『教皇選挙』感想

ポスターのかっこよさと評判、何よりコンセプトの魅力にずっと見たくてウズウズしてた教皇選挙をようやく観てきました!期待通りめ~っちゃ面白かったです!!
日本橋のTOHOで観てきたんですが一番でかいTCXのスクリーンでやってて、バチバチに決まった画とレイフ・ファインズの苦悩する顔をでっかい画面で観れてサイコーでした。お客さんも沢山入ってたな。
関係ないですが夜行ったら周辺の街並みがオシャレすぎてビビった。映画のセットみたいで、そこを花金で浮かれているサラリーマンたちが行き交ってました。チャリで行ったんですけど駐輪場も地下にあって、自転車ごとエレベーターに乗って格納しに行くようになってて景観維持への情熱を感じた。なんかビルの隙間にちっちゃい神社?も点在してて、どこも桜が咲いててキレイだったなあ!

映画のストーリーとしては宣伝されてるまんまで、教皇がいきなり亡くなってしまったから次の教皇を決める選挙を行わなければならない!っていう話です。
コンクラーベというその選挙がまあすごい。情報漏洩や、逆に外界からの影響を遮断するため、各地の枢機卿が選挙会場に泊まり込んで寝ても覚めても選挙に明け暮れる!誰かが2/3以上票を獲得するまで何度でもやり直し!教皇決まるまで帰れま10!
なので自ずと舞台はクローズドサークルの様相を帯びてくるってワケ。まあ雰囲気だけですがね!でもこんなん面白いに決まってますよ!物語っていうのはクローズドサークルものが一番面白いんだから!!

それにしてもこの催しを作品の題材に選んだ制作者のセンスがすばらしいですね。
かつて民主政治の始まりとしてギリシャのポリスで行われていた頃の選挙は市民全員が広場に集い投票する直接選挙制で、直接選挙だけが厳密な本当の民主政治と呼べるが、広い世界に多くの人口が暮らす昨今ではそんなやり方で選挙するのは現実的に不可能、今はほとんどの国が間接選挙制で政治を決定している…というのは政治経済の初めの方で勉強する話ですが、現代にもこんな無骨な選挙制度がこれだけの規模の組織で残っているんですね~。
いや冷静に考えると選挙する枢機卿も選ばれた人間で、ある意味一般信者を代表して集まってるわけだから普通にゴリゴリの間接選挙と言えるのかもしれないですけど。
でも選挙させるのはあくまでサブ的な役割で、そのために任命されてる人たちじゃないですよね?
何より集まった後の決め方が脳筋ですよ。一票一票神に誓って入れて、燃やして、また神に誓って入れて、燃やして、外界には煙の色で決まったかどうか逐一狼煙として知らせて、決まるまでそれを毎日やるという…アナログすぎる。まさに根競ーべ。(すみません、言いたい誘惑に負けました)

しかし伝統の建物、伝統の服、伝統のしきたりで枢機卿団が動く一方で、教会の外の駐車場には普通に最新の車とかバイクが止まってるし、移動は乗り合いバスだし、選挙始まるまでは法衣着た枢機卿が電子タバコ吸ってたりカバーつけたスマホを弄ったりしているチグハグ感が面白い。
古い伝統と新しい文化が融合しているというよりは、もっと消極的な、とっくに肉体と生態は資本主義と文明の波の濁流に遠く流されているけど、精神的な営みはその速度には追い付けないから、遠く流された現在という地点から思い出し思い出し丁寧に〝追いつける頃〟をなぞっている…というような儚さを感じます。
まあその「そこでなら追い付ける」という感覚も、結局は幻想に過ぎないのでしょうが…。

というわけで以下からネタバレ感想です。
この映画はネタバレなしで観た方が絶対にいいのでまだ見てない方は以降読まないでください!!

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まず私レイフ・ファインズの顔がめちゃめちゃ好きですわ。
007の役も妙に好きだったもん。なんか善かれ悪しかれ少なくとも自分の仕事を真面目にキッチリしてくれるだろうなという信頼の出来るお顔をしている。前教皇が「いや君必要だから」と慰留したのも分かるというものです。
映画によっては主人公が映らないシーンが主人公が映るシーンと同じぐらいの作品があったりもしますが、教皇選挙は基本的にずーっとローレンスをカメラが追うのでずーっとレイフ・ファインズが映っている!!
もうウットリしながら見てました。監督も大好きでしょ絶対、でないとこんな映しまくりの画にしないもん。
画面いっぱいにどアップで顔が映っても画が成立するんですよ!なんというか、沈思している、演技の上で、しかしその〝ポーズ〟という綻びがどれほど接写しても顔面の上に表れない!どアップでもボロが出ない!!すばらしい集中力だ。
逆説的に、私CMとかでめちゃめちゃ俳優の顔をどアップに映すような画作りの映像作品が結構嫌いなんですが、それは「演技している顔」を恥ずかしげもなくこっちに向けている感じが嫌なのかもしれないと思いました。そういう顔はなんか美醜を問わず見苦しいんですよね。アップで見ていたくない。レイフ・ファインズの顔はいつまでも見ていたい!!
その佇まいの上ではカメラの向こう、スクリーンの向こうの我々が一切排除されている。そこにただその役としてその瞬間を成立させている。良い俳優ってこういうことだよなと思います。

あと頭の形が美しくないですか? ヴォルデモート役になったのも納得ですよ。アングロサクソンの良さが詰まった頭部をしている。
今勉強してる美術解剖学の本で「人間は狩猟の時代からあんまり上を見る必要がなかったので、頬骨は相対的に低めで下を見ることに不便はないが、それに比べると前頭骨は出っ張っていて上が見づらい」って書かれてて、ほ~んと思ってたんですが、映画のローレンスが上見るシーンの度に「めちゃくちゃ上見辛そ~!!」って嬉しくなっちゃった。その美術解剖学の本の著者も西洋人の男性なので、こういうことか~!!って納得しました。

あと選挙管理委員長なんでいっぱい手紙とか文書とか読むシーンがあるんですが、そうやって文字読む時に必ずメガネ?老眼鏡?をいちいちかけるシーンが挿入されるのが歳を感じてめちゃ萌えた。
コピー機うまく使えなくてまごついてるシーンとか最高。部屋で休む時の落ち着いた大人しめなスタイルもいいですね…。全体としてレイフ・ファインズ萌え映画であることに疑いの余地はありません。また観たくなってきたな。

オープニングの始まり方もかなりイカしてましたね。祈りと悲しみの中枢機卿たちに前教皇の死が悼まれ、見送られた後、〝場違い〟な警察?のツナギを着た人たちが〝ふつうの死体〟として前教皇をご遺体用のカバーに包み、移送し、多分あれは死体安置所に向かうエレベーターの中? いや移送車の中かな? カバーの薄布越しに、機械の振動で無機的に揺れるご遺体をじーっと映す中で浮かぶタイトル! これから始まる波乱と、それと無関係に地下深くへと潜っていく、きっかけとなった人物の普遍的な死を映すこの淡々とした画をプロローグに据えるセンス!

そこからはいよいよ教皇選挙に向けての準備が始まっていきます。まずぞろぞろとゴテゴテした服着た偉そうなおじいさん・おじさん達が一堂に集結していく画だけでも迫力がある。その集団の中で毎回場をまとめたり挨拶したり代表スピーチする立場の主人公・ローレンス。
私は偉い人のいる会議とか立食パーティーとかそういう〝社会〟の場がとにかく苦手なので、こんなん絶対ムリだわイヤだわ…と見てるだけでも思うんですが、ローレンスはその大役をちゃんとこなしてみせます。この人なら出来るだろうという安心感があるもんな。
それでいながらちゃんと前の晩に説教の原稿を部屋で推敲して準備してるし、ストレスでたまに一人洗面台の前でアァッ!!ってなっちゃうし、そういう裏の等身大の苦労、繊細さが「本番で出来るだろう」という信頼と矛盾なく両立して感じられるのがすばらしい。
失敗・やらかし等のハラハラはしなくていいけど同情はたっぷりできる!これほど見ていて心地よい主人公は中々いないですよ。人間的なナイーブさを経験による落ち着きでカバーしてる主人公っていいよね。時代はジジイ主人公ですわ。(極論)

しかし前教皇の部屋に禁を破って手掛かりを探りに行った時、前教皇の持ち物である年季の入った眼鏡を手にとって思わず咽び泣いちゃうシーンが胸に来ました。勿論重責ある立場で迷いの中にいる不安な状況で、亡くなってしまった前教皇を心の拠り所として恋しく思う気持ちが一気に溢れ出たというのはあるかもしれませんが、よくかけてた眼鏡で思い出しちゃうってところがね。それで思い出すのってかなり人間的な部分じゃないですか? 崇敬以前に人として大好きだったんだなと思って…。

他の登場人物それぞれの人間性も見応えがありましたね。100人ちょい候補者が居るとはいえ、票争いのトップステージに躍り出てくる有力候補は数名に絞られます。
その絞られた有力候補、それぞれに〝粗〟が見つかっていく…というのがストーリーの肝です。ローレンスも「もう人の粗探しヤッ!」ていう気持ちになったりもしつつも、でもふさわしくない人間を教皇に選んでは前教皇に申し訳が立たない、じゃあふさわしい人間とは?誰しも完璧な人間はいない…我々は理想に仕える身であって理想そのものではない…それはそう…でもこれはアウトだよな?さすがにダメだよな…?みたいな葛藤の中、次々候補者の闇をつるし上げていきます。

推していたベリーニもリベラルで寛容っぽい聞き分けのいいこと言って、当初は「私は別に教皇なんてなりたくないんだよ、あんなのマトモな人間はなりたがらないよ」とか言ってたくせに、実はめちゃくちゃなりたがっててローレンスに「お前もなりたいくせに!!」とかキレてきて草。しっかり知らんところで買収とかもされてるし。信用ならね~。
みんな裏表があり、そしてその裏の顔は表沙汰になれば即座に失墜する後ろ暗いものを抱えています。まあ権力持った長く生きてきた男なんてだいたい皆こういうもんかもな…(差別発言)

前評判でなんかテデスコってやつが人気らしいなと聞いてて、登場シーンから「コイツか~」と思って注目してたんですが、個人的には「髪が多めのうるせえジジイ」でおしまいで、なんで人気なのか分かんなかったですね。顔が覚えやすいからかな。でも彼だけスキャンダルという点では出てる範囲では無かったし、ある種裏表のないところが裏表ばっかの登場人物に疲弊する観客へのある種の癒し要素と受け取られているのかもしれない。
でも単純で声がデカけりゃ一定の人気が出るってあまりにもリアルの縮図すぎてグロい。単純で狭い了見によって出た結論をデカい声で言ってるだけで、堂々としているからって相対的に善い人とはぜんぜんならないし、善い人ではないですよ。あの人。(世の中は善い人が人心を集めるとはならないんだよマジレスくん!)

ローレンスにも彼らと同じように実は野心が…って文脈に解釈した感想も見かけましたが、個人的にはあの態度を野心と形容してしまうのはかわいそうと思います。だってローレンスの投票先だけはいつも観客に開示されていたから。だから、ローレンスに裏は無いですよね。クライマックスで自分の名前書いた時「自分の名前書くのアリなんだ」って思ったもん。それを決裂するまでずっとベリーニって書いてたのは本当にローレンスがクソ真面目のバカ正直な男であることの証明かなと。

教皇になりたい欲望…というよりは、ひどい周りを見ていくことで、やれるのかもしれない、やるべきなのかもしれない…という自負が芽生えてきたという感じの方が大きいんじゃないでしょうか。
いやね、私はローレンスくんがなった方がよかったと思いますよ。粋なことにパンフレットに投票用紙がついてたんですが、私はローレンスって書いて出しますよ。不器用だからあの壺にうまく入れれるかわかんないけど。
ていうか選挙開始からずっとローレンスが手堅く数票は毎回得票してるの、絶対ローレンスのファンが内部に数名いるんですよね。ベニテスが代表としてローレンスの〝良さ〟を語ってきましたが、絶対他にも数名「ローレンス良い」って思ってる固定ファンが数人いるから。ここの票田は動かないですよ。それを本人は「私に投票する者がいるとは思わなかった。誰か分からないがベリーニに投票するよう説得しよう」とか言ってんの。自分の魅力に無自覚なやつだ…私はローレンスの良さをわかってるからな。(後方腕組み面)

惜しむらくはさあ、ローレンスが決意して自分の名を書いて宣誓して投票したあの回の選挙、おそらく不測の爆発が起きたことにより中止となったあの回、もし通常通り開票されてたらローレンスが勝ってた可能性あるんじゃないか?って思うんですよね。
アデイエミ、トランブレと沈んでテデスコとローレンスの一騎打ち状態だったわけじゃないですか。爆発後に演説をぶって一定の支持を集めたのはテデスコとベニテスで、つまり爆発前のあの得票では枢機卿たちの印象を一番とらえていたのは、トランブレの狡いやり口を暴いたローレンスのちょいワルな行動と「それは哀れなシスターのため」とフォローしたシスター・アグネスのあの一幕だったと思うんですよ。ワンチャン72票いけたでしょ。
もしそうだとして、偶発的な事件によりふいになった事実こそが彼の運命であり、神の思し召しだと言うのならそれはそうなのかもしれませんが…。

この映画の感想の中で「泣いた」っていう感想をいくつか見かけて「えっ…!?どこで…!?」って本気で分からなくて戸惑って読んでみたら、最後のベニテスの就任に現実的な意義を見出して、それによって波及する社会的な影響に希望を見出して感動して泣いたということらしく、私は「映画の外」もっと言うと「それを見ている自分とそれを取り巻く現実社会」を完全に映画を見てる間忘却して見ていたため、それが自分には丸ごと存在しない視点だったことにビックリしました。感想にビックリしたというより、その感想を欠片も持たなかった自分にビックリしたというか。

なんというか「それを受け取って思う自分」が居ないんですよね私の場合。画面の中の誰かの登場人物に感情移入する以外のことを鑑賞中はしてない。
だから私は完全にローレンスに感情移入して見てたので、ラストは「言ってよ…」って思ってました。頭抱えちゃいたい気持ちで。何も知らずいやあよかったよかった色々あったけどこれでいいよねって肩の荷を下ろしてたローレンスと、「いやまさかベニテス枢機卿がなるとは思わず…」って狼狽えてた秘書っぽい人と、その後頭真っ白になりながらベニテスに会いに行ったローレンスの一連の気持ちがマジで痛いほどわかって「ああああ~!」ってなった。

いやね、でも真実を知ってなお、素直にめでたしめでたしとは思えないとこがあるかな私は。
だってその事実を事前に知ってたら確実に72票は集まってないでしょ。
その事実の有無で選択が左右されるということ自体が差別であり、あっちゃならないだろ?と言われればそれはそう、それはそうなんだけど…。しかし秘密があるまま相手に選択させることもそれはそれでよくないのでは…。

いや秘密があるまま勝とうとしてたのは他の候補者も一緒だもんね。選挙は結果がすべて。皆秘密がある。ローレンス以外は。そこをギリ逃げ切って得票したベニテスの勝ち。それはそう。それはそうだね…。
そういう特殊な立場であると自覚しながらそこを伏せたまま得た得票数による任命を受け入れ、教皇名を迷わず答えた、つまりなりたい気持ちがあり、その切符を手にしたベニテスの行動と選択にも、別に罪は無い。
そもそも他の候補者は〝悪しき行い〟の秘密だったけど、ベニテスの秘密は〝罪〟ではない。むしろそれを罪とすることが罪。それはそう。そうです…。

それに他の候補者の秘密は人として卑劣な行いだったから、公正な判断をするための材料としてローレンスはそれを衆目に暴いたけど、ベニテスのその事実を同じように〝判断材料〟として周知出来たかというと、その場合その情報を周知したということ自体に判断が介入するし、ローレンスがそこを決断出来たかというと難しいとこだと思うし、出来なかったんじゃないかという気もするし、それを言いふらすローレンスは見たくないし、あまりにも大きすぎる爆弾を抱えてまた苦悩したであろうことを考えれば、それが表に出て来ないうちに選挙が終わったことは結局ローレンスにとってはよかったのかもしれないとも思うし…。

その立場でなれない・あるいはなれるか微妙にしてしまう組織の制度がそもそも悪い、差別であるというのもそれはそう。
ただ、それはそうなんだけど、じゃあその制度の中で同じ信仰を持ちながらシスターという立場で長年奉仕してきたシスター・アグネスたちの立場はどうなるの?という気もしてしまう。
いわば抜け道みたいな、ガワは男性だったからこそそういう奇跡?が起きてしまったわけで、つまり一部女性という要素を持ってるとしても、女性の立場を代表する存在としてそこに収まることにはならないと思うんですよ。だって既に序列が生じてしまってるじゃないですか。一見男性として存在できるからそこに行ける人と、そうじゃないからそうなれない人と。
その「シスターたちの立場はどうなるの?」へのアンサーとしてのベニテスの就任だということも言えるのかもしれませんが、逆に「じゃあどうしてシスターは就任できないの?」という問いがより強まる気もします。それともその前段階、こういった議論を呼ぶことそのものに価値があるのか?呼び水として…。

で、そういう複雑な立場である人が多様性を象徴するような存在としてその立場に収まる、それが「すべて前教皇の狙い通りだった」って考えられればまだ話はシンプルになるしスッと納得も出来るんですよ。
でも現実には、前教皇はあくまで「手術してとっちゃえばおkだよ!😁」ってスタンスで、それを本人に明確に伝えていたわけで、今のベニテスの状態のままそういう立場に関わらせることまでは全く想定していなかったわけですよね。

それを「神が与えたものだから」と思い直して先天的な状態のまま生きる選択をしたベニテスの理屈も分かるし…。でも多分前教皇が蘇ったら「いや話が違うやん」ってなって待ったをかけるだろうし…。でもそもそも前教皇だって人間だからその判断だって絶対じゃないし…。何にせよもう死んじゃったし…。

最後迷えるカメを運んで在るべき所に連れて行ってあげるローレンスですが、レイフ・ファインズはあの亀について「精神的な自立のシンボルだと思う」とインタビューで答えているとか。
確かに、生前周囲の枢機卿全員を疑って調査していた前教皇の人知れぬ一面と、リベラルさの限界点と、何はともあれ決着のついた選挙、その結果を前に、ローレンスが前教皇から託された役目は良くも悪くも終わって、今ローレンスは改めて一人で、まったく他の誰の意思も介在させず自分の祈りの在り方だけを問う地点に戻って来たのかなあという気がします。

私は最後のローレンスの心境って「まあ…いいか」「いいんだよな」「わからん」「もうどうにでもな~れ」「いやでもこれからどうなるのかな…」「う~ん」「いい天気だなあ…」って感じだと思うんですけど。(想像すぎるだろ)
完全にサッパリはしてないと思うんです。だってこれから大変ですよ。「これから貴方は世界一有名な人物になる」的なことを言っていた通り、秘書だって知り得たことなんだからいつか世間にも露見する可能性は十分あるし、何ならあの確固とした態度的にベニテス自らカミングアウトする可能性もあるし、そうなった時の大波乱は約束されているでしょう。テデスコとか憤死するでしょ。一旦は飲み込んだ保守派の主張がまたぶり返すだろうし、何より一般信者にも数えきれないほどの保守派が居るはず。

神の門は開かれている、すべての迷える子羊に、ならば限定された体制は正しくない、それはそう。
ただ私は宗教に求められてる役割って、〝答えを与える〟ことだと思うんですよね。
それ以上考えたくない人、考えられない人が、答えの出ない問いの中で、それでも明確な答えを欲しくて求める先が信仰だと思うんです。
つまり〝問われること〟が信仰には繋がらないと思う。本質的に。
ベニテスの存在っていうのは一部の層にとってはすばらしい新たな答えになり得るかもしれませんが、それまでの答えで十分救われていた層にとっては新たな〝問い〟になるでしょう。
そこで反発が起こること自体を善いとも悪いとも言えませんが、ただ思うのは、やっぱりそこに彼らは追い付けないんじゃないかという事です。
この感想文冒頭で書いたように、肉体と生態は現実と時代の流れに押し流されていくけど、精神はそこに追いつけない。だから彼らは丁寧にシンプルだった時代をなぞっている。シンプルな答えを求めている。
自分と関係あるもの、自分に利益のあるものはどんどん受け入れて、そうでないものを拒む。それを目に見える形で十分すぎるほど証明されてしまっていて、かつそれが〝伝統〟と形容できるある種の美しさを生んでいるのかもしれないとすら思うし…。

うーん。まあせめてもの救いとしては、この選挙の結果で今後どういう論争になろうともそれが別にローレンスの責任にはならないってところでしょうか。
だって選挙時にはローレンスも知らなかった事実だし、投票はそれぞれ一票ずつ枢機卿皆がしたわけですからね。
選挙の最大の効用ってここかも。選出に対する責任が分散されること。思わぬところで選挙というものの理解が深まってしまったな。

何にせよローレンスは最後も迷っていたと思うし、これからも〝確信〟を持てることはないと思うし、自分にすらも〝疑念〟を抱き続けながら、しかしだからこそ〝祈り〟をずっと捨てられないだろうと思います。
迷い続けることは辛いから。〝祈り〟そのものにも疑念を持ちながら、しかしそのことこそが彼に祈りが必要な理由になるというアンビバレンツ。
ヤスパースの言ってる限界状況ってこういう感じの話だった気がするな。彼も神を信仰する客観的根拠を言語化するために哲学してた人なんですよね確か。何か無性に学生時代好きだったんですよヤスパースのことが。

そういうわけで迷い続ける哲学的枢機卿・ローレンスは非常に好きな主人公でした。
↓は「顔が好き」という気持ちを込めて描いた絵です。
パンフ読んだらレイフ・ファインズが「キャラクターは複雑だし、あからさまな悪党はいない『十二人の怒れる男』のように、立場は違っても、すべての人物に興味を惹かれる、実に豊かな作品だと思います。」って十二人の怒れる男の名前を引き合いに出してて「好き…!」ってなりました。レイフ・ファインズ最高。

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