ウイルタの習俗の話はアシリパにとっても興味深いものだった。しかし他所の家族の輪に入っても聞き上手な白石と、言葉を通訳するキロランケの合いの手によって話が盛り上がってくると、大人同士の話、という雰囲気になってきて退屈を覚えた。アシリパのコタンでも大人たちが集まって、時間が経ち酒が入ったりしてくるとこういう雰囲気になる。大人たちに自覚は無いようだが、子供は皆その空気が分かるので、そういう時は子供だけで集まって外へ遊びに出たものだった。
あの頃よりも随分遠くに来た気がするが、まだあの空気には馴染めないらしい。アシリパは赤子をあやす母親の様子を眺めてしばらく暇を潰していたが、やがて腰を上げると、奥で眠っている尾形の傍までやって来た。
あまりしょっちゅう様子を見るより、そっと寝かせておいてやった方がいいと分かっているので、なるべくそうするようにはしている。しかし自分はもしかしたら、尾形の寝顔が珍しいのかもしれない、とアシリパは思う。無防備に昏々と眠る尾形の様子は、いくら見ても見飽きない何かがあった。心配は心配だけれど、そういうことではなくて、単純に見ていたいのだ。何となく。
元々色の白い男だが、熱も引いて血の気のない今、蒼褪めたその頬は白身の魚を連想させた。作り物のような寝顔だと思う。しかしこの顔が、この男の一番本当に近い顔だという気もする。夢でカムイからなにか伝えられているかもしれないその表情は、あどけないほど安らかで、死んだように静かだった。
落ちかかった髪が、汗ばんだ頬に張り付いていたのを指で退ける。すると不意に、ハッとした表情で尾形は目を覚ました。
起こしてしまったかと申し訳なく思い、声を掛けようとして、アシリパは口を噤んだ。見開かれた真っ黒な瞳は、アシリパを見ているようで、見ていない。この世ならざる何処かをハッキリと見ているかのような、底のない穴じみた目つき。だがその表情は、どことなく……。
アシリパは乱れた尾形の髪を撫でつけた。そうすると、我に返ったのか尾形はアシリパを真っ直ぐに見た。目が合うと、その瞳はどこか、ホッとしたように緩んだ気がした。
そのまま撫で続ける。尾形はぼんやりと、されるがままアシリパを見ている。緩慢に問いかける視線に、アシリパはちょっと考えてから、結局素直に言う。
「退屈なんだ」
尾形は二、三回瞬きして、そうか、と言った。そしてまたウトウトと瞼を落とし、そのうち再び寝入ってしまった。
撫でているから寝たような気がしたので、手は止めなかった。艶々とした毛並みはレタラを撫でた時みたいにゴワゴワせず、撫で心地が良い。だからいつも自分で撫でているのかなと思う。
尾形の見る夢というのは、どういうものなのだろう。少なくとも先程の眠りで見ていたそれは、あまり良いものではなさそうだ。
サマと名乗る者による儀式によって、尾形はお祓いを受けた筈だが。良くないものが憑いていたという話、それが本当だとして、確かに熱は下がったが、先ほどの様子を見るとまだ何か憑いている気がしてならない。アシリパはそもそも話半分に聞いていた事ではあるのだが。
尾形はよく分からない男だ。秘密も多く謎も多い。杉元はよく、信用したら駄目だと言っていた。分からなくはない。
だが、難しい男ではない、ともアシリパは思うのだった。たぶん尾形は理由のあることだけをする。きっと理由があれば嘘もつくのだろうが、そうでなければ素直に、ただ生きるだけだ。大人しい動物に似ている。
だからだろうか。尾形には、あの大人たちの空気はない。そういうところが、アシリパは少し気に入っていた。
大人は皆上手に笑う。子供の笑顔とは違う、見せるための笑顔だ。尾形の笑顔はヘタクソだった。きっとああいう上手な笑顔は理由なく上手くなるもので、尾形には向いていなかったのだろう。自分でも分かっているのかあまり笑わない。表情自体あまり表に出ない。その分、たまにすごく分かりやすい顔をする。上手くなる前の、そのままの表情をする。
滅多に見せないが、だからこそアシリパはそういう時の尾形の顔をよく覚えていた。その瞬間の尾形だけ、アシリパは本当に“知っている”と言えるだろう。
例えば、先ほど垣間見せた表情、その瞬間の尾形のことだけを。
アシリパは眠る尾形に小さく呟いた。
「お前はたまに、悲しそうな顔をする」
