# 1
あれほど苦しめられたはずの人造人間は、今となっては何の脅威でもなかった。
壊す者のいなくなった世界。タイムマシンの往還エネルギーのチャージは継続されている。復興を手伝いながらそれを待つ間、トランクスは考え続けた。
あの恐ろしい生命体セルは、奴自身の語った所によれば――今まさにチャージされているタイムマシンによって、過去へと戻ったのだという。完全体になるために、未だ人造人間の存在する時代へ。
トランクスを殺し、代わりにタイムマシンに乗り込んだセルは、しかしタイムマシンの操作方法を知らなかったために予めセットされていた年代へとただ闇雲に跳んだ。
本来そのタイムマシンに乗る筈だったトランクスは、おそらく未来の人造人間をうまく倒せたことを仲間たちに報告しようとしていたのだろうとピッコロは推測した。
しかし、そうであるならば。何故セットされた年代はエイジ763だったのか?
初めの往路よりも、更に一年前。まだ悟空がヤードラット星にいて、フリーザが復活すらしていない頃の、誰もトランクスを知らない年代にわざわざ向かって何がしたかったのか。
過去から戻り無事人造人間を破壊し、もう何も恐れることはないのだと安心しきってセルにまんまと殺された、見知らぬ次元の自分自身は。
その意図に思い当たった時、トランクスは思わず渇いた笑い声を上げた。これ以外ないだろうと確信できて、そして確信できればできるほど、おかしかった。
エイジ763は、皆が殺されたこの歴史において、最後にドラゴンボールを使った年代だ。
持ち帰ろうとしたのだろう。存在するためには作成者の存在が必要だというなら、作成者ごと。
もう何も失われることのなくなった世界で、何かを望み、その願いを叶えようとした。
それがどういう願いなのか。察するのに、三年という時間は十分すぎた。
明日、タイムマシンのチャージが完了し、おそらくそれを乗っ取るためにセルが現れる。
まだ誰も吸収していないセルなら、今の自分なら間違いなく倒せるだろう。
「でも、エイジ763には行きません」
師の名前が刻まれた、冷たい墓石に触れる。
「あなたを生き返らせることは、しません」
あきらめます。
トランクスは頭を垂れ、そう呟いた。
怯え暮らす地下から出て、日の下で暮らせるようになった世界は途方もない可能性に満ちている。眼前に広がる瓦礫の街は、これからいくらだって楽園にしていくことが出来た。僅かな、しかし決してゼロではない人々がここには確かに生きている。もう何も壊されず、奪われることもない世界。そこでは何もかもが増えていき、決してもう減りはしないのだから。
けれどそこには――トランクスがその光景を誰よりも一緒に見たかった、孫悟飯がいない。
自分をずっと守り導いてくれた人。誰も戦わなくなったこの世界で、一人戦い続けた人。今この未来まで、自分の存在を繋いでくれた人。
彼さえ居てくれれば、この何もなくなってしまった世界でも希望に満ちた大団円だと感じられた。けれどそれが叶わない今、陽の当たる世界が在りし日を取り戻していけばいくほど、トランクスの胸の内には仄暗い空虚が拡がっていく。
違う次元の己は、その空虚に負けたのだ。
僅かな希望でも在るならば縋り付いてしまう。時すらも越えたように、当たり前のように。
そしてそんな未練のせいで、結局は恐ろしい怪物を過去に送り込んでしまった上、望まぬ形で師と再会を果たす事になった。母を一人置き去りにして。
未練と後悔を持ち込んだあの世は、たとえ天国だろうと地獄のようだろう。
だがそれでも、違う次元の己が犯した罪を愚かだとは思わない。ただ、哀れだと思う。
自身も今日まで、可能性というその誘惑が頭を掠めない日はなかった。
後々セルへと成長するはずの幼体を、トランクスは研究所ごと過去で破壊した。そして明日、過去へ行くはずのセルをこの手で殺そうとしている。そうすれば未来にも、過去にもセルは現れられなくなる。だが既にセルゲームが開催されたあの歴史にだけは、何も変わらずセルは存在する。中に入った後に入口と出口を塞いで、永遠に一本の筒の中に閉じ込められた哀れな虫のように。
それと同じように、ドラゴンボールを仮に本当にエイジ763から奪ってきたところで、今の既に積み重なったトランクスの歴史が何らかの影響を受けることはまず無い。もしかしたら己の死体がまた増えるような、そんな見知らぬ別の次元が新たに生まれるだけだ。
過去に関われば関わるほど、そうした違う歴史の次元が増えていく。今のこの身が体験している歴史は何も変わらないままに。
トランクスがタイムマシンで初めて過去に行く前、歴史を変えるという行為がもたらす影響は未だ未知数だった。過去に行って、未来の因子となる事象に関与し、辿る筈だったレールの向きを有意に変える――その行為が、元のレールの延長線上であった筈のこの時代に影響するのか否かということは。
この世の全ては突き詰めると粒子なのだという。C.C製のカプセルもその構造を利用して物質を粒子の状態に戻すことでカプセルに格納しており、そのノウハウがあったからこそタイムマシンへの足掛かりにもなったのだが、では世界を構成する粒子は何に依って今の世界の形に収束しているのか。
トランクスが未来の歴史に至る事象に変更を加え、その結果元いた未来の様相が変わるのだとして。ではその結果が反映された未来へと粒子が再収束するのは、いつの時点なのか。歴史に変更を加えた瞬間なのか、それともトランクスの乗ったタイムマシンが未来へと帰還した時点なのか?
仮に変更された時点で、切り替わったレールの延長線上の未来に生きている人々は、あくまでも変更後の歴史の記憶しか持たない存在になるのだとして。だとすればそれを可能にするのは実際に過去においてレールを切り換え、切り替わる前と切り替わった後の状態の両方を把握しているトランクスの存在ひとつということになる。
未来の世界すべてを丸ごと粒子に戻し、再収束させるのは、トランクスの主観ただひとつ――果たして一人の人間の主観とは、それほどまでに大きな影響を世界に及ぼすものなのか?
ブルマの考えは否だった。
おそらく過去を変えたところで、この現実は変わらない。世界はそのようなものではなく、もっと安定していて、悪く言えば融通が利かないものだ――それがブルマの支持する説だった。
そして一度目の往還の結果、その考えは証明された。過去で心臓病の薬を悟空に渡しても、その後無事に戻って来てみても。やはりこの時代には、何の変化も起きなかったのだ。
トランクスにしてみれば、失望を覚えなかったかと言えばウソになる。たとえ己の知る世界と歴史の変わった世界が齟齬を起こし、最悪自分の存在が危うくなってしまったとしても、地獄が楽園になるのならばそれを望んでいた。
しかし結局この現実を変えるのは、この時代に持ち帰ってきたものだけなのだ。
それでも一度目の往還から三年後、トランクスは再び過去へと向かった。同じだけの時を経たエイジ767へと。
自分の世界を救うヒントを持ち帰るために。そして、自らが変化させた違う歴史の有りようを見届けるために――少しでもマシな歴史を辿った世界が存在することを、せめてものよすがにするために。
そして結果、想像を遥かに超える、全く異なる歴史を辿った世界がそこには存在した。
結局この時代に持ち帰ったのは経験と思い出だけだ。だがそれこそが、今のトランクスを生かしている。
「過去の世界で、悟空さん……亡くなったあなたのお父さんの声を聞いたんです。あの世には過去の達人なんかもいて、楽しそうだと……明るい口調で話していました」
過去に行った一番の収穫は、あの孫悟空の声を聞いたことかもしれなかった。
「本当にあの世というものがあるなら……死んでしまった人たちにも、そこでは会えるのなら……きっと悟飯さんは今、やっと独りじゃない場所にいるんですね」
あの声のように明るく言おうとした。しかし、無理だった。
過去で出会った子供の頃の孫悟飯。一目見て師だと分かった。やさしくて、真面目で、素直で、聡明で。よく周りを気にかけていて、積極的に周囲の助けになって。けれど、一点だけよく知る師とは違っていた。
過去の孫悟飯は寂しそうではなかった。
信頼できる仲間や家族に囲まれていると、この人はこんなにも安心した顔を見せるんだなと、トランクスは内心驚いたのだ。
どれだけこの歴史が彼にとって酷なものだったか、改めて理解してしまった。
「エイジ763には行きません。けど、せっかく溜まったエネルギーです。最後に、もう一度だけ過去へ行こうと思うんです。オレがタイムマシンを使って初めて過去に行く直前の時代に……。そうずれば時間移動を始めた起点に重ならないし、余計なことさえしなければ、また違う歴史を増やしてしまうこともないでしょう」
精神と時の部屋での二年も合わせれば、トランクスはもう二十四歳になった。師の享年を越して。
「見てみたいと思うんです。あなたたち親子が救った、もうひとつの未来を……そこであなたが、どんな人になっているのかを」
違う歴史で、幸せに生きている孫悟飯がいるということ。
それを、この時代に持ち帰る最後の思い出にしたい。この先も生きていくよすがとして。
# 2
「じゃあみんなによろしくね」
「うん」
翌日の朝方。さもこれから出発するような会話に、誘き出されたセルの気配がすぐそばまで近付いてくるのが分かった。
トランクスはタイムマシンを乗っ取ろうと機を伺うセルを、人気のない荒野へと連れ出し、被害を出さず無事葬り去ることに成功する。
これで全ての人造人間を倒し、別の次元でヤツに殺された自分の仇も討てた。そう思えば、万感籠もるような思いがした。
自分がするべき最低限の務めはこれで果たせたのだ。
セルと戦うために着ていた戦闘服から着替え、改めて出発前の準備をするトランクスに、念押しするようにブルマが訊いてくる。
「本当に誰とも会わないつもりなの? せっかくまた過去に行くっていうのに」
「ええ。どんな影響が出るか分かりませんから……もう大きくなったあっちの自分もいますし」
「全員に会わないにしても、誰かと少し話すぐらいはいいと思うけどね……。あっちだって懐かしいだろうし。本当にあんたがその後人造人間を倒せたのかだって知りたいんじゃない?」
「みんな、オレなら大丈夫だって信じてくれてますよ」
「そういうもんかしらね~」
首を傾げるブルマに曖昧な笑みで答えて、トランクスは話題を変えた。
「それより何か、オレがトランクスだってバレないようにカモフラージュ出来るような方法は無いでしょうか? 気は抑えるつもりですけど、万が一偶然見つかったら大変だし……あっちのオレと間違えられて迷惑をかけるかもしれない」
「あら、じゃあ変装していけば? 特徴が分かんないように。ちょっと待ってなさい」
気安く言って、ブルマは奥へと引っ込んだ。「えーっと、これなんか良さそうね……」とブツブツ呟きながらあちこちをひっくり返す音がした後、一抱えの衣装を携えて戻ってくる。
「あたし天才だから、二時間もくれれば例えばこの変身スーツをボタン一つでパパっと装着できる装置なんか作ってあげられるけど」
どう? と言って広げられた服を、トランクスは神妙な顔でしげしげと眺めた。黒いインナースーツに体の線が隠れる緑の上衣。口元以外完全に隠れるヘルメット。シルエットを覆うマント。
確かに身元は分からなくなるだろうが……。
「……やっぱり、いいです。中にフードつきのパーカーを着て、それを被ります」
「えー? そう?」
少し不服そうに持ってきた衣装を見下ろすブルマに閉口する。自分の母ながら理解できないセンスだった。
あんな怪しい格好が万が一悟飯さんの目に触れたら。トランクスは冷や汗をかいた。
元より一度目の往還のように、目的を達せばすぐ戻ってくるつもりの短い滞在予定だ。昼過ぎには準備を終え、あとは出発するだけとなった。
見送りに出てきたブルマはひとつ息をつくと、付け加えるような気楽さで言った。
「ま、好きにやんなさい。あんたの人生だもの」
頷いて、笑顔を返す。母の泰然とした調子は、いつもトランクスを励ましてくれる。
「じゃあ、いってきます!」
上空高く浮かび上がるタイムマシンから、下で手を振るブルマに手を振り返した。
トランクスは瓦礫と化した廃墟と建造中の建物が混在する自分の街を最後に見渡して、過去へと跳ぶスイッチを押した。
# 3
以前と同じ荒野を移動先に選び、着陸後タイムマシンをカプセルにして懐に仕舞った。
しばらくその場で気を探り、孫悟飯の気を見つける。トランクスは、思いがけず打ちのめされたような気分になって少しのあいだ立ち尽くした。この世界には、孫悟飯の気が存在するという、当然の事実に。
自分の気を悟られないよう最小限に抑えながら、悟飯の気がある方角へと飛び始める。
向かうほど開けていく都会の景色に、トランクスは感嘆として見入った。所狭しと並ぶ建築物の間を縦横無尽に走る道、そこを埋め尽くすように走る車と、人、人、人の群れ。人造人間さえ現れなければ、これだけの人口が街にひしめいていたのかと改めて驚いた。
トランクスは通り過ぎかけた看板に、大きく見覚えのある顔がプリントされているのを見て驚き、思わず進みを止める。
「サタン……シティ?」
どうやらこの街の名前らしい。
なんであの時ウロチョロしていた格闘家が、と考え込んでいると、開けた公園にミスターサタンの銅像が立っているのを見かけて寄り道してみる事にする。人目につかないように建物の影で降り、銅像の台に書いてある解説文を読んだ。どうやらこの世界では、あのセルを倒した救世主はミスターサタンであるということになっているらしかった。
「……冗談みたいな世界だ」
呟いて、トランクスはビルとビルの隙間から再び上空へと上がる。
冗談、あるいは――夢の中のようだと思った。色々な意味で。
「……ここだ!」
トランクスは中から悟飯の気を感じる建物を見上げ、ドキドキと逸る鼓動を感じながら唾を飲み込んだ。
周辺一帯で、最も広く大きな建物。トランクスもその存在を耳にした事のある、有名な大学だった(トランクスの世界では残念ながら廃墟になっているが)。
外周を歩き、悟飯がおそらく向こうに居ると思われる壁の前で立ち止まる。建物の裏側だったため、周囲を見回すと幸いにも人影はなかった。トランクスは飛び上がって、ニ、三階の位置にある窓から、そっと中を覗いてみた。
「……眼鏡だ……」
始めに口から零れた呟きはそれだった。
中は広い講堂で、聴講席にはぎっしりと学者然とした人々が並び、真剣な表情で話に聞き入っている。どうやら授業ではなく、学会か何かのようだった。
そして壇上で発表している若き学者は、紛うこと無くトランクスの探し人、孫悟飯だった。成年しても愛嬌のある顔に黒縁の眼鏡をかけ、活き活きとした表情で何かを喋っている。
トランクスは慌てて辺りを見回して、どこか侵入経路は無いかと探した。裏の方に搬入口があり、少し待つと、丁度清掃の人間がドアを開けて出てきた。閉まる前に中に侵入する。
先程観察した所、講堂の上部外周には照明等を操作するための足場があった。今は丁度壇上の悟飯を照らすため照明が使用されているために薄暗い上、運良く無人のようだ。
本来梯子で登る所を、素早く浮き上がって照明の後ろに移動する。
『負傷した仲間を保護する役割を専任する衛生兵アリや、腹部を自爆させて外敵に毒を浴びせる能力を有した兵隊アリなど、アリの職能の多様性は……』
マイク越しに響く声を聞きながら、トランクスは誰にも見られない暗闇でまじまじと、立派に人前で発表する悟飯の姿に見入った。
子供の頃は学者になりたかったのだと――確かに、そう聞いたことがあった。何気ない会話の中で一度だけ。
師としては何の気なしに零した思い出話だったのだろうが、トランクスはそれがとても意外で、師に将来の夢があったなどとは想像したこともなかったので、随分熱心に話に食いついてびっくりさせてしまった。
なんの学者ですかと聞いたら、少し照れくさそうに「生きものが好きだったから、生物学者かな」と答えた。そして照れを誤魔化すように修行の続きを始めてしまったので、結局その話を聞けたのはその時が最初で最後だった。けれど、トランクスはずっと覚えていた。
大勢に見つめられながらも壇上で話す悟飯は楽しそうで、研究対象への興味が尽きないのだろうなと伺わせるものがある。力の抜けた発表には端々にユーモアがあり、会場の空気は柔らかく、時折笑いも漏れていた。
スーツを着て眼鏡をかけた悟飯は、トランクスの知るいつも胴着姿で顔に傷のある隻腕の戦士だった悟飯の姿とはまるで似ても似つかない。物静かな知識階級の雰囲気を板につけている。しかしそれでいて、間違いなく彼は孫悟飯そのものだった。
師はこういう人ではなかったが、こうなれる人だったのだと。いざ目の当たりにして、それがよく分かった。素直で、真面目で、控えめで、それでいて常に興味深いものを見つけてはトランクスに教えてくれる、前向きな人だった。戦いから一時でも解放された時にはいつも。
いつかその僅かな時間に見せる柔らかい笑顔を、ずっと見ていられるようになればいいと思っていたのだ。
拍手の雨で、ハッと我に帰る。ペコペコと礼をしていた悟飯が、ふと何かに気づいたように辺りを見回した。
トランクスはその視線が上に向く前に、急いでその場を去った。
# 4
おそらく孫悟飯という人は、環境によって変化する可能性を他人よりも格段に多く持った人なのだろう。
条件さえ満たせば孫悟空や完全体のセルすら凌ぐあの超パワーを手にしたように、どのようにでもなれるポテンシャルをその内に秘めている。あの時もトランクスは驚愕したのだ。この人は、こんな風に成ることが出来る人だったのだと。
大学から出てきた悟飯は、すれ違う人たちに次々声を掛けられては笑顔で応え、たまに申し訳なさそうに何かを断る素振りを見せた。時間的におそらく夕食の誘いが何かなのだろう。周囲の人間から広く慕われているようだ。
ようやく広い敷地内を抜けると、悟飯はそのまま建物の影に歩いていった。そしてキョロキョロと辺りを見回し、唐突に見覚えのある服装に変身した。
「エッ……」
思わずトランクスの口から大きめの声が出る。悟飯がまた眼下でキョロキョロし出したので、慌てて建物の影に隠れた。
誤魔化せたらしく、悟飯はその格好で飛び上がると、爆速で上空を飛び始めた。赤いマントがたなびく様を呆然と見送り、トランクスも気取られない距離を保って追跡を始める。
身元がバレずに飛ぶための変装なのだろう。そして出発前のやりとりから考えても、明らかにあの変身装置を用意したのはブルマだ。
それにしても、抵抗は無かったのだろうか……。自分の母の勧めを、人のいい悟飯は断れなかったのではないか……。
トランクスは心を痛めたが、道中見かけた悪事を前にノリノリの口上と奇怪なポーズで参上し、パワーで解決したのち再び爆速で去る様子を見て認識を改めた。
……そういえば今思うと悟飯さんって結構、天然だったよな。
トランクスは予想外の可能性を突きつけられながら、追跡を続行した。
「パパ〜! おかえり〜!」
「パン〜! ただいま!」
「おかえりなさい悟飯くん」
「ただいまビーデルさん。ありがとう、おかげさまで無事終わったよ」
「よかった。お疲れさま! いっぱいごちそう作ったから!」
「やったあ~!」
抱きかかえていた小さな女の子を喜びの声と共に高い高いして、キャッキャと嬉しそうに女の子が笑う。それを見て夫婦も楽しそうに笑って、三人で家の中に入っていく。
すこぶる幸せそうな家族の風景に、トランクスは呆然と見惚れていた。
思えば、自分にとって師は父代わりのようなものでもあったと思う。優しく、面倒見がよく、色んなことを教えてくれて。きっと子供を持てば、さぞかし良い父親になるだろうと思えるような。
意思の強そうな女性と元気いっぱいの女の子は、穏やかな悟飯にぴったりの、微笑ましくなるほどしっくりと来る家族構成で。
夢のような世界だと、トランクスは改めて思った。
こうなれた筈の現実を突きつける――幸福な悪夢だった。
思考に囚われ、リフォーム中なのか半分ほど工事中らしいその家屋を眺めてぼんやりしていたトランクスは、不覚にも背後から近づいてくる自分以外の抑えた気があることに気付けなかった。
「……トランクス?」
声を掛けられ、驚愕して振り返る。
怪訝そうなその声の主は、一目見たら忘れられない、トランクスにとっては三年ぶりに会う相手で。
「……ピッコロさん……」
呟くと、すぐにピッコロもこちらの世界のトランクスではないと確信したらしく、僅かに緊迫した表情を滲ませる。
「……どうした。何かあったのか」
トランクスは慌てて首を振った。
「い、いえ。特に何か事件があったわけじゃないんです。ただ、懐かしくて……」
狼狽えたトランクスの弁解に、ピッコロは「なんだ、そうか」と幾分ホッとした反応を見せると、口角を上げて悟飯の家を指し示して言った。
「それならお前も顔を出せばいい。丁度これから夕飯だろう。オレも呼ばれている」
「そ、そうなんですね。いえ、オレはその、遠慮しておきます」
「何故だ」
不可解そうなピッコロに、トランクスは自然と少しずつ離れながら言った。
「元々、今回は誰ともお会いするつもりはなかったんです。また妙に歴史を変えてしまってもいけませんから……」
「フン、そんなことは今更だろう」
「とにかくその……いいんです、オレは。お、お邪魔しました」
「ッおい!」
言い置いて飛び去ると、ピッコロは舌打ちして間髪入れず追いかけてきた。
ぎょっとするトランクスの後ろで、ピッコロはテレパシーのような能力があるらしく、トランクスにではなく悟飯に向けて話し掛け始める。
「悟飯、聞こえるか。オレだ。……ああ、その件だがオレは今日行かん。急用が出来た。……違う、別に事件じゃない。なんだ。は? いらん。だからいつオレがそんなものが欲しいだなんて言った。うるさい。とにかくパンとビーデルにもそう言っておけ。大丈夫だと言ってるだろ。……そんなことは知っている。そうか、よかったな。明日はお前がパンの迎えに行けよ。今日は飯食ってさっさと寝ろ。じゃあな」
会話を終えると、ピッコロはトランクスの横に並んで言った。
「とりあえず場所を変えるぞ」
こちらは気を気取られるほどのスピードを出すことが出来ない。逃げられないと悟ったトランクスは、苦笑して違う話題を振る。
「仲、いいんですね」
ピッコロはフンと鼻を慣らして答えなかった。多分、照れているのだろう。
連れて来られたのは、悟飯の家からそう遠くない場所にある、湖畔のそばの不思議な家だった。
「ここは……」
「オレの家だ。……悪いが今家の中に余計なモノが多いから、こっちで話させてくれ」
そう言って家のすぐ近くにある岩場の上にピッコロが降り立ったので、トランクスもそれに倣う。
確か最後に別れた時は神殿に留まるような事を言っていた筈だが、今は違うらしい。この近さと先程の話しぶりを見るに、おそらく日頃から悟飯の家と行き来があるのだろう。
「気を抑えていたのは、偶然ですか?」
トランクスが尋ねると、ピッコロは「偶然と言えば偶然だ」と答えた。
「悟飯がもう帰ってきたかどうか気で探っていたら、かなり小さくだがトランクスの気が近くにあることに気が付いた。だが詳しく探ってみると、どうもこっちのトランクスとは微妙に異なる気だ。もしやと思い、気を抑えて近付いてきた。そしたらお前が居た」
「……なるほど」
とりあえず経緯を納得したトランクスに、ピッコロは少し視線を逸らして続ける。
「……今になって未来からまたお前が来て、しかもどうやら気付かれないようにしながら悟飯のすぐ近くにいる。あいつはセルを倒したし、それにお前の時代ではお前の師匠だったんだろう。未来で何か危機的状況が起こったか、あるいは別の理由で……悟飯に接触し、連れて行こうとでもしているのかと」
トランクスは予想外の言葉に目を丸くしたが、しかし言われてみればと納得した。確かにただ見ているだけ、というよりもそっちの方がよほど自然な理由だ。
「……もしオレがそのつもりだったら、あなたは止めましたか?」
トランクスが微笑んで尋ねると、ピッコロは顔を逸らしたまま答えた。
「……時間移動に関しては、まだ分からんことの方が多い。お前はひとつの未来から過去との行き来を複数回行っているが、過去の人間が繋がらない未来へ行った後に無事戻って来られるのかの保証もない。悟飯が何と言うかは知らんが……黙って行かせるわけにはいかんだろうな」
期待した通りの答えに、トランクスは笑って頷いた。
考えもしなかったことだが、仮に困っているから未来へ一緒に行ってくれと言えば、悟飯は何だかんだついてきてしまうかもしれない。そういう人だ。そして、ピッコロはそういう悟飯のことを真剣に案じている。
思えばセルゲームの時にも、ともすれば実の父親の悟空よりも悟飯の身を案じていたような節があった。
トランクスの師である悟飯もよく、その名を口にしていたのだ。ピッコロさんは自分の師匠で、お父さんと同じくらい、とてもとても尊敬していたのだと。
「安心してください。連れ去りに来たわけじゃありませんから」
自分で言ってトランクスは可笑しくなった。あり得ない事とも言い切れない。この歴史からではなくとも、天国から連れ去ろうという気は起こしていたのだ。違う世界の悟飯を手許に引き寄せたかったことを否定は出来ない。もうそれは、諦めた事だけれど。
「ただ、見てみたかっただけなんです。平和な世界で大人になった悟飯さんが、どんな人になっているのか」
「……そうか。……まさか、それが……それだけが、今回来た目的か? 誰とも会わず、悟飯自身とも会わず、その姿を見ることが?」
「はい」
頷くと、ピッコロは暫し絶句した後、指を伸ばしてトランクスの後ろに椅子を出現させた。
「座れ。立ち話というのも何だ……」そう言って自分の椅子も出すと、マントとターバンを消して幾分ラフな胴着姿で座る。ついでに「暗くなってきたな」と焚き火すら出してくれた。
便利だな……と改めてかの不思議な人に感心しながら、トランクスは礼を言う。
「どうも……。よかったら飲み物いかがですか?」
カプセルで出しながら聞くと「オレは水しか飲まん。飲み食いしたければ好きにしろ」と返ってきたので、遠慮なく自分の分だけ取って缶を開ける。残念ながらただの水は持ってきていなかった。
「人造人間は無事倒せたんだな」
断定的なピッコロの問いに頷く。
「はい。皆さんに見送ってもらって、未来に戻った後すぐ……」
「あの時のお前なら楽な相手だっただろう」
「ええ。呆気ないぐらいに」
どうする事も出来ずにいた長い月日が過ぎり、思わず自嘲の笑みを零した。
「オレの世界では、あれから三年経ちました。今日はセルを倒してからすぐにここへ来たんです。オレを殺してタイムマシンを奪い、完全体になるために過去へ行こうと目論むセルを」
「セルか……」
感慨深げにピッコロが呟く。
「あなた方にとってはもう懐かしい名前ですよね」
トランクスは苦笑しながら、彼らを巻き込んだ者の義務として説明する。
「セルが過去へ行く根はこれで断ちました。前にこちらに来た時はセルを培養していた研究所も破壊しましたから、もうセルという存在が表舞台に現れ、世界を脅かす歴史はこの次元以外には存在しなくなるでしょう」
「そうだな。それが一番だ……よくやった」
端的に褒められ、少し照れながらも、その言葉を素直に嬉しく思った。
「ありがとうございます。リスクを冒してまで報告しに来るつもりはなかったんですが……こうなってみると、ピッコロさんにだけでもお伝え出来てよかった。気が楽になりました」
勝てたのは全て、この時代の人たちのおかげだ。繋がらない歴史だとしても、その中に成果を知ってくれている人が一人でも居るという事実は、思いがけないほどトランクスの胸を軽くする。
そんなトランクスに、不意にピッコロが言った。
「……ずっと、考えていたことがある」
視線で問うと、静かな目が見返してくる。
「何故お前は三度目の往還で、二度目の往還の四年前……セルがこの歴史に訪れた年代をセットしていたのか」
息を呑むトランクスに、ピッコロは続けた。
「報告にしては、時代設定がおかしいとは思っていた。今の話を聞いても、お前は報告のためだけに往還することを控えるような慎重さもある。だとすれば――」
口調はどこまでも落ち着いていた。
「何か他の目的があったのだろうか、と」
トランクスは小さく笑った。この人に、隠し事は出来ないと悟る。そして開き直り、はっきりと言った。
「おそらく、ドラゴンボールを手に入れようとしたんだと思います」
予想していたのか、ピッコロは驚かなかった。代わりに問いかける。
「それで……行かなくて良かったのか、その年代に。今回が、その三度目の往還なんだろう」
「ええ。諦めました――ドラゴンボールのことは。オレはこれを、最後の時間移動にしようと思って来たんです」
はっきりしたトランクスの口調に、ピッコロが低く尋ねる。「……なぜだ」
「歴史は、ほんの些細なことで大きく変わってしまいます。二度の往還でそれを痛いほど実感しました。どんな行動がどんな歴史を増やしてしまうことに繋がるのか、自分ではまったく予測が出来ません」
「だが、それはお前自身の歴史には関係のないことだろう」
「……ずいぶん、自由な考え方をなさるんですね」
トランクスが笑うと、ピッコロは鼻を鳴らして「オレは元々善玉ってわけじゃない」と嘯いた。
そして核心を突いた問いを口にした。
「生き返らせようとしたんじゃないのか。例えば……悟飯のことを」
問いでありながら、実質その声には確信が籠もっていた。トランクスは肯定も否定も口にせず、微笑んで言う。
「歴史が変わるというのは、つまりこういうことなんだと思います。タイムマシンをセルに乗っ取られた方のオレは、過去において天国から聞こえる悟空さんの声を耳にする事は無かった。あの声を聞くまで、オレは死んだら全ておしまいで、あの世なんて無いんだと思っていました。生きていなければ何も無いのだと……」
「……お前はこの歴史において、天国の実在を知った。だから……やめたというのか? 別の次元のお前が望んだ願いを……」
「ええ、そうです」
静かな声で答えた。
「天国があるなら、現実よりもきっと良い所に違いありませんから」
沈黙するピッコロに、トランクスは飲みかけだった缶の中身を一気に飲んでから、大きく息をつく。
「今のこの年代は、オレが違う次元で最初にタイムマシンを使う直前の時代なんです。つまり違う歴史が発生し始める起点の、ギリギリ手前……矛盾なく移動できる範囲での、最も後の時代だと考えられます。だから来たんです。見られる限りの、一番未来の……オレの世界で亡くなってしまった年齢の後も、元気に生きてる悟飯さんの姿を見たかったから」
口元を綻ばせて、トランクスは今日見た光景を思い返した。
「学者さんになられたんですね。今日こっちに来てすぐ、学会で発表する悟飯さんを偶然見ることが出来ました。すごく楽しそうに、自分の研究成果を大勢の人の前で話していて……そういえばこっちの悟飯さんも、昔はえらい学者さんになりたかったんだって話してくれた事が前にあったなあって。懐かしく思い出しました。夢を叶えたんだと知ってすごく嬉しかったです。それに、とてもかわいい娘さんがいるんですね。ビックリしました。きれいな奥さんもいて……幸せそうな家族でした。悟飯さんならきっとすごく優しいパパなんだろうなって、想像しなくても分かります」
トランクスは言い切ると、ゆっくりと結びの言葉を口にした。
「来てよかった。思い残すことはありません」
ピッコロは黙って聞いていた。トランクスが話し終えると、「そうか」と一言相づちをうつ。
そして言った。
「だが、悟飯の家の前で会った時のお前は、そういう顔じゃなかったぞ」
思いも寄らぬ指摘に、トランクスは動揺した。
「そ、そういう顔……とは」
「何か、途方に暮れたような……何か足りないものに気づいたような、そんな顔だ」
「足りないもの……?」
目を泳がせて反論する。
「何も……足りていないものなんかありませんよ。幸せそうな姿が見たくて来て……そして実際悟飯さんは幸せに暮らしている。好きな勉強をして……仲の良い家族と暮らして……こうしてその身を案じてくれるあなたもすぐ近くにいてくれて……。こんな風に生きて欲しいと思うような姿そのものです」
その幸せの登場人物である目の前の人は、しかし静かな口調で言った。
「だがそれは、お前の世界の悟飯の話じゃないだろう」
トランクスは沈黙する。
あまりにも核心だった。どうもこの人には、いちいち思考回路がすべて見抜かれているのではないかと疑問に思う。そしてトランクスは不意に、それは単に目の前の人の思考回路が自分とよく似ているからなのだと気づいた。
同じ人の幸せを願っている。
「こちらの悟飯がどれだけ幸せに生きていても、お前の世界の悟飯の代わりにはならない。お前とこちらのトランクスが、まるで別の人間であるように」
トランクスは力なく笑った。
「それでも……慰めにはなりませんか?」
「ならなかったから、ああいう顔をしたんだろう?」
勝てないな、と白旗を揚げる。
「……夢みたいな光景だと思ったんです」トランクスは目を伏せた。「そして実際、夢に過ぎないんだと気づいたんです。この手で叶えられなかった夢の、リアルな姿を見ているに過ぎない。ここは結局、オレの世界ではないのだから」
「……お前の手でどうにか出来た問題でもあるまい」
「でも、今は叶える力を手にすることが出来ている。あの完全体のセルを倒した悟飯さんの年齢だって、オレが悟飯さんを失った年齢より年下です。……可能性はきっとゼロではなかった。でも、オレはオレのためにそれを手にするべき時に間に合わなかった……それが現実です」
あの人を幸せにしたかった。それだけが、強くなった己への報酬になり得た。報酬を受け取るべき成果を手にした今になってそのことが分かる。
口を閉ざすピッコロに、トランクスは笑って言った。
「でも、こちらの悟飯さんが幸せに暮らしている姿が見れてよかったのは本当です。以前来た時、子供の頃でもオレにとても親切にしてくれました。違う世界の人でも、やっぱり悟飯さんです。優しい人ですから」
そう結んで腰を上げる。
「もう目的も達しましたし、そろそろオレは行きます。色々話を聞いていただいてありがとうございました。ピッコロさんと話せてよかったです。本当に」
礼を言うトランクスを見上げたピッコロは、組んでいた腕をほどいてゆっくりと立ち上がると言った。
「オレには今のお前に、何もかけてやれる言葉を持たない」
「そんな……」
その気持ちだけで、と眉を下げて微笑んだトランクスに、ピッコロは「だが」と続けた。
「お前はやはり、こちらの悟飯と話すべきだと思う」
「え」
「悟飯!」
突然、この場にはいない悟飯へピッコロは呼びかけた。
――テレパシーだ。
一瞬でトランクスの背筋に緊張が走る。
「もうパンも寝ただろう。用がある。今すぐ来い」
トランクスは動揺し後退った。ついていけない展開に、もういっそ逃げようかとも思う。しかし念話しながらピッコロはトランクスの肩を抜け目なく押さえた。逃げられない。
「あ? 夜遅いからこそ来れるだろう。いいから来い。……違う、鍛錬じゃない。ウソじゃない。格好? だから鍛錬じゃないんだ。格好はどうでもいい。ただ、お前に話があるヤツがいる。そうだ。いいから今すぐ来い」
雑な指示で話を切り上げたピッコロに、トランクスは食ってかかった。
「な、何を……! どういうつもりなんですか!! オ、オレは……」
「お前の言うこともわかる」
ピッコロは言った。
「だが、考えすぎだ。アイツにそこまで気を遣ってやる必要は無い」
「な……」
「今のお前が考えていることを本人に言ってやれ。別人でも同一人物だ、同じような考えが聞けるだろう」
絶句しているトランクスをじっと見下ろして、ピッコロは笑った。
「お前は懐かしい名前だろうと言ったが、つい先日オレ達はまたセルと戦った。正確にはセルマックスという別の生物だがな」
「……え!?」
「レッドリボン軍が復活し、ドクターゲロの孫を新たに研究者として招いて、新しい人造人間を作らせたんだ。ガンマ1号2号という二人の人造人間は悟空とベジータにも匹敵する実力で、オレと悟飯がその襲撃を受けた。それだけでなく、奴らはセルの細胞データを元に大幅なパワーアップを施した、セルマックスという怪物も作り上げていた。ガンマ達との闘いを終えた後、まだ精神の制御装置が未完成な獣の状態のまま、セルマックスが外界に解き放たれた」
「そ、それで……どうなったんですか」
どう聞いてもこの世の終わりだ。平和そのものの世界とあまりにもギャップのある話に困惑しながらトランクスが尋ねると、ピッコロはニヤリと笑った。
「悟飯が倒した。また新たな力に覚醒してな」
トランクスは唖然としたが、完全体のセルを圧倒した時の悟飯の姿を思い出し納得する。
「そうですか、やはり……悟飯さんが」
「やはりというほど安定感のある勝利でもないがな。アイツは強さにムラがありすぎる。今回は色々と条件が揃って覚醒させることが出来たが、普段は平和にかまけて鈍りっぱなしだ。かと思えば一気に世界で一番強い存在にもなる。デタラメな奴だ」
愚痴っぽい口調だが、その実自慢げのようでもある。それが分かって思わず笑みを零すトランクスに、ピッコロは付け足した。
「あと、あの時死んだ悟空は七年後に生き返ったぞ。色々あってな。今はピンピンして下界にいる」
「えっ!? そ、そうですか……それは……よかったです。では、その戦いは悟空さんも悟飯さんと一緒に戦ったんですね」
「いや。悟空とベジータは他の星に修行に行っていて不在だった。事情があって連絡もつかなかったから不参加だ」
「はあ……」
意外なところで父の名前が出てトランクスは目を丸くする。あの二人で一緒に修行に行くという光景は、あの頃目にした様子からは想像し難いものがあった。
「だが今思えばそれで良かったのかもしれん。あの二人がいたら悟飯は安心して覚醒の機会を逃していたかもしれないからな。……アイツらだってそんなものだ。強くなったり弱くなったり間に合わなかったりする。この平和も、すべては結果論に過ぎない。たとえ歴史へ干渉などしなくても、元々世界というものはどう転がるのか誰にも予測できない。オレが神だった時からずっと」
呆然とピッコロの言葉を聞きながら、トランクスは空を見上げた。懐かしい気がこちらに近づいてくる。ずっと焦がれていた気が。
「自分が与える影響などと慎ましく考えるのはやめろ。好きにすればいい……おまえの人生だ」
星の広がる夜空に、本当はもっと近くで見たかった姿が、くっきりと浮かび上がった。
「こんばんはー。んもー来ましたよピッコロさん、……あれ? そこに居るのは……トランクスか?」
訝しげに自分の名を呼ぶ声に、トランクスの心臓が大きく跳ねた。
# 5
目の前に降り立った悟飯は、不思議そうに眼鏡に手をかけると、固まっているトランクスの顔をまじまじと観察する。
「トランクス……だけど……もしかしてキミは」目を丸くすると、驚きの声を上げてぴゃっと飛び上がった。「未来から来たトランクスさんじゃないですか!?」
あの頃のような敬語になり、喜びに顔を輝かせてすぐ近くまで寄る悟飯に、トランクスは頬を紅潮させ汗をだらだら流しながら「……はい」とごく小さい声で答える。
「うわあやっぱり! なつかしいなあ! お元気でしたかトランクスさん! お久しぶりですねえ、何年ぶりだろう? 十五年ぶりぐらいかなあ!?」
まるっきりあの頃に戻ったような無邪気な笑顔で再会を喜ぶ悟飯に、横からピッコロが釘を刺した。
「トランクスの方ではあれから三年しか経っていない。久しぶりなのはお前だけだ」
「え? そうなんですか? そっか、タイムマシンならそういうこともありますよね。面白いなあ、ウラシマ効果みたいですねえ!」
悟飯はにこにこと興味深そうに頷くが、トランクスは実際感極まっていた。確かにセルを倒した頃の悟飯に会ってから三年しか経っていないのは事実だが、大人の姿の悟飯に会うのは、師を亡くしてから体感でほぼ十二年ぶりと言っていい。
あの頃より背が伸びたことで、ほぼ同じような高さにある優しげな顔に、想像以上にトランクスは心を乱されていた。
「今回はどういうご用件でこの時代に? 観光ですか?」
朗らかな悟飯の発言に、横でピッコロがケッと毒づいた。
「観光だと。のんきな反応しやがって」
「だって、なんだかお二人でキャンプでもしてるみたいな感じだし……」焚き火と椅子を眺めつつ言う。「トランクスさんならもちろん、人造人間を倒せたんでしょ?」
「はい。おかげさまで……」
頷くと、悟飯はニコッと笑った。
「やっぱり」
トランクスはその笑顔の眩しさに息が詰まった。自分がいいことをした時に褒めてくれる時の師の笑顔そのものだった。
「それで、今夜はここで朝まで語り明かす感じですか?」
笑顔で首を傾げる悟飯に、ピッコロはきっぱりと言った。
「オレはもう十分話した。家に戻る。お前たち二人で好きなだけ話せ」
「えっ」
無慈悲な宣言に慌てた声を漏らすトランクスへ、ピッコロは片頬を上げて笑うと「じゃあな」と言ってさっさと離れた位置にある家の方まで飛び去って行ってしまった。
悟飯は不思議そうにそれを見送ってから、ふと出しっぱなしの携帯冷蔵庫に目を留めて笑う。
「本当に懐かしいですね。初めて会ったとき、ジュースをもらったの覚えてます」
「あ……」
言われて思わずトランクスも顔を綻ばせた。あの時、警戒する過去の人たちの中で、悟飯が真っ先に心を開いてくれた時のうれしさが昨日のことのように蘇る。
「よかったら、いかがですか?」
缶を差し出すと、悟飯は微笑んで頷いた。
「いただきます」
ピッコロの座っていた椅子に座って、悟飯はごくごくと缶の中身を飲む。ぷは、と息をつくとリラックスした様子で言った。
「なんだかご褒美みたいでうれしいな。ボク今日、ずっとかかりきりだった論文の発表がちょうど終わったところなんですよ」
「……見ました」
隠すのも後ろめたいので、恥を忍んでトランクスは告白する。
「え?」
「悟飯さんが発表するの、見てました。気を探って見に行ったら、ちょうど発表しているところで……」
「ええっ! そうだったんですか? あ、もしかして今日たまに知ってるような気配がしたのって、トランクスさんだったのかな」
「だと思います。オレが見ている前で、キョロキョロ辺りを見回す素振りをしてらっしゃいましたから……。すみません、コソコソと」
「いえいえ、気づけなくってすみません。ボクに会いに来てくれたんでしょう?」
眉を下げて申し訳なさそうに笑う悟飯に、ある意味そうだ、とトランクスは思う。
この世界に来た目的そのものが。しかし、その真意を伝える気にはなれなかった。
ただ、好きにすればいいというピッコロの言葉が頭をよぎる。
「……実は、誰とも会う気は無かったんです。変な影響を与えてしまうとまずいので……。でも、オレの師匠だったこちらの世界の悟飯さんがなつかしくて……大人になった悟飯さんの姿が見たくて、見に行ってしまいました。そしたら途中でピッコロさんに見つかってしまって」
「そうだったんですか」
悟飯は穏やかに相づちをうつ。静かな目には同情も困惑もなく、ただ優しさだけが感じられる。
トランクスは少し踏み込んだことを申し出た。
「あの……こっちの世界のオレにはタメ口なんですよね?」
「え? ええ、まあ。小さい頃から知ってるんで」
「オレにもタメ口でいいですよ。年下なのは同じことですし」
「そ、そうですか? ならボクにもタメ口でいいですよ。年下といってもこっちのトランクスよりずっと近い歳だし……」
「いえ、オレは……このままいさせてください。この口調で慣れているので……」――あなたと話す時には。
悟飯は瞬きしてトランクスを見つめていたが、ふっと表情を緩めると言った。
「わかった」こちらの思いを汲み、全てを受け入れてくれる声。「キミもトランクスだもんな。孫悟飯の年下の……」
あまりにもよく知る声に、その眼差しに。トランクスは、胸が締め付けられるような幸福を感じた。
# 6
「でも当然だけど、やっぱりこっちのトランクスよりずっとお兄さんって感じがするな。こっちのトランクスは悟天と一緒にいつもその辺を遊びまわってるよ」
「悟天……さん、ですか?」
「……あっ、そうか。そっちの世界には悟天がいないのか。なんだか不思議な感じだ……」頭を掻いて、悟飯は笑顔で言った。「ボクの弟なんだよ。キミが帰った後に、こっちのキミと一歳違いで生まれたんだ。おとうさんとそっくりなんだよ」
「へえ~……」
トランクスは感心した。同じサイヤ人のハーフで一歳違いの幼馴染みなら、それは仲良く育つだろう。自分にそんな相手がいるなんて想像もつかなかった。
自分にとっては、悟飯だけがそういう相手だったのだ。ずっと一緒にくっついて、修行して、生きて……師であり、父であり、兄であり、友人だった。
「あっ、そういえばあの後おとうさんも生き返ったんだよ。なんか老界王神さまっていう偉い人がいるんだけど、魔人ブウっていう相手と戦ってもらうために、その人の命をもらったとかで……」
「ピッコロさんに聞きました。でもやっぱり、生き返ったのは戦うためなんですね……悟空さんらしい」
「はは。すごく強い相手だったから……ボクもその老界王神さまにパワーアップしてもらったりして一応頑張ったんだけど、やっぱりおとうさんが居てくれないと無理だった」
「影響力の、強い方ですよね。オレも過去に来て実際会ってみて、実感しましたが」
ふと、精神と時の部屋に父とともに入る時、仲良くしろと笑って送り出してくれた顔を思い出す。それはどこか、自分をこの場に置いていったピッコロの態度にも似ていた。
「うん。いつも明るい人だけど、色々考えてるんだなあって思う」
悟飯はその姿を思い描いているようにうつむきがちに笑うと、ふとトランクスを見つめて微笑んだ。
「全部あの時キミが来て、助けてくれたおかげだよ。ありがとう」
トランクスは言葉に詰まる。
助けられた。そう、助けになれたのだ。こちらの世界の人々、こちらの世界の悟飯に対しては。
なのに、胸に刺さるこの棘はなんだ。
「……こっちの悟飯さんは……いつも悟空さんと同じ、山吹色の胴着を着ていて」
悟飯は自分のラフな格好をちらりと見下ろしつつ、続きを促すように頷く。
「オレに修行をつけてくれている時間以外は、自己鍛錬と、生き残った人たちの救助……そして、破壊を繰り返す人造人間を止めるために、戦い続けていました。弱い所や辛そうな所をオレには一切見せない……とても強い人でした。でも、戦いから離れた束の間の時間には、とても穏やかな顔を見せる人で……きっとこれが本当の悟飯さんの姿なんだろうと思っていたんです。……そして、今日こちらに来て……あなたの姿を見て……ああ、きっと悟飯さんは、本来こうなるべき人だったんだと思いました」
顔を上げられないまま、静かに聞いてくれている悟飯の気配だけを感じながら、トランクスは思うままの言葉を口にする。器に入りきらなくなった水が零れるように。
「昔は学者さんになりたかったのだと、一度だけ話してくれたことがありました。復興の手伝いをする時には、小さな子供にいつも好かれていて……優しいから……親を亡くした子にも、本当の父親のように懐かれて……だから今日、家族に迎えられて幸せそうに笑うあなたを見て、こちらの悟飯さんも、こんな風に生きられたんじゃないか……生きたかったんじゃないかって……オレが、もっと早く強くなっていれば」
胸を満たした行き場のない懺悔が、違う世界の同じ姿をとったその人に向けて、収束する。
「結局オレはあの人に、何も返せていない……」
しばらく、その場に沈黙が落ちた。
放ってしまったあまりにも一方的な告解に固まるトランクスへ、寛容な静けさを返していた悟飯は、やがて落ち着いた声で言った。
「……ごめんね」
トランクスが顔を上げると、悟飯はただ真摯な眼差しでじっとトランクスの言葉を受け止め、見つめていた。
「そっちのボクは、きっと皆のカタキをとろうとして、平和のために悪い奴らをやっつけようとして、たくさん修行したんだと思う。……でもボクはたぶん、そういう風に――後先考えてどうにかなるタイプじゃないんだ。もちろん周りに教えてもらっての修行や経験を積めなかったというのもあるだろうけど、多分もっと根本的な問題で……自分の意思で力を引き出そうとする才能があんまり無いんだと思う。何かに後ろから押されるようにしてでしか、出すべき力が出てきてくれない」
自嘲的な笑みをこぼして、悟飯はピッコロも言っていた新しい人造人間の話をした。
「ついこの間、また人造人間と戦う事になっちゃってね。昔おとうさんが潰したレッドリボン軍がまだ組織として生き残ってて、ドクターゲロの孫に新しく作らせたんだって。それだけじゃなくて、セルマックスっていうセルをもっと強くて巨大にしたようなヤツも出てきて……でも何とかなったんだ。ボクの娘とか、ピッコロさんとかが傷つけられそうになったのを見て、カッとなって……目の前が真っ赤になって……前のセルと戦ったあの時みたいに、すごい力が湧き出て……気づいたら倒せてた。最近修行とか全然してなかったんだけど、多分そういう事はあんまり関係ないんだ。ボクの力は結局、気持ちの問題で……ボクの中にボクを繋ぎ止めている綱みたいなものがあって、それが切れてしまった時にだけ出てくる何かがある。そしてその綱は、ボクにとって絶対に失われて欲しくない大事なもので出来ていて……そっちの世界のボクは、切れるために必要なその綱が、もうすり減ってしまっていたんだと思う」
冷静に口にされた結論に、トランクスは絶句した。それは本人の口からだからこそ絶対的な説得力を持ち、そして、救われない結論だった。人生の早い時点で多くのものを奪われてしまった時点で、あの人が自らを救う可能性は既に絶たれていたのだとしたら。
それならやはり一層のこと、あの人を救えたのはトランクスだけのはずだったのに。
「でもトランクスには悪いけど、それでもそっちのボクは幸せだったと思うよ」
「え……」
断定的な口調に、呆然と声を上げるトランクスへ、悟飯は少し悲しそうな声で言った。
「多分そっちのボクが、敵わなかった敵を倒す最後のチャンスがあったとしたら……自分を繋ぎ止めている最後の綱が、切れてしまうような瞬間があったとしたら……それはきっと、唯一残されたキミの存在が失われてしまった時だろう」
トランクスは目を見開く。脳裏に、己が超サイヤ人に覚醒した、その絶望の瞬間が蘇った。
「でも、知っている人は既にほとんどいなくなってしまって……やっと殻を破って倒せたとしても、ずっと成長を見守ってきたキミを亡くして、何も自分を繋ぎ止めてくれるものが無くなってしまった世界に、ひとりぼっちだなんて……そんなの、さびしすぎる」
結びの言葉は、ひどく素朴なものだった。それでいてそれはとても、悟飯らしい言葉のように思えた。
悟飯はトランクスの目を見つめて、もう一度礼を言った。
「生きて、強くなってくれてありがとう、トランクス。ボクを、ひとりにしないでくれて」
師であった悟飯とも、あの日出会った小さな悟飯ともよく似た面影が微笑む。
「そっちの世界のボクに、キミが居てくれてよかった」
トランクスはしばらくうつむいて、何も言えないまま、肩を震わせた。
ただ胸に刺さった棘が溶けていくのだけが感じられた。
変わらないはずの未来の世界の意味を、今この瞬間が変えていく。
「……本当に、かけがえのない人だったんです……ボクにとって」
「うん」
何の飾り気もないシンプルな吐露に、悟飯はやさしく相づちをうった。トランクスが抱く想いの何もかもを許す声で。
トランクスは鼻を啜って、涙声でひとつ懇願をした。
「すみません悟飯さん。抱きしめさせてもらえませんか」
気遣わしげに眉を下げてトランクスを見守っていた悟飯は、その申し出に目を丸くすると、破顔して迎え入れるようにその手を伸ばした。
トランクスは甘えのまま、その身体を両手できつく抱きしめる。
あの頃あれほど大きく見えていた師の背丈であるのに、今はもう目の前の悟飯と大人になった自分との間に殆ど体格差はない。
普通の人だったのだと、驚きのように思う。自分と変わらない、ある一人の青年だったのだと。
腕に抱く人、静かだが明るい夜の空気、この世界に存在する美しい何もかも、何一つトランクスの現実ではない。
じき帰る時が来れば否応なく目前に広がる、乾いた瓦礫の世界こそが他ならないこの身にとっての真実だった。
それでも、そこに還るまでの僅かな時間、自分のために与えられたこの一度きりの慰めの間だけは――幸福な夢のようにこの背を包む、確かな左腕のあたたかさを感じていたい。
時間を止めたように、違う世界のあなたを。
