手術終わってT村去るまでの三日間核心的な話を何も出来ないまま留まっていた龍一について考える絵
首の後ろむんずって掴むのも中々だよねっていう絵
ところで1枚目と2、3枚目の間には20Pの漫画が挟まってます。
明らかに何かこう一歩〝掴んだ〟感覚があるなと…カメラを引けるようになったというか…
龍太郎のすばらしいと思う所は打ち込む原動力が奉仕と慈愛の精神であるところで、医者としての研鑽を自己研鑽の手段にするのではなく、医者としての研鑽の手段に自己研鑽があるに過ぎないナチュラルボーン無私の生物であるところ。そうなったのは親の背中ありきだからその点正しくサラブレットではある
— 沼門 (@swam698) September 28, 2024
やっぱ龍太郎のこういう地の人格の「ケアに秀でた部分」って、その道に価値を見出した最初のきっかけは覚悟キマったオヤジの背中だけど、実際会話して対人態度に影響を与えてきたのは専らナースの母親ともっちゃんだったっていう生育環境のバランスによるのかなって。
こう、今から急に男女論の話をするんですが、ここ最近時系列バラバラで見かけた話題の集積として
1.「女子トイレに男児を連れて入らないでほしい、多目的トイレを使えばいいのに」
2.「男子トイレに子供用のベビーチェアやオムツ交換台が無くて困る」
3.「旦那に赤ちゃんや小さい子を任せたら考えられない危険な扱い(食べさせるものや風呂の温度、出先で一人にして目を離す等)をするので任せられないという嫁の愚痴」
4.「アメリカの研究で女性医師にかかった患者の方が救命率が高いという研究結果が出た。理由は女性の方が患者の話をしっかり聞くから」
あたりを治安の悪いXのおすすめ欄で見かけたんですよ。最近のインターネットはより一層男女論で吹き上がってるところがありますからね。
で、この辺の主観の強さ弱さや根拠の薄さ濃さ入り混じった主張をざっくりまとめると「男は女に比べてケアに向かない」というのが社会的なイメージとしてあるんだなと。
(※と、言っても上記の話題があったことは事実ですが世の中には逆の意見や別の意見もあるはずで、今これらを上げたのは話をまとめるために統一性が出る関連トピックしか挙げていない私の恣意性と、そもそもそれを見せてきたXのフィルターバブル効果の二重検閲がかかっているので話半分に聞いてください。)
上記の話題に対しての個人的な見解をまとめると、
1に関しては多目的トイレに該当する個室がないトイレも多いし、2に関しても働く男と育てる女という社会規範が長くスタンダードだったことと店舗側のコスト判断の結果そうなってしまっていることはある程度仕方ない面もある、また未だに母親の方が子供の面倒をみるという役割分担の家庭は主流だし、3のような意見もあるので、
1は「未就学児とかなら仕方ないじゃないの…」
2は「そうだね」
3は「怖。でも落ちかけたり車が突然突っ込んできたりって場面で通常考えられない反射速度で子供を守るパパの映像集とか見た事あるから危機感度の強化部分が違うのかも。予防と対処で」
4は「そういうこともあるかも」
と思っています。
勿論なんにでも例外はあるし、こういう主語のでかい話というのは不毛だと基本的には思うし、私がかつてお世話になって一生感謝してるお医者様も男性だったし、出勤中脳貧血っぽくなって電車でしゃがみこんじゃった時に席を替わって座らせてくれたり荷物をいったん預かってから持たせてくれたり停車駅でベンチまで一旦電車降りて付き添ってくれたりと親切に介抱してくれた周りの人たち全員男性だったし、経験から考えてやはり実際は必ずしも性質を男女で分けることは出来ないと思うんですが。
しかしここで考えたいのは、少なくともフィクションとしての概念的な「男らしさ」というものを考えた時に、それは確かに「ケアする」方向には向いてないよなと思うんですよ。
こう、「男らしく」「他人を守る」という構図を描写しようとすると、「他者を背に庇い自分は敵と対峙する」という感じが「男性的」「父性的」であって、守るべき他者に向き合い注意を向けて変化によく気づいて世話をするというのはむしろ「男性的だった男に訪れた柔らかな変化」的な文脈で描写されることが多いかなと思うんです。
で、そうしたナラトロジーがもしかしたらしようと思えば普通に伸びたかもしれない男性における「ケアのスキルツリー」を伸ばさない社会構造を作り出し母数として得意不得意を有意に分けさせる、ということもあるかなというね。
で、K2の話に戻るんですが、K2っていうのはブラックジャック+北斗の拳なので(言うほどマガジン時代よりは北斗の拳してないと思うけど)、「医者として患者のケアをする立場」と「男らしさ」を両立する必要がある話なんですよ。そういうキャラクター設定だから。
男らしい登場人物が患者の異常に気付き問題を解決できるのはどうしてか、というと「能力がすごくて物凄い医療知識があるから」千里眼のように気づき、例え千里眼には及ばなくとも真摯に患者に向き合えるのは何故かというと「その道を自分は歩むのだと心に決めており、その責務に真面目だから」。
つまり医者という職業選択があって、その役割に真摯であろうとする研鑽が他者への真摯なケアの眼差しを生んでいると。
他者を救う、そういう特殊な職業に従事する人間だから、その責務を全うするために患者の些細な変化も見逃さぬよう注意し、全精力を傾けて治療にあたるよう心掛けねばならないと。
K2に登場する〝良い医者〟のスタンダードというのはそういう「覚悟ガンギマリの医者」であり、在野のすばらしい医者がめちゃくちゃ登場し、それが光の医療漫画、とよく言われる所以であるわけですが。
しかしたまに暗黒面に堕ちた医者も描かれるわけです。臓器移植手術の第一人者でありながら移植臓器の不足を嘆き、クローン臓器組織の協力者として闇の世界に足を踏み入れてしまった相馬教授や、功を焦った自身の医療ミスを隠蔽するため婚約者の麻上さんに濡れ衣を着せようとした鴨川純一や。
現実でも「闇のK2」と不名誉な呼称をしばしばされているT田くんなんかの医者が存在するわけです。
そういう〝悪い医者〟と、前述の〝良い医者〟を生んでいるロジックというのは実は表裏一体だと思うんですよ。
要するにどっちも主語が「自分」で完結しているんですよね。「今の力不足の自分が許せない」という向上心が優秀さを生む一方で、その許せなさの向く矛先が「自分の能力」ではなく「自分を評価しない環境」や「自分の能力はあるのに発揮できない環境」に少しずれただけでとんでもなく性質の悪いエネルギーを生んでしまう、そういう危うさがあると思うんです。
例のT田くんも明らかに向いてないのにやたらと脳の手術をしたがったのは、脳外科医が一番外科界隈で権威があり、かつ手術実績が無いと認定が受けられないから。
明らかにやらかしまくってるのに中々処罰されないのは(最近は裁判等で進展があるようですが)、国家資格である医師免許というのはそれだけ強力だから。また、そこを断罪しちゃうと他にも存在するあらゆるグレーな部分も問われてしまう事になってくるから(普通の市井の人間は一也の〝お初〟になりたがった村人のようにペーペーの研修医の練習台になりたがりなどしないが誰にでも初めてはあるので実際生贄は必要であり、オーベンがフォローして結果オーライになるだけでこっそりと練習台に誰しもがなる可能性はある)。
で、男らしくも心優しかったこれまでの診療所メンバーは皆、物語開始時点で観察眼も能力もすごかったドクターKに感化され、今の己を変えたいという責任感から進んで師事し、自己の向上に励み、見事立派な医者になって巣立っていったので、「今日からここでお世話になります!自分変わりたいっス!」みたいな現状を変える熱いパッションが一切感じられない龍太郎を麻上さんが初め「ハズレじゃないですかあの研修医?」と感じてしまったのも仕方ない面はあると思うんですが。
加えてそれが龍一の「責任感がまるでない」という下馬評を証明するような態度に見えたのも相まってね。
しかし私は会社で今後のキャリアプランとかを定期的に問われるのとかが大っ嫌いなんですよ。要するに「どうなっていきたい」みたいな利己心がないと真面目に仕事しないだろうみたいな、だからちゃんと仕事するために自分の問題でしかないそういう希望を持ちなさいみたいな、そういう理屈がめちゃめちゃ嫌いでね。
それが必須ではないだろ? 自己実現への熱い欲求がある=いい仕事をするではないだろ?と。
実際口でなんか理想論語って「どうなっていきたいです!」って意欲抜群の発言ばっかで蓋開けてみればお前なんもしねーな!? なんか成果出したか!?みたいな人間は世の中の組織にゴロゴロいるわけですよ。
つまり関係ないんですよ結果とは。それより重要なのは向いてるかどうかじゃないですか? やるのが人間である以上はそこに向いてる人間と向いてない人間っていうのがあり、その向き不向きを決定付けるのは結局本人の性格だと思うんですよね。
根本的に他人のことが考えられない人間っていうのはいますよ。そういう人がいくら意欲を燃やしたって向いてない仕事や分野っていうのはあるわけです。三つ子の魂百までと言いますが、もうその資質というのはキャリアじゃなく生育と人生経験で培われた人間性だから。
でも人間何にでも取り柄があるものなので何かが出来ない分他の何かが出来たりするわけです。
で、医者の適正っていうものがそういうパッションであるとはどうしても思わないんですよ。何故なら前述の表裏一体問題があるから。
現状を何とかしたいパッションに能力を与え、鍛えて、それが飛天御剣流で暗殺繰り返した緋村抜刀斎にならない保証はありますか? アナキン・スカイウォーカーにならない保証はありますか? 相馬にならない保証は? 実際一郎と村井もちょっとライン越えしたじゃないですか。そこの分かれ目ってどこにありますか?
あってもいいし、良いことではあるけど、あくまで個性の範疇じゃん。そういう人ってだけだよね。もっと大事なことがあるよね。それが何かって言うと難しいけど…みたいなモヤモヤを抱えつつ、しかしK2は前述の通り男らしさとの両立を果たしてきたのもあって麻上さんの言う通り「みんな」が自己実現への希求の先に成長していく作品だったから、やっぱそこがスタート地点なのか? それがスタンダードなのか?ってところに、龍太郎が「自分の現状を変えるパッションよりは圧倒的に不安の方が強いが、素で真面目さと他者をよく見てケアする性格を備えているので成果をあげまくる」っていう活躍を見せたので、やるやんと。
なんかこう〝正しい〟と思うんですよ。そういう役割じゃなくたって、人のことを考える人は考えるし、親切にする人は親切にするじゃないですか。冷静に。
そうすることが自分を導く使命だと自負しなくたって、素の人間が極めて善性で、他者への慈愛を備え、真面目さを持ち、ちゃんと正規のルートでストレートで国家資格を取れるほどの能力があったなら、放り込まれた先で遭遇する患者を根こそぎ発見して連れてくるようになるんですよ。
良い医者である要件は自己意識の高さじゃないんです。やっぱ真面目で優しくて良い人間であることなんですよ!
真面目なら関わった仕事には最後まで責任持つし、優しければ言われなくても他人に気を配るし、尚且つそこに知識があればその様子の原因に気づくし、良い人間なら自分の利益なんか一切無くたって熱心に奉仕するんです!! しかもエネルギー源が利己じゃないから暴走もしない!!
聞いてますかオヤジさん!! あんたの嫁がやる気なくても関わった人間のケアを初めからちゃんとする女だったように!! 表面上の態度関係なく向いてる人間というのは存在するんですよ!! そういうところをちゃんとあんたが見てればなー!!(いつまで蒸し返すんですか?)
龍太郎をそういう、なんていうんですか、「こういうキャラもこの世界において存在できるんじゃん」っていう革命的な存在だと思ってるんですけど、うまいこと言えない上に誰も同じこと言ってないので同じような話を何度もしている。自分の解釈通りの作品が自分で描いたものしかないのでめちゃめちゃ二次創作もしてしまう。
イレギュラーすぎるので今後どういう着地をするのかもまったく読めない。とりあえずこれもbotのように何度も言ってますけど組織運営には向かないタイプだと思うんで親の病院には戻らないで欲しいんですよね~。一兵卒で患者さんを診まくることに専念した方が絶対いいですよ。逆に斎藤さんの方がバリバリ体育会系の闘争心バリ高人間なので向いてると思う。
要するに彼女は男らしい。一方龍太郎がイレギュラーとして自己実現欲求から解放されている所以は、男らしく優しかったこれまでのレギュラーと違って男らしくあらなくてもいいキャラクターなのがかなり大きい気がする。女性二人に専ら育てられて途中で男らしさという「しんかのいし」が使われなかった結果、ちっちゃい頃のがそのままでっかくなった感じで他人にピュアに親切できる印象がある。
しかしこんだけ語っといてそもそもなんですけど、K2っていう漫画は考察が不要な漫画だと思うんですよね。私がたまに発作のように考察厨になるだけで、作品としての作劇を綺麗に描き切るから、なんかこう上記の男らしさとケア性の両立、龍太郎のイレギュラーさ、とかも私が勝手にそう思ってるだけで実際どういうつもりで描かれているのかっていうのは話がうますぎて全くわからない。
とりあえず今はずっと気になってたもっちゃんが再登場したので続きがめちゃめちゃ気になります。
少なくとも龍太郎への言及ぐらいはあると思うんですが。どういう距離感で今はどうお感じになっておられるのか…!?
マジで龍太郎が登場するまでは、無料開放で面白~と思って読みだした純粋な読者だったのに。君のせいで…俺は…俺は普通だったのに…君のせいで今大変なんだから…。

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