祖父母の縁で親戚が毎年お米を送ってくれるんですが、今年もこのコメ不足の記憶も新しい時期だというのに送ってきてくれたということで、ありがたさを嚙み締めつつ両親の家まで自分の取り分を受け取りに行きました。
リュックに入れて担いで電車で帰ってきたけど流石に重かったですね。毎日やってると縮地を会得出来てしまいそうでした。ありがたやありがたや。
ついでに私のために刺身の盛り合わせが用意されてたのでウマウマ賞味してきました。
私の両親はお金は無いので金銭面では苦労がありましたが、私のことをめちゃめちゃ可愛がっており、生まれてから今まで一度も自分が親に可愛がられていないと思ったことが無いので、それだけでかなり幸せな方なんじゃないかとXなんかを見てると思います。
しかし親の子供への愛情っていうのは、これは良い意味でも悪い意味でもないんですが、ペットに向ける愛情と限りなく近しいのかもしれないなって思うんですよね。というのもちょっと前にローマ法王が説話で言ってたんですよ。ペットを飼うというのは代替行為に過ぎない、正しくは子供を持つべきですよという感じの話を。
その翻訳記事への反応というのはそれはもう様々でしたが、私は確かに一理あるなと思って。別に人間も畜生も変わらんとかそういう対象の質の話ではなく、注ぐ愛の形としてどっちも限りなく無償の愛じゃないですか。
逆に言うと、そうじゃなければ子供という存在に対してああまで様々なことをやってあげられないだろうなと思うんですよね。
育つとそれは勿論一人のでかい他人がそこに出来上がるわけですけど、それとはまったく別に子供っていうのはでっかくなっても親にとっては以前家でずっと可愛がってたなんもわかってない生き物の延長でしかないのかもなって。
そして別にそれ自体は良いことでも悪いことでもなくて。もうかなりいい歳なのに会う度めっちゃ可愛がられるのはありがたさはあれど悪いことではないし、しかし他方で世間で聞くような抑圧的的な親の在り方っていうのはそのベクトルが悪い方に向いた結果なのかなとも思うし。
何にせよそういう構造を鑑みるに、親子を適切な他人同士の距離感に保つのは子供側がしっかりしないと達せられない事なんじゃないかなって思います。自立しようチルドレン。

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