洗濯と読書

十月半ば辺りの急に気温が下がった頃、カバーを洗濯してから使いたいと思っていた冬用の掛布団を緊急出動させることになり、しかし直接肌につけるのは抵抗があったので夏用の冷え冷え掛布団を直で掛けた上に冬用布団をかぶって凌ぐというスタイルのままズルズルと今まで凌いでいたんですが、敷パッドを冬用のものにしてもそのスタイルでは最早凌ぎきれない。とにかく直で触れてるのがNクールというだけで体温を奪われまくる。思わぬところでNクールの性能を実感しました。
そんな凍えた夜に別れを告げるため、今ようやくカバーを洗濯しています。これでもう震えながら眠らずに済むわよルパン。(どうして一旦寝苦しい期間を挟むの?)

ところで先日ちらっと言ってた、青空文庫の読んだことないやつを音読する動画を今日試しに作成してみて私の壁打ちyoutubeチャンネルに上げたんですが、いいですコレ。めちゃめちゃ読み出すハードル下がる。いきなり3本読んじゃった。

音読書録1「名人伝」
音読書録2「蜘蛛となめくじと狸」
音読書録3「セロ弾きのゴーシュ」

特に2番目に読んだ「蜘蛛となめくじと狸」(宮沢賢治)が衝撃でした。ピカレスク小説…? オムニバス形式で悪徳を極めた三者の犯行の過程が描かれるものの、語り口はやはり宮沢賢治節で柔らかく読みやすい!そこが怖い!
三匹とも手管を使って罪なき者を騙くらかして捕食する様がなんかエロい。

セロ弾きのゴーシュも、肩身狭い楽団の胃痛描写から小動物達との交流が始まる流れは牧歌的で微笑ましいといえば微笑ましいのですが、動物相手にちょっと軽んじたり優しくなったりするゴーシュの移り変わる心持ひとつでうっかり死なせかけたり救ったりしてしまうその命の小ささがなんだか…なんか…そこはかとなく怖いし…やるせなくないですか?

もうゴーシュはノイローゼになりかけてた楽団のこととかどうでもよくて…心を過るのは病んでた頃に出会って荒れた対応をしてしまった動物のことなんですけど…かといって家に訪れたその動物たちとゴーシュの生きる世界はまったく違うし仲良く友達になるって感じでもなくて、ただカッコウの時に死なせないように焦って割った窓ガラスから吹き込む風だけがピュウピュウとゴーシュの頬に当たるわけです。そしてきっとあのカッコウがゴーシュの所に来ることも二度となくて。

なんかその読後感がめちゃめちゃ刺さっちゃった…。性癖かも…(最上級の賛辞)

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