不意に光る鱗の - 2/6

 二.

 陽が落ちかけ、灯りの燈り始めた街道にはあちこちの露店から湯気が立ち昇っている。煮物のような食欲をそそる香りに、尾形は空腹を感じた。そろそろ晩飯時だった。
 唐突に着替えさせ、碌に行先も説明せず尾形を連れ出した、前を行く背中を見る。
 堂々と反らされた広い背中。老人という存在を間近で見る機会はあまり無いが、痩せ細り背の曲がった一般的なそれとはまるで別物だ。
 だが褪せた髪と、刻まれた皺、独特の乾いた皮膚の質感といった端々の様相に、経てきた歳月が表れている。
 そして若い男には無い、その背の纏う岩のような厳粛さ。硬く締まった、静かな気。
 尾形の脳裏には遠く、祖父の記憶が過った。
 記憶の祖父はいつもこちらに背中を向けている。

「着いたぞ」
 立ち止まる土方に合わせて、尾形も足を止めた。目の前の建物を見上げる。
 大きな建物だった。開け放された広い戸口の奥からは、表までハッキリと聞こえるほどの喧騒が響いている。

『さあ入りましたッさあどうぞッ、張ってください』
『丁ッ!』『丁!!』『半ッ!!』

 土方は有無を言わさず膨らんだ銭入れを差し出してきた。
 無言でそれを受け取らされる尾形に土方は言う。
「夏太郎と亀蔵が、この賭場で刺青人皮らしきものを見たことがあるという人間に出会ったらしい」
「へえ」
「しかし見た場所を聞き出すことには失敗したそうだ」
「なんだ。法外な情報料でも請求されたのか」
「教える代わりに男娼として一晩働けと」
 尾形は閉口した。
 土方は全く平素のしゃあしゃあとした表情で続ける。
「二人は怖気づいて派手に逃げて、先方の信用を無くした。気が変わったと再び申し込んでも、土壇場で逃げ出すと見抜かれて終わるだろう」
「……なるほど?」
「だからお前を連れてきた」
 しばし無言で二人見つめ合う。
 
 尾形は髪をかき上げて、淡々とした声で言った。
「……知り合いから話を聞いた、俺は逃げないから教えてくれ、とでも言えばいいのか? 一度逃げた人間の紹介なんて、どの道信用なんかされないんじゃないのか」
「いや。情報があることを既に知っていると明かす必要はない。その金で適当に博打に参加しながら、奇妙な刺青の入った皮を見たことがないかどうかだけ周囲に聞け。情報元はいつもここに出入りしている数人の団体だそうだ。誰かの耳には入るだろう」
「なんだ。聞いても何も情報が無かったら引き上げていいのか?」
 土方はその問いに、意味ありげに尾形の姿をしげしげと上から下まで眺めやった。
「ああ。誰も何も持ちかけて来なければな。帰ってきていいぞ」

 賭場に入るのを見届けもせず、一方的に命令した土方は一人さっさと尾形を置いて行ってしまった。
 週末はいつも、この賭場は明け方近くまで開いている。場が進めば進むほど酒量も増える。酔っ払いならば、見ない顔相手だろうと口も軽くなろう……との事だった。自分でやらない分にはなんとでも言える、と尾形は思った。
 雑に袋に入った賭け金を見下ろす。銀行を襲ったというだけあって金には余裕がある様子だが、人手の方はそうも行かないらしい。
 取り入り方は多少荒かったものの、加わったら加わったで早速いいように使われる己は、あちらにとってはさながら手を借りられる猫といったところか。
 人手不足はどこも同じだな、と……古巣の聯隊を思い浮かべながら、尾形は神妙な面持ちで暖簾をくぐった。

 小一時間が過ぎた。

「いや~兄さん言っちゃ何だが弱いねぇ! 才能無いねぇ!」
「全然勝てないじゃん! 全然勝ってないじゃん!」
 酔っぱらった男が左右から気の毒そうに手元を覗き込んで話しかけてくる。尾形は胡坐をかいて頬杖をつきながら言った。
「知ってる」

 軍に居た頃、付き合いで賭場に来たことはそれなりにある。楽しいと思った事はない。そして、勝った事もない。尾形は己の博打の素養のなさを既に知っていた。
 尾形にとっては、賽子をふって偶数だったか奇数だったかという果てしなくどうでもいい当てずっぽうを延々とし続けることも、そこに金が絡んだだけで人がこれほど熱狂しのめり込むことも、全く理解の出来ない営みだった。そもそも尾形には金銭欲が欠けていた。
 新たにツボが被され、特に考えもせず賭ける。
「半」
「悩まないねえ!」
「悩んでどうにかなるのか?」
「丁の方がいいんでないかい? おれのカンはそう言ってるぜ」
「じゃあ丁」
「悩まないねえ!?」
 しかし結果は丁であった。ようやくの勝ちに、尾形よりも周りの男の方が喜んだ。
「良かったなあ兄ちゃん、ようやく当たりだよ」
「ほら言ったべ!? な!?」 
「よし取り返していこうや!」
「いやすっからかんになる前に止しといた方がいいんじゃねえのかなあ」
 やけに構いつけてくる男たちに、尾形は周囲を見回した。客の年齢層が高いから、新顔の若い男が珍しいのだろうかと考える。しかし似たような世代の男も居ないわけではない。何人か、奥の方でちらちらとこっちを伺いながら酒を飲んでいる。とすれば、いいカモだからか。
 もとより勝つ気は無い、というより、勝てると思っていない。土方も、そんな曖昧な情報しかない状態で雑に放り出すからには、すぐに何か収穫があることを見込んで置いていったわけではないのだろう。様子見と、顔を覚えさせる目的……そう考えれば負けが込んでいることも、もし“儲け話”があるとしたら飛びつく人間だと認識させる足しになる。腹いせに全部使い果たしてやるという気も、無くはなかったが。
 しかし思ったよりも歓迎されているこの様子ならば、何か話の糸口くらいは掴めるかもしれない。尾形はコマ札を弄びながら言った。
「もしかしたら俺にはあまり、こういう博打の才能は無いのかもしれん」
「あっ、うん」
「全然勝てない」
「そうだね……?」
 視線を上げて周囲の男の顔を見比べる。男たちは惚けたような顔で尾形を見ていたが、口は軽そうだ。何か知っていたら喋るかもしれない。
 尾形は薄く笑みを浮かべて、気安い口調で言った。
「だからもっと、一気に稼げる儲け話を探してるんだが。誰か、妙な刺青の入った皮の話、聞いたことねえか?」
 ああ、と一人の男が声を上げた。
「それこないだ遊んでった若いにーちゃん達も聞いてったぜ。そんなにうまい話なのか?」
「俺もよくは知らないが。でかい金になるらしいって聞いてる」
「へえ。俺たちは知らねえなあ。こないだの兄ちゃん方にもそう言ったら、残念そうにすぐ帰ってったよ」
「ふうん……」
 話が違うな、と思いながら尾形はコマ札を揺らした。
 ここで情報が入ったのでは無かったのだろうか。周りに聞こえない場所でそういう話になったのか?
 考え込む尾形に、男たちはにやにやと妙な笑みを浮かべながら、ごにょごにょと言い淀むようにして言った。
「いやあ、でもアンタみたいなの、そんな胡散臭い噂なんか追わなくったって稼ごうと思えばすぐ稼げるべな」
「んだんだ」
「どうやって?」
 単純に疑問で、尾形は尋ねた。
「そりゃあおめえ……」
 一番酒臭い男が尾形の耳元に顔を寄せ言った。
「そんなに妙な色気あんだから、“商売”始めりゃすぐ客がつくべ」
 言いながら、変に生温い指でうなじをついと撫でられ、ぞわりとした感覚に尾形は目を丸くした。
「こらっ気安くお触りすんなや!」
「おおすげえ、玉のような肌だど」
「ごめんなあ兄ちゃん、コイツ絡み酒でよお」
「いやあ俺も触りてえ」
 どっと笑う男たちに尾形は辟易して髪を撫でつけた。
「なんだそれ……そんな話してねえし」
 思わず白けた顔で言うと、媚びて宥め賺すようなへらへらとした笑いが返ってくる。その表情に、似たような古参兵たちの顔を思い出して尾形は内心げんなりした。
 これが夏太郎と亀蔵が持ち掛けられたという男娼の話だろうか? だが刺青人皮については目の前の男たちは知らないと言っていた。嘘をついている様子も見えない。
 単純に、この辺りはその方面が盛んなのだろうか。純粋に疑問に感じ、尾形は訊いた。
「男所帯ならともかく、この辺なんかちょっと金出しゃ女抱けるだろう。商売になんかなるかよ」
 ただの見知らぬ客に過ぎない自分にすらそんな話が持ち込まれることがどうにも不可解で、首をひねる。
 男たちは嬉しそうに尾形の疑問に答えた。
「いやあ最近そういう話も多いのよ。戦争終わって、兵隊さん達が帰ってきたべ? それが影響してんじゃねえかな」
「覚えた味が忘れられねってなもんでな。流行り出したら早えから」
「女郎屋みてえに店構えて大っぴらにやる事は無えが、元締めが居て、客取れるようにモノは揃えててなあ。噂で評判になって、物好きな固定客が付くって寸法よ」
「へえ」
 言われた話に皮肉を感じ、尾形は面白くなって笑った。“噂”で評判になって、“客”が付く……とすれば、己はとっくに開業済みだと思った。軍隊という閉鎖された世界に限った話、ではあるが。
 しかしその対価は金ではなかった。ならば、何を相手に払わせるための……。
 物思いに沈む尾形の前で、男たちはまだその話を続けている。
「でも遠目で見た事あっけどよ、やっぱ野郎は野郎よ。役者みてえな男前ってわけでも無えし」
「気が知れねえよな。同じ金あったら遊郭行っちまうわ」
 件の流行りにケチをつけだす男たちに、尾形は鼻で笑った。
「じゃあ言うなよ」
 所詮酔っ払いの冗談かという失笑だったのだが、男たちはやけに真に迫ってそれを否定する。
「いやいや、でもアンタはモノが違えわ」
「別モンよ全然」
 尾形はその勢いに引いた。
「……酔っ払ってるからじゃねえか?」
「いや、ほんとにさ。あんた入ってきてから空気が変わったもの」
「男らしいけど、何だろうな、造りが違うっつうかな。いいとこの出だったりすんのかい?」
「……いや?」
 少し間が出来た。その微妙な反応には頓着せず男たちは遠慮なくじろじろと尾形を眺め回す。
「何にしろ色っぺえわ、こんな小汚え場所じゃ目の毒だ」
「もし商売始めるなら言ってくれや。おれ顔が広いからよ、宣伝しちゃるわ」
「なーに言ってんだこの助平!」
「おれもおれも」
 どこまで冗談か知らないが、どうでもいい方向に逸れて盛り上がる話を、尾形はヒラヒラ手を振って打ち切った。
「あんたら相手に小金を稼いだって仕方ねえ。持ってくんならもっとでかい儲け話にしてくれ」
 男たちは大笑いして、そのままお互いの懐事情の話で盛り上がり出した。
 
 すっかり気が削がれた尾形は、残りのコマ札を集めながら、たった今言われたことについて考え込む。
 入った時からやけにじろじろ見られていると思っていたが、まさか色目とは思っていなかった。
 酔っ払いから不躾に、肌がどうだの見た目がどうだのと……思えば郷里での扱いも似たようなものだった気もするが、しかしそれは母に向けられていた色目を引き継いだようなものだったから、自分自身がそうした先入観なく“実際”どう見えるのかなどと、考えた事も無かった。
 軍でも同様に、本人の性質よりも出自の噂の方が先行していたし……兵卒として街に出ていた時にはこんな扱いを受けた記憶はない。そう考えれば、針の筵のような軍内の環境も、対外的には壁となっていたという事か。
 尾形の口元に渇いた笑みが浮かぶ。
 軍に入る前も、入った後も、己を取り巻く環境は大して変わらなかった。そして出た後も然りというわけだ、と。
 “何かが違う”……確かに、これまで折に触れて、尾形は似たようなことを言われた記憶があった。すべて方便なのかと思っていた。男に手を出す言い訳のための。
 生まれが違う。立場が違う。それを理由に、他ではしない事をする。だから“お前は違う”……相手にとって都合よく押し付けられるその理屈に、疑問はなかった。疑問の余地なく見下すことが出来た。
 だが生まれも立場も取り払った、一人の男として居ても、それでもなお“何か違う”のか?
 尾形は静かに愕然とする。
 だとすれば、その何かとは、己自身の性質として備わるその違いとは、一体何だ。性質が環境を呼び寄せたのか? それとも続いた環境が最早性質として染み付いたのだろうか?
 ……馬鹿馬鹿しい。
 まるでこの博打だ、と尾形は思った。
 丁だろうが半だろうが関係がない。何にもならない。――俺がやる限りは。

 何もかもどうでもよくなってきて、意味もなく札を縦に積み上げていると、さっき話していた男の一人が笑顔でまた声を掛けてきた。
「おいアンタ、こいつさっきの刺青の噂についてなんか知ってるって」
 尾形は顔を上げた。知らぬ間に、さっきの尾形の問いを新しく賭場へ顔を出した客にも共有してくれていたらしい。
「本当か?」
 言われた赤ら顔の男はニコニコと快活に頷いた。
「ああ、最近話題になってんだ。皮っつーか、肌全体によ、変わった入れ墨を入れてる奴が居るんだって」
「どこで?」
「遊郭だよ」
 尾形は身体ごと向き直り、話を聞く姿勢に入った。体に入った刺青を第三者が見る機会は、銭湯か遊郭くらいしかない。
 既に皮として処理された刺青人皮の情報かと思っていたが、生きた囚人の情報だったのだろうか。この辺りは人口も多い、可笑しな話ではないだろう。人の疎らな場所で目立つよりも、逆に人目の多い場所で紛れる方を選んだ方が都合がいい……そう考えて、堂々と街に顔を出しているのかもしれない。
 男娼云々とか言っていたが、情報を持っているのがその方面の人間だけとも限らない筈だ。うまく行けばこのまま安泰に情報が手に入るかもしれない。
 俄かに期待して耳を傾けた尾形は、しかし教えられる情報を聞くに従って、その口角をみるみる下げた。

 図体がでかい。人相が悪い。とにかく強い。背広だが確実にカタギではない。性欲が旺盛すぎて遊女が逃げる……。
 牛山じゃねえか、と尾形は内心で吐き捨てた。あんな目立つ風体をしておいて、堂々と遊郭に通い過ぎだ。

 完全にやる気を無くした尾形は、手持ちの札を全部かき集めた。
 新たに被せられた壺に、無造作に賭ける。
「丁」
 え、全部いっちゃうの、と周りが囃し立てる中、壺の中身が晒された。

 

「なあ兄ちゃん。悪いな、アンタには随分稼がせて貰ったぜ」
 鬱陶しく慰めてくる酔っ払い達をあしらって、もう帰ってやるつもりで賭場を後にした尾形は、建物を出て少しした路地でふと呼び止められた。
 見ると尾形より少し背の低い、羽振りの良さそうな男が立っていた。
「そいつはよかったな」
 尾形は無感動に言った。自分の金でもなし、本当にどうでも良かったのだが、癇に障ったと見えたらしい。男は取り繕うような笑みを浮かべながら近づいてきた。
「いや、嫌味のつもりじゃねえんだ。怒らないでくれ。ただ俺は、さっきあんたが“妙な刺青が入った皮”の話をしていたのが気になってな」
「ああ……。何か知ってるのか」
「一つ知ってる。さっき別の奴が言ってたのとは違う話だ。興味あるかい」
「あるね」
「そうか。まあ、歩きながら話そうや」
 促す男に尾形は従いながら、内心「来た」と思った。おそらく、夏太郎と亀蔵が入手した情報もこうして、賭場を出てきた後に持ち掛けられた。だから二人が帰っていく所を見ていた賭場の中の人間は、あの二人が情報の糸口を掴んだことを知らなかったのだろう。
 
「ただなあ……」
 男は勿体ぶるようにそう言った。例の交換条件を持ち出されるのだろう、と尾形は予想したが、思っていたのと少し違っていた。
「さっきも言われてたが、あんたならそんな夢みたいな話追わなくったって、十分食っていけるんじゃねえかい」
 そういう話の持っていき方か、と内心ため息をつく。直接情報の交換条件にされるよりも面倒だと感じた。そんな尾形をじっと見て、男は言う。
「あんた、兵隊さんだろ? それもかなり熟達した。立ち振る舞いでわかるよ」
 尾形は無言でもって答えた。男は心得たように頷きながら続ける。
「さっきみたいに小金をドブに捨てるような、そういう金の使い方さえしなきゃいい。そうしたら、あんたならすぐにある程度のカネは貯まるさ。何か事情があるのか知らねえが、パーっと一気に稼ぐような、そんな分のない賭けになんか出ないで、大人しく堅実にやっていけばいいだろう。いい働き口を紹介してやる」
 熱心な口数の多さに、尾形は薄く笑った。
「いい働き口?」
 言わんとしていることを揶揄するようにゆっくりと問われ、男は少し狼狽える。
「あ、あんたみたいなのが、ある程度長いこと軍隊に居たんなら……縁のない話じゃあ無いだろう」
「なるほどね……あんたが“元締め”ってわけだ。なあ、その稼業は儲かるのかい?」
「だから、あんたなら……」
「こっちじゃなくて、そっちの話さ。わりとカネが入ってくるのか? 俺みたいなのを客に回すと」
「そ、そうでもないよ。ささやかなもんだ、ウチはあんまりピンハネしねえし……」
「その刺青人皮が、大金の在り処を示してるって話は聞いてないのか」
「知ってるさ。だがそんな眉唾……」
 尾形はすっと男に身を寄せると、内緒話をするように耳元で低く囁いた。
「なあ、あんたもカネは欲しいだろう。どうだい、二人で一緒にその皮を手に入れに行かないか? 大金が手に入ったら、一生遊んで暮らせるんだぜ。そんな稼業してるぐらいだ、もっと好きに色々やりたいことがあるだろう」
 肩に手を回し、指の背で男のざらついた頬をくすぐる。悪戯な仕草に、男はどぎまぎと目を泳がせながら早口で言った。
「ば、ばか言え、遠いんだ、夕張だぞ。会ったばっかのあんたと……」
「へえ……」
 尾形は目を細めて、男の耳朶を柔く揉む。
「いいじゃないか。炭鉱町だな。皮を手に入れたら、どこか適当に宿でもとって、二人でゆっくり宝探しの作戦を練ろう。皮は誰かが持ってるのか?」
「ゆ、夕張の、剥製作ってる変わった家にあるんだ。ありゃあ多分趣味で作ってるんだ、金積んだ所で譲ってくれねえよ。行くだけ損ってもんだ」
「そうかい……残念だな」
 ため息のように相槌をうった尾形の手をとり、男は熱の篭った口調で言った。
「だから、悪いことは言わねえ、俺の言う通りにしておけ。しっかり面倒を見てやる。保証するから」
「そんな風に親身に世話してもらうなんて悪いぜ。会ったばっかりのあんたに……」
「み、水臭いこと言うなよ。こうして知り合ったのも何かの縁だ。これから仲良くしていこうぜ」
「……そうだな。”仲良く”しよう」
 尾形は男の背をじゃれつくように撫でて促した。
「なあ、この後どこかで飲まないか。あんたのこと、よく知りたいんだ」
 細めた目でじっと見つめて言われた言葉に、男は顔を赤らめた。
 慌てたように先に立って歩き出す。
「お、おう、実は俺も誘おうと思っていたんだ。この先に俺の行きつけの店があるから、そこで色々と話そう。この辺は暗いから、足元に気を付けてな」
 尾形はその背をゆったりと追いかけた。そして不意に距離を詰めると、後ろから男の顎を鋭く横から拳で殴り抜けた。

 

「刺青人皮は夕張にある」
 アジトに戻って早々に報告する尾形に、土方は意外そうに目を見張った。
「剥製屋があって、趣味で作った他の剥製と一緒に並んでるらしい」
「……さっさと帰ってきたから手土産は無しかと思えば。中々優秀だな」
 嘯く土方を尾形は睨めつける。
「人遣いが荒いとか、使い方が非道だとかって、よく言われねえか」
「私は実行可能な人間にしか仕事させないぞ」
 澄ました顔で土方は言った。
「お前はどうやらある種の人目を引く性質らしい」
「何だ、そりゃ」
「牛山が女以外にあれだけ熱心に興味を示すのは初めて見たからな。使えると思った」
「牛山?」
 腑に落ちないように名を口にする尾形に、土方は片眉を上げる。
「なんだ。あれだけあからさまに見られて、気づかなかったのか」
「何を」
「視線だ」
「……見られていることはあったが」
 それが何だ、とでも言いたげな尾形に、土方はやれやれといった表情で手元の紙に『夕張』『剥製屋』と書きつけた。
「まあ何にせよ、ご苦労だったな。予想外の収穫だった。用心棒より間諜向きじゃないのか」
「勘弁してくれ。”正直者”の俺にはきつい役目だ」
「フン……情報については、明日改めて検討する。今晩はもう休め」
「そうさせてもらう。ところで、何か食うもんはあるか」
「なんだ。”小遣い”で何か食ってこなかったのか」
「あの金は全部すった」
 土方は心底呆れた目で尾形を見やった。尾形は開き直った無表情で見つめ返して返答を待つ。
「……冷や飯ぐらいは残っているだろう。沢庵でも乗せて勝手に食え」
 ぞんざいにひらひらと手を振って言う土方に、尾形の方も相槌すら打たないで、足音を立てずにするりとその場を去った。