ロボットドリームズ観た

気になってた『ロボットドリームズ』を映画の日なんでえっさほいさと自転車漕いで観に行きました。

 

※以下ネタバレ注意!

もう今、心がビチャビチャだよ。

オモコロウォッチで言ってた「ロボットが錆びるシーンがある」って情報以外は何も知らずに見たから、見ながら「錆びないでくれ…!錆びないでくれ…!」って祈ってたんだけど、もうそれどころじゃなかった。「アッ…アッ…!?あっあっそんなっ…そんなっ…!?」って感じで、もう、ロボットが…ロボットがぁ…!

観てて「ロボットドリームズってそういうこと!?」ってなった。ネタバレに配慮しないと断ったので書いてしまいますがマッチ売りの少女的なこと!?ってなった。

こないだ見たyoutubeの動画でサルが言語を習得出来ないのは「アブダクション」という当てずっぽうで結論を出してしまう論理の飛躍が人間と違って存在しないから、という趣旨のことを言ってましたが、もうあのロボットは根拠のない願望を抱く心を持ってる時点で人間なんですよ。

でも設定上ロボットだから生身の人間には無い制約と、逆に生身の人間とは違う制約のなさがあって、それでいて心のありようは人間そのものなので、なんかもう、つらい。

物語としては悲劇ではないんです。むしろ全体を見れば喜劇なのかもしれない。そのことがむしろ悲しい…!
ロボットの見る夢も物悲しさだけで終わるわけでは決してないんですが…なんだろう、悲しいんじゃないんです、ただ、ロボットが夢を見られるということそれ自体のいじらしさと素晴らしさが胸に迫るほど、ロボットがああいう立場であるという現実に途方に暮れるっていうか…

「友達」ロボットっていう名目で〝用意〟された彼らですが、ドッグの求めてる存在の定義っていうのは友達にしちゃ重すぎるんですよね。傍で見て羨んでるのも同棲してるカップルとか、雪だるま作ってて母親に叱られて家に入る兄弟とか、「家族」ばっかりじゃないですか。

友だちと家族の違いっていうのは傍にいるか離れるかを自分で選べるところだと思うんですよ。
実際友達にちょっとだけなれた、あるいはなれそうだったダックは偶然知り合ったのをキッカケに一時楽しく遊んだだけで、自分のまったく別個の生活があるんで自由に行動するし事情があればさっさと遠く離れてしまう。

対して舞い上がるドッグは頻繁に連絡をとろうとしたり、いちいち一喜一憂して、いざ相手が遠く離れたらもう肩を落としてしまって、手紙を書いて交流を続けたりもきっと今後はしないでしょう。
欲しいのは常にそばにいてくれる相手なんです。もしかしたらそれに加えて自分と同じ価値観を持ってくれる相手でもなければならないかもしれない。楽しそうに魚を釣るダックの一方で、釣られた魚を哀れに思ってしまい放流するドッグという感覚の違いは、仮に二人の距離が離れていなかったとしてもやがて二人を離れさせたかもしれません。
ダックにとってドッグはちょっと知り合って遊んだ友達の一人、しかしドッグにとってダックは「パートナー」になってくれるかもしれない特別な相手だった。

ドッグの対人感情は重いんです!日々ただ生きるだけで寂しくて寂しくてしょうがなくて、それを埋めてくれる自分以外の他者の存在が欲しくてしょうがない!
でもスキー場で出会った悪ガキコンビは馴れ合う気なんて始めから無いし、対等に渡り合って悪友になれるような能力や気の強さもドッグにはない!
かといって理想化された友人のスノーマンのように、変わってて、堂々としていて、周りから一目置かれていて、それでいて冴えない自分をそばに置いて周りから孤立させないでくれるような都合のいい存在なんていない!

現実ならこういうタイプは婚活アプリとかマッチングアプリとかに手を出すんでしょうか?しかしあの世界にはあるんです。お友達ロボットっていう選択肢が…。

「友達」と言いつつその関係は対等ではありません。新しく〝持ち主〟の元に来たロボットはまっさらで、目に映るものすべてが新鮮で、教わることで段々と色んなことを覚えていく子供です。それでも優れた機動能力は大人との行動を十分可能にするもので、また高い計算能力は大人の求めるリアクションをどんどん可能にしていきます。
その関係は親子であり、ペットであり、恋人であり、パートナーであり、家族であり、無二の相棒であって――ただの友達では絶対にない。
何故ならロボットは持ち主が手放さない限りは自分から離れていくことはないから!従属性が、非対称性がそこにはあるから!

ロボットの持ち主はロボットを選べるが、ロボットは自分の持ち主を選べません。
ふと目に留まった隣を行く車内で子供にポカポカ叩かれている笑顔のない傷んだロボットは、ロボットがそういった立場になり得る存在であることの暗喩でしょう。
しかしそれでいて心があり、心というのは絶対ではないため、スタート時点の立場にはそういった従属性があっても、後天的に離れることもまた可能なんです。
砂に埋まったロボットを刷り込みで親のように認識しながらも本当の家族と共に巣立ちを選択できた鳥はその暗喩でしょう。
つまり生きているんです…ロボットは…!そこに途方に暮れてしまうんです…!

ロボットにとって主人は絶対だから、ロボットはいつまでもいつまでもドッグのことを想っています。夢で踊る花たちもドッグの顔を描きます。(このいじらしさ)
でもいつまでも変わらず特別に思っていながらも相手の今の幸せを思ってあえて離れるという選択肢すらとれる!
プログラムならインプットされた持ち主の所にどうあっても帰るでしょう!それが存在定義だから!でも実際はそれすら絶対じゃない!何故ならロボットは生きていて、心を持っているから!!
…首がもげても蘇るのに…!?

エゴによって誕生させられるにしてはあまりに哀れな存在ではないでしょうか。なんというか、生まれるものがデカすぎるのに得るまでのハードルが低すぎるし責任も軽すぎる。
人間の恋人ならうまくしなきゃ嫌われるし別れられます。下手をすれば訴えられます。
人間の子供ならまず一人では持てません。一緒に持つ他者が要ります。持った後も保護の義務があり放棄は罪となります。
しかしロボットはいきなり直で入手できるし、どう見ても法的に保護されたりもしてない!柵の中入って回収していい!?って訴えても却下される!!どう見ても生きてるのに!?心の存在証明はできないから!?痛みがないから!?

現実の立場で言えばペットがやはり一番近いでしょうか。でも動物は大体先に死ぬし、こんなに都合のいい存在ではやはり無いですからね。いやどっこいか?
しかし「いなくなったらまた新しいのを…」なんてロボットじゃなきゃ許されないよな、と思った後に、いや実際にはロボットじゃなくてもやってるやつは現実でもザラにいるだろうな、という考えに至って沈黙してしまう。怖い!この映画怖いよ!


もうポスターの画像も怖いんですよ。この場面チョイスしか確かに無いと思うんだけど、その事実が怖いよ。アレみたいだよ、ゴールドソーサーの地下に広がるコレルプリズンみたいだよ。

また、ラスカルの方がどう見てもドッグよりいい主人ってところもやるせないんですよ。いや救いなんですけどね…!絶対こっちのがいいって満場一致で思ってますけどね!
明らかにドッグより金持ちだし…!付き合わせる趣味も危険じゃないし…!活かした仕事させてくれてWin-Winの関係築いてくれるし…!家の見晴らしサイコーだし…!やさしいし…!大人だし…!工学スキル圧倒的に格上だし…!

ドッグだけに負け犬ってことですか? でも、でもロボットにとっては比べられるものじゃないんですよね…!思い出があるの…!二人で踊ったあの時は、あの日々は、やっぱりかけがえのないもので…!
あああ!あああああ!心~~~~~!(理解できない概念を前にショートしたロボット?)

逆に言えばその心に自ら別れを選択するという〝成長〟が起こっていることそのものが、ロボットの心の存在への最大のリスペクトといったところでしょうか。
いやでも分かんないな。エゴによって心を持つ他者を所有するというストーリーの帰結…。
独立した他者として成長し離れていって初めて対等な友人となったのかもしれない『ロボットドリームズ』に対し、病める時も健やかなる時も離れず二人のエゴの愛を完遂させたのが『愛人-AIREN-』といったところでしょうか。
どっちがより誠実なのか、欺瞞であるのかは私には分かりませんね…。でもどっちも大好きです!!(愛のエゴイズムを描いていて面白いから)

もうロボットにはずっと幸せに暮らしてほしいよ。私は断然ラスカル×ロボット派です。え?NTR性癖?関係ないでしょ!!
ラスカルさんはロボットのこと二度と置いてかないでやってくれよな。頼むよ…。ずっとそばにおいて、自分の死ぬ前に先にロボットのことを停止させてやってくれよな…。私はそれが一番だと思う。

映画見た帰り、内容を反芻しながらランダム再生で流れてきたカウボーイビバップ天国の扉のGotta Knock a Little Harder聴きながら高層ビルの立ち並ぶ大都会の夜をチャリ漕いで走って帰ってたら、もう生活!!人生!!生活!!営み!!感情!!人生!!って感じの感情の奔流に襲われいっそ叫び出したかった。理性の力によって留まりましたが…(えらいね)

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