不意に話の流れで、ベジータならきっとこうするだろう、というような事を悟飯が言った時だった。悟空はきょとんとした顔をした後、怪訝そうに眉を寄せた。
「そうか?」
「そうですよ」
「おめえにベジータのことが分かんのかよ」
からかうように口にする父に、悟飯は意外な気持ちになって瞬きする。その言葉の裏には“自分には分かる”という優越のような主張があった。
父は穏やかな性格だが、社会的な在り方としては至極硬派な人柄であり、特定の人間との関係について自ら言及したりはしない人だ。
しかし誰に対してもマイペースでブレない父だが、唯一の同族である彼に対してだけは、若干他とは事情が違うらしい。ということを、父が生き返ってよりしばらく、悟飯は折に触れて感じるようになった。丁度、今のように。
悟飯は心外だという声を出して反論した。
「だって、ベジータさんとは僕の方がお父さんより付き合いが長いんですよ。初めて会ったのも僕の方がちょっと先だし、お父さん死んでしまっていましたし」
「まあ……言われてみりゃあそうだな」
「でしょ? 少なくとも七年分は僕の方がベジータさんに詳しいということになります」
意図せず弾んだ声になる。別に仲良しとまでは到底言えないし言うつもりも無いが、決してベジータとの付き合いは浅くはない、ということが悟飯を笑顔にさせた。ベジータ本人はその事にこれっぽっちも関心がないだろうと思えば思うほど。
そのウキウキした気持ちは、家の周りでよく見かけるようになった野良猫に対する気持ちに似ていた。
特段御飯に懐いているわけではないものの、存在を許容していて、何かをきっかけに触れさせてもらえるんじゃないかと他愛ない期待を抱くような。
そんな悟飯に、悟空は何気ない調子で言い返してきた。
「七年っつってもおめえ、あんまりベジータと会うことなんて無かったじゃねえか」
「え。……まあそうですけど」
七年間を思い返しながら肯定する。確かに言う通りだが、その断定的な言い方が引っかかった。
悟飯の疑問に答えるように、悟空は心なしか得意気に続けた。
「オラ死んでる間あの世から見てたからよ、おめえより絶対詳しいぞ」
「ベジータさんのことに、ですか?」
「おう」
悟飯はちょっとの間、沈黙する。コメントに困ったためだ。
「……お父さんでも、下界を気にするなんてことがあったんですね」
「いや、修行してっとよ、やっぱどうしてっかなって気になってくるだろ」
「ベジータさんが?」
「……うん」
「へえ……」
悟空も話しながら、自分の発言が少しおかしい事に気付いてきたのか、悟飯の静かな相槌に居心地悪そうな顔をした。
「……いや、見るってもよ、たまにだぞ? たまになんとなく覗いてただけだよ。オラより強くなってっかもって」
「いえ、ひとつ謎が解けました」
悟空は片眉を上げる。
「ナゾ?」
「ええ。僕が初めて天下一武道会に出る事になって、ベジータさんも出るって話になった時、すぐにお父さんも出場するって話し掛けてきてくれたじゃないですか。天界から」
「……おう」
当時を振り返っているのか、難しい顔で上を見ている悟空を悟飯はじっと見つめる。
「不思議だったんです。タイミングバッチリだったし、それにいつ僕が出場するって知ったんだろうって。僕が出場の相談のためにブルマさんの所に行ったのは、お母さんに許してもらった次の日でした。でも、お父さん下界に下りてきて初めて悟天を見たんでしょ? 18号さんの事も知らなかった。だとすると、下界の事を知る機会は非常に限られる事になります。まさか必要な情報だけ入ってくるなんてこともないでしょうし」
悟空の目が泳ぎだすのを見ながら、悟飯は結論を口にした。
「だからつまり、ベジータさんの所に僕が来て出場の事を言ったから、お父さんは事情を知ったんですね」
「…………」
「七年間、他には目もくれずベジータさんの事だけ、じーっと、それはもう休まず眺めていたと……」
大げさに言い切ると、悟空は慌てて両手を振った。
「そ、そんなに見てねえよ! 一日2、3回ぐれえだ!」
毎日か……と悟飯は実の父に対し驚くような呆れるような、複雑な感情を覚える。意外とカルチャーショックを覚えないのは、父の全てを理解することを最初から諦めているからだろうか。
悟空はガシガシと頭を掻いて、後ろめたそうに明後日の方向を見ながら言い分を述べた。
「……チチはしっかりしたヨメだからよ。心配することねえし、勝手に死んじまったオラの方だけ家の様子見るのも、なんかわりいじゃねえか」
「まあ……そうかもしれませんね」
悟飯にはまだ夫婦の関係性などわからないが、両親がお互いに信頼し合っているのは感じる。決して父が薄情さなどではなく、深い愛情をもって家族の自立を尊重していることも。それに母には全く頭が上がらないことも。
「平和だから亀仙人のじっちゃんもクリリンも元気に暮らしてるだろうし、ヤムチャも天津飯も……ピッコロだって瞑想ばっかだしよ」
「別に見ても楽しくない、と」
ずばりと言い換える悟飯に悟空はゴニョゴニョしつつ素直に頷いてしまう。
「まあ、うん……」
「ふうん……」
悟飯の真顔の相槌に、決まり悪げに悟空は頬を掻いた。
半ば本当に心配になって悟飯は確認する。
「ほんとのプライベートな時間は覗いてないでしょうね。お風呂とか」
「みっ、見てない見てない!」
悟空は慌てて否定した。
「ほんとですか?」
「ホントだって! 天国いる間ってよ、エッチな気分とかに全然ならねーから。そういうのは絶対見てねえぞ」
「ほほう……」
胸を張って保証する悟空に、悟飯は微妙な相槌を返す。別にエッチだから見るなという話ではなかったのだが。
別の懸案が浮かびそうだったが、悟空がふと真面目な顔をして話しだしたので、悟飯は黙った。
「……天国っていいとこなんだ。のどかでよ、やなヤツもいねえし、景色もいいし、死なねえし。つーか死んじまったし。なのにオラ修行ばっかりでよ」
「……想像できますね」
悟飯が笑うと悟空も苦笑する。
「だろ? 界王さまも呆れてた。自分でもおかしいんじゃねえかって思う。でも仕方ねえんだ、忘れられねえんだよ、戦いが。強くなろうとすんのが。やっぱオラ、サイヤ人なんだなってさ……」
「……」
そう、父はこの星の人間ではない。違う星で生まれた違う種族だ。自分にも分けられたその血が、それでも父とは何かが違うのだといつも告げている。そして、あの人とも。
「もうこの宇宙で、オラと同じサイヤ人はベジータだけだ」
そう口にする父の、彼の姿を思い返しているであろう眼差しは、まるで故郷を望むような静けさで凪いでいた。
「あいつも敵もいねえし平和なのによ、毎日毎日トレーニングばっかして、黙々と自分を追い込んで、強くなろうとし続けて……ついつい見ちまった。見てるとやる気出るし、安心したんだ。こいつより強くなりてえって、オラだけじゃねえんだなって……」
悟飯は静かに聞いていたが、ふとするりと口から言葉が零れる。
「ベジータさんにとっても、そうなんですよ」
「……」
悟空は悟飯を見た。それを見つめ返す自分の感情が、悟飯自身にも分からない。
「ベジータさんにとっても、もうお父さんだけなんです。おんなじサイヤ人は。指標になる人は……。でもお父さんは、ベジータさんの前からいなくなってしまって……」
「……ああ」
静かに肯定する悟空に、悟飯は俯いた。父の言葉に納得しているのに、何かを言わずにはいられない。
「ボク、なんだかベジータさんに大事にされてるなって思うことがたまにあったんです。きっともう、ベジータさんにはボクしかいなかったから」
何故そう思うのかは説明出来ないが、悟空も訊いてこない。ベジータには少ないものしか残されていなくて、そこに悟飯がいた。悟飯ただ一人が。
「それなのに、ボクは戦うのに熱心じゃないから、勉強ばっかりして。そんなボクに、それほど強くは言わないけど、会うたびに必ず文句を言ってくるベジータさんの顔が好きでした」
思い出して少し笑みがこぼれる。
「どこか素直で、子供みたいな……」
拗ねるような、戸惑うような、心許ないような瞳の色。
その黒い瞳の色を思い返しながら、気づけば悟飯は同じ色の瞳に告げていた。
「お父さんでもきっと、見たことがないような」
言ってから、しまったと思う。これではなんだか、ケンカを売っているみたいだ。
「……ごめんなさい」
気付けば悟飯は謝っていた。
「でもやっぱり、ベジータさんに必要なのは、お父さんだと思いますから」
これはなんのフォローなんだろう。自分でも分からないまま、悟飯は意味もなく荷物を抱え直した。
悟空は何かを考えるように沈黙していたが、やがて「おう」とだけ言って頷き、それからパッと笑顔を見せる。
「そうだ。めんどくせえこと考えないでよ、直接ベジータに訊きゃいいじゃねえか。な!」
バシッと肩を叩かれ、悟飯も笑う。父のこういう明るさが好きだと思う。
「そうですね」
「よし。じゃあ訊きに行こうぜ!」
「えっ? 今からですか? 別にそんなに大した話じゃないし……」
驚いて、止めようとしたが、既に父は額に指を当てていた。自分の肩は叩かれた時に掴まれたままだ。
あっ、と思った時には瞬間移動していた。
移動先でベジータはちょうど風呂に入っていた。トレーニング終わりで汗を流していたのだろうか。悟空と悟飯は揃ってぶん殴られた。
笑って誤魔化す悟空に意味もなく肩をバシバシ叩かれながら、悟飯は黙る。父のこういう雑さは、あんまり好きじゃないと思った。
