廊下で不意に鶴見から呼び止められ、二、三の言付けを預かった。
「承知いたしました」
対面で鶴見に答える尾形の二の腕から肘までを、鶴見がついでのようにさすさすと撫でる。
「うむ。行って良し」
「失礼します」
敬礼した尾形は踵を返し、鶴見の前から辞した。
と、しばらく行った曲がり角で、横から出てきた誰かにドンとぶつかられる。
「百之助~~~」
恨みがましい声色で絡んできたのは宇佐美だった。
宇佐美がこんな風に目の色を変えて尾形に突っかかってくるのは、鶴見中尉絡みの件しか無い。どうやら今のやり取りを見ていたらしいと尾形は察したが、しかし何故怒っているのかは謎だった。まさか喋っただけで妬ましいとでも言うつもりだろうか。
「何だよ」
己の頭を撫でながら尾形が見下げると、宇佐美は青筋を立てながらもう一度肩をぶつけて言う。
「なんでお前ばっかり鶴見中尉殿に触ってもらえるんだ」
「あ?」
「今触ってもらってただろッ」
声を荒げながら、宇佐美は尾形の腕を摩擦熱が起こるほどの勢いで摩ってきた。
煙が出そうなほどの熱を感じながら、尾形は先ほど確かに鶴見に腕を触られたことを思い出す。
「知らん。俺が触らせてるわけでもないのに、わかる訳ないだろ」
「うるさいッお前が触らせてるんだッ」
「どうやってだよ。それがわかるならお前も触らせればいい」
「ぐああああーッ」
憤怒の声を上げながらドスドスと二の腕を殴ってくる宇佐美を鼻で笑いながら、しかし言われてみれば、他の人間と話している時に鶴見が相手に触れている所をあまり見た事がないと思う。
尾形と一対一で話す時は、必ず身体のどこかに鶴見は触れるのに。
指摘されると不思議だった。
なので、尾形は後日、己の膝を撫でる鶴見に訊いてみた。
「鶴見中尉殿は、よくこうして俺をお触りになりますが、何故ですか」
「ん?」
鶴見は膝に置いた手の動きを止めて、隣に座る尾形の顔を見る。
じっと見つめる真顔に、軽やかに問い返す。
「嫌か?」
「いえ。そういうわけではありません」
「ただ、理由が知りたいと」
「はい」
「ふーむ」
膝から鶴見の手が離れるのを尾形は目で追う。
鶴見はその顔を眺めながら、今度は尾形のうなじに手を伸ばし、綺麗に刈られた後ろ頭から白い首までをさりさりと撫でた。
そして笑みを含んだ声で言う。
「ほら。その顔だ」
指摘に、尾形は知らず細めていた目をぱちりと見開いた。
鶴見は愉快そうな顔でそれを覗き込みながら続ける。
「お前は私が触ると、実に満足そうな顔をする」
「……満足そう?」
「ああ。それにあんまりすぐに手を離すと、不思議そうな顔をするしな。触った時にはそんな顔をしないくせに。まるで、私がお前に触ることが当然のことであるかの如くだ。だから私もつい触れてしまうのだよ」
尾形は呆然としながら我が身を振り返った。
全くそんな心持でいたつもりはなかった。しかし、あまりにも毎回触られるので、触られることが最早当然だと思っているのは事実だ。不思議に思うことは無いし、むしろ今までずっと触っていたのに突然触らなくなった方が違和感を覚えるかもしれない。
お前が触らせてるんだ、という宇佐美の非難が脳裏に過ぎる。
「それとも私の勘違いだったかな? お前は私にこうして触れられても嬉しくも何ともないし、むしろ触られるのは嫌いだったか?」
穏やかに問いながら、鶴見は温かい掌で尾形の背中を丸く摩った。
尾形は戸惑いながら首を振った。
「……好きだと思います」
それは自分がそう思っていたことを初めて知った戸惑いだった。
鶴見は満面の笑みになって、褒めるように尾形の坊主頭を撫で回した。
尾形はその手を甘受しながら、しかしそうなると、宇佐美の疑問が解決しない事に思い至る。
自分以外にも触れられたがっている人間が居るのに、何故自分だけがこうして鶴見に触れられるのか。
「一番初め、中尉殿が俺にお触りになろうとしたのは」
手を止めて続きの言葉を待つ鶴見に、尾形は考えた理由を口にする。
「俺が一番中尉殿に触って欲しそうだったからですか?」
鶴見は一瞬呆けたように口を開けてから、至極愉快そうな短い笑い声を上げ、手を広げて尾形の体を抱き寄せた。
その手にあちこちを撫でられるがまま、身を預けて尾形は思う。
鶴見は何も言わないが、しかしきっと己の考えは当たっているのだと。
何故なら、現に今、これほど己に触れる手を心地よく感じているのだから。
