呪縛の血、祝福の肉、形代の霊、そして - 6/7

5.回想、あるいは解答

 勇作殿は、師団の噂で俺の母が貶められていることを非常に気になさっておられましたね。
 確かにひとりの人間の一生における母親の存在とはとても大きなものなのでしょう。俺とて例外ではありません。あなたに出会うまでの俺の人生を思い出と称するのなら、その思い出を形作っているのは母の存在だと言っても過言ではない。
 ええ、浅草の芸者だったそうです。山猫だったかどうかは知りませんがね。いえ、実際母が芸者だった頃など、俺は知るべくもありませんので。茨城の実家へ母が連れ戻されたのは、俺がまだ赤ん坊の頃ですから。

 地元では母は有名人でしてね。うらぶれた片田舎の農村では浮くというのに、いつも身綺麗に着飾った芸者上がりの女。さぞ人目を引いたのでしょう。そうして興味を持って、声を掛けて、いくらか言葉を交わせば、すぐに分かるのです。気が違っていると。
 といっても厄介な狂い方ではない。大人しいものです。暴れたりもしなければ、自分の世話は自分で出来るし、家事だって出来た。ただ、周りをきちんと認識しないのです。母の精神はいつだって、まだ芸者をしていた頃の浅草に居たのです。

 村の女たちは気味悪がって碌な交流は無かったようですが、男たちは母をよく構っていました。面白がっていたのでしょう。
 芸者扱いをすれば、もてなす様に愛想よく微笑む。そもそも芸者遊びなどには縁のない田舎者ばかりですから物珍しさもあって、揶揄いにやってきては、にやついて去っていきました。
 いえ、流石に家までは来ません。祖父母も居りましたから。母はよく出掛けていくのです、食材を買いに。その時にね。
 ええ、祖父母も心配して止めるのですが、聞かないのですよ。会話にならないのですから仕様がない。動けない赤子とは違って、自分の意思で出ていってしまう。それを四六時中見張っているわけにもいきませんし……その内祖父母も諦めて、好きにさせていたようです。なるべく不干渉に、腫れ物に触るみたいに接していました。迷惑をかけるような事をしなければそれで良いと……。特に祖父は、俺たち親子そのものを疎んでいるところがありましたから。交わった相手が薩摩の者、という所に、我慢ならないものがあったようですね。

 暖かい季節であれば畑で採れた野菜などが目に入って、それで気が済むこともあったのですが、寒い季節は大変でした。毎日あんこうを手に入れるために出掛けてしまうので。
 ええ、鮟鱇です。冬頃になるとよく獲れるのですよ。西のふぐ、東のあんこう……聞いたことがありませんか?
 そうですか。とにかくそのあんこうを鍋にしたものが、地元では庶民的な料理でしてね。それを母は毎日作ろうとするんです。え? ……ははっ。さあ、どうしてでしょうね。母の、一番おかしな習慣でした。
 まあ、とにかく俺もこれではいけないと思って、祖父の銃を持ち出し、よく鳥を撃ちました。目の前に鳥があれば、わざわざあんこう鍋を作ろうとすることも無いだろうと思ったのです。でも何度持っていっても無駄でした。やっぱり母は、どんな事があっても、あんこう鍋を作ろうと支度を始めるのです。

 閉鎖的な村には自然と寄り合いが出来るものですが、少し村はずれにある寺の跡地に、いつも集まっていた集団が居ました。大所帯で、いい年の男ばかりが集まって、酒や博打や無駄話に興じて憂さを晴らしている、柄の悪い連中です。農夫や漁師、職業は様々でしたが皆粗野で、村の者は近寄らないようにしていました。
 母はしばしば、その集まりに招かれていたようです。買い物に出た所を連れていかれて。

 ある日、いつもより帰りが遅いので俺は母を迎えに行きました。何人かの村人に母を見なかったか尋ねましたが、その時の気の毒そうでありながら、好色そうな目つきはよく覚えています。
 教えられた寺の跡地に行きますと、母は座敷に上がって、上機嫌な男たちに混じって酌をしていました。着物の衿が緩んでいるのも気にせず、しなを作って。
 浅黒い男たちが取り囲む中で、その肌の白さが酷く浮いていて、異様な光景に見えました。無知な子供ながらに、母は居てはいけない場所に居るのだと直感できるほどに。
 男たちはすっかり出来上がっていて、俺に気が付くと上機嫌に輪の中へ招き入れました。母はこちらを見てにこにことしていましたが、俺に気付いていたかどうかは分かりません。
 いつもより帰りが遅かったのは、豊漁の祝いで男たちの酒量が普段より多かったためだそうです。母を迎えに来たと申し出ると、もう少しいいだろうとひとりの男が母の肩を抱き寄せました。その拍子に崩れた母の足が割れた裾からはみ出して、男の目の色が変わりました。息が荒くなった男は母の体を撫で回して、腰を動かす妙な動きを始めました。
 周りは大笑いしながら、子供の前だぞと野次を飛ばして囃し立てます。俺はよく分からずに居ましたが、ふと、隣の男がこちらをじっと見ていることに気が付きました。
 男は「坊主、口元のあたりと、何より肌の色が、母親にそっくりだなあ」と言うと、俺の手を引いて母の横に連れていきました。そして裾を割って脚をむき出しにされ、母のそれとくっつけられた時、たしかにまったく同じ色味の肌だとわかって、俺は驚きました。浅黒い手に掴まれた己の足首が、同じ生き物のものだとは思われず、そしてそれはまさしく先程の光景に感じた異物感そのものなのです。
 そうしている内に母は男たちに着物を剥がれていて、先程母に触れていた男が体重をかけて伸し掛かりました。乱暴に手が乳房を掴んだ途端、母は悲鳴を上げて泣き出しました。火の付いたような物凄い声で、俺は母のそんな声を初めて聞いたので、とても吃驚しました。
 伸し掛かっていた男は周りの男から口々に詰られ、ばつが悪そうに母から退きました。俺の足首を掴んだままの男が、酒臭い息で愚痴っぽく言いました。
「いつもこうなんだ。色気振り撒いといてよ、少しくらい乗り気になってくれてもいいじゃねえか、なあ。だから逃げちまわないように、俺たちはいつもああやって優しく、お姫様みてえにお前の母ちゃんをもてなしてるんだぜ」と。
 胸も露にされた母は、幼子のように泣きながら周りの男たちに宥め賺されています。甘ったるい口調で、脂下がった顔で、競うように慰められ。
 きっとここに連れてこられた時はいつもこんな風なのだろうと思うと、とても哀れに思いました。今思っても、手籠めにされないまでも体のいい玩具にされていたのでしょう。あの時は分かりませんでしたが、周りでは平然と母を前に手淫をしている者もいました。
 ただ、哀れには思いましたが、嫌悪の感情はありませんでした。何故かというと、例え恐怖や拒絶から来るものだとしても、母が外界を正常に、時差なく認識している様子を、俺は物心ついてから初めて見たのです。
 母にもまともな部分が残っているのかもしれないと思うと、そしてそれを引き出したのがこの遣り取りなのだと思うと、新しく知ったその猥褻な空気が、悪いことばかりでは無いもののように思えるのでした。
 と言っても、ただ単に芸者の頃、強姦しようとしてきた客を拒んだ記憶が蘇っていただけだったのかもしれません。しかしその時の第一印象のせいで、俺はそういった性的な事柄に、抵抗が薄いままなのかもしれませんね。

 母は着物を直すと、何事かをぶつぶつ呟いて立ち上がり、出て行ってしまいました。俺はそれを見送りましたが、追いかけることが出来ませんでした。母が酌をしていた、一番年嵩の初老の男に、いつの間にか膝へ抱えられていたので。
 その廃屋になった寺も、元々はその男の親族が所有していたものだそうです。古くから住み着いていた一族の末裔で、その男に発言力があるから村の人間は連中に何も言えないのだと、後々世間話の折に祖母から聞きました。
 その男は、気の毒なことだと言って、俺の頭を撫でました。
 せっかく迎えに来たのに置いていかれて可哀想に。いくつなんだ、菓子は食うか。色々尋ねて、ベタベタと触ってきます。母の次は俺を甘やかす心算のようでした。
 子供はいかれじゃないんですかね、と一人の男が言いました。周りの男が笑いました。
 俺は言われている意味を理解しましたが、腹は立ちませんでした。母は確かに頭がいかれているし、同様に目の前の男たちも正気とは思えなかったのです。種類の違う気違いなのだから分からないのは当然だろうと思いました。
 俺を膝に抱いたその頭目の男は、たぶん稚児趣味でもあったのでしょう。俺はその場で着物を脱がされ、母のように体を検分されました。
 無論全員にそういった趣味があったわけでは無いでしょうから、気の毒そうに眉を顰める者、苦笑して窘める者、嫌そうに顔を背ける者、色々居りましたが、何故かどの男も、爛々と光らせた目だけを不思議とこちらに寄越してくるのです。今振り返っても、何が彼らの琴線に触れたのかはよく分かりません。
 周りで見ていた男も数人乗り気になって触り出し、そうでない者もすっかり開き直って見物の姿勢でした。肌が似ている、足の形が似ている、唇が似ている、乳首の色が似ている。色々言いながらあちこち弄り回されました。それでいて手触りは母のものより数段素晴らしいと頻りに褒めるのです。年端も行かぬ子供なのだから、瑞々しいのは当たり前の筈なのですが。
 結局その日は、素股のようなことを何人かにさせられました。思えば精通もまだでしたから、何もかもよく分かっていませんでしたけど、同じ人間として扱われていないことだけは分かっていました。日が沈んできたので、もう帰ると言えば流石に引き留められませんでしたが、是非またおいでと言われました。俺のことを気に入ったようでした。
 こんなふざけた場所は二度とごめんだと思いましたが、しかし次の日もまた、母はあんこう鍋の支度をするのでした。

 どうしました、震えていますね。 怒り? 何に対するものですか?
 母と俺を玩具にした男たちに? ……彼らが悪いのですか?
 見て見ぬふりで噂の種にしていた村の連中に? ……それが悪いのですか?
 諦めて放置していた祖父母に? ……あの人たちが悪いのですか?
 我が子を気にも留めず置き去りにした母に? ……あの人が悪いのですか?
 母への仕打ちに憤らない俺に? ……俺が悪かったのですか?
 ……違う。誰でもない? 境遇の不条理さに……? そうですか。
 さて、俺にも誰が悪いのか、何が悪いのか等ということは理解の外ですが。しかし……全ての出来事には、理由があるのだと思いますよ。

 母の精神は、徐々に悪化していきました。拾われても適当なところで帰されていた母が、俺が迎えに行くまで帰されなくなりました。親子を同時に弄ぶのがそれほど楽しかったのでしょうか。男たちも日増しに狂っていくようでした。理性が無くなっていく、というのでしょうか。まるで獣の群れのようでした。
 ある時迎えに行くと、母は既にすっかり泣き叫んだ後で、心なしか頬が殴られた後のように腫れているのを見て、俺は頭を下げて改めて頼みました。母に構わないでくれと。
 頭目の男は、わかったと言いました。しかし俺だけはここに来てくれないかと言ってきました。寂しいのだと。猫撫で声のそれは、命令でした。
 俺はとにかく母をこのままにしておくのはまずいと思っていたので、ホッとしました。条件付きの命令ならば守るだろうと考えました。俺は頷いて、母の手を引いて家に帰ろうと促しました。
 涙に濡れた顔が俺を認識しました。目が合うと、俺の眼をまじまじと見つめて、母は嬉しそうに微笑みました。そうして父の名を呼びました。俺の目元は、父上とよく似ているのだそうですね。
 可哀想な人だと思いました。そうしてなんとなく、諦めがついたような気持ちになりました。もうこのまま毎日ずっと、あんこう鍋でも仕方がないと思いました。

 母を送り出した後、初めて犯されました。いつかはそうするつもりだったのでしょう。それ以前よりずっと慣らされていたので、何とか可能でした。流石に大きいのは入りませんでしたが。幸いなことにどの男も乱暴はしませんでした。彼らは自分たちを善人だと思っているふしがありました。
 日が暮れるころ帰されましたが、祖父母に気取られないようにするのが大変で。頭がフラフラして、次の日は熱が出て寝込みました。一週間近くは臥せっていたでしょうか。その間も母はあんこう鍋を作っていたのですが、いつもよりもっと着物が派手に見えて、おかしいなと思いました。
 身体が治ったので、母の様子を見てくると言って、いつも通り母が出掛けた後しばらくしてから自分も家を出ました。あからさまに通うとバレるので、外出の口実としては一番それが自然なんです。
 母の様子が様子なので、嫌な予感はしていたのですが。寺の跡地に行くと、既に中には母が居て、男たちに犯されていました。
 どうしていいか分からず、暫し呆然としてしまいましたが、ただ約束を破られたことは分かりました。自分ではどうしようもないので、もう祖父母に相談してみるしかないと思いました。年老いた二人が事情を知ったところできっと何も出来ないかもしれないし、悲惨な思いをさせるだけかもしれませんが、少なくとも俺ではもう、母を助けることは出来ないのだと思って。しかし帰ろうとした所をあっさり捕まって、そのまま中に連れ込まれ、俺も犯されました。
 どうして約束を破ったのかと問い質すと、無理矢理ではない、同意の上なのだと言い訳のように弁解されました。あれほど拒んでいたのにそんなわけがないと食い下がりましたが、中々答えてはくれませんでした。
 母と戸を隔てた隣の部屋で代わる代わる犯されて、ぐずぐずになった俺に気を許したのか、憐れんだのか、ひとりの男が本当のことを教えてくれました。
 俺が寝込んで姿を見せないでいた間、慰みに拾ってきた母へ戯れに、父の名を出したのだそうです。先日俺を見て母が呼びかけた名を、覚えていて。
 その存在を目の前にちらつかせると、母はすっかり人が変わったようになって、身を許してきたのだということでした。相手が誰でも、ひとりの名前だけを呼ばわって。
 それを言われた時ちょうど、隣の部屋から母の声が聞こえてきました。すすり泣くような声で呼んでいたのは確かにその名前のようでした。
 相手をしていた男が終わったので、俺は体を引き摺って隣の部屋に続く戸を開けました。
 母は男にあられもなく揺さぶられながら、居ない男の名前を呼んで、今まで見た事もないような、幸せそうな笑みを浮かべていました。
 ああ、そんなに会いたかったのだと思って。初めて俺は、それほどに会いたいのなら、会わせてやりたいなあと思ったんです。本当に。

 だから俺はあんこう鍋に殺鼠剤を混ぜて母に食べさせました。葬式になら父は来てくれるかと思って。
 中毒症状でとても苦しそうでした。変な話ですが、殺してしまうことは理解していたのに死んでしまうことはよく分かっていなかった気がします。死に向かってのたうつ姿に俺は背を向けて座っていました。自分でやったことなのに見届けないなんて酷いとお思いでしょうが、びっくりしてしまって。生と死というのは、もっとあっけなく切り替わる、言わば状態のことなのかと思っていた。でも、ある場所から違う場所へ行くまでに移動という現象が必ず挟まるように、死というものは一定の中身をもった固有の現象だった。
 死んでしまうんだな、と最中に理解して、同時に、生きていたんだな、と初めて知ったんです。生というのも現象に過ぎなかったのだと。

 でも結局父に葬式には来て頂けませんでした。残念です。葬式の後、流石に遠慮したのか、しばらくは身の回りも静かでした。しかし一月ほど経った頃に用事があって出歩いているところを捕まえられました。またあの場所に連れていかれ、もう母は居ないのだからする気はないと言うと頬を張られて無理やり犯されました。抵抗し続けると手首と脚にくっきりと手の跡が付きました。畜生のくせに人間面していた奴らの本性が見られて、面白かったです。
 村内で一定の地位があり、肉体労働者ばかりで力の有り余る連中の集まりでもありましたから、抵抗したってどうせ敵わないのでそれからは言う事を聞きました。祖父母に露見し累が及ばないよう加減するのなら構わないというような条件を出せば、奴らは納得しました。
 おかしなもので、母を宥め賺していた頃の癖が抜けないのか、連中は俺をまるで掌中の珠か何かのように扱いました。身体が成長して男になっても扱いは変わりませんでした。俺も長じるにつれて要領のいい振る舞い方が分かってきたので、たまに餌をやるだけでも良くなり、それでも懲りずに餌を求める連中はまるで、奴隷の群のような様に成り果てていました。正気の沙汰とは思えません、性交して母の狂気が伝染ったのかと考えたこともありました。

 今考えてみれば、彼らにも罪悪感というものがあり、それが彼らを自己正当化に走らせていたのかもしれませんね。行為を止めてしまえば過去の行いとして完結した罪と向き合わなければならなくなる。続けている限りは惰性で審判が留保されるわけです。それこそ、戦場にいる間は人殺しが殺人にならないように。
 しかしその経験のお陰で、軍に入ってからそういったお声が掛かることがあっても、ある程度うまく対処する術が身に付いた。それともそのせいで声が掛かるのですかね? だとしたらやっぱり、損な話ですが。
 いえ、連中とはもう全く。今後会うことも二度と無いでしょう。それに、村に居た間じゅうずっと、というわけでもなかったので。祖父母がどちらも鬼籍に入った時に、彼らとは寝なくなりました。独りでさえあるならば、断るのは大変容易なことでしたから。

 ご気分が優れないのですか? こんな気味の悪い話を聞かせられて御気分を害してしまわれたのでしょうか。お耳汚しを致しました。
 は、そうではない? 憎い? ……村の男たちがですか?
 ははっ、貴方がそんなことを仰るなんて。話してみるものですね。
 俺自身はそれほど。この先関わる必要のない人間ですから。殺す必要もね。
 そういえば軍属になることが決まって、村を出ていくことになり身辺整理をしていた時分、例の頭目の男が死んだんですよ。自殺だそうです。
 自殺の原因が俺に関係あるのかどうかは分かりませんが。俺のせいだすれば、そこにあるのはやはり、罪悪感なのでしょうか? あるいは執着?
 何にせよ馬鹿馬鹿しいことです。童貞処女は穢れなきものの象徴のようによく言われていますが、本当にそうだと思いますよ。所詮は性行為など排泄の類縁に過ぎないのですから。

 おかしな話ですね。殺す必要のあるロシア兵より、殺す必要のない過去の遺物に殺意を抱くなんて。行為というのは、それが何かを生み出すと考えてこそ、するものではありませんか?
 そうですか。それならやはり俺は、何かが欠けているんでしょうか。
 ……。……それじゃあいつか、残った奴らも殺して下さいますか。楽しみにしていますから。

 ……冗談ですよ。
 貴方は誰も殺さない。殺す必要がない。これから先も。
 それはきっと善い事なんです。守るべき清らかな境遇……そこに理由があるとするなら……貴方は祝福されている。そういうことなのでしょう。

 しかし、死というのは終わることです。殺すというのは終わらせることです。そして生というのは、続いているということです。
 母を殺してそれが分かりました。分かってから時々思ったんです。もう少し鳥を撃っていれば、それを母が受け取る可能性もあったんじゃないかって。
 でもそんなことはもう考えなくていいんです。だって、もう終わったことなんですから。
 それは俺にとって良い事なんです。ならばきっと、終わることもひとつの祝福なのでしょう。始まり、続いていくことばかりが祝福とは限らない。

 俺があなたにあげられるものは結局何もありませんでしたね。だからあなたのそばにいる方法も見つからなかった。けど、そばからいなくなる方法はもう、知っています。

 遠くで何か叫んでる。号令でしょうか。そろそろ俺は失礼致します。
 二〇三高地の陥落も間近だそうですよ。
 勇作殿がご無事で何よりでした。束の間の休息でしょうが、お役目に戻られるまで、どうぞゆっくり御静養下さい。

 さようなら。