杉元は夢を見ていた。尾形が真正面に座っていた。場所は、先日世話になった樺太アイヌの家のようだった。二人の他には誰もいない。そして杉元と尾形の間には、水に浸された米があった。
夢の中の杉元に、これが夢だという自覚はまったく無かった。その奇妙な状況に対して何の疑問も抱いていなかった。同様に、今自分が何をすべきなのかという事も何の疑問も無く理解していた。杉元は、尾形の口噛み団子を食わなければならないのだ。理由など分からない。そうすべきだという事に一ミリの疑問も抱いていないのだから。そして早く作れと、尾形を睨みながら待っているのだ。
尾形は死んだ目で水に浸された米を見つめていたが、やらなければ終わらないという事は理解しているのだろう、のろのろと米を一口分掬った。口が開かれ、白い歯と、肉色の舌が覗く。濡れた米がその暗い口の中にザラザラと注がれた。杉元の首筋に血管が浮いた。
もぐ、もぐ、と少し頰を膨らませながら尾形が無表情で米を噛む。尾形は頰を膨らませて食う癖がある事を杉元は知っている。杉元の首筋に浮き出た血管が一本増えた。
団子を作るための器を引き寄せる。器を前に尾形はちょっと、躊躇う素振りを見せた。ビキ、と更に浮き出た血管を伸ばした杉元が無言で床をドンと殴る。言葉よりも雄弁な催促に尾形は一瞬杉元を睨み付け、それから観念したように顔を器の上に伏せた。
髪が一房落ちかかるのを黒目が追う。しかし器の上にはかからなかったため、視線が戻る。そしてやはり少し躊躇いがちな速度で、ポタ、ポタ、と尾形の口から米粒が零れ出した。杉元の血管が米神に達した。それと同時に、手をさっと差し入れて自分の掌の上に尾形の吐き出したものを受け止めた。
驚きの目でこちらを見る尾形に、杉元は青筋を立てながら凄む。
「テメェ、これじゃあただのオコメだろうが。あ? 残ってんだよ粒が。もっとボリボリ噛まなきゃ噛む意味がねえだろうが」
尾形は米が詰まって微妙に膨れた頬のまま間近の杉元の顔を無言で見ている。杉元の目元が痙攣した。
見せつけるように手の中の米粒を指の間で擦り合わせながら、重ねて言い聞かせる。
「こんなんじゃ全然足りねえっつってんだよ。オラ口動かせよ。もっとグチャグチャにふやけるまで噛むんだよ」
「ヴェッ」
「何だその反応は。ふざけてんのか」
ぼり、ぼり、とようやく尾形が口を動かし出した。杉元はじっとその様子を監督する。見ているだけで血管がビキビキしてくる。
もごもごと初めて尾形が喋った。
「……顔やべえな」
杉元は威嚇する肉食獣のように鼻に皺を寄せながら唸った。
「うるせえな。チンタラ噛みやがって。見てるとイライラすんだよ。イライラどころじゃねえ、ギュンギュンすんだよ」
何言ってんだコイツ、という目で杉元を見ながら渋い顔で頰を動かしていた尾形は、もうボリボリという音もしなくなった頃、杉元をじっと睨んだ。
それはこっちを見るなという意味だったらしいが、杉元は監視に全神経を集中していたので察することは不可能だった。
意思の疎通を諦めた尾形は少し居心地悪そうに視線を外して、それからコタンの老婦人がやっていたように、手で口元を隠した。
無駄に慎ましい仕草に杉元は歯を剥き出しにした。
ポトポトと落ちていく口噛み米を、頭を低くして添えられた手の下から真横で見張る。何故か息苦しい。
距離が近過ぎて不快だったのか器に落ちる米が止まり、口元に添えられていた手がそのまま杉元の頭を殴った。
威嚇の唸りを上げながら身を起こした杉元は、尾形に低い声で問う。
「ところでお前、団子の作り方は知ってんのか」
尾形は怪訝そうな顔になってもごもごと答えた。
「……知るわけねえだろ。テメエが知ってるんじゃねえのか」
「俺は知らん」
「ああ? じゃあ作りようがねえだろ」
「ご馳走になっただけで詳しい作り方なんか見てるわけねえだろうが。アホかてめえ、なんで知らねえで作ってんだよ」
「アホはテメーだ」
今にも舌打ちしたそうな顔で器を手に持つ。杉元はその手首を掴んだ。
「おい待て。どうするつもりだ」
「……出す」
「なんで持っていく」
「なんで見られてるとこで吐き出さなきゃ、ッ」
苛立ったように喋ろうとした拍子に、尾形の口の端から白濁した唾液と米の混合物が零れた。
一瞬尾形の目元に羞恥がよぎる。
「きったねえ。零すなよ」
言いながら、杉元はたった今汚いと罵ったその口の端に溢れた唾液混じりの米を気付いたら啜っていた。
「!?」
ぶわ、と毛を逆立てる猫のような気配を間近で感じた。
やべえと思った杉元は一瞬どうすべきか、どうすべきでないかを頭で考えようとしたが、唇に触れる求肥のような皮膚の滑らかさと、案外当たりのいい髭の感触がすべての思考を押し流した。
がぶ、と口を重ねて、杉元はじゅうう~~~、と中のコメを吸った。
「~~~~!!!!!」
ばし、ばし、と混乱のためか間を置いて尾形の手が杉元の後頭部や背中を叩く。
杉元はガッチリ尾形の顎を両手で固定して口の中身を吸った。とにかく吸った。
ゴクリゴクリと鳴る杉元の喉に、尾形は手を伸ばして飲み込むのをやめろとばかりに締め上げる。しかし喉の筋肉を盛り上がらせた杉元には効かなかった。
よく噛まれた米は仄かに甘かった。
美味しかった。……とにかく美味しかった。
「じゅう、っれろ、っはぁ、はぁ、じゅるるるる」
「ん゛んッ、っぐ、はぁッ、やめ、んむ……!!」
もう残っている米は無いかと咥内を舌であちこち探る。隈なく探したが見当たらない。味が残っていたので絡んだ舌ごと尾形の唾液を吸った。というかもう米が無くてもうまい。尾形の唾液がうまい。
「はぁはぁ、じゅう、んぐ」
血走った目で啜っている内にどんどん身体がぼやけていく感じがした。その時初めて杉元はこれが夢で、今まさに自分は夢から醒めようとしているのだということに気が付いた。
杉元は憤った。ふざけんなもっと飲ませろと思った。
しかし口噛み団子でなくとも、尾形の口噛み米を食ったことで条件は満たしてしまったらしい。
口惜しさに、射殺すような目で間近の尾形の目を睨む。近すぎて焦点が合いにくいが、尾形の目はちょっと涙目だった。
は? 何泣いてんのお前、と訊こうとした思考と、口を離したくない感覚の二つが反発し合い、その矛盾を解消する前に――杉元は夢から醒めた。
目が覚めた杉元はしばらく荒い呼吸を繰り返して、未だ薄暗い周囲の状況にサッサッと視線を巡らせて昂った神経を落ち着かせようとした。
皆まだ寝ているのか、寝息と鼾しか聞こえない。静かだ。一体今自分はどんな夢を見ていた?
本当は覚えていたが杉元はそう自分に問いかけた。記憶に残っている妙なイメージはあるが、実際に見ていたのは違う夢だったのではないかと思いこもうとした。
何故か自分の身体の一部がバキバキになっている事実が、余計にその現実逃避の必要性を増させていた。
尾形を絶対に殺さなければならない……。
杉元は思い詰めた表情で自分の掌を殴った。
