランカークスの外れ、情けない顔で未だ逡巡を見せるポップに、ヒュンケルが問うた。
「何をそんなに怖がっている?」純粋な疑問だった。「口で何と言おうが、父親はお前を心配している。それはお前にも分かっている事だろう」
もっともな言葉だ。言われたポップは、自分でも分からないような顔をして呟く。
「何を怖がってるか……?」
そのまま沈黙して立ち尽くす。
ロン・ベルクはしばらく見守ったが、考え込んでいても考えが進んでいるとは思えない顔をしていたので、後ろから身体でぶつかるようにポップを押して無理やり歩き出させた。
「ひぃ!」
「オレも顔だけは出していこう」
「じゃ、じゃあ先に行ってくんない!?」
「うるさい」
「うるさい!?」
ヒュンケルもいつでも替わるという態度でしれっと共に歩き出す。ポップはしばらく押されてギャアギャアわめいた後、観念したように自分から歩を進め始めた。
全世界同時共有された地上破滅阻止の情報によるお祭り騒ぎは、この小さな村でも例外ではなかったらしい。道のあちこちに空き瓶や杯が転がり、しばしば酔っぱらって鼾をかいている人間すらも転がっていた。しかし流石にこの刻限ともなれば嵐は過ぎ去った後のようだ。村はひっそりと常の静けさを取り戻し、住民は既に明かりが灯った家々へと引っ込んでいる様子だった。
重い足取りでそれらの風景を通り越しながら、思い詰めたような表情でポップが言う。
「もし親父がおれを殺しそうになったら、どっちでもいいから止めてくれ」
「生憎オレたちは手負いだ。当てにするな」
気兼ねなく断るロン・ベルクに「クソッ……!」とポップは毒づいた。
「母さんはもっと当てに出来ねえし……つーか、母さんもどんな顔するかな……こないだ会った時も結局母さんには挨拶しないで出てきちまったし、流石に怒ってるかも……」
「怒ることなんてあるのか?」
「いや……違うな。母さんの場合正確には、怒るっていうか泣くんだよな。嘆かれるっていうか。怒られるよりキツい……」
だろうな、と口には出さずロン・ベルクは思う。
ポップの母親――スティーヌは、常に穏やかさを絶やさない女だった。喜怒哀楽という人間の言葉があるが、そこで行くと怒の感情などは端から抜け落ちていそうな人間だ。息子ですら言うのだから相当だろう。
だからその顔を思い出す時、ロン・ベルクの記憶の中に浮かぶ表情もたった二種類しかない。落ち着いた眼差しを和ませた、控えめな笑顔と……あとは一つだけしか。
ポップがいくら躊躇しようと、歩いていれば次第にこの村唯一の武器屋が見えてくる。
看板は当然既にかかっていない。店の側ではなく裏口の母屋側に回り、ポップはそこではたと気づいたように、二人に巻かれた包帯を見比べた。ノックは自分がしなければならない事に思い至ったらしい。
扉に近づいたポップは、息を潜め、敵地に突入でもするかのような深刻な顔で二人に目配せした。力んだ拳をそっと近付け、目をぎゅっと瞑るとゴンゴンと乱暴に扉をノックする。
そしてすぐさま二人の後ろに身を隠した。
◇
ロン・ベルクが魔界から地上に出て来たのは、大魔王バーン率いる魔王軍が全兵力を地上へと結集し始めた頃だった。魔物たちの移動のため、地上と魔界の境界は一時緩んだ。ロン・ベルクはそれに乗じて無理やり境界を越えた。
弱い魔族ならば越境の負荷に肉体を保てず命を落とす荒行だが、ロン・ベルクに限っては問題なかった。だから同じぐらい頑丈な魔族ならば、バーンが管理して引き入れた魔物以外にも越境した者が居たかもしれない。だが、可能性は低いだろう。
実力で及ぶ数が少ないというのもあるが、そもそも魔王軍でもないのにあえて人間の世界に来ようという酔狂を殆どの魔族はしない。
では何故ロン・ベルクが地上に来ようと思ったかというと、バーンの下についていた時に振る舞われた地上の酒が美味かったからだ。飲めなくなる前に飲んでおこうと思った。
しかし定住するとして、場所選びは慎重に行う必要があった。今後魔王軍の侵攻が始まる事を考えれば、主要な国家は避けた方がいい。第一大きな国は人間が多く煩わしい。かといってあまり人里離れた僻地では酒が調達出来ない。
どうやら地上では全ての土地に国家の支配が及んでいる訳ではないらしく、治外法権の土地や村々が各地に点在しているようだ。拠点にするならそこだろうと当たりをつけた。
各地を巡り、街の雰囲気を見て回る。金の心配はない。人間の通貨に換金するのが手間だったが、処分すれば金に出来る物品ならいくらも蓄えはあった。
前の魔王軍との戦いから年月が経っているためか、魔族を見ても人間はぎょっとした顔をするだけで、あとはなるべく関わらずに済まそうとするだけに留まった。“次の”魔王軍が来ればどうなるか分からないが。
人間の街には酒と宿屋にしか用は無かったが、その目的を果たす為だけでもうんざりするほどの人間とすれ違った。そうして思うのは、魔族だろうと人間だろうと言葉を操り社会を形成する生き物はいずれ、少なからず共通項を持つものだということだ。
特に、女は大して変わらなく見える。違うのは肌の色と、多様な生態能力の有無だけだ。それ以外は似たような振舞い、似たような行動、似たような表情で女という生き物を演じている。
あるいは寿命が長い分、人間社会にも見られる種々の要素がより強固になったものが魔族の姿というだけの話なのかもしれない。魔族は能力の個体差が人間よりも遥かに大きい。力が全ての修羅の世において、それは序列の固定化を意味する。
上層に行けぬ弱い者は強者の庇護を得るためだけに生き、得られぬ者は地を蹲うより他にない。
だから弱い者はみな媚を売り始める。男も女もそれは同様だが、女は先天的に獲得した価値があるため、より生き方が硬直的だ。他者の目に映る身体性のみをよすがに、より安全な立場を得るため強い男の所有欲を煽る。
美しさを競い、持ちえた器量を誇る、外的評価のみに立脚した自負と自我。情けを乞う振る舞い。どこを見ても同じような女ばかりで、ここ最近は大体の魔族の女に飽き飽きしていた。魔界でも強者に数えられるロン・ベルクは周囲に女が切れることが無かったが、だからこそ最早習性でしかない彼女らの求愛が浅ましく、哀れだった。
魔界を出て地上に行く、違う男を探せと最後に抱いた女に素っ気なく告げた時、女は自らの盾として使えなくなった男に対し僅かに失望を滲ませたが、かといって特に何かうるさく言うでもなかった。先の保証はない関係だという事はもとより納得ずくだった為だろう。
その代わり、女は怪訝そうに一つの問いを口にした。
――どうしてそんな所に行くの?
魔族の顔を見れば大体の人間は関わり合いを避ける。しかし、客が捕まらないらしい娼婦だけは別だった。ある程度金を持っていそうな男と見れば手あたり次第声を掛け、その相手が魔族だと気づいても、怯えや動揺を見せるのは最初の一瞬だけだ。大概誘いを取り下げずに客として数えてくる。
ある夜酒を飲むために通りがかった町の歓楽街で、気が向いて一人抱いてみた。明るい髪色をした、見た目にはこれといった特徴のない人間だったが、他の女に比べて幾分か声に落ち着きがある所が気に入った。
魔族と人間のあいだでも普通に子供が出来るというだけあって、“具体的”な構造も大した違いはない。肌の色が何色だろうが、女の体は柔く、円く、ひたすらに甘ったるいばかりだ。
誘ったもののやはり恐ろしいのか、初め女は怯えながら身を任せ、隠しきれない身の内の震えが掌に伝わってきていた。しかし真っ当な愉しみを与え、危害を加えられる可能性が無いと確信してからは、物慣れた様子で背に縋り、悦び、ありふれた“女”の顔になった。
事が終わるとすっかり警戒を解いた様子で色々話しかけてくるのを適当にあしらう。おしゃべりする気はないと態度で示され、女はつまらなそうな顔をした。
それでもしなだれかかってくる白い手を好きにさせつつ酒を飲んでいると、最後に一言だけ女は、不思議そうに質問をした。
――どうしてここに来たの?
既視感のある問いに、ロン・ベルクは酒を飲む手を一旦止める。
少しだけ考え込み、女に返したのはやはり、同じ答えだった。
「別に。意味なんかないさ」
◇
訪れた何か所目かの村で、ロン・ベルクは初めて良い感触を得た。
ランカークスという、山の麓の小さな村だ。周囲には自然も多く、村の傍には鬱蒼としているが密生してまではいない森が広がっていて、隠れ住むにはうってつけと言える。
地理的にはベンガーナとテラン、二つの国のほぼ中間に位置するがどちらの統治下でもなく、距離も十分離れていた。
それなりに居住者はあり、必要最低限のものは揃う環境が整っているようだが、賑わった街とは比べるべくもなく村全体が静かだった。そこが良いと思う。
しかし小さな村をざっと見て回るが、肝心の酒屋らしき店が見つからない。
まさか酒が売っていないということは無いだろうが、入手しにくいようであれば論外だ。そんな場所で暮らす奴の気が知れない。
酒屋が見つからないので、一度さっさと通り過ぎた大きめの通りを改めて注意しながら歩いていると、ふと、今にも外されようとしている武器屋の看板が目に入った。
店仕舞いらしく、店の者らしい人間の女が椅子を踏み台にして、慣れた手つきで大きな看板を外し両手に抱える。
しかし降りようとした刹那、置き方が不安定だったのか、足場の椅子がぐらりと傾いだ。細い体が宙に浮く。
手を伸ばしたのは何となくだった。あまりにその女がひ弱そうだったからかもしれない。
受け止めた腕の中で、衝撃に備えるように目を瞑っていた女は、何者かに助けられたことに気付き目を見開いた。
透き通ったよく光の入る虹彩に魔族の男の顔が映る。
どことなく、新鮮な印象を与える女だった。新緑の映えそうな、髪や肌の活き活きとした色濃さが目につく。それでいて、肉体そのものの物としての存在感はやけに希薄だ。男女関係なく、ある程度身体の出来上がった人間ならば持っている周囲への圧がない。戦士ならば闘気として用いるそのエネルギーを、産生する能力がほぼ無いのかもしれない。
その代わりに、こちらを見ているその眼差しに、妙な存在感があった。まったく関わりのない、完全に分断したひとつの意識が、世界を認識する側として確かにそこに在るのだと――動く生き物としてそこに在るのではなく、他者というひとつの精神がそこに生きて、こちらを見ているのだというような。
「あっ……すみません」
怯えるかと思ったが、女の顔に浮かんだのはただひたすら申し訳なさだった。
立たせてやると、看板を抱えたまま改めて丁寧に頭を下げる。
「本当に助かりました。ご親切にありがとうございます」
「いや」
ロン・ベルクはそのまま立ち去ろうとしたが、落ち着いた女の様子にふと思いつき、ついでに尋ねてみることにした。
「この村に、酒を売っている場所は無いのか? それらしき店が見当たらないんだが」
スティーヌは瞬きして、ああ、と納得したように頷いた。
「この時間だともしかしたら、丁度準備中の所かもしれません。お酒は皆、あの突き当りを左に曲がって一番奥のお店で買うんですよ。お昼は酒屋さん、夜は飲み屋さんとして営業しているお店なんです」
「成る程な。今は飲み屋の準備中……ということは、もう今日は酒は買えないのか」
「一応、飲み屋さんの間でもお酒の購入は出来るそうです。お昼もその場で飲むことも出来るみたいですし。臨機応変に営業してると、店主さんが以前おっしゃってました」
「……飲み屋は繁盛してるのか?」
「え? ええ、それなりに」
「そうか。じゃあやめておこう」
酒は切らしているが、酔っ払った人間で賑わう酒場にわざわざ近寄りたくはない。
苦い顔で即断するロン・ベルクを見て、何か察するものがあったのか、女は思いついたように言った。
「あっ。そういえば、家にまだ封を開けていないお酒がありました。助けて頂いたお礼に、一本お持ちになりませんか?」
ロン・ベルクは沈黙を返す。いらないという事を意味しないその無言の意味を正しく読み取って、女は笑顔で頷いた。
「ちょっとお待ち下さいね」
そう言い置いて屋内に引っ込むと、あまり待たせずに酒瓶を持って出てきた。
「主人がいつも飲んでいる、ごくふつうのありふれたお酒ですので、お口に合うかどうか分かりませんが……」
「いいのか?」
受け取りながら聞くロン・ベルクに、快く頷く。
「主人の買い置きですので」
「いくらだ」
「え? いえいえ、お礼ですから。差し上げます。もしあのまま転んでいたら、このお酒ぐらいの薬代はかかったかもしれませんし」
「……流石に酒代の方が高いだろう」
女はきょとんとして、少し考え込み、それから笑って言った。
「でも、おかげで私は痛い思いをせずに済みましたわ。痛いより痛くない方がいいですものね」
子供のようなことを言ってにこにこと微笑む女に毒気を抜かれて、ロン・ベルクは酒瓶を軽く持ち上げて礼とする。
「もらっていく。……今度はもっと頑丈な踏み台を用意するんだな」
言い置いて踵を返す間際、少し恥ずかしそうに苦笑する女の顔が見えた。
◇
そんな事があったからではないが、結局ロン・ベルクはランカークスのそばに居を構えることに決めた。
実際暮らし始めると、急く必要もない武器作りをだらだら続けながら、陽が沈んでは昇る嘘のように明るい世界の片隅で、日がな一日酒を飲んで暮らす生活は想像よりもずっと快適だった。
強いて言えば酒を買いに出向く際の人間の目が煩わしいと言えば煩わしい。
警戒、奇異、好奇、怯え、反感……そういったものの含まれた、伺うような卑小な視線だ。姿を見せるごとにむずがゆく肌を刺すそれは、どれも欠伸がするほど弱弱しい。殺気でも敵意でも嘲笑でもないその無害さが、却って不愉快なのは新しい発見だった。
余所者への視線は、人の出入りが目立つ田舎の方が強まる傾向にあるらしい。そういう点に限って言えば、人が多くて紛れるぶん人口の多い街の方がマシだろう。とは言っても騒がしさのマイナスの方が大きいが。どこも一長一短というわけだ。
酒は教えられた通り、日の出ている間に件の店を訪れれば買えた。店主はロン・ベルクの姿を見て初めぎょっとした顔を見せていたが、特に余計なことは言わずに注文を聞いた。ロン・ベルクはいつも同じ酒を箱で買った。あの時貰った酒だった。
酒を貰ったあの奇妙な邂逅の後、ロン・ベルクは持たされた酒瓶を前に冷静になって考えてみて、万が一毒が入れられていてもおかしくない状況だと一瞬思った。が、すぐに馬鹿らしいと思い直し、栓を開けて気にせず飲み干した。何故かあの女には嘘というものが無かった気がした。それがただの勘違いだったとしたら、己が阿呆だっただけの話だ。
酒は何の変哲もない、ありふれたごく普通の酒だった。しかし美味かった。
◇
買い置きの酒を切らし、何度目かの注文に行ったある日、日中にも関わらず珍しくカウンターで酒を飲んでいる客が居た。
いつも通り酒をケースで注文すると、店主は常よりもどこか余裕のある態度で用意を始めた。そして立ったまま待つロン・ベルクに、カウンター席からふてぶてしいと言っていいほど堂々とした視線が向けられる。まったく隠す気のない、見るために見ているというような馬鹿正直な態度に、ロン・ベルクもその男を見返した。
今まで目にした人間の中でもとりわけ強面の男だった。人のことを言えた立場ではないが、睨んでいるとしか思えない鋭い目つきが、何故かカウンターに金を置いたロン・ベルクの手をじっと見ている。
ロン・ベルクの視線に気づいた男はおもむろに声を掛けてきた。
「アンタ、同業者か?」
唐突な問いに片眉を上げるロン・ベルクに、男は自分の掌を開いて見せた。特有の部位が硬く厚くなった皮膚、独特な筋肉の付き方に、言わんとする事を察する。
男は強面の顔に案外気さくな笑みを浮かべて、自分の杯を持ち上げると言った。
「魔族の鍛冶屋なんて初めて会ったぜ。どうだい、一杯付き合わねえか」
……誘われるがまま席に座ったのは、ほんの気まぐれだった。地上に来て、住処を決めた理由と同様に。
ジャンクと名乗った村唯一の武器屋の男は、顔のわりに人望があるようだった。酒が進んだ頃店主が白状したことには、その日に限ってジャンクが店に居たのも、ロン・ベルクがそろそろ来る頃だと踏んだ店主が怖いから居てくれとジャンクに頼み込んだ為らしい。
おれも流石にいつも昼間から酒飲んでるわけじゃねえ、と断っていたが美味そうに杯を干した後では説得力がなかった。
初対面だというのにやけに馬が合い、一杯と言わずそのまま普通に酒盛りになった。思い返せば、何度かこれまで会った事のある同業者――特に真面目に武器を作っている奴――は、話せる相手が多かった気がする。
ただ、ジャンクが打ち解けた様子を見ただけですっかり警戒を解いた様子の店主の態度が不思議といえば不思議だった。己で測れずとも、信用した他人が警戒を解けば引きずられるようにそれに倣うのが人間というものなのかもしれない。あるいは上下関係の方が先に顕在化するから目立たぬだけで、魔族にもそういった性質はあったのか。
どちらにせよロン・ベルクには無縁の性質だ。そしてこのジャンクという男も同様だろう。ロン・ベルクは魔界でも変わり者だと言われて久しかったが、ジャンクには同類の匂いがした。そして見る限り人間においてもこういう性質の者は希少のようだ。
周囲との関わりにおいても曲がらぬ芯があり、中心から動かざるそれが、嘘のつけない開き直った生き方しか己にさせない頑固者。
特に、武器屋としてのジャンクの来歴の話になった時に店主がぽろっと漏らした話は傑作だった。若い頃はベンガーナ随一と言われた腕利きの宮廷職人だったのに、威張りくさった嫌な大臣を殴ってクビになった結果、今の田舎店主に甘んじているのだという。
ツボに入って声を上げて大笑いしたロン・ベルクに、ジャンクは真っ赤になって口の軽い店主を怒鳴りつけた。間抜けさを笑われたのだと思ったのだろう。店主もヘラヘラするばかりで、ジャンクは結局ばつの悪い顔でヤケ酒していた。
笑うばかりで笑った理由は言ってやらなかったが、その話でロン・ベルクはすっかりジャンクという男が気に入ってしまった。自身も似たような行いの結果、こんな場所に居る間抜けだったからだ。
◇
そろそろ店の営業は酒場に切り替わるようで、ロン・ベルクは勘定を申し出た。
ジャンクもそれに倣いながら、すっかり気を許した様子で言う。
「今度アンタがどんな武器作るのか見てみてえな」
ロン・ベルクは揶揄うように返した。
「オレも宮廷御用達の職人仕事を拝見したいもんだな」
ジャンクは「おちょくってんじゃねえ!」と怒り、清算を終えた店主は笑った。そして思い出したようにジャンクに声をかける。
「スティーヌさんにも悪いなって言っといてくれな。お前がここで飲んだくれてる間、店番しといてくれてんだろ?」
「してねえよ。今日は休みにした」
「ありゃ。繁盛してねえからって、不真面目な武器屋だこと」
「オメーが言うな」
毒づくジャンクに店主は誤魔化すように笑い、それから改めて礼を言う。得体の知れぬ魔族の素性が知れて安心したのか、すっきりした顔をしている。
「スティーヌ?」
ロン・ベルクは音を確かめるように呟いた。何者かという問いだと受け取ったジャンクが、素っ気なく答える。
「ああ。おれの女房だ」
店主が横から、これまでで一番の笑顔で付け足してきた。
「かわいい嫁さんだよ」
うるせえんだよスケベおやじが、なんだよヘンな意味じゃねえよ、とジャンクと店主が小競り合いを始める。
知っている、と言ったらどうなるかなとロン・ベルクは内心で考えた。
◇
酒場で奇妙な縁が出来てからというもの、瞬く間にロン・ベルクの存在は「ジャンクの友人」という冠詞と共に村へ周知された。その結果、向けられていた怯懦の視線は鳴りを潜め、ただそこにいる珍しい存在というような無関心にとって替わった。村に下りた時だけとはいえ、いちいち警戒した視線の纏わり付かない環境は、存外過ごしやすいものだった。やはり多くの人間の認識は、信用した他者に著しく影響されやすいものらしい。
三、四回目に飲んだ時、ジャンクが「お前の作った武器が見てみたい」と再度言うので、家に招いた。何だかんだ試作の武器類はいくつか溜まっている。あくまで作業場の試運転のためだけに作った、どれも手抜きの武器だ。しかし矛盾しているようだが、手抜きでも自信はある。
ずいぶん入り組んだ所に住んでんなあ、と立地に文句を言っていたジャンクは、家に入りいざロン・ベルクの作った武器を見せると顔つきを変えた。和らいでさえいればそこまで凶悪ではない目つきが、切れるような鋭さで刃の上を走る。品物の出来を見定める職人の目だ。こんな人相の男をコケにした大臣というのはかなりいい度胸をしていたのだろうと思う。
「……こいつはたまげた。武器そのものから殺気が漂ってくるようだ」
唸るように言ったジャンクは、夢中になって剣以外の武器類も見てとる。
「また機構がえらく凝ってるな。これは飛ばして使うんだろ? 扱うのが難しそうだが、使いこなせれば確かにかなりの殺傷力になる。こっちも……よくまあこれだけ凶悪な仕組みを思いつくもんだ」
「武器はどれだけ敵にダメージを与えられるかだろ」
「だが、強すぎてレベルの低い戦士は扱えねえ代物だな」
「弱い客はお呼びじゃないんでね。オレの武器は使い手を選ぶ」
「言うねえ」
ジャンクは上機嫌に笑った。
「実際大したもんだ。良い武器を作りそうな野郎だと思ってたが、想像以上だ」
「そいつはどうも」
「なあ。お前、おれの店と業務提携しねえか?」
「業務提携だ?」
「おう。おれの店にお前の作った剣を、特別攻撃力の高い武器を欲しがる客用に置く。売れたら売上金はお前に払う。おれの店は品揃えの幅が広がる」
「ハッ」
ロン・ベルクは鼻で笑った。馬鹿にする笑いではなく、面白がるそれだった。
「店を見てみないことには何とも言えないな。果たしてオレの剣を置くに値する店なのかどうか?」
「おお、見に来いよ。おれの武器にはおれの武器なりの良さってもんがあんだよ」
「へえ。そりゃ興味深い」
看板を下ろし閉業中の店内に、ジャンクの案内で入る。人間の武器屋に入るのは初めてだ。
広くはない店内だが、想像よりかなり品揃えは豊富だった。ジャンク自身の作った製品以外にも、他所から入荷した武器防具も一緒になって整然と店内を埋め尽くしている。需要には広く応える営業方針なのだろう。
明らかにそれ以外とは質の違う、ジャンク手製と思われる武器をいくつか手に取って見定める。
成る程、王宮のお抱えだったというだけの事はある。
細部に渡り質実剛健、いかに手に馴染み使用に耐え得るかが追及された質の高い武器だ。大体ケチな武器屋はすぐ壊れる武器を高く売って商売するものだが、剣一本からでも分かる真逆の姿勢からは店主の頑固さと世渡り下手が伺える。
初心者でも扱えるバランスの取れた実直さと、中級者の技術に応える手堅さ。
つまり端的に言って、客層が違うというわけだ。
「悪くないな」
素直に褒めると、ジャンクは照れ臭そうに「ケッ」と毒づいた。
「そりゃ合格点ってことでいいのかい」
「フン。まあ、剣の一本ぐらいは置いてやらんこともないな。気合を入れたのじゃない、適当なやつを」
「ケッ! いいさそれで。決まりだな」
ジャンクは嬉しそうに笑った。
「こんな田舎の武器屋に来る客だ。実際ほとんどはオレの武器で十分間に合う。だが、稀にそれじゃ勿体ねえ客なんかが来た時には、やっぱり少しでもふさわしい武器を用意してやれる武器屋でありたいもんだ。村に一軒しかない武器屋としてはな」
「へえ。そんな手練れの客が現れることがあるのか」
ロン・ベルクが聞くと、一瞬奇妙な間があった。
「……あったぜ。少なくとも一度はな」
意味深な言い回しに何か引っかかるものを感じ、追及しようかと思う。が、その前に店の奥から扉の開く音と、何かを置く物音が聞こえてきた。
「お。帰ってきたな」
ジャンクの表情が心なしか和らぐ。「ちょっと待っててくれ。嫁を紹介する」と言い置くと、カウンターの裏から奥へ引っ込んだ。
買い物から帰って来たらしい嫁との会話が二、三聞こえてくる。簡単な帰宅の挨拶のあと、以前から話していた魔族の友人が来ている、というような事を。
そのまま夕食の相談をジャンクは始めようとしたらしいが、嫁は「あら、ご挨拶していい?」と弾んだ声で言うと、そのまま店の方に出てきた。
そして目の前に現れた、あの日見たままの女が、ロン・ベルクの顔を見て「やっぱり」と言って笑う。その笑顔はやはりあの日見たままの、滲むような笑顔だ。
事態が呑み込めず固まる夫と、嬉しそうにニコニコ微笑む妻を前に、ロン・ベルクもニヤニヤと笑う。
「名前はジャンクから聞いたか? スティーヌ」
いかにも意味ありげに、人から聞いた名前を呼ばわり聞くと、スティーヌは細めた目の内に少し悪戯っぽい色を映しながら頷いた。
「ええ。こんにちは、ロン・ベルクさん。またお会いできて嬉しいですわ」
棒立ちになったジャンクから、鬼の形相で怒涛の質問攻めが始まるのはそのすぐ後だった。
◇
酒を買いに町に下りなければならない時は、ついでに武器屋を覗いていくのがお決まりになった。ジャンクの店は揃える武器に節操がなくて面白い。どたまかなづちという武器を見た時は爆笑した後に、作った人間と入荷したジャンクのセンス両方を本気で疑った。半分あの武器を買う人間が本当に居るのかどうか知りたくて覗いている所がある。今のところ購入者が現れた気配はない。
店を覗くと言っても他に客が居る場合はやめるが、高確率で居なかった。経営が傾いていないのが甚だ疑問だったが、昔の伝手で定期的に纏まった注文が入るらしく、何とかなっているようだ。夫婦二人が食っていくだけと考えればそれで充分なのだろう。
例によって買い置きが切れそうなので酒屋に赴く前に立ち寄ると、その日もジャンクの店には誰も居なかった。しかし機嫌良さそうに「おう」と片手を上げたジャンクは、一旦奥に引っ込むと金の入った袋をカウンターに置いた。
「お前の剣売れたぜ。また今度頼むわ」
「へえ。あえてオレの剣を必要とするような客が来たのか」
「カール出身の旅人だってよ。故郷に帰って騎士団に入る道中だそうだ。カール騎士団といえば精鋭で有名だからな。お前の剣は上級者向けだから、宣伝するんでもなくただ立てかけて置いてあるだけなんだが、その客は鞘から抜いただけでこれがいいって即決だったよ」
「ふうん。ちょうどいい、酒代にさせてもらおう」
特に関心なく金を受け取るロン・ベルクに、ジャンクはやれやれという様子でカウンターを出る。
「なんだ、店仕舞いか」
「おう。ちょうど昼だし、この後小雨が降るらしいからな。雨の時は尚更客が来ねえ。一旦仕舞いにして昼飯だ」
「いい加減な経営だな」
「開店すらしてねえ武器屋に言われたくねえ」
ジャンクは片手で軽々と表の看板を外し、店に鍵をかけて連れ立った。
「嫁はどうした?」
「用事があって夜まで出てる」
「ふうん」
「お前本当にスティーヌとは何もないんだろうな」
「疑り深い旦那を持ってスティーヌも大変だな」
「うるせえ! なんかお前の態度が意味深過ぎんだよ!」
すっかり馴染みになった酒屋の店主がいらっしゃいと声をかける。ジャンクはテーブル席に陣取り、昼飯を注文した。飯も食えるらしい。この後の営業に備えて流石に酒は飲まないようだ。
ロン・ベルクは酒を買ってさっさと帰るつもりだったが、おごるから昼飯食ってる間一杯飲んでけよと言うので向かいに着席した。一杯だとすぐ無くなるので二杯注文すると「一杯だけだっつってんだろ!」とジャンクが怒るので二杯目は自腹だと断った。閑古鳥の武器屋にたかるほど鬼ではない。
そうこうしている内に小雨が降り出した。別に濡れても問題はないが、煩わしいのは確かだ。雨が止むまでここで飲んでから出た方が無難かもしれない。
特に会話もなくだらだらと一方は飯を食い一方は酒を飲みしていると、雨に降られた男が五名、騒がしく店内に入ってきた。
男たちの顔を見てジャンクが苦虫を噛み潰したような顔になるのと、男たちがジャンクの顔を指さして声を上げるのは同時だった。
「おお! ジャンクだ!」
「武器屋が閉まってらと思ったらこんなとこで油売ってやがったのか!」
「久しぶりだなあ~!」
「うまそうなもん食ってんじゃねえか」
「ちっすジャンクさん! ご無沙汰してます!」
「一気に喋んじゃねえ! うるせえんだよ!」ジャンクが一喝すると五人は嬉しそうにひゃ~、と恐れるような仕草をしてカウンターに着席し、次々と酒を注文した。
「お? なんだ向かいは魔族か? 珍しいな」
「相変わらず妙なのとばっか付き合いがあんなお前は」
「おれ魔族って初めて見たっす! こんにちは!!」
一番若い冴えない印象の男がヘラヘラ挨拶してくる。ロン・ベルクはゴミを見るような目で一瞥した。ジャンクは凶悪な顔つきで舌打ちした。
「あのテーブルこええ~!!」
若い男は震えながら一番遠い席に移動した。他の四人は豪快に笑った。
「なんか確かに気が合いそうな魔族だあな! 特に目つきの悪さがよ!」
「ジャンクに人相の悪さで勝てるヤツぁそうそう居ねえからな」
「前に村へ賊が入り込んできた時なんかよ、ジャンクが斧持って武器屋から出てきた姿を見ただけで何もしないで逃げてっちまったもんな!」
「斧っすか!!」
「また似合うのよ斧が! あれは勝てねえわ!」
盛り上がる五人を忌々しそうに睨みながらジャンクは毒づいた。
「ったく、めんどくせえのと出くわしちまった」
「知り合いか」
興味は無いが一応聞く。ジャンクは頷いた。
「ベンガーナに居た頃のな。普段はベンガーナで定職にもつかねえでフラフラしてる連中だが、奥の二人がこの村に実家があって、たまにつるんで遊びに来る」
「フラフラとはなんだ! 職業に貴賤はねえんだぞ!」
「ついこないだカジノで大勝ちしてよお! ベンガーナでもしこたま飲んだけど、この村一つっきりの酒場にも金入れに来てやんねえとなあ! なっマスター!」
店主は笑顔で頷きながら提供のカクテルをカウンターに乗せた。
「遊び人どもがよ……」
ジャンクの悪態に、ランカークス出身者と言われた奥の二人が僻んだ口調で言う。
「おめえは勝ち組だもんなあ~。手に職があってよお、かわいい嫁さんと息子も居てよお」
「スティーヌさん全然変わらないよなあ~。可愛いよなあ~。おれ会うたびドキドキしちまうよ」
「ぶっ飛ばすぞ」ジャンクは歯を剥き出して言った。
「怖え!」
「いいだろ勝手にトキメクぐらい!」
「え、ジャンクさんとこって息子さん居るんすか?」
驚いたように若い男が声を上げる。ロン・ベルクも癪だが同じ疑問を抱いていた。
手前の男二人が懐かしそうに言う。
「ああ、新入りは知らねえか。初めてここ来た時はもう居なかったもんな」
「いるんだよ。これまためでたいことに母親似のかわいいボウズなのよ。性格は跳ねっ返りで親父似だけど」
「でも親父と違って愛嬌があったぜ。人懐っこくて」
「面白ぇガキだったよなあ。ポーカーやらせると滅茶苦茶強えの。エースのファイブカードなんざ実際お目にかかったの初めてだったぜ」
「ひとんちの息子に変な遊び教えてんじゃねえ」
ジャンクが嫌そうに言った。酒を飲みながら、ランカークス出身の男がしみじみ言う。
「今もう十四ぐらいか? 小せえ頃はおめえにあんなに懐いて、どこ行くにも雛鳥みてえにくっついてたのになあ~」
「え、じゃあ今はどこに? 留学でもしてんすか?」
若い男の疑問に、懐かしんでいた男が吹き出す。
「バカお前、そんなハイソなもんじゃねえよ! 家出だよ家出!」
「家出!!」
「てめえら、よっぽど村で揉め事を起こしたいらしいな」
地を這うような声を出し、バキバキと指を鳴らしながらジャンクが腰を上げかける。
連中は引きつった愛想笑いを浮かべながら平謝りした。
「悪い! 無神経だった! な! 人様の家庭事情にな!」
「ほらテメェが変なこと聞くからだろうがぁ!!」
「すみませんしたァ!!」
若い男が直角で頭を下げ、ジャンクは舌打ちして腰を下ろすが、睨みつけるのはやめない。顔つきのせいで控えめに言って誰か殺しそうな目つきだ。
息子の小さい頃を知っていると語った男が苦笑いする。
「ポップもおめえがおっかなくて帰るに帰れねえんじゃねえか?」
「ケッ。確かにアイツは腰抜けの根性なしだが、関係ねえよ。ずいぶん楽しそうにやってるみてえだからな」
「あれ? 音信不通なんじゃなかったか?」
「本人からはな。ただ、息子を連れてった……教師の方からは、定期的に近況報告が来る」
「教師ぃ?」男たちの胡乱げな声が被る。
「なんだ、結局まーだあの芸人みたいな旅人と一緒に居んのか」
心当たりのあるらしい男の言葉に、ジャンクはムスッとして答えない。隣の仲間が興味津々といった様子で聞き返す。
「知ってんのかい?」
「おう。ポップが出てった時分、ちょうどオレも村の方に住んでてな。姿は見たぜ」
「芸人て、大丈夫かいそいつ」
「まあ人のよさそうな男だったし、ぱっと見はマトモそうだったけどな。出で立ちが派手なだけで」
「なんでそんな怪しい男に息子はついてっちまったのよ?」
「誘拐じゃねえのか?」
「それならジャンクが黙ってるわけねえだろ。斧持って殺しに行ってるよ」
「しかし旅して教師って、何教えるってんだ。息子はなんか目指してたのか?」
回答を求められ、ジャンクは不貞腐れたように鼻を鳴らして言った。
「フン……将来のこと考えて何か目指すような殊勝なタマかよ。ただ――魔法使いの才能があるんだとよ」
「魔法使い!!!!」大げさな反応がきれいに揃った。
「高給取りじゃねえか!」
「エリートだ!」
「カッコイー!!」
盛り上がる面々は顔を見合わせて無意味に乾杯した。ジャンクが再び凶悪な面相になっているが、興奮が勝って気にならないらしい。
「なんだ初めて知ったぜ! 魔法使いかあ~! 確かに子供のわりに賢かったもんなあアイツ!」
「あの歳で才能あるってよっぽどじゃねえか? こりゃあ将来食いっぱぐれねえな!」
「ハッ。どうせ中途半端なとこで挫折して帰ってくらぁ」
「またまた~!」
「もう一年近く経つだろ? そんだけ修行が続くってことは向いてんじゃねえのか」
「どうせ帰って来たくねえだけだ」
「さっきと言ってることが逆ですけどジャンクさん!」
「うるせえ!!」
キレるジャンクに怖え〜、とふざけた悲鳴を上げて五人は笑い合う。
そのまま堅実な職業についての話題で盛り上がり出し、ようやく連中がこちらに絡んで来なくなった頃。
ジャンクがふと、苦虫を噛み潰したような表情でぼそりと呟く。
「それに、斧なんかいくつ持ったって太刀打ち出来る相手じゃねえんだよ」
やけに耳に残ったその言葉に、ロン・ベルクは件の『教師』に少しだけ興味を持った。
◇
家出息子の存在が思いがけずロン・ベルクに知れてから、ジャンクは酒に酔うと開き直ったかのように息子の話をベラベラと話すようになった。いっそ今までよく話さずにいられたなと思うほど、息子に関しては話の種が尽きぬようだ。
出てくる言葉は基本的に息子のあらゆる面を貶しているのだが、実際はそのあらゆる面を溺愛していたのであろう事が語り口からバレバレだった。基本的に愛が重い男なのかもしれない。そしてそれを自覚していなさそうなジャンクが面白かったし、息子の話自体もいちいち愉快だった。どうやら相当飛んだ息子だったらしい。昔からトラブルやおかしな出来事に暇が無かったようだ。
しかし話だけ聞く限りでは決して家に寄り付かなかった子供ではなく、むしろ甘えたで、臆病で、辛いことや恐ろしいものからは極力逃げようとする気弱な子供だったらしい。口だけはいつも威勢がいいが、後戻り出来なくなるような選択などには絶対に日和るタイプだったという。
そんな人間の子供が、甘えていた親元から突然家出して手紙のひとつも寄越さないままほぼ一年。確かに不思議な話ではある。だからこそジャンクは未だに納得し切れていない部分があるのだろう。
しかしジャンクが納得していないのはあくまで息子の行動のみであって、例の『教師』に付いていった事自体が悪い結末を招く暴挙だとは考えていないようだ。ロン・ベルクにとってはその事の方が不思議だった。ただ旅の途中で立ち寄っただけの男の、何をそれほど信用出来るものなのか。そして何より――母親の方はどう思っているのか。
閑古鳥のジャンクの武器屋も、最近は以前よりも比較的客が入っているようだ。手抜きの剣を収めるのも既に数本目になる。
買い置きの酒が最後の一本になったので、例によって酒を買いに行くついでに作った剣を届ける事にした。
店内には丁度よく客が居なかったが、カウンターに座っていたのはジャンクではなく、妻のスティーヌだった。
「あら、ロンさん。こんにちは」
乾いた布でせっせとセンスの悪い兜を磨いていたスティーヌが微笑む。
「珍しいな。店番か」
「はい。夫は依頼の話を受けに今朝がたベンガーナの方まで出かけまして、私が代わりに。最近はけっこうお客さんが来てくださるので、店を空けないようにしてるんです」
「確かに、最近そこそこ見かけるな。客を」
「でも多分、そろそろ夫も帰ってくる頃だと思うんですけど。よろしければ、中でお待ちになりますか?」
裏の母屋を示して言う。招かれたことは既に何回かあるが、しかし待つほどの用事はない。
「オレは頼まれた剣を置きに来ただけだ」
持ってきた剣をカウンターに置く。
「ありがとうございます。いつも助かります」と丁寧に剣を受け取ったスティーヌは、少し残念そうに眉を下げて言った。「そうですよね、ごめんなさい変なことを言って。最近お客さんが多いからロンさんがお店にお越しくださらないと、あの人が残念がってたので……つい」
「…………。」
気づいたら母屋のテーブルでもてなされていた。
「お口に合うかわかりませんが」
にこにことロン・ベルクのためにツマミを用意したスティーヌは、開け放した店側の扉から響いた「ごめんくださーい」という女の声に「はーい!」と返事をして、「ちょっと失礼しますね」と言い置くと小走りで店側に戻っていった。
初対面の時といい、どうもそそっかしい所がある気がする。今も閉め忘れた扉越しに店内の会話がロン・ベルクの方まで筒抜けだった。
「いらっしゃいませ。あら、しばらくです」
「お久しぶりねえ。悪いんだけどこれ、また頼めるかしら? 最近切れ味が落ちちゃって」
「ええ、もちろん。お預かり致します」
「ごめんねえ。最近忙しいんでしょう? 遠慮しようかしらと思ったんだけど」
「いえいえ、いつでも大歓迎ですよ。それに大事な商売道具ですもの、いつも砥いでおいた方がいいですわ」
「助かるわあ。ここで研いでもらった後は魚一匹捌くのでも大違いなのよ」
……どうやらここでは包丁研ぎもやっているらしい。確かにしようと思えば武器にはなるが。平和な田舎で武器屋が身を立てていくための生存戦略だろうか? 涙ぐましいことだ、オレには武器屋を名乗りながら料理用包丁を砥ぐなど絶対に出来ない。ジャンクが来たらそう言って揶揄ってやろう、とロン・ベルクは思う。
「今日はスティーヌちゃんが店番に立ってるって聞いて、あらじゃあ今のうちに頼みに行かなくちゃって」
「うふふ、よかった。いつでも受け取りに来てくださいね。何なら明日もこの時間帯は私が店番ですから、その時にでも」
「あら~じゃあ明日もこの時間帯に来るわあ。ジャンクさん相手だと私緊張しちゃうのよお。迫力があるっていうか」
「よく言われるんですよ〜」
「おほほほ。いえ、悪い意味じゃないのよ?」
「わかってます、うふふふ」
しかも顔が原因で客足を遠のかせているようだ。人間相手の商売は大変だなと思う。
人間の中では年嵩と思われる女の声は、続けて懐かしむように言った。
「ポップちゃんが店番の時も来やすかったわねえ。いつも手伝って偉かったわあ」
「そうですねえ」
「相変わらず帰ってくる気配は無いのかい?」
「ええ……」
スティーヌの苦笑の気配が伝わってくる。
「心配よお。なんでも最近大きい国の方じゃ、魔王軍が攻めてきてるって話じゃないか。十五年前、やっと平和になったと思ったのにねえ」
「ええ、本当に……」
成る程、最近この武器屋が繁盛しているのも、いよいよ始まったバーン率いる魔王軍の地上侵攻で需要が高まっているためらしい。戦争が起こった時に一番儲かるのが武器屋という職種だ。
客は納得がいかないという憤りを滲ませた口調で話を続けた。
「何の勉強だか知らないけどさ、危ないから親元に返そう、とは思わないもんなのかね? その連れて行った人も」
「そうですねえ……。でも少なくとも、ポップが帰りたいと言えば帰してくれる方だと思いますから。帰ってこないという事は、まだ本人が納得していないことがきっとあるのでしょう」
「そんなもんかねえ……。まあウチの息子みたいに、いい歳してずっと実家でダラダラしてるのも考え物だけどさ」
「いいじゃないですか。親としては、近くにいるのが一番安心ですよ」
「まあねえ……そうよねえ……。ああそうだ。近くと言えば、最近よくジャンクさんと魔族の男が一緒に飲んでるみたいねえ。大丈夫なの? 魔王軍の一味じゃないのかしら」
……息子の話といい、ズケズケと言いたいことを言う客だ。
スティーヌは軽やかに笑って言った。
「結構前からお友達ですし、違いますよ。それにもし魔王軍だったら、こんな田舎の村であんなに毎日のんびりお酒を飲んでたら怒られてしまうんじゃないかしら」
案外スティーヌも言う女だ。
客は「それもそうねえ」と納得し、大体満足したのか、いくつか他愛ないことを喋って店を去っていった。
ロン・ベルクはカウンターに続く戸の前まで歩み寄り、預かった包丁類にタグをつけているスティーヌを後ろから見下ろす。案外包丁の種類が多い。料理屋か何かだったのかもしれない。
「……オレが砥いで、まな板まで切れる切れ味にしてやろうか?」
声をかけるとスティーヌは目を丸くして振り返り、そして開きっぱなしの戸を見て「あっ」という顔をした。
申し訳なさそうに苦笑して謝る。
「それはちょっと用途的に……。すみません、戸を閉め忘れてしまって。うるさかったでしょう」
「愉快な部分もあったがな。しかし、依頼に来たというよりはお喋りしに来たようだったが」
「ふふふ、半分そうかもしれませんね。小さな村ですし、色々と情報が耳に入って、確かめたくなるのでしょう。悪気はないんです……お気を悪くしないであげてくださいね」
「オレは別に構わないが。ただ、息子が出ていった相手に出ていかない息子の話をするというのはいい度胸だと思ったな」
「それは……本当のことですから。仕方ないですよ」
寂しそうに微笑むスティーヌに、酒を飲みながら聞く。
「魔法使いの修行中だと聞いたが?」
「……ええ。そう聞いています。アバン様のお手紙で」
「アバン? ……ああ。例の『教師』か」
「はい。ロンさんは、魔王ハドラーと、それを倒した勇者のお話をご存知ですか?」
唐突な問いを訝りつつ、ロン・ベルクは頷く。
「話だけは流石にオレでも知っている」
「その勇者様が、ポップをつれていった方なんです」
ロン・ベルクは少し沈黙した後、素朴な感想を言った。
「……大物だな」
スティーヌは小さく笑って、当時を思い返すように遠くを見る。
「ここにいらっしゃっていた間は身元を明かされなかったので、私たちは旅立った後に頂いたお手紙で、そうと知ったのですが……」
「息子は知ってて付いていったのか?」
「いえ、おそらく知らなかったでしょう。先の戦いはあの子にとっては物心つく前の昔話で、本人も勇者の英雄譚に憧れる性格ではありませんでしたし……もしかしたら、今も知らないかもしれませんね。あえて名乗る方ではなさそうでしたから」
「おかしな息子だな。勇者と知って弟子入りしたというなら、分からんでもないが……それとも、その“勇者”から見てよほど見込みがあったのかな。ただでさえ魔法使いは大成するまで時間が掛かると言われている。まだ若く、女でもないのに初めから魔法使い一本に絞るというのはあまり聞かない話だ」
「どうなんでしょう。私には詳しいことは分かりませんが……でも、そうですね。お眼鏡に適う何かはあったのかもしれません。昔から、不思議なところのある子でしたから」
「不思議?」
「うまく言えないんですが……起こらないはずのことが起きたり、わからないはずの事がわかったり。そういう所のある子でした。だから、いつかそんな日が来るんじゃないかとは思っていたんです……ずっと」
「……息子が家出する日が?」
「そうですねえ、どちらかと言えば……どこか遠くに連れて行かれてしまう日、でしょうか」
「だが、その教師は息子に会いにこの村を訪れたわけでもないし、息子の家出は自主的なものなんだろう」
「その通りです。アバン様が訪れたのは偶然で……でも偶然だからこそ尚更、避け得ない出来事だったような気もするんです」
「……よく分からんな」
「ロンさんは……自分では偶然だと思っていたことが、本当は誰かに決められていた事だったのかもしれないと、ふと思ってしまうことってありませんか?」
突然の問いに、ロン・ベルクは片眉を上げて考え込んでから、肩を竦めた。
「ないね」
ばっさり否定しても、スティーヌは穏やかに笑う。
「そうですか。私はたまにあるんです。理由なんて別にないつもりの行動でも、あとになって実は何か、こう……見えない糸のようなものに引かれていたのかもしれないと。そう思うようなことが」
「……何者が引いた糸だと言うんだ。神か?」
「さあ。それはわかりません。でも何か、引かれる意味のある糸なんじゃないでしょうか」
言いながら、伏せられた柔らかな眼差しが翳る。
室内に差し込む陽は仄かに茜色に染まってきていた。天より低く垂れてきた日光が照らす横顔の稜線を、暫し眺める。
「……じゃあ息子が家出したことも言うなれば、大いなる意思のようなものの働きによる必然だったと考える事が出来るわけだ。しかしその割には……納得した顔に見えないな」
憂いた瞳は、苦笑を浮かべ損ねたまま揺れた。
「そう割り切れたら、いいのですけど……私はその日が来ると思いながらも、その日が来るのをずっと恐れてもきたのです。だって、もし見えない糸に引かれて世界が動いているのだとしても、私たちは糸の先に待つものを知り得ないでしょう。だからこそ得る幸せも、勿論あるのですが……」
「ならばその糸の存在は、この世の出来事は己の力でままならないものだという証明にしかならないな」
あるいはそれは真実ではある。人間の世界はもうじき終わる。その必然性を分かっていたとして、既に張られた糸をどう出来るものでもない。糸を引いているのは大魔王だ。バーンは魔界の神を自称していたな、とぼんやり思い出す。
ロン・ベルクの言葉に少し黙り込んだスティーヌは、ふと口元を和らげて言った。
「そうかもしれません。でも、それはつまり……心だけは自分だけのものであることの、証明でもあるんじゃないでしょうか?」
「……それに何の意味がある?」ロン・ベルクは嫌味ではなく、単純に疑問に思って聞いた。「糸は状況を動かすばかりで心を置き去りにする。その結果、アンタはどうしようもないと知りながら嘆くような羽目に陥る」
「ええ。止められないと知りながら、それでも帰ってきて欲しいと願って……仕方がないと分かっていながら、アバン様をお恨みしています。何もこんなに早く連れて行ってしまわなくても、と」
恨みという、目の前の女から吐き出されるには意外な印象を与える言葉に、ロン・ベルクはまじまじとその顔を見下ろした。
スティーヌは最早ロン・ベルクを見てはおらず、ただ此処ではない何処かへと向けた眼差しを地に落としている。あるいは件の、見えぬ糸を見つめているように。
沈んだ表情に滲む悲愴に激しさはなく、流れる世にあって人知れず冷えて結晶する、独りの静かな憂愁があった。
雨水が僅かな水溜まりを作るように、瞼の淵に少しだけ盛り上がった雫が、夕陽を透して茜色に光る。
この女は悲しそうな表情が映える顔なのだなと、その時ふと思った。
独り言のような密やかな声が呟く。
「けれど、そうやって思いがけず離れていくものを想う時の悲しみは……それが思いがけず舞い込んできた幸福さの、裏返しでもあるのですわ……」
ロン・ベルクは、言葉を返さなかった。
同意したというわけでもない。反論があるというわけでもない。
ただ、単純に口よりも目を使うことが優先された。女を綺麗だと思ったのは、久しぶりの事だった。
◇
魔王軍の盛況ぶりは、この辺鄙な村ですらも日増しに伝え聞くようになってきた。
ジャンクは気にしない風を装いながら「魔王軍と戦う勇者が今回も既に出てきているらしい、どうもアバンという名ではないらしいからウチの馬鹿息子は関係なさそうだが」などという話を酒の席でしていた。ロン・ベルクは話半分に聞き流した。
バーンやミストバーンが表に出れば一瞬で片が付くものを、どうもその二人は前線には出ていないようだ。今は配下に雑魚狩りをさせているに過ぎないとすれば、件の勇者の戦いもバーンにとっては余興に過ぎないのだろう。
どれだけ時間をかけるつもりか知らないが、相変わらずいい気なものだ。人間の国を滅ぼすつもりなのはまず間違いないだろうが、どの程度徹底するつもりなのか。無人の荒野となった地上に異界を跨ぐ神として君臨するつもりか、それとも?
何にせよ勝敗の分かり切った抗争などつまらないものだ。いつまで酒を飲んでいられることやら、と虚無感に包まれ思う日々が過ぎる。
森の奥の小屋に、ジャンクが妙な連中を連れてきたのはそんなある日のことだった。
「息子の友達なんだ、話を聞いてやってくれ」
どうも、例の家出息子が帰ってきたらしい。
明らかにそれと思われる子供をまじまじと見る。初めは威勢よく警戒していたが、目の前の魔族が父親の知り合いだと判明し、困惑したようにロン・ベルクを見つめてくる顔。なるほどスティーヌにそっくりだった。
しかし顔立ちは似ていても、不思議なことに母親の纏う穏やかさは息子には皆無だ。跳ね返った髪質のせいだろうか。何というか、根底にうっすらと生意気さが漂っている。父親のふてぶてしさが遺伝したのかもしれない。
おかげで伝え聞いた話から想像していたよりも真っ当に男らしい男に見えた。ただ、肉体的な威圧が無いのはスティーヌと同じだ。良い意味で女の甘ったるさを感じさせないスティーヌの素朴さが、息子の場合は男の厳めしさを感じさせない軽薄さとして表れている。それが良いことなのかは分からないが。
どうやら例の魔王軍と戦っている勇者、というのは子供ばかりのこの一団のことらしい。他人事だが人間の世も末だなと思う。
強力な武器があれば、と話す子供の絵空事を一笑に伏した。馬鹿馬鹿しい話だ。端的に言って魔王軍、ひいては大魔王バーンというものをナメている。
手短に断ると、気短なのは父親譲りらしい息子が突っかかってきた。
「……それともアンタは魔族だから魔王軍の味方ってわけか!?」
言いたいことを直球で言う顔を見やる。そうだと言ったらすぐにでも見切りをつけて出ていくだろう、正面切って憤りを露わにした表情。ロン・ベルクは感心した。よく似た顔でも息子はむしろ、こういう激しい表情の方が映える。親子とは面白いものだ。
少し丁寧に理由を説明してやろうという気になったのは気まぐれだ。しかしそれが結局は、創業以来最も気合を入れて剣を作るような始末になってしまった。
たがそれも仕方がない。長年鍛冶師として目標にしてきた神々の造りし真魔剛竜剣を、素材は及ばずながら真面目に作ったかつての己の武器が折ってみせたと言われてしまえば興奮もする。しかもどういう縁なのか、伝説の金属オリハルコンを即日調達可能ときた。掛かる時間や実現性を考慮せず、それだけは負からないと期待せず放った条件だったというのに。即クリアされてしまった以上、即着手せざるを得ない。
人間ではないが魔族でもない“勇者”を名乗る子供の正体は、神の造りし戦闘種族、竜の騎士だという事も手を視る最中教えられた。滅多なことでは自己修復し永らえる筈の己の武器が耐えられなかったという話も頷ける。真魔剛竜剣といい、こうも伝説上の存在をポンポン身近に出されると、魔界の名工などという呼び名も虚しいだけだ。
しかも縁遠いと思っていたそれらの存在をロン・ベルクの元まで引き連れてきたのは、例の家出息子だという。一団の中で唯一鍛冶屋としてのロン・ベルクの名を知っており、親が零した人名に関連を見出し紹介をせがんだらしい。
ここまで来るとスティーヌの言っていたような、裏で糸を引く何らかの意思の介在もあながち絵空事ではない気がしてくる。
しかし導かれた所で、その行き着く先が見えない事にはやはり変わりない。例え地上最強の武器を作ろうと、その使い手が最強の生物として生み出された者であっても、尚その上を行くのが大魔王バーンという存在だ。
かつて己が作った武器を大魔王が使用したと知り、送り出した一行も確実に一人二人は死んだだろうとロン・ベルクは思った。ともすればあの家出息子は一番危ういかもしれない。
しかし少なくともダイとヒュンケルは生きているらしい。帰ってきた武器を修理してやるため一旦ランカークスに戻ることを申し入れると、パプニカの面々が移動手段の手配を申し出ると共に、額を地に擦りつける勢いで頼んできた。必ず皆生きて戻ってくる、だから全員分の武器をどうか作ってくれと。
乗りかかった船だと数日間フル稼働で作ってやったのは、流石に自分でも暇人だと思う。ジャンクとスティーヌも毎日手伝いに来た。
魔槍は修理、ダイの剣にはそれに加えて己で考えたギミックを鞘へ付けるとして、新しい武器の方はバダックの情報だけを頼りに作らなければならない。
それでもパワータイプの拳と斧は用途も限られるため、性質もすぐに決まった。だが魔法使いの杖は武器の中でもかなり効果や形状に幅があるため、少々難題だった。
「よく動き回る方か?」明らかに機動性を重視した簡易な装備の姿を思い出しながら、バダックに尋ねる。
「ええ! 飛翔呪文でそこら中を飛び回って、戦闘中は一番身軽に動き回っておりますわい!」
「アイツが……?」ジャンクが怪訝な顔をした。
「魔法力はそれなりにあるのか」
「それはもう! かつての勇者パーティーだった大魔導士マトリフどのに鍛えられとりますからの! 何やらメラゾーマをいくつも同時に撃ち出すような凄まじい呪文も使うほどで」
「あの子が……?」スティーヌが首を傾げた。
「ほ、本当なんじゃが……」バダックは頭を掻いた。
結局家出息子には、大魔王の愛用武器と同じ機構の武器をくれてやる事にした。ただし光魔の杖よりも遥かに改良された、間違いなく上位版だ。
「アイツには勿体ねえ武器だな。果たして使いこなせるのかね」
出来上がったブラックロッドをしみじみと眺めて、ジャンクが言った。
「さあな。これで大魔王に一矢報いられれば面白いんだが」
かつて武器屋としてやる気を失くした原因があの光魔の杖にあると言ってもいい。より優れた今のこのブラックロッドがバーンと相見えたなら、これほど溜飲の下がる話も無いだろう。
しかし冗談半分だ。口調からそれをジャンクも読み取ったのか、肩を竦めた。
「……あのクソガキにゃ畏れ多すぎる話だ。この武器も、大魔王とのケンカなんつーのも」
この数日で、浮遊するバーンパレスから世界各国に無差別爆撃が行われている。然程本数があるわけではないようだが、地上で安全な場所は最早無いと考えた方がいいだろう。
武器全てが入る荷台をジャンクとバダックが表で急ごしらえする中、スティーヌが机上に並んだそれぞれの武器を布で包む。
「もし糸の引かれ切った先が、破滅だったらどうする?」
武器の説明書を走り書きながら、ロン・ベルクは唐突にスティーヌへ聞いてみた。
この数日言葉少なに手伝っていたスティーヌは、ロン・ベルクの問いに少しうつむいて考え込んだ後、ふと口元を綻ばせる。
「……糸の先を知り得ないと、この間は言いましたけれど……いつも一つだけ、分かっていることがあります」
「それは?」
「まだ糸は引かれ切っていない、という事です」
ロン・ベルクは虚を突かれ、スティーヌを見上げる。スティーヌはまっすぐロン・ベルクを見つめて言った。
「何にでも終わりがあって、それでも、終わる場所が分かっている人なんて誰もいません。貴方も、私も、あの子も……きっと大魔王すらも。なら糸の先に辿り着くまで、きっとこの糸は良い糸なんだって思って、一生懸命頑張るしかありません」
そして瞳を和ませると、頭を下げた。
「素晴らしい武器をあの子たちに作ってくれて、ありがとうございます」
ロン・ベルクはその頭を暫し言葉なく見つめてから、ふっと笑みをこぼした。
「……人間の心は、やはりよくわからんな」
言いながら、嘘のような声音になった。
スティーヌも首を傾げて、ロン・ベルクの言葉を真に受けていない様子で、微笑み混じりに聞き返す。
「そうですか?」
きっとわかるだろうと言うかのように。
だが確かに、全て分からないまでも、分かってきたことはある。
例えばそこに在るものを、己と異なる在り方だと理解した上で――それでも、好ましく思うこともあるのだというような事は。
先が見えている、といくら口先で言ったところで、予言は予言だ。実際に現実として目の前に起こっているという訳では未だない。
目に見えぬ運命論を否定しておきながら予言を支持するのは、フェアではないだろう。
だから、試してみる気になった。
確かに終わってはいないのだ。どう考えても先が見えているとしか思えない無駄な足掻きの最中であっても。
人間たちの縋り付いたその糸の先を、この目で確かめてみるのも悪くないと思った。
そしてその途中で、分かり得ないと思った人間の心の在り方を、こういうことなのだと身をもって示す青年にも出会うことになった。
結果、どういうわけか地上は無くならず、こうしてロン・ベルクもまだ事切れてはいない。
◇
ノックの直後、室内から荒い足音が響き、扉は凄まじい勢いで開け放たれた。
目を見開き、深刻な表情をしたジャンクがそこには居た。来訪者をずっと待っていたのだろう。そして確実に待ち人ではないロン・ベルクとヒュンケルの二人を視界に収める。
三者の間に三秒ほど沈黙が流れた後、ジャンクは何かを堪えるように目を伏せて震え出し、不意にぬっとロン・ベルクとヒュンケルの間に太い腕を突き出した。
「うわぁ~!」
片手で頭を鷲掴まれたポップが、情けない悲鳴を上げながら二人の間から引きずり出される。
「な、なぜ……っ!? 完全に死角だったはず……!!」
「ノックの音がお前なんだよ!! つまんねー小細工してんじゃねえ!!」
「ぐあああ!」
抱え込んで首を絞める腕に、叩いて降参の意を伝えるポップへスティーヌが駆け寄ってきた。
「ポップ!」
状況など目に入らないような真剣な顔で呼びかける妻に、流石にジャンクも比較的すぐポップを解放する。
へろへろになって放り出されたポップの頬を両手で包み、気遣わしげに息子の顔をじっと見つめると、スティーヌは言った。
「まだ……ダイさんは見つからないのかい?」
ポップは目を見開く。
「なんで……」
「顔を見たらわかるよ。こんなに落ち込んでるポップ見たことないもの」
頬を撫でられ、表面上は落ち着いていたポップの表情が、みるみる弱弱しくなる。
「午前中にこの村にも、ダイ君らしき男の子を見つけたら一報をってお触れが届いてね。私たちもこの辺りを随分探したんだけど」
「……。」
「心配だねえ。ポップのことだから、もしかしたら今日は帰ってこないんじゃないかって話してたのよ。でも……ポップが無事に帰ってきて、よかった」
スティーヌの瞳から涙が滲み、零れる。
いつかは瞼に留まっていたそれが溢れるところを、ロン・ベルクは初めて見た。
光る雫は白い頬を伝って静かに落ちる。
安堵と愛情を映した表情は、悲しみに染まったそれよりも尚一層鮮やかだった。
「大変だったねえ」
「……うん……」
「疲れたでしょう。怪我はないのかい? お腹は空いてる?」
「……ないよ……」
返事をする声は掠れて震えている。
肩を落として今にも泣きそうなポップに、横で見ていたジャンクは大きくため息をついた。複雑そうなそれは、それでもやはり大きな安堵の色を帯びていた。
無骨な鍛冶屋の手が息子の頭に置かれ、荒い手つきで撫でる。
「……頑張ったな」
ぶっきらぼうに父から言われた言葉に、ポップはとうとう大粒の涙をぼろぼろ流して泣いた。声こそ出さなかったが、その顔は子供そのものだった。
改めてロン・ベルクとヒュンケルに挨拶し、椅子を勧める両親へポップがべそべそと鼻をすすりながら説明する。
「二人とも怪我してて、しばらくおれが回復魔法かける必要あるから……ヒュンケルしばらくウチに泊めて……ロン・ベルクも両腕使えないから……」
「ええっ」
ジャンクとスティーヌは動揺した。
「両腕使えないって、大丈夫かお前!」
「そんなにひどいんですか?」
顔を曇らせる夫婦に、ロン・ベルクは引かれた椅子に座りながら、顎でポップを示して答えた。
「なに、命には別条ない。腕もある程度はお前らの息子が治してくれる予定だしな」
「治すって……お前魔法使いなんだろ」
「昨日賢者になった……」
「は?」
日常の些細な出来事のようにあっさり言われてジャンクは怪訝な顔をする。
「でもちょっとずつしか治せないから時間かかる……」
言いながらポップはロン・ベルクの肩口に触れて、あの回復治療を軽くやってみせた。べそをかきながらでも可能らしく、技術の高度さと本人のふるまいとの落差にロン・ベルクは呆れる。
息子の手元から起こる回復魔法の神秘的な光に、両親は半ば唖然として感心した。
「すごいのねえ、ポップ」
「お前が賢者って……この世で最も似合わねえ称号だぞ」
「だからおれのことは大魔道士って呼んで……」
「は? 早速調子に乗ってんじゃねえ」
決して誇張ではない筈なのだが、両親相手だとどう言っても滑稽にしかならなそうだった。
「ヒュンケルさんも腕を?」
椅子を引いて勧めながら、心配そうに言うスティーヌにヒュンケルは恐縮する。
「オレはそこまででは……」
「コイツはロン・ベルクほど酷くはないけど、全身まんべんなく怪我って感じ」
「まあ……」
ポップの説明に表情を曇らせるスティーヌにヒュンケルは心なしかおろおろしている。若さに似合わぬ常の沈着ぶりが形無しだ。
三人を座らせ、夫婦はヒュンケルの寝床の用意のためにバタバタと家の中を行き来し始めた。
居た堪れなさそうに、しかし迂闊に声も掛けられず背筋を伸ばしてそんな二人を見ているヒュンケルの横で、完全に脱力して椅子に凭れたポップがぼんやりとした口調で言った。
「……おれ、なんで帰るのが怖かったか分かったわ」
「……どうして怖かったんだ?」
ヒュンケルが聞き返す。
ポップはテーブルに置かれたコップを手で弄りながら答える。
「なんか……安心しちゃうじゃん。色々と、何もかも大丈夫なような気になってきちまう」
「……ああ」
「それが怖かったんだ……」
視線を落として、沈んだ瞳を揺らす。そうした表情を浮かべると、本当に母親に似ていた。
ヒュンケルはじっとその顔を見て、諭すように言う。
「良いことだろう。それは」
「そうかな……」
「ああ。必要なことだ」
ポップは少し黙って、同意でも反論でもない「うーん……」という唸りを返す。
「ずっと気を張っていたら、見つかるものも見つからない。休める時は休め」
「……いいのかな……」
呟くような声だった。
今の状況がポップに与えているダメージは、想像以上に大きいらしい。
ヒュンケルは眉を寄せて、何か言葉を探していたようだったが、結局黙り込んだ。
代わりにロン・ベルクは言った。
「お前が不安でいればいるほど状況が良くなるわけでもないだろう」
「まあね……」
「五分以内に爆破を阻止すれば良かった今朝と違って、先は長いんだ。ダイがお前から逃げるわけでもなし、無駄に焦るのはやめときな」
「……まあねえ~……」
はあ~、と大きなため息をついて、ひとまず納得したのか、ポップは色々なものを飲み込むようにコップの水をゴクゴクと飲み干した。
「おい、ロン」
「げほっ!! ごほっ」
後ろから急にジャンクの声がした事で驚いたのか、ポップは派手に咳き込む。
「お前も両腕使えないならウチに泊まるか?」
「遠慮する。初めての怪我じゃないんだ。どうとでもなる」
「そう言うと思ったけどよ。何かあったらすぐ言えよ。まあ、泊めると言ってもコイツの部屋しか空いてないんだが」
言いながらジャンクは咳き込む息子の背をバシバシと叩いた。追い打ちをかけているようにしか見えないが、介助のつもりだろうか。
「ヒュンケル君も悪いな。部屋数のねえ家だから、うるせえだろうがコイツの部屋で我慢してくれ」
「オレはどこでも構いません。あの、挨拶が遅くなりましたが……お世話になります」
頭を下げるヒュンケルにジャンクは快活に笑う。
「どうせ普段はコイツの方が世話になりっぱなしだろう? 気兼ねしないで気楽に過ごしてくれや」
「いえ、そんなことは……」
「親父っ、もういいっ、ごほっ、もういい……!!」
死にそうな声でポップが制止する。
奥から出てきたスティーヌが困った表情で嗜めた。
「あなた、あんまりポップに乱暴にしないでね」
「しとらんが?」
「してましたが!?」
「スティーヌさんも、恐縮ですがお世話になります」
何も起きていないかのように頭を下げるヒュンケルに、スティーヌも同様の様子で微笑む。
「大したおもてなしも出来ませんが、どうぞゆっくりしてくださいね」
「はい……」
「お前そんなちゃんとした態度とれんだなぁ」
感心するポップにジャンクが頭を叩く。
「お前も見習え」
「いってぇ!」
「ロンさんも、困ったことがあったらすぐ言ってくださいね」
心配そうに言うスティーヌに、「ああ」と相槌を返す。
「ロンの怪我の治療は家まで行ってするのか?」
「ああ。しばらくは毎晩てきとーな時間に行ってかけるわ」ポップは頭を押さえながら答えた。
「じゃあ日中は手伝いに行った方がいいか」
「あー明日は要るかも。でも明後日以降は弟子が来ると思うから大丈夫でしょ」
「は? 弟子?」
「そ。ロン・ベルクの弟子」
「お前そんなもん居たのか?」
「昨日できたんだよ。なっ」
「また昨日かよ」
「だが、そんなにすぐ来るか?」ロン・ベルクが疑問の声を上げるとポップは笑って頷く。
「来る来る。次はルーラで一緒に連れてってくれって言われたもん」
「熱心なこった」
「そりゃそうだろ。思い込み激しいし、絶対真面目クンだぜあれは」
「クンって、いくつだよ」
「十六だって。だいたいおれといっしょ」
「ほー。人間嫌いのお前が若者の指導をねえ……」
「成り行きでな」
「素敵ですねえ」
スティーヌが素朴な感想と共に和やかな笑顔を浮かべる。
ロン・ベルクも満更でもないという意を込めて、鼻で笑った。
準備は途中だったのか、ジャンクは奥へと引っ込み、スティーヌも居間の棚の上から何か取ろうと手を伸ばして探っている。
「なあ母さん、もうそのイス踏み台に使うのやめたら? こないだそれで転びかけてたじゃん。危ないよ、古いし」
頬杖をつきながらポップが声をかける。こないだと言うのは、先月突然帰ってきた時の話だろうか。何気なく見ると、それは初めてロン・ベルクがスティーヌに出会った時に彼女を宙に放った、まさにあの椅子だった。
スティーヌは床に足をつき、思わぬことを言われたというように瞬きすると、大事そうにその椅子を持ち上げて言う。
「いいのよ。母さんこれが気に入ってるの。それにずっと使っているけど、転んだことなんて……そうね、二回ぐらいしかないわ」
そう言って、少し可笑しそうに目を細めてロン・ベルクを見た。
「思い返してみると、会っておくべき人がそこにいるって、私に気づかせるために椅子が教えてくれたのかも」
「ま~た母さんは夢みたいなこと言って~」
「ポップだって、私があの時転びかけてたりしなければ、声もかけずに黙って行ってしまったんじゃないの? 昔から心配すればするほど何も言わなくなっちゃうんだから」
「うっ……」図星なのか、ポップは口ごもる。
ロン・ベルクはスティーヌの話に瞠目した。まさかそのたった二度の転倒が、一度目は偶々この村に訪れたロン・ベルクの目の前で、二度目は偶々村に帰ってきたポップの目の前で起こったとでも言うのだろうか。
スティーヌは件の小さな木の椅子を抱えて懐かしそうに言った。
「覚えてない? これ、ポップがまだちっちゃかった頃にすごく気に入ってて、いつも座ってた椅子なのよ」
「え? そうだっけ?」本人は素っ頓狂な声を上げている。
「そう。そのうち背も伸びて出番も無くなったけど、何となく味のある椅子でしょう? 造りもしっかりしてるし。何より、ポップがあんなに気に入ってたんだもの。たぶん何か不思議な力があるのよ」
冗談とも本気ともつかない顔で言うと、スティーヌはにこっとロン・ベルクに笑いかけた。
「ね、ロンさん」
不意打ちの親しげな呼びかけに、ポップとヒュンケルがまじまじとロン・ベルクを見る。
ロン・ベルクは面食らい、それから力が抜けるように笑った。
「……そうだな」
おそらくその通りなのだろう。確かに存在するのだ。力強くこの世のあらゆるものを牽引する、不可視の糸のようなものが。
今となっては何となくで選択してきた己の行動も、全て仕組まれていたような気すらしてくる。狐に抓まれたような――あるいは、とても気の長い魔法にかけられたような気が。
この世に存在するそうした仕組みを朧気ながらもスティーヌが捉えていたのは、中心から離れているが遠くはない、その立っている位置に依ってなのか。
何にせよ走る無数の糸の内、ある一本はどうやら確かに、あの日お互いを繋ぐためのものだったというわけだ。
静かに笑い合うロン・ベルクとスティーヌを交互に見比べたポップは、動揺した声で「お、親父……親父ー!!!!」と叫び始め、奥のジャンクから「何だやかましい」という怒声を浴びせられた。
<了>
