バンパイアハンターD観た

リバイバル上映中のバンパイアハンターD観た!!すごかった。(素朴な第一声)
お名前は存じてたんですが初見でした。菊地秀行氏の小説も魔界都市ブルースだけ一冊ぐらい読んだことあるんですが、バンパイアハンターDの方は読んだことなし。

何故観ようと思ったかというと、すごいと言われている作画がどんなものか気になったし、せっかく未見の映画をリバイバル上映してくれてるんだから映画館で見てみたいし、田中秀幸が好きだから…。

ところで唯一読んだ魔界都市ブルースの何かのエピソード、最後まで読んだはずだし面白いと思ったことは確かなんですが、読んだのが結構前のせいなのかおかしなことに内容をまったく思い出せない。秋せつらがとにかく美形だったことしか覚えていない。(秋せつらに実際会った人の感想?)

バンパイアハンターDは映画『メトロポリス』と同じ年に同じ会社(マッドハウス)で制作だったらしいですね。メトロポリスの方はレンタルされた当時観たことがあります。細かい絵が細かく動きすぎていて、子供ながらに作画のやばさを感じた作品でしたが、これと同じ年に制作…? 恐ろしい…。

というわけで以降ネタバレ感想です↓

もう冒頭の始まり方からかっこよすぎ!!初っ端から作画力フルスロットル!!
林立する十字架!〝何か〟が近づいてきただけでそれらがひしゃげていく不気味さ!凍り付く流水!枯れ落ちる薔薇の花!!息を顰めて横たわる美しい令嬢!!鏡に映らない侵入者!!ヒィ~~~!!(大興奮)

十字架で苦しむ吸血鬼とかはお約束の描写ですが、高位の吸血鬼の前ではそういう苦手とされているアイテムの方が負けて勝手に毀れていくということ? かっこよすぎ…。
川尻作画ではその辺の野犬すら美しくてビビる。そしてゴシック調な誘拐シーンの後にいきなり宇宙が映り、この作品がSFであることが知らされ、場面が切り替わると灼熱の中汗水垂らして銃を構える脂ぎった濃いオッサンの顔のドアップの連続。カマしてくるぅ~!

そしてゆ~~~っくり登場するD。黒いマントをはためかせて馬に乗ってるだけでかっこいい。ていうか馬の作画がすごい。そして歩きの作画もすごい。ちゃんと重心を感じる。歩いてるだけでかっこいい。だって開けた場所で多数のオッサンに銃口をひたりと向けられながら嫌味のようにスローに動くから…。遅いのがかっこいいって新鮮な感覚かもしれない。私は普段めちゃめちゃ歩くのが早いんですがもう少しゆったり動こうと思いました。(意味ないよ)

もうこの先は映画前編に渡ってDが画面に映るたびに(かっこいい…)って思ってたのがほぼ感想のすべてなので、馬売ってくれた義理堅い爺さんとか細かい部分の感想は割愛します。
謎の立方体から出るビームをいっぱい持った小石ピンピン弾いて防ぐシーンとかかっこよすぎ。マンタの群れを馬で越えるシーンとかも別にストーリー上要らないけど要るんですよ!!だってかっこいいから!!
もうかっこよすぎてピンチになって欲しくすらなかった。常に圧倒的に強くあってほしかった。そしたら陽光の浴びすぎによる活動限界という形でピンチが訪れたのでウ、ウルトラマンだ!!と思った。
今まで優雅だっただけに、遠目で一人弱々しく土を掘る姿が印象的でした。左手の永井一郎声でしゃべる奴もこうなっては何も出来ないし。ひとりぼっち…。
そこにひょんなことから出来たレイラとの縁がスゥーっと効いて…。

とにかくこの話はレイラのキャラクターが良かったですね。生い立ちとか、Dへの距離感とか、林原さんの落ち着いた声とか、行動と表情の裏の心の動きがすごく人間的で狂言回し役として見ていて爽快でした。
妙齢の女性で、一人行動が多く、チームのマーカス兄弟の中で紅一点という立場なので、いつ「ケヒヒ…女だァ…」って街中で絡まれたり兄弟の誰かに下卑たことされたりするかと警戒して見てましたが、そういう「女として見られる」シーン自体が皆無だったのも非常にうれしい。
菊地秀行作品といえば
①主人公が死ぬほど美形
②女が大変な目に遭う
の二つがノルマのようなイメージなのに!?と思ったら、どうやら原作は普通にレイラはDに惚れるし普通にめちゃめちゃ大変な目に遭ってるらしいですね。やっぱりそうなんだ…(複雑な顔)

いやそういう描写が入ってくるのが自然な文脈ってものも確かにありますし、入ってくること自体に否を唱えるつもりはないんですが、はっきり言って無い方がうれしいので良かったです。ザワつくじゃないですか心が…。
それで言うとこの劇場版は作画の度を越した美しさだけで十分心がザワつくので、そこにそういうエロ要素が入ってくるとクドくなったと思います。映像化にあたり灰汁としてその辺の色を徹底的に排除したことでかなり上品な作品になっているなと。
マーカス兄弟も普通に兄弟想いで仲良くて、始終好感持って見れる連中でしたしね。

レイラが女として見られないだけじゃなくて、Dを男として見ないのもよかったです。最後の乗馬の際のエスコートをフッと笑って辞退したり。偉いですよ…お互いに紳士ですよ。(?)
木の下での会話が本当にいいですね。無口なDがポツリと答えた「俺はダンピール。人間としては生きられん」の一言の裏にある孤独な境涯を思ってしんみりしてしまいます。この時の「せめてどちらかが死んだら相手の墓に花を供えよう」って冗談の会話が後に効いてくるんだよな。

そういえば菊地秀行作品=美形の描写がすごいというイメージが先行していたので、マイエルリンクとDが初めて会う所で「ダンピールのハンターに優れた器量の男がいると聞いた。お前がDか」って言ったんだと思って「さすがだ。会ったばかりの敵も隙あらば主人公の顔をホメるんだな」と思ったんですが、帰ってから調べたら普通に「優れた技量」でした。アホか。

ていうかマイエルリンクも超絶美形に描かれてますしね。Dとマイエルリンクが鍔迫り合いするシーン見ながら、ふと幼い頃〝こういう画〟が苦手だったことを唐突に思い出しました。色気のあるリアル目な絵柄というか…。嫌いというより気持ち悪さというか、居心地の悪さを感じていたなと。
そういうキャラデザの作品は色っぽいシーンが入ってきやすいから連鎖的に大人っぽい作画も苦手だったんでしょうか。とは言っても同じ時期にるろ剣の斎藤一に夢中だったので大人っぽい見た目のキャラクターが苦手なわけではなかったんですよね。
ルパン三世とかも子供の頃は苦手だったんですが…やっぱりざっくり言って〝妖しい感じ〟に忌避感があったのかもしれない。今は好きですが。
そういう原初的な感覚を思い出させられるほどマイエルリンクとDの鍔迫り合いのシーンの画はすごかった。妖しい美の極致でした。

世界観の設定もシンプルかつスマートでしたね。老いない強い美しいヴァンパイアが種族全体を指して「貴族」って呼ばれてるのとか、確かに言われてみれば実際そんな感じになるでしょうなという説得力がすごい。
「家畜が草を食らい、人間が家畜を食らい、そして貴族が人間を食らう。これぞこの地上における厳かな生態としての営みよ」ってラスボス・カーミラのセリフも「ハイ…」としか言えない迫力がある。元人間のディオがこれ言ったら「テメェ調子乗んな」ってなりますが、数千年前ミイラになった後も思念だけで動けてチャンスあれば復活できる生命体に言われてしまうと…

しかし「時に忘れ去られた者は静かに滅びを受け入れろ」「この世においてすべてはかりそめの客」と言い切るD。
「フン。滅びこそが仮初。我ら貴族は永遠に生きる機能を備えているではないか。お前もな」と譲らないカーミラ。
「そのことが滅びに導いた」
ご、悟空…!(「だから滅びた…」を思い出している)

永遠に生きようとする貴族は餌としての人間を永遠に食らい続けるということなので、自然死はしないにしても殺す手段があるならばそりゃあ抵抗され狩られていくだろうと。
不老不死になりたいか?みたいな質問に個人的に嫌と思うのもそこなんですよね。もし腹は空くなら永遠に毎日飯を調達し続けなければいけないじゃないですか。かといって食べなくて済む状態で永遠に生きるのもそれはそれで味気なくてつまらないし。
穏便に供給され続けるとして、周囲と時の流れが違うならその分多く消費し続けるわけで、その見返りとしてやはり何らかの特権階級なりの義務を負わないと、カーミラのような略奪者の立場に近づいていく気がするし。

カーミラの見せた幻影で「ごめんなさい…」って血の海の中謝ってすすり泣く母親の幻影を見たことや、「お前があの二人を追う本当の理由は自分のようなダンピールを生まれさせないため」と左手に指摘されたりとか、Dはダンピール反出生主義のキャラクターなんだなって。
人間からは畏れられ、忌み嫌われ、ハント対象の貴族からも当然憎まれ、どこにも行き場がないのに情緒だけは素朴なまでに人間のそれであることが伺えて、そりゃ基本的には辛く、虚しい人生なんだろうなと…。しかしそれでも…というのがこの作品の肝であるのだなと。

ロケットが飛ぶラストシーンも素晴らしかったですよ。原作だとなんか飛ばないらしいんですけど。でも否応なく「飛べ!」というレイラの願いと同調してしまうパワーがあります。
Dの生涯続く戦いも、「この世においてすべてはかりそめの客」という思想も、レイラが戦いが止まることを願ったのも、ロケットが飛ぶことを願ったのも、この事件の発端である二人の逃避行も、すべてが「せめてもの慰め」に対する希求なんですよね。

だってDはかりそめの客と言っておきながらいつこの世を出られるのか、実際に出ることが出来るのかは本人にも本当のところは分からないだろうし。
もうシャーロットは死んでしまって、人間のまま死なせたマイエルリンクの愛の形をレイラは見ていて、宇宙に出たところでマイエルリンクの傍らにあるのは亡骸なんだけれど、それでももうこの世に二人の居場所はなくて、せめて静かに愛する人を永遠に悼む自由を飛び立つ美しい棺の中に与えてやりたいという慈悲がすべてを終えたレイラの中にはあって。

シャーロットが本当に奪われそうとなった時にマイエルリンクが焼死覚悟で太陽の下に出てきて、シャーロットも後追いで死のうとした場面が象徴的ですよね。初めから二人の目指していたものは消極的な心中だったというか。
マイエルリンクはすべきでない吸血を飢えて欲する己の貴族としての性を本当に疎んでいて、シャーロットを同じ生物にする気は初めから無い。
シャーロットも口では噛まれても構わないと言ったけれど、自分たちの行動によって犠牲になった村人たちの存在を罪に感じる感性がある時点で、いざそういう生物になった時幸福になれるとは思えない。
だから仮に一緒に飛び立てたとしてもいつかはマイエルリンクを置いてシャーロットは老い、亡くなっていく定めだったわけで。遅いか早いかの違いだった。それでも行きたかったのは、それがたとえ一時でも二人が幸せに生きるための唯一の道だったからで…。

皆行き詰まりの生の中でせめてもの慰めを求めて行動してるんすね。そんな中で青空に向けて飛び立つロケットの画が皮肉なほどに爽やかなんすわ。
それを祈るように見つめるレイラと背を向けて見ないハンターD。なんなんだこの切なく爽快なシークエンスは。なんか泣きたいっすわ。泣いていいか?(勝手に泣けよ)

そしてラストですよ。誰の墓かと思ったらレイラおばあちゃんっておま…Dおま…!
ちゃんと約束を果たしに来て、その上で俺が花を手向ける必要がない(大勢手向ける人がいるような人生をその後送った)ってことが知れただけでよかった、と。
少女に「皆喜ぶから家に来て、すぐそこだから」と誘われても断るD。世代が変わろうがダンピールは依然はみ出し者なんでしょうね。
「すぐそこなのに…」と残念そうにした後、「でも、来てくれてありがとう」と礼を言う少女。
静かに微笑みを向けるD。そして去っていく。少女のさよならの声を背に受けて。

ああ!!!あああああ!!!!!(ペンライトを振る)
かっこよすぎる。こんなにかっこよくていいんですか?
そして切なすぎる。こういう深くは関われない、けどDにとって尊いと思うような、僅かな思い出だけをよすがにDは生きてるんだろうな…。
「案外おセンチ」「誰にでも欠点はある」とか茶化してくる永井一郎ボイスのあいつがDにいてよかったよ。からかったりはしてくるけど蔑んだりはしてこなそうだし。

でもあれから二度と会わなかっただろうけど、おばあちゃんになって死んだってことは、レイラはその後の人生を貴族への憎しみを捨てて、関わることや被害に遭うこともなく、家族を持って幸せに生きたっていう証明でさ…。こんなにうれしいことないよ。
それでレイラもその人生の中で、孫がすぐに姿見て気が付くくらいDの思い出話をしててさ…。
友達ではないけど友達のような何かだとお互い自分の中でだけ密かに思うような…そういう慎ましい関係性がさ…いいよね…。
なんか泣きたいっすわ。泣いていいか?(勝手に泣けよ)

というわけでめちゃくちゃ面白かったです。感動したのでファンアートも描きました。

めちゃくちゃ頑張っている。
だって元の画が美しいから…なるべく美しく描きたいから…。

手前の二人の服をなるべく忠実に描こうとするとめちゃくちゃデザイン凝ってて「こ、これをアニメーションで!?」と思ったけど、よく考えたら服が全身映るカットがそれほど作中で無かったな。(レイアウトで隠れてたりお互いの身体で隠れてたりマントで隠れてたりする)
その代わりたまに全身映るカットでは手を抜かず書き込むという。匠の技ですわ。

2件のコメント

のら

偶然たどり着いた者です。
映画の感想、共感するところもあり楽しく拝見させていただきました。
村の鍛冶屋のおじいさん、ラストからの葬儀の場面、時折好きなシーンを何度も見返してしまいます。

返信
沼門

コメントありがとうございます!嬉しいです!
印象に残るシーンたくさんありますよねー。私もその2つのシーンと、あとレイラに介抱されたDが土に埋まった状態で二人語らってるシーンが好きです。なんかちょっとシュールなんですけど落ち着いた感じで、映画全体の貴重な憩いのシーンという感じで…。
それとお爺さんにコイン払う時とか指輪を剣で拾う時とか、いちいちDの仕草がかっこいいところも好きです。笑

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