01
「もちろんオラは超サイヤ人を超える力を手に入れるつもりだ。どんなやつよりも強くなりたいから……。しかし悟飯、おめえにはそのオラを、さらに超えてもらうつもりだ」
一番強くなりたい。腹が減ると飯を食いたくなるように、それは悟空の中に存在する根源的な欲求だった。
それがサイヤ人だからなのか、武道家だからなのか、どちらの理由が重いのかは知らない。周りで最も同じ欲求を持っていると確信出来るのが同じサイヤ人のベジータであることは事実だ。しかし共に天下一武道会に出て修行してきた仲間達にも、その志は当然にある。実際に一番強くなれるのかどうかはこの際関係ないのだ。たとえなれなくても、そう願い続けることを常にやめない。そう在れたらと憧れを持つことを。
だからこそ、そういう人種ならば誰しもが不意に理解する時がある。願いと現実はまったく別問題だと。
サイヤ人が地球に初めて来た時も、ナメック星でも、この三年間の修行でも。悟飯は小さな身体で自分たちの戦いに混じってついてきた。ラディッツの宇宙船をぶち破って出てきたあの時から明らかだった――根本的なスタートラインが違う。他の戦士が「強くなれる」素質を持って生まれついているとすれば、悟飯は「強さそのもの」を持って生まれついている。たとえ強くなりたいという欲求に乏しかろうが、そんなことは関係なく。
絶対に悟飯は自分を超えると悟空が断言しても、信じがたい様子で悟飯は反論してきた。
「トランクスさんがいってたけど、未来でボクは超サイヤ人になってたらしいんだけど人造人間に殺されちゃうんですよ……」
他人から聞いた遠い噂話のように自分の未来をあっさりと口にする悟飯に、悟空は笑う。勿論悟空だってその話は知っていた。しかし知ってしまった今、そんな未来を現実にするつもりは毛頭なかった。
「なーに言ってんだ、既にトランクスの未来とはずいぶん変わってんじゃねえか。それに、未来で死んじまったおめえはここでの修行をしなかったんだろ!?」
言い切ると、悟飯は気圧されたような顔でぽかんと口を開けて悟空を見上げていた。全然ピンと来ていないように。
強くなりたい、誰よりも。あのセルの相手にもならないどころか、神様と合体したピッコロにも勝てない今の己を鍛え上げたい。
だがそれ以上に、可能性の塊であるこの息子を、この世の誰よりも強くしたい。
自分がそばにいなかった悟飯と、自分がそばにいる悟飯ではどれほど違う存在になれるのか。己という存在が及ぼせる影響の目に見える結果が見たい。
どんなやつよりも強くなりたい――けれど悟飯はその例外であっていい。
悟飯は他人ではないのだから。
02
丸い頬を汗が滴り落ちる。
フリーザに悟空やピッコロが殺されそうになっているイメージ、ナメック星で見たフリーザ軍の悪行、ベジータやラディッツに痛めつけられた悟空、ナッパに殺されたピッコロ、恐怖、悲しみ、怒り、憤り、憎しみ。
心を傷つけるあらゆる想像を、記憶を、思い描いてはザワザワと長い髪が不穏に逆立つ。幼い顔が苦痛に歪む。
小さな頭の中に巡るイメージを覗き見て、いつも穏やかな笑顔でなんの尖った感情も見せず円く生きているように見える息子の記憶が、その実は針を刺すような強い痛みを伴うものに多く占められていることを悟空は改めて知った。
こんな何もない場所で、目の前で腰に手を当てて監督されながら超サイヤ人になれというのも難しい注文だとは思うが、悟飯はむしろ次第に追い詰められているようだ。悟空はまだ病み上がりなので、どちらにせよいきなり激しい修行はせず様子を見る目算だったのだが、悟飯は自分が悟空の足を引っ張っていると思っているらしい。精神を追い詰めるのは超サイヤ人にはプラスに働くので、あえて指摘はしない。
どこにも行けない重苦しい空間で、ひたすら自分を内側から切りつける感情に心を開き続けている。
悟飯もサイヤ人の血を引いている以上は必ず超サイヤ人になれるはずと豪語したものの、想像よりもずっと早くその時は訪れて、悟空を驚かせた。悟飯は激しい感情に乏しいわけではない。むしろそれがあまりにも強く存在するからこそ遠ざけているだけなのだ。
サクサクと、長くなった髪を鋏でバッサリ切っていく。
「前みてえなおかっぱにはしてやれねえぞ」
「しなくていいです……あれ恥ずかしかったんですから。おとうさんだって見せたとき笑ってたでしょ」
「ははは。面食らっちまってよ。笑うと折れた骨に響いてまいったぞ」
髪を左手で梳かしながら、さっぱりとした長さに切り揃える。
手で頭を撫でるようにしていると、悟飯の今の感情が流れ込むように伝わってくる。
「今日は頑張って疲れたなあ。悟飯」
労りの声をかけると、徐々に強張りのとれてきていた緊張が一気に解けて、悟飯の気がぶれた。
丸い後頭部を確かめるように、短くなった毛を指先で何度も梳かす。
「焦らなくていい。これからいくらだって時間はある。な」
「……はい」
答えた声は、涙で湿っていた。
03
超サイヤ人の状態に持って行くまでは、悟飯はすぐに安定して出来るようになった。
目の前で大事なものが傷つけられているのに何ひとつ出来ないという瞬間の絶望が、憤りが、すぐそこに在るのに止められない非道への憎しみが、最も悟飯の神経に強く作用するようだった。
その瞬間の感覚を追って、感情抜きで神経に覚え込ませようとする。何度も何度もその感覚を追う。反復する。
ぐすぐすと、止まらないらしい涙にしゃくりあげる背を、ポンポンと掌で叩いていた。
暑くて寒くて重くて息苦しいこの場所で、何度も精神を追い詰めて、傷つけて、神経を昂ぶらせる記憶と想像ばかりを追って。終わりの見えないこの真っ白い世界で。
「参っちまうのは当然だ」
宥めるように言い聞かせる。悟飯はただただ何も言わずに泣いている。
今日、初めて悟飯は超サイヤ人を長く維持することに成功した。
その昂ぶった神経の状態を覚え込ませるように、ハイになった様子で修行に取り組み、疲れ切るまで変身し続け、体力の限界を迎えて元に戻った。そして不安定になった。
出たいとは一言も言わない。ただ辛いのだと、涙が止まらないのだと、だから気にしないで欲しい、放っておいてほしいとぐずる悟飯をベッドの上で抱っこして、悟空はその背を優しく叩き続ける。
「なつかしいなあ悟飯。昔はよくこうやって、泣いてるおめえを抱っこしたっけな」
昔。言うほど昔だっただろうか。分からないが、とりあえず自分がサイヤ人だと知らなかった頃だ。
自分のことを地球人の父親としか思っていなかった頃。
悟空は悟飯を抱えたまま、ベッドにごろりと横になった。悟飯はべそをかきながら、他に出来ることを知らぬかのように悟空にぴったりとくっついてくる。この分だと泣き疲れて寝てしまうだろう。そして悟空もつられるように一緒に眠る。あの頃のように。
何だか本当に、ひどく懐かしかった。
「おめえはあったけえから、抱っこするとよく眠れる……」
だから悟空は、悟飯と一緒に眠るのが好きだった。悟飯じいちゃんと一緒に眠っていた頃とおなじくらいに。
04
しばらく別々に修行していた間に、悟飯は短時間ではあるが、この環境でも外界以上に素早く動くことすら出来るようになっていた。自分に厳しい真面目な悟飯の性格は、一人で自分を追い詰め鍛えることにも向いているらしい。
しかし超サイヤ人でいる状態に慣らすという方針を固め、久々に一緒に修行した日の就寝時、悟飯はどこかしょぼくれた様子でポツリと言った。
「ここ……ボクひとりじゃ、絶対に耐えられなかったです」
弱々しい声に、悟空は眉を上げて悟飯を抱き寄せた。
「そうか?」
おとなしく腕の中に収まった悟飯は、こくりと頷く。
「ピッコロさんに半年荒野に置いてけぼりにされた時も、初めはこわかったけど、恐竜とか動物とか鳥とか虫とか……色んな生きものが周りに居てくれました。強い気も弱い気も……。だからひとりぼっちでも耐えられたんです。でもここには、何もない。遠くまで、どれだけ集中して気を探っても、ひとつも見つからない……」
そう言って悟飯は、泣きそうな顔で悟空の胸に縋り付いた。
「ここには、おとうさんしかいない……」
だから置いていかないでくれと、そんな風に言い出しそうなその切実さに、悟空は息を吐くように笑った。
「オラがいればいいだろ?」頭を撫でて言い聞かせる。「父さんだけはずっとお前のそばにいる」
悟飯は涙声で「うん」と頷いて、悟空の首っ玉にかじりついて懇願した。
「どこにもいかないで……」
精神の不安定さは、悟飯の場合心細さに転化するらしい。
長い超化を解いたばかりで、悟空も目が冴えてしまい眠気が遠かった。悟飯の背を両腕で抱きしめてやり、その首元に顔を埋めて呟く。
「ここには怖いもんなんか何もねえのに、おめえは何も無くなっちまうのが怖いんだなあ」
仮に怖いものしか無かったとしても、何も無いより悟飯にしてみればマシなのだろうか。
そこまで考えて、悟飯はそもそも再会した時点でピッコロにいたく懐いていたことを思い出し、愚問だったと悟空は笑った。
05
日増しに悟飯の動きは洗練され、鋭さを増している。
避け続ける悟空に攻撃を当てようと手足を繰り出し続ける悟飯の、気迫の籠もった一撃が悟空の体勢を崩した。
そのまま間髪入れず顔面に向かってくる拳を、間一髪悟空は掌で受け止める。
「うひょー、あぶねえあぶねえ」
避けるには間に合わなかった。攻撃が乗ってきた時の悟飯の猛攻には獲物を追い詰める獣のような全身全霊の集中力があり、しばしば悟空も防ぐのがやっとになってきている。
気合の入ったいい攻撃だったと褒めようと思い掴んだ拳を下ろすと、悟飯はいつの間にか超化を解いた状態で、呆然としたように悟空を見上げていた。あるいは、悟空に突き出している自身の拳を。
06
「はあっ、はあっ、はあっ」
せっかく白熱してきたと思った途端に超化を解いて距離を取り、膝に手を置いて「すみません、もう、限界です……っ」と謝ってくる悟飯を、悟空は腕を組んで見下ろした。
「まだ余裕あっただろ」
超化した時の声が常よりも冷たい響きになる自覚はあった。
悟飯の肩がぎくりと強張る。
「自分でやめ時を選んでるようじゃ、いつまで経っても慣れる日なんか来ねえぞ」
悟飯は顔を上げないまま、しばらく黙った後、小さく「すみません」と呟いた。
俯いた髪の先から汗が滴った。
07
今日は一人で修行してもいいですか、と。悟飯の申し出に、悟空は異を唱えなかった。
神殿の近くで動きの精度を高める鍛錬を行いつつ、遠くの悟飯の気配を追う。
――あいつ、やっぱとっくに超化をずっと維持出来るようになってんじゃねえか。
強まったり、ぶれたりしながらずっと一定以上の強さでそこに在り続ける悟飯の強い気に、悟空はギリッと歯ぎしりして重い空気を鋭く蹴った。
やり取りが白熱した時の、形振り構わず相手を仕留めようとこちらを射貫く、純粋な攻撃性に満ちた悟飯の視線。それを浴びたくて、最近はずっとウズウズしているのに。
08
「ボク、今日もひとりで……」
神殿から出た所でそう言いかけた悟飯の唇に、人差し指を当てて黙らせた。
まだ超化していない黒い目が驚いたように丸くなるのを見下ろして言う。
「今日はずっとオラと組手だ」
悟飯は少し躊躇った様子を見せたが、従順に頷いた。
「わかりました。よろしくお願いしま……」
「超化は絶対に解くなよ」
先手を取って言うと、悟飯の視線が狼狽えたように泳ぐ。
「そ、そうしたいですけど……ボクまだおとうさんみたいにうまく……」
「今日寝るまで、超化を一度でも解いたらもう終わりだ」
お前との修行は。
悟空の宣言に、悟飯は愕然とした表情で立ち尽くした。
問答無用で始めた後、ずっと休憩なしでぶっ続けの組手だった。悟飯は健気についてきたが、防戦一方のやり方はそろそろ厳しくなってきたらしい。
鋭く繰り出された悟空の突きを皮一枚で躱しながら、こちらを睨む視線に焦燥と苛立ちが滲んでくるのを、悟空は愉快な気持ちで眺める。
まだ何らかの躊躇いを捨てきれないでいるらしいその表情に笑って声をかけた。
「どうした悟飯! 反撃しないで切り抜けられるほどオラとの修行は甘くねえぞ!」
容赦ない蹴りを腕でガードし、顔を歪めた悟飯は、キッと顔つきを鋭くすると息もつかない猛攻を始めた。
高速で繰り出される拳に一瞬緩んだ僅かな隙を的確に狙ってくる足。獲れる機会を絶対に逃すまいと、神経を研ぎ澄ませて相手の動きを追う凄まじい集中力。
これだ、と思う。
戦闘行為に没頭した悟飯の攻撃には、ある種の純粋さがある。
あらゆること、もしかしたら自分が何者かすらも、全てを忘れて相手を今この瞬間下すことだけのために動く戦闘生物。
いい一発が顔に入った。
効くなあ、と口が切れたのを感じつつ次の打撃に備えると、悟飯は不自然に動きを止めていた。
次の手を攻めあぐねている様子で、一気に戦意が萎えているのが分かる。
息を乱して立ち竦み、どこか葛藤するような顔をしているその両手首を掴むと、悟空は容赦なく白く光る床へと小さな身体を押し倒した。
ゴンと後頭部を打った悟飯が苦しげに唸る。
「なんでやめる?」
低く凄むと、少し怯んだ目をする。
構わず悟空は続けた。
「オレがこの程度で参るとでも思ってんのか?」
半端に切れた唇を噛み切ると、悟飯の白い頬にポタリと血が一滴落ちた。
逃げるように悟飯の視線が泳ぐのを、顎を掴んで真正面から覗き込む。逃がさない。
「そんな風にオレに遠慮することがオレのためになると本気で思ってんのか?」
傷ついたように悟空の目を見返していた悟飯の目に、涙がじわりと滲んだ。
それを見下ろしながら、悟空は静かに尋ねる。
「やめてえのか?」
ぶんぶんと悟飯が首を振る。
「もう何もかも嫌になったんなら、今すぐ超化を解け。言った通り、もうお前との修行はやめだ」
さらに強く、目眩がしそうな強さで首を振って、悟飯は涙を零したまま悟空を見上げた。翡翠色の目のまま。
「……怖いんです」
「あ?」
「超サイヤ人のままおとうさんと組手してると、夢中になって、気づいたらいつもおとうさんを本気で……倒そうとしてる。おとうさんは敵じゃないのに。頭の中でフリーザとか、フリーザの部下とか、サイヤ人とかを倒そうとする時みたいに。それで……それで、そうしている時……とてもとても、楽しいんです」
秘密にしておけなかった悪いことを打ち明ける時のような、怯えた顔だった。
「こんなの、ボクじゃない……」
そう言って、超サイヤ人のままさめざめと悲しそうに泣く悟飯に、悟空は喉を鳴らして笑った。
「なんだ。そんな事で悩んでたんか、おめえ」
べそをかいた悟飯の額に、自分の額をごんとくっつけて言う。
「そんなの、オレも同じだぞ」
「え……」
「オレだってこんなに長い時間サイヤ人でいたことなんか無いんだ。神経が昂ぶってしょうがねえ……うっかり、お前を殺しちまいそうになる」
ゼロ距離でまっすぐ目を合わせながらハッキリと言うと、悟飯の目が見開かれた。
「けどしょうがねえ。オレもお前も、サイヤ人の血が流れてんだからよ。これがオレたちなんだ」
目と目で伝わるだろう。今この瞬間にもじりじりと、焦がれるような衝動に侵されていることが。
目の前の生物に勝てと。
「お前のこと、こんなに大事なのにな。――怖いか?」
父さんのことが。
静かにそう問いかける悟空を、悟飯はしばらくの間じっと見上げてから、こわくない、と小さく呟いた。
「おとうさん……」
「ん?」
「ボクが、おとうさんのこと、まるで殺そうとしてるみたいに見えても」
ぽろ、と残った涙が悟飯の目尻から流れる。
「ボクがおとうさんのことを嫌ってるわけじゃないってわかって。ボクはおとうさんがいつも大好きなんだってこと、忘れないで」
乞う表情は落ち着きを取り戻していた。何かへの諦めがついたように。
悟空は笑って囁いた。
「ああ。わかってるさ。オラだってそうなんだからな」
そしてお返しに願いを返す。
「強くなってくれ、悟飯。お前の前では、オレがオレとして居てもいいように。オレも強くなる……オレの前では、お前がお前として居てもいいようにな」
悟飯は静かに笑って、「はい」とその願いを容れた。
突き出した拳を真横に弾いて、悟飯が鋭く身の内に飛び込んでくる。
腹に複数叩き込まれる拳に、腹筋に力を入れて防御しながら回し蹴りで応戦した。
ガードして突きを放ってくるもう片方の腕を掴んで後ろに投げ飛ばす。
お互い汗だくで、ぶっ続けで殴り合って、顔はお互い細かい傷でボロボロだ。
容赦ない蹴りが悟飯の胸に入り、後ろに吹っ飛ばされつつも体勢を立て直して着地する。距離を取ったその場所で、肩で息をしながらこちらを見つめる悟飯の顔には、笑みが浮かんでいた。
一瞬で距離を詰めて殴りつけてきた拳が悟空の顎に入って、悟空は仰け反りながらその手首を掴む。
近い位置にある顔に向けて、悟空は笑って言った。
「楽しいなあ、悟飯!」
悟飯は吹っ切れたような晴れやかな笑顔で頷いた。
「はい、おとうさん!」
その日は本当に、限界まで組手を続けた。
クタクタのまま一緒に風呂に入って、傷にしみると言って笑い合う間も、高揚した気分が抜けずに悟空も悟飯も可笑しくて可笑しくて仕方がなかった。布団に入っても酔ったように笑い転げては、延長のようにいつまでもじゃれ合っていた。
09
サイヤ人でいる時、悟空は常にうっすら気が立っているという感じだが、悟飯の場合は少し違う表れ方をするらしい。やけに上機嫌で好戦的な時もあれば、落ち込んだように沈んで無気力な時もある。もしかしたら激しいサイヤ人の血と、それを宥める地球人の血が綱引きのようにお互いを引っ張り合っているのかもしれない。
今日は修行の間はずっと好戦的で悟空を振り回すほどハイな様子だったのに、神殿に戻ってきてからはベッドに引きこもって横になったまま動かない。まだ寝るつもりは無いらしく超化は解いていないが、その姿でふて寝のように枕に顔を埋めて動かない様子はやけに滑稽に見えた。
悟空は悟飯の横に寝そべり、笑ってその頭を撫でる。
「なんだ、今日はこの後ずっとションボリか?」
答えない悟飯の金糸を指で弄びながら言う。
「おめえの場合は、上がってる時は下げる、下がってる時は上げるっちゅうやり方で慣れていかねえとなんねえのかもな」
「……上げる……」
枕に伏せていた顔だけ上げて、ぼんやりと呟く悟飯の横顔に、悟空は肘をついて頭を支えながら提案する。
「高い高いでもしてやっか?」
こちらを向かないまま、悟飯の頬がぷく、と膨らむ。
「……もうそこまで子供じゃないです」
「そうかぁ~」
その頬を指で突いて笑い、悟空は思いついて別の提案をした。
「じゃあ、おめえの好きな話でもしてくれよ。生きものの話とかよ」
こちらを向いた悟飯に目を合わせて促す。
「イメージしてくれりゃあオラにも見えるから」
な、と悟飯の前髪をかき上げると、悟空の頭の中に不思議な緑色をした虫のイメージが浮かんだ。
「お。なんだこの虫」
「タケトビイロマルカイガラトビコバチです」
「なんて?」
「タケトビイロマルカイガラトビコバチ」
ふふっと目を細めて笑って、悟飯は悟空にくっついてきた。
そのまま、悟飯が共有する驚くほど鮮明に記憶された様々な生きもののイメージと解説に、悟空も思いのほか楽しく付き合う。
一通り聞き終わって、悟空は感心しながら悟飯の頭を撫でた。
「おめえは本当に勉強っつーか、色んなことを知るのが好きなんだなあ」
「うん」
悟飯は嬉しそうに笑うと、甘えるように悟空の掌に頬を預けて言った。
「おとうさん、ありがとう」
10
互いの動きに対してはお互い即座に反応出来るようになった。次は視界に頼らず気を読む訓練もやっていこうと、追いかけっこを提案した。
これが始めたところ悟飯に大好評で、他のどの修行よりも楽しそうに打ち込んでいる。もう超サイヤ人でのハードな戦闘に以前ほどの抵抗感は無いものの、殴ったり殴られたりするよりはこうした修行の方がやはり身が入るらしい。
しかしただ追って追われるだけでは大した鍛錬にならないので、気功波等の飛び道具含め何をしてもいいという条件をつけた。どんな手を使ってもいいから、追う側の時は相手を捕まえ、追われる側の時は相手から逃げること。
これが案外本気でやると組手よりもしばしばハードな修行で、飛び道具を解禁したことにより単純に危険性も増した。増したのだが、悟飯の中では相手にダメージを与えるための攻撃よりも心理的ハードルが低いらしく、躊躇なく悟空目がけて容赦の無い攻撃を放ってくる。悟空なら避けられるという信頼と、そもそも根本的に遊戯性のある課題に力を使う方が戦うよりも好きなようだった。何にせよ、悟空としては本気で向かってこられるのは願っても無いことだった。
落ちてくる気弾の嵐を掻い潜って、気を捉えたと思った先に悟飯の姿はない。
「こっちだよー!」
背後からかかる楽しそうな声に、悟空も口角を上げて方向転換する。
逃げ役の時、悟飯は捉えたかと思えば気を一瞬消して素早く移動し攪乱するといった工夫を凝らしてくるようになり、捕まえるまで日に日に時間がかかるようになってきている。
かつてカリン様に手ほどきを受けた経験もある自身の方に有利過ぎる鍛錬だと思い、悟空は初め適度に手を抜いて付き合うつもりでいたのだが、すぐにそんなことは言っていられなくなった。
悟飯曰く「ボクも半年間肉食獣に追いかけられ続けた意地があります」との事らしい。改めて自分の息子ながら、こいつ苦労してるな……と思う。
追いかけるという行為は本能に訴えかけるものがあり、超サイヤ人の状態に精神を慣らせたとはまだまだ言えない悟空も、つい夢中になってしまいがちだった。
気を捉えてもすぐに逃げてしまう悟飯に、動きを止めようと身体が勝手に手加減なしの気弾を放ってしまう。
やばい、と一瞬思うが、悟飯は瞬間的に気を高め、飛んできた気弾を片腕で弾き落とした。
その洗練された反応に内心驚きながら、身体は防御のため動きの止まったその身体をいつの間にか捕まえていた。
抱えた腕の中で、悟飯が少し残念そうな声を上げる。
「あー、つかまっちゃったあ」
悟空を見上げて無邪気に笑う顔が、汗に濡れてきらきらと輝いていた。
11
毎日気温の上限下限まで行くわけではないが、今日はとりわけ寒い日だった。
修行を終えて風呂に入った後、寒さのせいか口数が少ない悟飯を抱えてベッドに入る。
「今日は寒いから、しばらく超化は解かねえ方がいいぞ。超サイヤ人の時の方があったけえから」
声をかけると、悟飯はこてんと悟空の胸に頭を預けた。そして左胸に耳をつけて言った。
「……超サイヤ人の時は、脈が速くなって、血の巡りが良くなるから、体温が上がって……だから、心臓に負担がかかるんだと思います」
悟飯の指摘に悟空は感心する。
「ああ、だからあん時、超サイヤ人になった途端一気に苦しくなったのか。おどれぇたぞ、オラ病気になったのなんて初めてだったからな」
「ボクだって……びっくりしました」
「そうだなあ」
頭を撫でると、悟飯はしばらく何か考え込んでいるようにされるがまま黙っていたが、やがてポツリと言った。
「生きてるって不思議ですね」
「うん?」
「おとうさんはこんなに強いのに……ボクだって、何の痛みも苦しみも今はないのに……おとうさんは心臓病で、ボクは知らない未来で人造人間に殺されて、死ぬときはあっけなく死んでしまう」
悲しそうでも、不安そうでもない、ぼんやりとした声だった。
「知らない未来ではボクたちはもう死んでいるのに、今こうしてボクたちはまだ生きている」
悟空は何も言うことが思い浮かばず、悟飯の顔を上げさせ、こつんと額を合わせた。
静かに見返してくる、自分と揃いの翡翠の目はひどく凪いでいる。悟飯はもう近ごろは過度に落ち込むようなことも、舞い上がるような事も無くなってかなり超サイヤ人の状態に慣れてきているようだった。悟空は今この時も、どこか煽られるような気分を味わっているのに。
悟空は体勢を変えて、今度は自分が悟飯の胸に耳を当てた。
確かに少し早く一定の速さで鼓動する心臓の音が聞こえる。
悟飯の手が柔らかく悟空の頭を撫でた。
「聞こえますか。ボクの生きてる音」
少し笑みを含んだ囁きに、悟空は「ああ」とだけ返して、目を閉じた。
12
もう追いかけっこに関しては差が殆ど無いと言っていい。いや、既に悟飯の方が上手かもしれない。あっちは遊び、こっちは必死だ。しかし組手の方はまだこちらに分があった。
「気が散ってんな」
「え?」
「追いかけっこの時はもっと夢中だったろ」
小休止中、荒い息を整えている悟飯に指摘すると、悟飯は額の汗を拭いながら困ったような顔で言った。
「夢中っていうか……必死ですよ。おとうさん強いし……」
「組手の方でも飛び道具使っていいって言ったろ。追いかけっこの時みてえに、距離とって気をぶつけたりすればいいじゃねえか」
「はい……」
頭を掻いて俯く悟飯を、悟空はじっと見つめていた。
13
「量があんのはいいけどよ、粉だけっちゅうのはやっぱ味気ねえよな」
微妙な表情で頬を膨らませながら言う悟空に、悟飯は粉と水を捏ねながら笑って言った。
「でも無くなる心配が無いのは安心ですよ」
「そりゃそうだけどよ……。おめえ、荒野じゃ何食ってたんだ? 獣とかか?」
「基本は木の実とかです。豆みたいな、栄養のあるやつが生ってる場所があったんですよ」
「仙豆じゃあるめえし、その辺の豆なんかじゃ腹膨れねえだろ~」
「あ、でもたまに肉も食べられましたよ。ボクをしつこく追いかけてくるすっごい大きな恐竜がいて、そいつのシッポを少しずつもらって食べてたんです。あれおいしかったな~」
味を思い出しているのか、うっとりと懐かしそうに思い出している様子の悟飯に悟空は呆れる。
「ちまちまシッポなんて食ってねえで、丸ごと食っちまえばよかっただろ」
「イヤです。かわいそうですよ」
あっさり当然のように拒否して、悟飯は練った粉を黙々と口に入れ始めた。
「おめえは優しすぎるな」
悟空は自分の器の、練りが足りずボソボソの粉を指でつまみながら、ポツリと呟いた。
14
悟飯のことを舐めんばかりに可愛がるチチの溺愛ぶりを、悟空はいつも呆れて見ていた。悟空だってもちろん悟飯が可愛いが、そうされたがっているわけでもないのに構いつけるほど猫かわいがりはしない。
恥ずかしそうに困った表情で逃げる悟飯を抱きしめて、頬擦りするチチに「その辺にしといてやれよ」と窘めると、チチは笑いながら「んなこと言われても、こーんな可愛いんだもの仕方ないべ。おらもう悟飯ちゃんにメロメロだ」と取り合わなかった。
なんだメロメロって、とその時は笑ったのだが。
こういうことかと今は思う。
追いかけてくる動きを阻もうと本気で気弾を放っても、向こうにはこちらの動きを読んで先を行く余裕があった。
翻弄され、誘導され、自分から袋小路へ向かわされるかのように行動を支配される。
休む間もなく大きく走り回らされ疲れが出てきた頃、足下の絶妙な位置に落とされた気弾にバランスを崩した。目の前に現れた影が、待ち構えていたように胸元に飛びついてきて、悟空は盛大に床に転がされる。
「つかまえた」
荒く上下する悟空の胸に跨がった悟飯が、目を細めて笑った。
白い光に照らされてぼうっと光る、息一つ乱していないその姿を高揚して見上げながら、悟空も笑って言う。
「まいった」
ここまでとはなあ。
悟空は弾む息を整えながら、悟飯の頬に手を伸ばす。懐くように擦り寄る頬をゆっくりと撫ぜる。
見事だった。おそらく経験の差を差し引いても、悟飯との実力差はもうほとんど無いだろう。
その上――悟飯には更にまだ、この上があるのだ。
本当にまいった。
もう悟空は、チチのことを笑えなかった。
15
殺すつもりでやるから、お前もそのつもりで来いと。
言うのは簡単だが、実際には難しい。本気でするのも、本気にさせるのも。
容赦なく浴びせた気弾の嵐を、気配を消しながら回避した悟飯が背後に回る。その動きを読んで放つ追加の気弾を掻い潜って、悟飯が距離を詰めてくる。そこまでは追いかけっこと同じだ。
しかしその後の攻撃が、悟空が受けることを前提とした攻撃しか放ってこない。
「殺す気でやれって言っただろ!! 隙を突かないでどうする!」
激しい打撃の応酬の中怒鳴るが、悟飯は高速で繰り出す悟空の攻撃を全て受けきっている。隙を突く必要など無いのだ。
悟空は悟飯の攻撃を一度真正面から受けた。そのつもりで防御に力を溜めながら受けた攻撃はそれでも鈍い痛みと共に骨身を軋ませる。堪えながら、悟空はリズムを崩されガードの緩んだ悟飯の横っ面を容赦なく殴り飛ばした。
たたらを踏んで体勢を崩した悟飯に間を置かず追撃を浴びせ、無防備に喰らった悟飯の小さな身体は仰け反って一歩二歩と後方によろめく。
足に力を入れて堪え、俯く悟飯へと、悟空は追い打ちをかけるために距離を詰めた。
刹那、獲られる、と思った。
その場で次の動作が可能になった悟飯と、そこに突っ込んでいく自分と。悟空は、自身の動きがスローモーションになったような錯覚を覚えた。知覚だけが通常の速さで瞬間先の未来を直感する。己の隙が、悟飯の目の前に差し出されている。それを悟飯は今この瞬間過たず把握し、そして逃さずに突いてしまえることを悟っている。それが悟空には分かった。喉元に刃が当たるような冴え冴えとした気配によって。
だが一瞬の後、その感覚は霧散していた。
代わりに振り抜かれた足が勢いづいた悟空の腹をプロテクター越しに蹴りつけ、強制的に悟空と悟飯の間に距離が出来る。
それでも少なくないダメージに追撃は途絶え、お互いがその場で動きを止めた事により戦闘は自然と中断した。
悟飯は疲弊したように息を切らせて汗を拭っている。
だが悟空には分かっていた、その消耗のほとんどはあの瞬間の悟飯自身への抑制のために支払われたものだということを。
――手加減をさせた。
悟空はその事実に、ギリッと歯を食いしばった。
「すみません……」
小さな声に、悟空は顔を上げた。
「ボク、やっぱり組手の方はまだ上手く、」「悟飯」
申し訳なさそうに謝ろうとした悟飯の言葉を切りつけるような呼びかけで黙らせた。悟飯は驚いたように固まる。
「黙ってろ」
それだけ言うと、悟飯は少しその場で立ち尽くした後、小さく「ごめんなさい」とだけ呟いた。
何かを弁えたように言葉を飲み込むその様子に、悟空はナメック星で自分が初めて超サイヤ人になった時のことを思い出す。
怒りに呑まれて何の気遣いも無く場から消えることを要求する自分に、大丈夫だと、自分はもうこれ以上何も言わないからと、無理に笑顔を浮かべて拒絶を受け入れる態度。
そんな顔をするなと怒鳴りつけたくなる。
お前ももうオレと同じ超サイヤ人だろうと。反発して怒りのまま形振り構わず当たり散らしてこいと。
腹が立って仕方が無かった。悟飯に本気を出させられない自分に。
キリのいい時間でもあったので、修行はそこで止め神殿に戻った。
常より言葉少なな悟空をチラチラと悟飯は伺っていたが、黙っていろという制止を気にしてか余計なことは何も言わない。そのまま寝る時間になって、悟飯はベッドとベッドの間で、枕に顔を埋めて所在なげにしょぼんと立ち尽くしていた。
超化を解いて片方のベッドに入った悟空は、同じく超化を解いてその場で俯いている悟飯を見て、深く深く息を吐く。ため息に聞こえないように静かに。
「ほら、悟飯」
手を伸ばしてそう声を掛けると、悟飯はホッとしたような、迎えが来たような顔をして迷わずベッドに飛び込んできた。
あまりにもいじらしいその様子に、抱えて頭を撫でながら力なく笑う。心底自分が情けなかった。
眠気は中々訪れない。健やかに寝息を立てる悟飯の寝顔を、肘をついて眺める頭にふと過る空想。
例えばこの首を、本気で死ぬと思う寸前まで締めたら――現れるのだろうか?
この世で最も強い生物が。
チラつくその想像が、その未発達な細い首を異様に白く浮き上がって見せた。
16
「え、今日は別々に修行ですか?」
どこか悲しそうに眉を下げて言う悟飯に、悟空は頷く。
「おう、広い場所使って修行したくてよ。地球の裏側ぐらいまで行って修行しようかと思う」
悟飯の実力を上回らなければ、悟飯に本気を出させることなど出来ない。悟空は更に厳しい修行を自らに課すつもりだった。
地球と同じ広さのこの空間は果てしなく広く、どちらかが神殿の近くに居て気の目印となってくれなければ、方向を見失ったが最後戻ってこられない可能性がある。
「交代で、明日にはおめえが広い方で修行すればいい」
そう言って悟飯の頭を撫でる。すると悟飯は俯きがちに目を逸らして、何か物言いたげな様子を見せた。
珍しいなと意外に思う悟空の前で、悟飯はぼそりと、小さな声で呟いた。
「さびしい……」
どうしてか悟空はかなりときめいてしまった。
「おま、バカだなぁ~~~」破顔して悟飯の頭を撫で回した悟空はいっそ全て忘れて快活な声で言った。「じゃあもう今日は一緒に遠くまで行っちまうか! たぶん戻って来られっだろ!」
「はい!」
ぱあっと顔を輝かせ、おとうさん大好き!と抱きついてくる悟飯にでへへと笑って、二人仲良く神殿を飛び立つ。
危うく遭難しかけた。
17
起きてから寝るまですべて組手に切り替えて、毎日あの手この手で悟飯を痛めつけようとして、防がれて、その都度お前は本気を出していない、もっと怒れと叱責し。そんな悟空へ、とうとう悟飯は我慢ならなくなったように叫んだ。
「ボクはずっと本気でやってます! 無理ですよ! これ以上は!!」
ぶわ、と感情の高ぶりによって悟飯の気も高まるが、求めている解放には程遠い。
これはキレてるというより癇癪だな、と悟空は冷静に観察する。
「足りていないとすれば、それはボクの実力です! 本気でやってこれなんです!」
「違う。お前の攻撃にはまだ遠慮がある。超サイヤ人になったばかりの頃のような、オレをフリーザやサイヤ人だと思って向かってきたような気迫が失せている」
「それはサイヤ人の状態に慣れてきたからですよ! この状態で落ち着かない気分を無くそうって言ったのはおとうさんじゃないですか!」
「……気迫を無くせとまでは言ってねえ」
「分かんないですよそんなの!! だとしても、おとうさんにそれがあるならそれでいいじゃないですか! 今のおとうさんなら勝てるんじゃないですか!? もうとっくにベジータさんが倒してるかもしれないし! セルってそんなに強いんですか!?」
「今どういう状態かも分からないセルの強さなんか考えたところで意味はねえ。成ることの出来る限界まで強くなる、ここではそれだけを考えろ」
「だから、これがボクの限界なんですよ! ボクはこれまで一度も誰かを倒せたことなんてない……! おとうさんみたいに強くないんです!」
「それは今までの話だろ。言った筈だ、お前にはオレを超えてもらうと。そしてお前にはもうオレに勝てるだけの実力があるんだ、本気で向かってきさえすれば」
「その根拠はどこにあるんですか!?」
「根拠だと? それを示せと言ってるのはこっちだ」
悟空もいい加減苛つきながら言う。悟飯は立腹が抑えられない様子のまま、挑発の色を含んだ声で言った。
「第一、おとうさんだって本気なんか出してないじゃないですか。いつでもボクのこと殺せるのに手加減してる」
「あ?」
毎日心を鬼にして全力で向かっている悟空はカチンときた。
悟飯は反抗的な目のまま言い連ねる。
「自分に出来ないことをボクにやらせようとしないでくださいよ」
「……上等だ」
悟空は急速に気を高め始めた。限界ギリギリまで。
「本気だって根拠を見せてやるよ」
揺らめく視界の先で、悟飯も一歩も引かない顔でじっと悟空を睨みながら、静かに気を高めだした。
ざば、と頭から冷水を被る。
「もう今日は終わりにしましょう、おとうさん」
――終わった後の、労るような笑顔。分かってます、お互い様ですからと全てを許すような。
「……やっぱり」
――変わり映えしない戦いの最中に、冷静に呟く顔。
荒い息を吐きながら、燻る衝動に悟空は顔を歪めた。
もう一度、静まりかえった一人の浴場でキンキンに冷えた水を頭から被る。
もう悟飯は先に寝ているだろう。自分は後で入るから先に風呂に入れと言った悟空に、不思議そうに頷いた幼い顔が脳裏に浮かぶ。
「今日は色々生意気なこと言ってすみません……。ボク、もっと頑張ります」
食事の用意をしながら、はにかんだようにしおらしく言う顔。
「大丈夫ですか……? おなか痛いんですか?」
今日はあんまり粉食う気分じゃねえわと言った悟空に心配そうに眉を寄せる顔。
どうしようもなく気が立っていた。ここずっと抑え込んでいた鬱憤の集積。
自分に対しての苛立ちだった筈だ。決して悟飯にではなく。
だが撫で回したいほど可愛いと思う様々な顔と共に、あの焦りの一つもない凪いだ目で自分を見下ろす戦いの最中の悟飯の顔が頭から離れない。
悟空の攻撃を回避可能なものとして冷静に見極める目。
自分を強者だと思わぬ強者の顔。
別に殴りたいわけじゃない。傷付けたいわけでも。そんなことある筈がない、悟飯を何よりも大切に思っているのだから。この上なく可愛い、可愛くて可愛くてしょうがない、だが――このままにはしておけない、という焦燥。
倒せない相手を倒したい。倒してはいけない筈の悟飯を。否定しきれない渇望。もはやこの環境下でも多少の組手程度では汗ひとつかかないあの白い肌。衝動は膨らみ続ける。傷付けたいのか? 汚したいのか? 二度と元に戻れないようなことがしたいのか? そんな馬鹿な。あんなに可愛い、大事な、大好きな悟飯に? 第一出来るのか? わからない。その時、悟飯はどんな顔をする?
爪の先まで丸ごと可愛く思うのに、それより先を求める衝動が同時に存在する。
奇妙に相容れた愛情と執着と破壊衝動は表れるべきではない表れ方で肉体の上に結びついた。
自棄になってそれを慰撫すれば、やがて昇華できない鬱憤が代わりに形となって身体から出ていく。
全身を巡る血と高揚に浸されながら、悟空は荒い息を吐いて、浴室に散った自分の欲の形の根拠を茫然と見下ろした。
18
チチと一緒になって初めての夜、亀仙人の所で修行していた頃に読んだエッチな本の内容が実際の行為に結びついてようやく理解できた時の、なるほどこういうことかぁという新鮮な感動は今もよく覚えている。
確かにこいつはいいもんだなと納得し、要するに悟空は性欲というものを理解した時すでにそれを向けていい相手が隣にいたわけで、性欲の解消としての自慰をしたことがほとんど無かった。
生理現象としての勃起はしたが、やむを得ずそれを抜くことがあったとしてもそれは排泄と同じ位置付けであったし、それに因む精神面への影響は修行をすれば解消できる類のものでしか無かった。食欲と睡眠欲と戦闘欲、その三つさえ満たせれば悟空の欲求は完結していたのだ。
それだけに、おかしくなったとしか思えねえ……と初めは自分の精神状態を案じたが、しかし自分の息子をネタに抜くという一線を超えてしまった後、奇妙に自分の頭の中が落ち着いていることを悟空は自覚した。超サイヤ人の状態を当たり前の状態に持っていくと方針を決めこれまでやってきたが、今まで本当の意味でそこに精神を慣らせたことなどまだ無かったのだということに。
一夜明けた今朝から、奇妙に吹っ切れた気分で悟空は組手に臨んだ。うっかり妙な気分になったら修行をするに限る。
燻る衝動を、ぶつけたい欲を、そのまま攻撃に転化する。悟飯はそれをいなして止められる実力を既に備えているのだから、思い切りやっていい。
強く掴みたくなるような、噛みつきたくなるような、暴きたくなるような、ねじ込みたくなるような、そういった捩くれた衝動を単純な力に変換してぶつける行為。
そこに滲む圧を感じているのか、悟飯はどこか気圧されたように顔色を変えて悟空の攻めを受け止め、感嘆したように言った。
「すごい迫力ですおとうさん!」
「そりゃそうだろうな!」悟空はヤケクソになって言った。
「これがおとうさんが言ってた気迫なんですね!」
「それは多分ちげえかな!」
何にせよ悟空の攻撃のレベルが上がったことは確からしく、悟飯も反撃のために緊張感を強いられるようで、常よりも余裕のない表情――それでもうっすらと充実感を滲ませた笑みを浮かべ反撃をしていた。
気の持ちようが変わったことで、多少歯ごたえのある修行相手になれたらしいなと悟空は捨て鉢な気分で思う。
それでも悟飯には、単に手加減を緩めたのだと思われているのだろう。自分の方が力をセーブしているのだという自覚すら悟飯には無いのだ。
飛び上がった悟飯を目がけて悟空はかめはめ波を放つ。その威力は、並の相手ならば消し飛ばしてしまう強さが篭っているだろう。しかし悟空はそれが悟飯に通ることはないと確信しているし、悟飯もそれが必殺の攻撃だとは思っていない。
受ける一瞬、爆発的に上がる気。溜めも無く引き出されたその強さ、苦もなく弾かれる己の気の結晶を、悟空は半ば陶酔に近い気分で見上げる。遊戯のように楽しげに笑ってそれをやってのける無邪気な子供を。
何も考えず一日の汗を流すための所である筈の風呂場で、悟空は考える。昨日悟飯が言ったことを。確かにもっともだ、悟飯の本気さを偉そうに問う資格など悟空にも無い。悟空が今限りなく全力でぶつかっていられるのは、今の悟飯ならどんな攻撃だろうが凌ぐだろうという確信があっての事だし、それだって最後の一線を越えてはいない。本気でどちらかの命を賭ける領域にまで踏み込むことは。
本当にそこまでする必要があるのかとも悟飯は言った。それも一理ある。ここで修行を終えたベジータが既にセルを倒している可能性は十分あるし、それがなし得ていなかったとしても今の悟空が、そして隠された力を出さないままの悟飯が勝てる可能性だってそれ以上にあるだろう。
なのに本人が無意識レベルで抑えている力を、本人が出すつもりのない力を、無理矢理引きずり出すような試みが本当に必要なのか。至極もっともな疑問だ。何も分からない未来のために何が本当に必要なのかなど、どうして分かるだろう?
眠るには少し早い時間、超サイヤ人のまま悟空をベッドで待っていた悟飯は、そのままの状態でどう見てもウトウトしていた。
「おめえ超サイヤ人のまんま寝ちまえそうだなあ」
感心しながら悟空が声をかけてもむにゃむにゃと曖昧な声が返るだけだ。
超化を解いてその横に寝そべると、眠そうにしながらも悟空に引っ付いてきて、薄く開いた瞼からとろんとした翡翠の目を覗かせる。
悟空は微睡むその姿をじっと眺めた。
チチに似て肌の白い悟飯は、超化すると色素の薄い金色の髪と翡翠色の目になるために、全体的に透けるような印象になる。天蓋の隙間から差し込む薄暗い光の中で、ぼうっと浮かび上がるようなその姿は白いシーツに溶けてしまいそうなほど現実感がない。
この世で最も強い生きものが居るとすれば、それはこんな風にきらきらと透明に近い生きものなのだろうかと思う。
自問自答する。この頭に生まれた不埒な衝動の矛先が、何故よりによって悟飯なのか。
簡単な話だ。息子だろうが息子でなかろうがその生きものがこの世に二人といない特別な存在である以上、その存在でしか満たされない欲求を抱くことに何の不思議がある?
何故必要なのか。触れてはいけない宝のように本人が厳重に仕舞っている未知の力を暴くことが、何故?
簡単な話だ。
自分が見たいのだ、と――悟空はクリアになった頭で、静かに自覚した。
19
「本気でおめえを殺してしまうつもりでやる」
真剣の宣誓であると、伝わっただろうか。悟飯は目を見開いて固まっていた。
「前に言ったことを、もう一度頼む。オラに殺されないでくれ、悟飯。お前の全力で」
悟空はじっと目の前の悟飯の姿を目に焼き付けた。もしかしたら最後になるかもしれない、最愛の息子の姿を。
今出来うる最高の動きで叩きのめそうとする接近戦、悟飯は何か言いたげな、まだ事態を信じられないような顔で悟空の攻撃を捌き、いつもよりも多く攻撃を喰らった。
空中に飛び上がり、悟空は視界いっぱいを埋め尽くす気弾で悟飯を包囲する。
「だだだだだだだッ!!」
外界なら辺り一帯が吹き飛んでいるエネルギーだ。悟飯が包囲の内側で耐えているのが分かる。撃ち終えて、悟空は腰の横で気を溜め始めた。己の最も得意とする技。
「か……め……は……め……」
こちらの溜めを察してか、弾幕の向こうで悟飯が防御の体制に入ろうとするのが分かった。
悟空は技の準備が完了した刹那、瞬間移動した。
背後に現れた悟空の気配に悟飯が振り向く。
「波ーーーーー!!!!」
その光を、こちらの行動を認識した瞬間の悟飯の驚愕、恐怖、真っ白になる意識――伺えたそれらの反応の直後に悟空が認識したのは、ただただ途方も無いエネルギーだった。間近で爆発する、この世の物とは思えない、純粋な気そのもの。その無量。
あまりのエネルギー量にスパークするその熱と、呆気なく押し返される己のかめはめ波を感じ取ったのを最後に、悟空の意識は途絶えた。
目が覚めた時、視界に映ったのは仰向けになった自分を上から見下ろして泣きじゃくる悟飯の顔だった。
「おとうさっ……よかっ……よかった、もう、ホントに、ダメかと」
超化の解けた悟飯の黒い目から零れた涙がぱたぱたと悟空の頬に落ちてくる。
咳き込んで、何が何だか分からない苦しさに荒い呼吸を繰り返しながら悟空は辺りを見回した。何も変わらぬ白い世界だ。
「息も、止まっててっ……仙豆は外に置いてきちゃって無いし……そもそも心臓も……っ」
悟空は自分の身体を見下ろした。戦闘服の肩から左胸にかけてざっくりと破損している。この服が無きゃ確実に死んでたな、と冷静に把握する。用意してくれたブルマに改めて感謝した。
「よっぽど、外に連れて行こうかと思ったんですけどっ……もうそんな余裕ないんじゃないかとか……この部屋は意識のない人を連れて出ても大丈夫なのかとか……分かんないことだらけで……っ」
「ああ……」
痺れている腕をどうにか動かし、しゃくり上げる悟飯の額に触れて記憶を探る。
倒れてピクリとも動かない悟空に駆け寄って、脈と呼吸を確かめ、呆然と座り込み、動転したようにウロウロした後、必死に心臓への圧迫と口から息を送り込むことを繰り返す錯乱した意識。
そんな方法で死にかけた人間の蘇生が可能なのかと、悟空は場違いに感心した。
「もしおとうさんがこんなとこで死んじゃったらっ、おかあさんに、みんなに、なんて言えばいいのか……!」
「そうだなあ……」
「せっかくトランクスさんにっ、心臓のおくすりもらって、なおったのにっ」
「ホントになあ……」
「なんであんなことするなら、ちゃんと最後までやりきってくれなかったんですか! どうして、本気でっ」
うわあああん、と悟空の胸元に伏せて大泣きする悟飯に、悟空はその頭を力なく撫でながら苦く笑った。
本気も本気だったんだけどなあ。
しかしそれは言わずに、悟空はただ一言だけ目を閉じて呟いた。
「ごめんな……」
20
本当に大丈夫なのか、もう修行はやめてしまってここを出た方がいいんじゃないかと心配する悟飯を宥めて問題ないと説き伏せたが、それでも流石に回復のために何日か休む必要があった。
悟飯にはその間一人で修行しろと言ったが、修行どころじゃないと言って悟空のそばを離れなかった。
せめて超サイヤ人は維持しろと言ったらその通りにしているが、落ち着いていた精神もショックの為かすっかり不安定さが戻ってきてしまったようで、常にどこか泣きそうな顔をしている。
「もう大丈夫だって言ってんだろぉ」
神殿から出て、悟空が身体を伸ばしているだけで心配な顔をしている悟飯に苦笑する。
「ほら、組手始めっぞ」
「おとうさん、でも本当に身体は……」
「しつけぇなあ、やってみりゃ分かるって」
しっかり休んだおかげで、ダメージはもう残っていない。
その上死にかけたことで悟空の力は飛躍的にアップしている。自分でそれが自覚できる。
そしてその分、よりハッキリと分かるようにもなった。
あの一瞬、覗いた片鱗。
悟飯の底に潜む強さは、そもそもの桁が違うということが。
しかし組手を始めてすぐ悟空は違和感に気づいた。悟飯の動きが全く精彩を欠いている。
悟空のレベルが上がったことを差し引いても、全く戦いに気持ちが乗れていない。気力そのものが萎えているといった様子だ。
「おい悟飯、遠慮してんのか? それじゃ修行にならねえぞ」
「……ッハイ」
「もう少し気を上げてみろ、あの時みたいに」
要求すると、悟飯が目に見えて顔を曇らせた。
「あの瞬間の感覚を思い出せ」
「……よく覚えてません」
ポツリと返答が返る。
悟空は腕を組んで考え込んだ。悟飯は悟空をうっかり殺しかけてしまったことを気にして怯えているようだ。超サイヤ人になりたてだった頃のように。
しかしあの力を自在に引き出せるようになれれば、もうこの部屋で修行する目的を達したも同然と言っていい。セルだろうがどんな相手だろうが、あの瞬間の悟飯に勝てる生物などこの世にいるはずがないとすら思う。
悟空は右手を突き出し、その先に気を溜めだした。
どんどん大きくなっていく気に、悟飯が狼狽えた顔を見せる。
悟空は言った。
「わかるだろ。もう父さんの体は全快してるし、力もこの間より強い。適当に相手して何とかなるもんじゃねえって」
「わ……わかってます……」
「なら抵抗しろ。心配ねえ、もうヘマはしねえさ。本気でやっても大丈夫だから」
「で、でも」
後退る悟飯に先手をとって言う。
「逃げても無駄だぞ。オラには瞬間移動がある」
そして言葉通り気を溜めたまま、悟飯の背後に移動した。あの時の構図の再現。
ビクリと体を震わせる悟飯の腕を掴んで拘束すると、悟飯は錯乱したように首を振って拒絶した。
「お、おとうさん、嫌ですっ……無理ですっ」
「ほら、父さんに怒れ。こんなことすんなって、ふざけんなって。あの時と同じようにやってみろ」
「いやです!! 思い出したくないッ」
掌の気は高まり続ける。悟飯のように体内から莫大な気を一瞬で引き出すことは出来なくとも、完全に制御可能な状態で膨大な気を体外で安定して維持し続けられるのは、元気玉を習得した悟空にしか出来ないことだった。
間近にあるそのエネルギーに否応なく悟飯の気が高まり始める。一度破られたばかりの壁は感情の昂ぶりに逆らわずあっけなく崩れていく。
あの時のようなエネルギーのスパークがバチバチと悟飯の周りを取り巻き始めた。その未曽有の気配の中で、悟飯の目から、ボロボロと涙が零れ出した。
「いやだぁ……」
そう掠れた声で言って弱々しく腕を引く悟飯に、悟空は毒気を抜かれる。
迸る気の莫大さに対して、あまりにもアンバランスな反応だった。思わず掌の気を消し、掴んでいた腕を離して立ち竦む悟空の前で、悟飯は顔を覆って「ごめんなさい」と絞り出す。
「ボク、ちゃんと覚えてます。あの時、頭が真っ白になって……本当にボクのこと殺す気なのかと思って……そしたら何だか、すごく腹が立って、全部ムチャクチャにして、壊してしまいたいような、壊してしまえるような、そんな気持ちになった。……相手はおとうさんなのに……」
そう言ってまだ収まらないエネルギーの余波をバチバチと纏わせながら、この広い広い空間で、まるで殻に閉じこもるように小さくなってしゃがみ込む。
「ごめんなさい……」
震える声を吐き出して、〝最強〟の手前で嫌がるように泣く悟飯を前に、悟空は折れた。もう無理だと悟って。
自分の手がその閉じた箱を開けることは、この世の何よりも酷なことなのだと、ようやく骨身に染みてわかった。
悟空はしゃがみ込んだ悟飯の横に座り込んで、その肩を抱き寄せた。体勢を崩した悟飯の体重が抵抗なくこちらにかかる。
「父さんこそ、意地悪してごめんな」
悟飯は何も言わない。ただ傷心のまま泣いて、すっかり疲れ切ったような顔をしているのが可哀想で、悟空はふと嘘を思いつく。
「だけどあの時悟飯が本気でやってくれて、そのあと手当てしてくれたおかげで、オラは助かったぞ。サイヤ人の能力なのかわかんねえけど、どうも昔からオラは死にかけると強くなるみてえなんだ。お前たちを迎えにナメック星に行くときも、自分の攻撃自分で受けて、死にかけの所を仙豆食って回復してって修行を繰り返してかなり力がついたもんな。今回は仙豆無しだったしちっと無茶だったかもしんねえけど、おかげでもっとオラは強くなれた。ありがとうな」
悟飯は少し沈黙した後、ポツリと言った。
「……じゃあおとうさんは始めから、ボクに殺されかけるつもりで本気を出させようとしてたの? おとうさんが強くなるために……」
「ああ。悪い。でも、もうああいう無茶はしねえ。約束する。こないだのだけでも十分強くなったし、これからは普通の修行をしよう。追いかけっこもまたやろうな」
本当は、ただ悟飯の力のすべてが見たかった。自分の息子が、自分を越えるこの世で最強の生物である誇りを、歓喜を、現実のものにしたかった。たとえ自分の命がどうにかなったとしても。
しかしそれは自分のわがままだ。悟飯は一人の他人だ。自分と違う考えを持ち、自分と違う感覚で生きている生きもの。
「だから父さんのこと、許してくれな……」
力なく肩に凭れる頭に、祈るように唇をつけて言う。
初めてする息子への懇願は、自分の声とは思えないほど弱々しく聞こえた。
神殿に戻っても、二人とも疲れたように言葉少なだった。風呂に入って、食事をして、いつもよりも早く床に就く。
眠気の訪れを待つそのベッドで、悟飯が不意に尋ねてきた。
「おとうさんは子どものころ、何になりたかったの?」
考えた事もなかった問いに、悟空はぼんやりした声で正直に答える。
「先のことなんてあんまし考えたことねえよ。とりあえず考えてたことと言や、誰よりも強くなりてえな、ってことぐれえかな……」
「そういえば言ってた」ぼそりと呟いた悟飯は、続けて問うた。「じゃあセルが他の誰も勝てないくらい強くて、おとうさんがそれに勝てたら、おとうさんの夢は叶うの?」
「……違う気がすんなあ」
悟空は首をひねった。嬉しいとは思うかもしれないが、それは夢が叶ったと言えるまでの感慨なのかと言うと全くピンとこなかった。やったあ、で終わりだろう。
考えている内に、ふと思い付いて悟空は言った。
「強いヤツが好きなんかもな」
「好き?」
「ああ。おめえが生きものにワクワクするみてえに、目の前のヤツが強いって分かると、オラすげえワクワクすんだよな」
悟飯は悟空の返した言葉を考えるようにしばらく黙った後、体を起こして悟空の体の上に圧し掛かり、確かめるように言った。
「ボクが勉強したいから学者さんになりたいみたいに、おとうさんも強い相手と戦いたいから強くなりたいんですね」
「……そういうことになんなあ」
言われてみるとそうとしか思えない。感心しながら自分を見下ろす悟飯の頭を撫でて肯定すると、悟飯はふと柔らかく微笑んだ。
あの時悟空が死にかけて以来、ずっと見られなかった笑顔だった。
「じゃあ、しょうがないですね」
優しい声音に、これは許しだと理解する。
「悟飯……」
胸を打たれるような心地で呟いた。
視界いっぱいの愛しい顔に、ふと自分が死にかけた時の悟飯の行動が蘇る。
口から命を吹き込む行為。
今もう一度それをしたらどんなに良いだろう?
一瞬想像が過ぎったが、落ちてきた悟飯はそのまま悟空の首に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。
抱き返しながら、悟空は反省した。自分はあまりにも悟飯に関して都合よく色々なことを望みすぎる。
21
あとはもうここを出た時にセルがまだ生きていて、かつどうにかして自分が引き出すのを諦めた悟飯の本気を引き出せるぐらい強くなって居てくれでもしない限りは、悟飯の真の力を自分が見れるチャンスなどこの先一生訪れないだろう。その少ない望みに期待するしかない。
セルがどんな強さだとしても、全ての力を出し切った悟飯にはまず適わない筈だ。しかし最終的には悟飯に任せれば何とかなるにしても、自分も強くなりたいのは変わりないため、ここでの修行はまだ続けるつもりでいる。
そもそも悟飯も未だ天井というわけでは全くなく、平常時の実力を悟空と共に普通に今も伸ばしている。続ける価値は十分あった。時間的にもまだ猶予はたっぷりある。
悟空が死にかけたためか、あるいは壁を越えかけたためか、悟飯はこれまでに増して甘えん坊になった。
父親を失う可能性と、身の内に湧く得体の知れぬ力、果たしてどちらに不安を感じているのか。まるきり人懐こい子猫のように悟空の存在を求めてくる。
「おとうさん」
この世で最も安心できる場所にいるように、腕の中で幸福そうに微笑む顔。
「はぁっ…………くっ……」
静まり返った孤独な浴室に、抑えた呻きが零れる。
勢いよく飛び散る精。どくどくと米神まで激しく脈打つ解放感。湧き上がるような恍惚。
触れた掌に頬を寄せて、心地よさそうに目を細める顔。
不意に溢れた不安に、胸に縋り付いて涙を浮かべる顔。
この腕の中で、理性を遠ざけ本能のまま、幼子のように、あるいは獣のように振る舞う、この世で最も強く純粋な生きもの。
気が遠くなるほどかわいい。
22
「はっはっは!」
間近に落ちる圧縮された気の塊を間一髪避けながら悟空は笑う。
「あはははっ!」
貫く勢いで突き出された手を避けながら悟飯が笑う。
高速でお互いあらゆるバリエーションを駆使して少しずつ阻み合いながら距離を縮めたり広げたりして追いかけ合う。
「楽しいなあ悟飯!」
溜めの時間を最短にしたかめはめ波を撃ちながら悟空が声をかける。
「はい、すっごく楽しいですおとうさん!」
悟飯が笑顔で答えながら組み合わせた両手で悟空のかめはめ波を叩き落す。
お互いが作り出す辺り一帯を取り巻く嵐のような気弾の破裂音の中、アハハウフフと浮かれ切った笑い声が合間に常に響いていた。
23
反撃のため思い切り放った気の塊を、どうしてか悟飯が避けも弾きもせずに真正面から喰らってしまったので悟空は青くなって駆け寄った。
「悟飯!!」
手加減なしのフルパワーだった。無事では済まない威力だったはずだ。
「いてて……」
煙の向こうから、ちょっと戦闘服がボロくなっただけの悟飯がピンピンして現れた。
マジかぁ……と思いながら近づき頭を撫でて、無傷なことを確認する。
「大丈夫だったか? 悪かったな悟飯、思い切りやっちまって」
「いえ、大丈夫です」
「痛かっただろ。なんで避けなかったんだ」
「こないだ、ボク神殿こわしちゃったから……」
恥ずかしそうに言って、崩れた神殿の一部を眉を下げて振り返る。この間悟空との修行に夢中になるあまり悟飯が破壊してしまった箇所だった。
確かに移動している間にいつの間にか神殿のすぐ近くまで来てしまっていたせいで、あのまま避けても弾いても神殿にダメージが行っていた可能性は高いだろう。悟飯と違って神殿は脆い。
「かっわいいなお前ぇ~~~~~」
キュンキュンしながら撫で回す悟空に、悟飯が(えらいじゃなくて……?)という不思議そうな顔をしていたが、おかまいなしに愛でているとまあいいかと思ったらしく、悟飯はうれしそうに笑った。
24
とてつもない気の高まりを察知して、悟空は慌てて別の場所で修行している悟飯の方まで向かった。
向かった先では悟飯が何かを考えるような表情のまま、額に当てた二本の指の先にじっとエネルギーを溜め込んでいる。
「そいつはピッコロの魔貫光殺砲だな。お前も撃てたんか」
慎重に声をかけると、悟飯は額に当てた指をそのままに顔を上げ、はにかんだように笑った。
「真似したくて、こっそり練習したんです」
「大したもんだな。で、それ……どうするつもりだ?」
「もちろん実際ぶつけたりしませんよ。これもただ気を溜める練習です」とんでもないという風に笑って否定すると悟飯は言った。「ただちょっと考えごとしてて」
「考え事?」
「ここって、地球と同じ広さなんでしょう? 地球って丸いじゃないですか。ここも地平線が曲線だから丸いんだと思うんです。なら地面をこれでずっと突き抜けたら向こう側に穴が開くんでしょうか? でもそうだとして、この球体の周りは何なんでしょう? たぶん宇宙ではないんですよね? 何の気も感じられないし。完全に外界と遮断されて閉じた空間なんだとしたら、もしかして、本当にもしかしてですよ、下に撃ったものが上から降ってきたりしないでしょうか? あるいは真上に撃ったものが真下から来たりとか? それともやっぱり消えちゃうのかなあ。でも室内の中に無限を存在させられるなんてあり得るんでしょうか? それはあまりにも物理法則に反してると思うんです。やっぱりどこかで閉じられていて、輪っかみたいに繋がってるんじゃないかって」
小首を傾げながら何やらぐだぐだと喋っているが、こちらは細い指先に集められた気の洒落にならない密度と大きさに気を取られてそれどころではない。実際地面に向ければ確実に貫通するであろう恐ろしいまでのエネルギーの塊。それを手遊びのように創り出して、まったく堪えた様子もない。
「さあなぁ。とりあえず、試す気がねえならあぶねえから仕舞っとけ」
「はい」
悟空が諫めると、なんの未練もなくあっさり気の集中をやめて、にこっと笑って駆け寄ってくる。父親が迎えに来た子どもの顔で。
何こいつ意味わかんねぇ~~~。すっげえかわいい~~~~。
霧散した莫大な気の余波で髪が勢いよく後ろに靡くのを感じながら、悟空は無邪気な息子の笑顔にメロメロになる。
悟飯がうっかり地球を消滅させても許しちまうかも、と悟空は半ば本気で思った。
25
途中から無言になり、おもむろに湯船に戻った悟空に悟飯は首を傾げた。
「おとうさん、大丈夫? 何だか顔が赤いですけど」
「おお、のぼせちまったかもしんねえな……」
「洗いっこで……? でものぼせたんなら上がった方がいいんじゃ……」
「いや、オラはもうちょっと浸かっていく。これも修行だ」
「はあ……?」
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洗って干した戦闘服はもうあちこち破れてボロボロだ。別にパンツ一丁でも組み手ぐらいは出来るだろうが、もうそこまで根を詰めてやる必要はない。
やる事もなく眠くもないが潜り込んだベッドで、悟空の手にじゃれついていた悟飯は、全く力を入れず親指の付け根をあぐあぐと甘噛みしてきた。
獣の仔そのもののような仕草に悟空は笑う。
「なんだ悟飯、肉でも食いたいんか。まあオラも食いてえけどよ」
「べ、別にそういうわけじゃないです……」
ほぼ無意識だったのか、指摘されて恥ずかしそうに口を離す悟飯の腕をとって、悟空もお返しに美味そうな二の腕の内側や肩を甘噛みする。くすぐったそうに悟飯がくすくすと笑った。すべすべした白い肌の感触がやみつきになる。あちこち噛んでいると、悟飯も笑いを我慢しながら小さな口で悟空の僧帽筋のあたりをかぷっと噛んだ。
「あー」
めちゃめちゃ下半身に血が集まるのを感じる。
さっさと抜きたい気もするが、まだしばらくこうしてじゃれていたい気持ちの方が勝つ。
熱い息を吐きながら目の前にある白く美味そうな耳を慰みにかぷかぷ噛むと「ひあぁっ」と高く甘ったるい声を上げて胸の下の小さな身体が悶えるので、思わず完全に理性を失いそうになり、即座にお開きにして風呂場に直行した。
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「な? 魔閃光よりかめはめ波の方がイイだろ?」
抱き上げた悟飯の耳元に口をつけてぼそぼそと問いかける悟空に、悟飯は困り切った表情で顔を逸らす。
「でも、魔閃光だって撃ちやすいもん……ピッコロさんが教えてくれた技だもん……」
「それでも撃って比べてみるとよ、力の入れられる度合が違っただろ? あの技もおめえ向きではあっけどよ、あくまで昔のおめえのためにピッコロが考えた技だからな。技の完成度っちゅう意味じゃ敵わねえよ」
「そんなことないもん、今も強いもん」
むきになって顔を赤くして悟空の顔を手でつっぱねてくる悟飯に、にやにやしながら抱き上げている手で脇をくすぐる。
「うっそだ~~~」
「あっはあっははははは! おとうさっやあっあははははは!」
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背後に現れた悟空に驚いて後退った悟飯は、戦闘継続の意思がもう悟空にないと分かって弾んだ声をかけてきた。
「ほら、魔閃光もちゃんと強いでしょっ?」
「ああ……」
「かめはめ派と違って開放系っていうか、溜めないでエネルギーをぐわっと放出する技だから撃つまでが早いし、範囲が広いのがメリットだと思うんです!」
「そうだな。オラ、今日ほど瞬間移動を覚えててよかったって思った時はねえぞ」
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この世に相手しか居ないような、全幅の信頼を乗せた甘い微笑み。悟空の首に白い腕が縋り付き、乞うように引力をかけるその腕に逆らわず、ベッドに背を沈ませる悟飯の上にゆっくりと伸し掛かった。
潰れない程度に体重をかけると、間近の悟飯の目が嬉しそうに細まり、じっと見上げてくる。
つれえなあ。
口の端を笑みに歪ませながら悟空は熱い息を吐いて、悟飯の胸に額をぐりぐりと押しつけた。
きゃっきゃと笑いながら、大人の苦労も知らず子供の細腕が悟空の頭を抱きしめる。
そうして悟飯の匂いに包まれる。この世で一番いい匂いに。
「このまま寝てえな……」
呟くと、甘い許しの声が与えられる。
「いいですよ。ボクぜんぜん重くないし平気です」
強くなりましたから。
冗談めかした口調で言われた言葉に、悟空は低く笑って、遠慮無く小さな胸に頬を擦り寄せた。
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「本当にもう出るんですか? まだ一ヵ月以上余裕がありますけど……」
戸惑った顔で再確認する悟飯に、悟空ははっきりと頷いた。
「おう。もう十分だ」
そろそろマジで理性が限界だしな。
それはそれとして、もうここでの修行でやるべき事は全てやった。あと必要な事は何もない。強いて言えばセルが今の悟空よりも強いことを祈るぐらいだ。
「おめえも生き物とかがたくさんいる世界に早く戻りたいだろ? セルとの戦いが待ってるとしてもな」
頭を撫でると、悟飯は少し考える素振りを見せてから、言った。
「外に出るのは、楽しみです。本当に久しぶりだし、おかあさんやピッコロさんにも会いたいです。もちろん楽しみなだけじゃなくて、皆や世界が大丈夫なのか、どんな様子なのかもすごく気になるし……でもボク、ここでの生活、好きでした」
そして甘えられるのが最後とばかりに、手袋ごしの悟空の小指を悟飯の手が控えめにつかむ。
「もしここを出たあとセルにやられてみんな死んでしまったとしても、ここでおとうさんとずっといっしょに修行できたこと、ボクしあわせに思います」
そんな未来は絶対に来ない。おめえがいる限りは。
確信を込めて思うが、それは口にせず、悟空はただ悟飯の背を引き寄せて最後に強く抱いた。
「オラも天国みてえなもんだったさ。おめえと一緒だったってだけでな」
きっと過去未来天上天下、ありとあらゆるそれ以外の場所よりもずっと。
