2.異種交流
レオナ達が去り、沈黙が落ちた室内で、口火を切ったのは意外にもヒュンケルだった。
「オレは……人間の迫害というものがよく分かりません。弱い人間の中に一人強い生き物として混じってしまった時に向けられる悪意というものが、どういうものなのか……。オレが生まれ育った地底魔城のアンデッドたちは皆親切だったし、人間と暮らした経験はアバンに師事していた時だけで、それからはずっと魔王軍に居ました。魔族とモンスターの中にひとり人間が混じっても、向けられる悪意があるとすればこちらを弱者とみなした嘲りと敵意だけだったし……大勢の人間と相対する時、オレは敵としてしか対峙してこなかった。だから……ダイのように善良な少年が、好意を持って受け入れられないことがあるなど、理解できない」
寡黙な剣士の朴訥な吐露に、マトリフは内心驚く。
マトリフにとって色々な意味で馴染み深いパプニカを魔王軍軍団長として滅ぼした後、改心してダイ達の仲間になったアバンの弟子……という簡単な経歴の他には、彼らの長兄役という印象しか持っていなかった。ちょっと見ただけでも弟弟子を強く気遣っている事は伺えたので、それ以上詳しく知る必要性を感じていなかったとも言える。
しかし思えば直接会ったことはなかったが、ハドラー討伐後に国にも帰らず珍妙な恰好でフラフラし始めたアバンと何かのついでに会った時、アバンは「子育てしている」と言っていたのだ。どこでこさえたのかと当然揶揄ったマトリフに、地底魔城で託された人間の男児だということは説明があった。まだ自身も少年期を脱し切らない若い身空でどこまでお人よしなんだと呆れたが、子育ては大変だ、毎日手を焼いているとおどけていたアバンの顔は、幸せそうだった。
マトリフは数奇な生まれの青年に言う。
「……人間は弱い分、想像力を発達させた生き物だと言われている。実際の危難に肉薄してしまえば何もできない脆弱な生物だからこそ、危難の可能性を早いうちから回避できるように恐怖する。逃げることにそれが発揮されている内はかわいいもんだが、傲慢さを身につけた者はやがて脅威の排除を願い、それを叶える力を強く欲する。排除の対象に上限は無く、どんなものにも敵の可能性を見出し得る。加えて一人一人は脆弱でも、数に頼ればいくらでも狡い手を思いつくのも人間だ。何せ発達した想像力があるからな」
「あくまで、人里離れた洞窟で隠遁生活するほどの厭世家の人間の意見だからね」
マトリフの私見に横から注釈を入れるブロキーナに言い返す。「そっちも似たようなもんだろ」
「しかし……善い人間もいます」
ヒュンケルが昏い目で言う。その目線は、弟弟子の眠る寝台を向いていた。
そこにラーハルトが冷たい声で反論する。
「……ほんの一部だろう。大多数は違う。大衆からの迫害という根本的な問題の解決にはならない。現に、バラン様も人間からの迫害に遭った。始めは歓迎していたものを、脅威から疑心暗鬼に取り付かれ、何の罪もないバラン様を魔物として処刑しようとした。お前にも聞かせた筈だ」
「それは……」
「……まあ、排除のために罪をおっ被せるなんてのは常套手段だな。オレもしょっちゅうやられたしよ。仲間外れにするっていうシンプルな方法が一番効くんだ。あとは暗殺とかな。オレもしょっちゅうやられかけたし。返り討ちにしたが」
「まじ?」ブロキーナが若者言葉で驚愕する。
「何が『まじ?』だよ」
「マトリフさんも……? しかし、変わらぬ人間同士だというのに何故……」
「そりゃ、強すぎるからだろ。種族なんてのは一要素に過ぎない。要するに、群からはみ出た者に対して世間は総じて冷たくするもんなんだ。まあオレの場合はパプニカっつー場所も悪かったんだな。なまじ魔法国家だからオレの並外れたすごさが理解出来ちまう。国家を乗っ取る気だとか、いつ殺されるか分かったもんじゃないとか、色々言い分はあったようだがな。結局は難癖だ。オレのことが怖くなっちまったのさ」
「しかし、前科があるわけでもないのに」
「害するつもりは微塵もなくても、害せる能力を持ってるってだけでビビらせちまうもんなんだろうよ。魔王を倒せる力を持ってるってことは、すなわち魔王と同じ力を持ってるとも言えるってわけだ。能ある鷹は爪を隠すと言うが、戦いが終わった後ことごとく放浪始めたり僻地に引っ込んだアバンやブロキーナは実際賢明だったと思うぜ。魔法の研究価値に釣られたとはいえ、オレももう少し上手くやりゃあ良かったんだろうけどな。後の祭りだ」
ラーハルトが再びぼそりと言い返す。
「……上手いやり方なんてあるものか。バラン様は王宮を追放されても逆らわず、自ら去り……それこそ人里離れた僻地で、愛する女性と慎ましく暮らそうとしただけなのだ。それを人間たちは追手を差し向けてまで排除しようとした」
「……その駆け落ち相手ってのは、王宮の人間か?」
「姫君だった」
「「あー」」
マトリフとブロキーナの苦い声が重なる。
それが問題視される事実であるという自覚はあるのか、ラーハルトは目を逸らしながら続けた。
「一人で出ていくつもりだったバラン様に奥方がついて来られたのは、ダイ様を身籠っていたからだが……それでも二人が愛し合っていたのは事実だし、人間ではないという家臣の密告が無ければ追放などされなかった。……バラン様は、人間の為にたった一人でヴェルザーを倒し地上を救われたのだぞ。そんな功労者に対し、人間から向けられた仕打ちはやはり陰湿な迫害だったというわけだ。バーンがダイ様に言った通りだ……人間というものは」
「追手を差し向けられて、それでどうしたんだよ。殺したのか?」
「殺さなかった。バラン様は大人しく投降し、家族のため甘んじて処刑されようとした。しかし処刑の瞬間、ソアラ様が……ダイ様の母君が、バラン様を庇って命を落とされたのだ。あまつさえそうやって死んだ実の娘を侮辱するような言葉を王から投げつけられ……バラン様は、人の心を捨てた」
「……おい。もしかしてその国の名前は……アルキード王国か?」
「そうだ」
「「あ~~~~」」
マトリフとブロキーナが頭を抱える。
「有名なのか?」
興味深そうに聞いていたロン・ベルクが二人に質問した。
「人類史の一大事件だ」
「突如一つの国が大陸ごと消失した日……地上で暮らす成人した人間なら大体は知ってる。あの日の爆音と閃光を目にしなかったのは、余程地下深くのダンジョンとかにいた者だけだろうね」
「そうだったのですか……」
地底かどこかに居たらしいヒュンケルが呟く。
「竜の騎士の……いわば戦神の怒りに触れちまったってのが、亡国の謎の顛末だったってわけか。で、確かダイは赤ん坊の頃デルムリン島に流れ着いたって話だが」
ポップに聞いた話を思い返すマトリフに、ラーハルトは頷いた。
「親元を引き離され遠い国へと送られる予定だった船が、途中で難破してしまったらしい。バラン様は世界中を探したが、見つける事は叶わなかった」
「なるほど。流れ着いた先で、まともな保護者に恵まれたのは幸運だったが……まあ、ひでえ話だな」
「そうだ。……正直オレには、さっきの女の言葉は理想論に過ぎないように思える」
硬い声で吐き捨てるラーハルトに、マトリフは腕を組み言った。
「……オレがかつてのパプニカで散々な目に遭って学んだことの一つは、一人で目立ちすぎちゃマズイって事だ。オレがいくら超天才の大魔導士でも、もしオレに匹敵するような実力のある魔法使いが他に居たら、もっとまともな扱いになってただろう。もう一人が暴走した時に、そいつを止められる奴が居ねえとまずいからな。両方居れば保険がきくだろ」
「……都合のいい話だな、それも。結局バーンの言う通り、苦しい時だけ縋って利用するために欲しているというだけじゃないか」
「それはそうだ。だが、何も言って来なくなりゃあ上々だろう。世界を救うって言ったって、そういう大多数の人間のことはついでに助けたようなもんだ。当人にとって本当に必要な相手はそう多くねえ。自分を本当に受け入れてくれる人間が一人か二人いれば、他の大多数の人間の態度が現金だろうが薄情だろうが、どうでもいいんじゃねえか?」
「おや……マトリフどのも、そういうポジティブな考え方をするんだね」
ブロキーナが意外そうに言う。
「今だから思うことだがな」
「なるほど。その境地に至るには、愛弟子の登場が必要だったわけだ」
「黙りやがれ」
冷やかす老人と照れる老人の寒いやりとりに、若者が食い下がる。
「だが人間の勇者ならともかく、竜の騎士に拮抗する存在など皆無だろう。バーンも倒した今、ダイ様は否が応でも天地魔界の頂点だ。だが放っておけば、ヴェルザーもバーンも地上を制圧していた。それを斃せる人智を超えた力があって初めて平和という僥倖に与れたのだ。必要な強さというものを理解せず、恩を忘れて忌避する人間の愚かさが変わらない限り、竜の騎士に居場所はない」
「まあ、そりゃごもっともだ。流石に竜の騎士まで行くと厳しいな。そのダイの父親も家族とひっそり暮らせれば満足出来たんだろうし、相手が一国の姫君じゃなけりゃ平穏な余生を送れたかもしれんが……。純粋な竜の騎士でも、見た目は人間と変わらねえんだろ? もしかしたら表舞台に出る機会が無かっただけで、そうやって上手いこと紛れて暮らした竜の騎士も歴史の中には居たのかもしれねえな。……だが今回もあいにく、お相手候補はお姫様だ。レオナ姫にゃ悪いが、オレも国側のコントロールでその辺の問題をどうにかするのは厳しいんじゃねえかと思うぜ。勇者の国政入りはアバンも避けたルートだしよ」
「フローラ様も承知してる感じだよね。その辺は」ブロキーナが神妙に言う。
「結局ひっそりと隠れて暮らさない限りは、バラン様の二の舞だということだろ。人間は変わらない」
冷え切ったラーハルトの言葉に、マトリフは肩を竦めて同意した。
「ま、オレの意見もそうなるね」
ブロキーナも「かなしいなあ……」とぼやいたが反論はしなかった。
ヒュンケルが俯いて言う。
「縋ったり、迫害したり……そうする人間達が見ているのは、あくまで勇者という役割であって……そこに本人の人格などは初めから想定されていないのですね。本人の心根が善良だろうと何だろうと、そこまで見れるほど余裕がない……己の事以外を案じられるほど、強くない」
「そういうことだ。よくわかってるじゃねえか」
おどけて偉そうに言うと、ヒュンケルは自嘲の笑みを浮かべた。
「自分がそうでした。どれだけアバンに優しくされても……勇者という役割への憎しみを捨てられなかった。オレもまた、弱い人間でした」
「……アバンは気にしねえさ。今ならわかるだろ」
「……はい」
ヒュンケルは頷いた。
その時、扉越しにも分かる賑やかな気配が慌ただしく近づいてきたかと思うと、勢いよく部屋の扉が開いた。堂々と開け放たれた先に立っていたのは、人間の子供サイズの大きなネズミだった。
「老師! ただいま戻りました!」
シュタッとブロキーナの前に素早く移動し、膝をつくネズミの頭をブロキーナがチョップする。
「もっと静かに入ってきなさい。ポップ君がまだ寝てるから」
「ええ、まだ寝てるんですか? あの魔法使いは。まったく仕方ないやつだな」
ベッドまで覗きに行こうとするネズミを、続いて部屋に入ってきたマァムが慌てて捕まえる。
「ダメよチウ。すみません老師……あっ、マトリフおじさんも」
「おうマァム。しばらく見ねえ内に武闘派になったらしいな」
あえて多くは語らず、軽い調子で言う。マァムもそれに合わせて笑顔で頷いた。
「ええ。おじさんのアドバイスのおかげよ」
「アドバイス? 覚えがねえけど良いことしたなオレも。いいぜその恰好」
親指を立てるマトリフに、ネズミが顔をしかめながらコソコソとマァムに聞く。
「誰ですか? あのスケベそうな老人は……」
「大魔導士マトリフ。老師と一緒にアバン先生とパーティーを組んでいた、ポップの魔法の師匠よ」
「ああ、なるほど……あのスケベ魔法使いの……」
「そっちの態度だけでけえネズミはどちら様だ?」
「なんだとお!」
「ワシの弟子のチウだよ。仲良くしてね」
ピースするブロキーナに「は~ん」と鼻を鳴らして、マトリフはチウをじろじろと見下ろした。
お互い失礼なことを考えているのを隠さぬ目つきで見つめあう横から、続いて入ってきたバダックが挨拶する。
「おおマトリフどの! お久しぶりです! 聞きましたぞ、オーザムの塔まで行ってくれたと! 寒くはないですかな!?」
「お前も声がでけえんだよ」
「おっとこれは失礼……!」
慌てて口を押える後ろからは、ちゃんと物音に配慮した静かな動きでクロコダインが入ってきた。
「ご無沙汰しております、マトリフ殿」
「おう。どんなもんだ、外の様子は」
「残念ながら、手掛かりは何も……。帰還の号令で戻ってきましたが、どの道もう今日の捜索は難しくなってきました。日が落ちてきた上に、街の明かりが眩しくて夜目が利かない」
「気球で上空から見ると、どの町もお祭り騒ぎで煌々と松明を掲げておりまして。夜になったら花火も上がるそうですじゃ」
バダックも肩を落として言う。
「景気のいい話だぜ」マトリフは鼻で笑った。
「ポップが起きてしまうんじゃないかしら……」気遣わしげにマァムが言う。「おじさん、ポップは大丈夫なの?」
クロコダインも案じるように同調した。
「これまで魔法力を使い果たした時でも、あれほど昏々と眠ることはなかったはず。アバン殿が催眠魔法をかけたとはいえ……」
マトリフは寝台に目をやる。
「負担がかかってるのは確かだけどな。今寝てるのは、単純に体力が限界なのと、入ってきた膨大な経験値を頭が整理してるんだろう。昨日今日でいくつ呪文を覚えて、いくつ魔法を使ったんだか知らねえが、元々あいつは一回の戦闘や呪文習得で入ってくる経験値が尋常じゃなく多い。今までも難しい呪文を覚えた晩はいつもヘバって、あんな風に死んだように眠ってた。今回はとりわけヘビーな経験だったろうから少し時間が必要なのさ。心配しなくてもじきに目を覚ます……腹も空いてくるだろうしな」
「そう……よかった」
ホッとしたようにマァムが言う横で、チウが腹を押さえながら言う。
「ボクもそろそろ空腹なんですがねえ……」
「さっき夕食の手配をするってレオナ姫が言ってたよ。メルルと一緒に今準備してるんじゃないかな」
「本当ですか!」
「そうなんですか? じゃあ私も手伝いに行こうかな」
「ワシも行くぞ。捜索の報告をしに行かなければ。皆の分もまとめて伝えておくよ」
「ああ。よろしく頼む」
「マァムさんが行くならボクも行きます!」
「いってらっしゃい」
ひらひら手を振るブロキーナに礼をして、三人が部屋を出ていった。そこで初めてクロコダインの後ろに二人、見慣れぬ顔があったことに気づく。
マトリフの視線に気づき、クロコダインが二人を前に出した。
一人目の全身金属男を示して言う。
「マトリフ殿。こちらは新しい仲間のヒムです。ハドラー親衛隊のポーンだった男です」
「ほお。ハドラーは死んだって話だが、独立した生命体になったのか」
すぐに大方の察しをつけるマトリフに、表情豊かな金属生命体は気圧された顔をしてから「あー」と何かに思い至ったような声を上げた。
「マトリフってあれか。昔ハドラーさまと闘って、あとポップの、アレ……メドローアを編み出したっつー」
「そうだよ~ん」
ブロキーナが何とも軽い口調で答える。どこかでそれを教える機会があったらしい。
「なんだ。やって見せて欲しいのか?」
「い、いらねえ! 勘弁してくれ」
冗談を真面目に受け取り慌てる反応はからかい甲斐がありそうだ。気に入られてるなこれは、とブロキーナを横目でちらりと見る。
「そして、こちらは……」
不思議とどこか申し訳なさそうな気配を滲ませながら、もう一人の小さな影をクロコダインが示した。
思慮深い目をした老モンスターは、ぺこりと小さく頭を傾けて礼をすると、穏やかな声で言った。
「皆さん、ダイがいつもお世話になっております。デルムリン島であの子の保護者をしておりました、ブラスと申します」
「……!」
ヒュンケルとラーハルトが息を呑んだ。
二人ほどではないが、マトリフも思わず少し居住まいを正す。
クロコダインが目を伏せて説明した。
「アバン殿が事情を伝えにデルムリン島まで行き、そのままブラス殿もダイの捜索に加わってくれていたのだ」
「魔王が倒れ、ようやくアバン殿が島に敷いてくれたマホカトールの外に出ることが出来ました。アバン殿が生きておられたことには本当に驚きましたが……。邪悪な魔力を跳ね返せるほどの強さがわしに無かったために、今まで挨拶にも窺えませんで」
重ね重ね礼をするブラスのあまりの礼儀正しさに、マトリフは何となく我が身を顧みたくなった。
「最後にダイに会ったのは、先月冠を取りに帰った時か?」
何か思う所があるのか、ロン・ベルクがいきなり聞きにくい問いを直球でぶつける。礼儀どころの話ではなかった。ラーハルトがものすごい顔をしている。
しかしブラスはその問いにどこか懐かしそうな、少し悲しそうな表情を浮かべて穏やかに頷いた。
「はい。いきなり空から飛んでくるなり、家じゅうひっくり返して……つい昨日のことのように思えます。歳をとると時間の経つのが早いものですから……まあ、それを言うならダイがポップ君とあの島を出た日も、わしにとっては昨日のことのようなのですが」
そう言って、ブラスは見知らぬ顔ばかりであろう室内の中で、寝台に眠るポップの方を見ると優しく目を細めた。
「ポップ君は、あの旅立ちから終わりまで、ずっとダイと一緒にいてくれたんですねえ。覇者の冠を取りに来た時も驚いたのです。アバン殿の手を離れて、危ない目にも遭って、嫌になることもあったでしょうに。ご健在であるというご両親のことを思うと申し訳なくも思いましたが……ありがたかったです。ダイはわしなんぞには想像もつかないような所に向かっているのだと、それだけは分かっていましたが、ポップ君がそばに居てくれていると思えば心強かった。きっと大丈夫だと、信じて待つことが出来ました。ダイもどんなに勇気づけられたことでしょう。感謝のしようもありません」
ダイとゴメ、大切な家族が帰らなかったというのに、その感謝の言葉には一点の曇りも無かった。
言葉を失う面々の中で、ロン・ベルクが言う。
「……ポップが両親と再会したのも、あの覇者の冠を取りに行った日だった。会うのはほぼ二年ぶりだったらしい。そしてポップだけすぐにパプニカへの魔王軍侵攻のためとんぼ返りしちまって、それが今のところ親がポップに会った最後だ」
「なんと……」ブラスが瞠目した。
「オレは親父の方と親交があるんだが、後になって愚痴をこぼしていたよ。息子が本当に勇者一行に加わり最前線で戦っているなど思いも寄らなかったし、結局ロクに詳しいことも語らず出ていった。あのアバンという師は定期的に手紙を寄越していたらしいが、本人は二年間一言の便りも寄越した事がない。再会した時も相当灸をすえたが、全く足りないと」
「ご心配なさっていたんでしょうなあ……」
「ああ。二度と会えない可能性があるなど、端から考えていないようだった。というより、可能性があることは知っているが、その事実が正視に堪えないといった所か」
ブラスは頷く。
「よく分かります」
「……どこまで事情を聞いているか知らないが、ダイとポップは最後、爆弾による地上の崩壊を止めるため二人で上空へ飛んだ。爆発の直前に、ダイはポップだけを蹴り落として地上に返した」
「……!」
ブラスが目を見開いた。そこまではまだ耳に入っていなかったらしい。ロン・ベルクはあくまで淡々と言葉を続けた。
「ポップ自身がどう思っているかは知らないが……少なくともポップの両親は、ダイに感謝してもし切れないだろう。オレも縁がある分、一人息子を失くした友人夫婦の姿を見ずに済んで安堵している。……感謝する」
ブラスは打たれたようにしばらく立ち尽くした後、顔を皺だらけにして微笑み、何度も頷いた。
「こちらこそ、教えて頂きありがとうございます。……ダイは……偉かったんですなあ」
自然と室内は沈黙に沈んだ。
ラーハルトが献上するような慇懃さでブラスに椅子を勧めた以外は動きは無くなり、そうすれば不思議と一人眠りに落ちるポップの存在感が増す。結局この場にいる者は皆、その目覚めを待ってここに集まっているのだろう。
その静寂を遠慮がちなノックの音が破る。
顔を覗かせたのは、おそらく親子と思われる面差しの似た二人の男だった。
主要メンバーの殆どが揃った室内に少し驚いた顔をした後、背の高い方の男が言う。
「失礼します。ロン・ベルク殿と、大魔導士マトリフ殿に少々お尋ねしたいことが……。
マトリフ殿にはお初にお目に掛かります。私はリンガイア軍の将を務めております、バウスンと申します。こちらは息子のノヴァです」
紹介された少年が少し緊張した面持ちで頭を下げる。マトリフは訝しく訊き返した。
「尋ねたい事?」
「はい。各地のピラァ・オブ・バーンの事なのですが」
ああ、とマトリフは相槌をうつ。あの瞬間共有されたのは塔が落とされた場所と、そこに埋められた黒の核晶の存在と、五分以内に氷結呪文で停止させなければ地上が吹き飛ぶという情報、バーンパレスで闘っているダイ達ではそれを止めに行けない事――そして声の主が、あのゴメであるという事だけだった。
名指しされた所を見ると、氷結呪文で凍らせれば停止するという情報を始めに提供したのはロン・ベルクなのだろう。
「今後の対応として、どうするのが正解なのか意見を伺いたいと思いまして。氷結呪文は定期的にかけた方がいいのか……見張りは立てた方がいいのか、等」
「オレの方に聞く意味はあるのか?」
マトリフが疑問を述べると、ロン・ベルクが言った。
「見た所オレよりも呪法の知識は豊富そうだ。オレも年の功で多少知識があるだけで、氷結呪文を提案したのも半ば勘だったからな。確かな事は何も言えんぞ」
「先にアバン殿にも伺ったところ、お二人からの意見を参考にした方がいいだろうと」
「ヘッ、むしろこういうのは奴の得意分野だと思うがな。……まあ、オレの意見としちゃ、どっちも必要だと思うぜ。定期的に氷結呪文はかけるべきだし、見張りは立てるべきだ。常にな」
「同じ意見だ」
ロン・ベルクも素っ気なく同意した。
「氷結呪文はともかく……見張りは常時、ですか? 確かに一つでも爆発すれば、地上が更地になる恐ろしい爆弾ではありますが……爆発させようとする者など今更……」
ノヴァの疑問に、マトリフは鼻をかく。
「確かに、もし爆発したらって警戒もある。しかしどっちかっていうとオレが懸念してるのは、爆弾自体の価値の方だ。爆発させねえにしても、地上を更地にできる破壊力の兵器を所有するってだけで最高級の脅しになる。
それに、あれは内部の魔法石に蓄積された魔力をエネルギー源にしてるだろ。威力から考えても蓄積された魔力量は測り知れねえ。方法は見当もつかねえが、もし仮に中の魔法石を取り出す事が出来ればこれ以上のお宝はない。丸ごと持っていこうっつー輩が今後現れてもおかしくないぞ」
「お宝……ですか? 魔力が?」
「地上じゃ魔力そのものは精々魔法使いの回復ぐらいにしか使われてねえから、ピンと来ないだろうがな。魔界じゃ何より貴重だろ?」
問われたロン・ベルクが頷く。
「ああ。六つある内の一つ手に入れるためだけでも、いくらでも戦争が起こるだろうな」
「魔界……ですか」遠い話に唖然としたようにバウスンが呟く。
「地上と違って魔界はエネルギー源が魔力しかない。逆に言えば魔力さえあれば大概の事は何でも出来る」
「魔界の住人から、狙われる可能性があると? しかし地上まで来れるものですか?」
「オレが何故ここに居ると思う? 来る方法はある。いくらでもって訳じゃないが」
「そ、それは……確かに」
「バーンが死んでどういう影響が出るか分からんしな。天地魔界の境界がもっと隔たる可能性もあれば、逆に薄れる可能性もある」
「それに、人間の間でも魔力の運用価値が全く知られてないわけじゃない。ベンガーナ辺りは火薬を使った武器開発が進む一方で、最近は魔力を使った都市開発も推進してるって話だ」
「ああ……エレベーターとか」マトリフの言葉にノヴァが頷いた。利用したことがあるらしい。
「ま、そういうわけでアレをどう管理していくかっていうのは割と難題だと思うぜ。落とされた場所がどこの領地かって事も無関係じゃねえし、早いとこ国家間で共通の方針を決めるべきだろうな」
肩を竦めて結論付けるマトリフに、バウスンが礼をした。
「貴重なご意見ありがとうございます。早速見張りの選出等、協議いたします」
「ボクはここに居ても?」
「ああ。お前も今日はもうゆっくり休みなさい。では、私はこれで一旦失礼致します」
一礼して、バウスンが足早に部屋を去っていった。見送ってマトリフはぼやく。
「為政者側はひと段落しても仕事が多くて大変だあな。つーか、アバンが直接聞きに来ねえって事はアイツも忙しいのか」
「ええ。各国へダイ捜索の協力を仰ぐための調整や、今日の時点で集まった情報の集約作業に入っています。フローラ様と」
「ほお~」
「ああいった宰領も、誰より鮮やかにこなしてしまうんですから……すごい方ですね本当に。さすが伝説の勇者様だ」
しみじみと言う若者は、本物の勇者アバンを目の当たりにして感動しているらしい。ここに残った所を見るに、少なくとも魔王軍との闘いに参加出来る程度には実力のある戦士のようだ。もしかしたらアバンに憧れていたりしたのかもしれない。
「まあ、あいつはちょっとおかしいからな」
「お前も一応勇者だろ。手伝わなくていいのか?」揶揄い混じりに声をかけたロン・ベルクに、ノヴァは照れ臭そうに苦笑いする。
「ボクに出来る事は、今日はもう無さそうですよ。祝宴の用意には尚更出番がない。……ポップは、まだ目覚めないんですね」
ポツリと寝台を眺めて言う。
「ここに来る奴みんな言ってるぜ。まあ皆探しに出てる中一人だけグースカ寝こけてんだから、気持ちは分からないでもないがな」
思わずぼやくマトリフに、ノヴァは首を振った。
「いえ、勿論彼に休息が必要なことは十分理解しているんですが。……落ち着かないんです。ダイはずっと、ボクらの要でしたから。その支柱が急に抜けて……何となくまだ足元がフワフワしているようで。今の状況をどう受け止めたらいいのか分からない。ポップの……もう一人の要だった彼の目が覚めて、その声を直接聞かないと、区切りがつかない感じがするんです……気持ちに」
「……責任重大だな」
冷やかしながら、その言葉はこの室内の人間の総意だということはマトリフにも分かっていた。
「まだ見つからないと聞いたら……ガッカリするでしょうね」
「さあな。……どんな顔するのか、オレにも予想がつかねえよ」
「もう今日の捜索は一区切りだと、分かってもらえるでしょうか。目覚めてもやはりすぐには呪文を使わない方がいいんですよね?」
「魔法力は回復してるだろうから、別に身体に問題は無いと思うぜ。だからこそ行動が読めねえのが厄介だ。とりあえず目が覚めたら何よりもまず、その枕元にあるベルトを……」
言いかけたマトリフは、不意に遠くから響いた鈍い音に口を閉ざした。
「何の音です?」ノヴァも驚いた声を上げる。
続けて同じ音が数度響いたのを聞いて、マトリフはバダックの話を思い出した。
「ああ。そういや夜にはどっかで花火が上がるって言ってたな」
「花火、ですか」
「一般市民はお祭りムード一色ってこった。戦禍でも運よく焼け残った花火があったんだろう。めでてえな」
皮肉を言う間に、風に乗って微かに人々の歓声も聞こえてきた。
自然と皆の視線が窓の外へと集まる。距離を隔てた群青色の空に、低く鈍い音と共に色鮮やかな花が開いては散っていく。
「……世界が救われたことを全世界の人間が知ってる。祝う気持ちはわかりますが……何というか……虚しいですね」
「そういうもんなんだと思うぜ。勇者なんてのはな」
ノヴァが沈黙する。
その時、一際大きな重い破裂音がした。距離を隔てても空気の振動が伝わり、一拍遅れて空にとても大きな大輪の花が咲く。直後、寝台のポップが跳ね起きた。
「ダイッ!!」
静まり返った室内に鋭い声が響き渡る。
見開かれた瞳、白くなった顔色に――皆、たった今ポップに想起されたのが、あの瞬間の爆発音であることを理解した。
荒くなった呼吸と共に、その額にどっと冷や汗が滲む。
状況が理解出来ないように呆然としているポップに、マトリフは立ち上がり、近付いた。
マトリフの姿を視界に収め、「師匠、」と呆然と呼ばわるポップの汗ばんだ額に手をやる。
少し冷たいぐらいの熱を確かめ、首筋で脈を測った。体調に問題はない。
されるがまま手を受けていたポップは、ぽつりと呟いた。
「ダイは……」
マトリフは端的に答える。
「まだ戻っても来ねえし、見つかりもしねえとよ」
よっこいせ、とベッド脇にあった小さな椅子に腰かける。
言葉を失うポップに追加で言う。
「今日の捜索は一旦ここで一区切りって話になった。日が落ちて視界も悪いし、メルルの占いで何も出なかったってのもあってな。各自ひとまず休養して、明日また仕切り直しだと」
「メルルの……」
「数週間後に何か進展があるって結果だったそうだ。だからそれまでは総出で捜索して、件の数週間後までに見つからなけりゃ改めて体制を整理するんだとよ。姫様の采配で」
「…………そっか……」
消え入るような声で相槌を打つと、ポップはそれきり膝元に視線を落とし、黙り込んだ。
「……何て顔してやがる」
マトリフはため息をついて、その頭をガシガシと撫でた。まるでこの世の終わりのような顔をしている弟子に、つらつらと軽い調子で話し掛ける。
「聞いたぞ。お前大魔王の奥義を一人で凌ぎ切ったそうじゃねえか。お前がメルルと交信したおかげで爆弾も止められたようなモンらしいし。MVPだな。アバンもつくづく良い拾いモンをしたもんだぜ」
「……。」
「正真正銘、地上の英雄になっちまったな。まったく大した話じゃねえか。今後各国から引く手数多だろうぜ。大魔導士ポップ様っつってな、一生食いっぱぐれねえぞ。黙ってりゃツラも悪くねえし、女にもモテモテだな。悪い誘いに引っかかんなよ」
「……。」
「お前はいまいち人が好すぎるからな。まだガキだし、そういう立場に置かれるには早すぎるのは確かだ。つーか決戦の前に一目ぐらい故郷に顔見せに行けよ。マァムもそうだけどよ。親不孝な奴らだぜ。親の心子知らずってな。まあ無事帰ってきたわけだからこれから見せりゃいいけどよ」
「……くれよ」
「あ? 声が小せえぞ」
「……そんな話……やめてくれよ……」
ひび割れたような声で懇願するポップに、マトリフは心を鬼にして言う。
「しょうがねえだろ。なっちまった状況は。……お前はここにいる。ダイはいねえ」
「師匠……」
「オレはお前だけでも帰ってきてくれて、ホッとしちまってる」
ポップは言葉を失った。
「お前と同じ立場には立てねえ。誰もお前の気持ちは分かってやれねえよ。ダイと最後まで一緒にいた、お前の気持ちはな」
悲しみに塗りつぶされた表情でこちらを見つめるポップに、ただ語り掛ける。それしか、してやれる事は無いと分かっている。
「言いたいことがあるなら言え。……お前はよくやった。オレにはそれ以上のことは、言ってやれねえからよ」
何かを思い出してか、目を僅かに見開いたポップは、顔を歪め――静かな声で話し始めた。
