My Favorite Things

「聞いたか? K先生ンとこの新しい研修医……」
「おお。幸造さんの肺さ穴開けたんたべ?」
「駆け出しの医者にゃたまにあるミスらしいけど、なぁ」
「開けられる方は堪ったモンじゃねえべ」
「適当にやっとるからそうなるんじゃ。近ごろの若いモンらしいわ。どうせワシらの事なんかどうでもええんじゃろ」
「そうなあ。こんな辺鄙な村に来させられて、嫌々やっとるのかもしれんわ」
「オレはひと目見て分かったね。ありゃあ甘やかされて育ったボンの顔だ」
「恐ろしや。下手にかかると何されるか分からんぞ」
「一也くんと宮坂さんの二人はえがったよなァ、研修医とは思えん安心感があったわ」
「いくら老い先短くてもな、実験台にされるのは御免だからな」
「いくらK先生の教え子でもな」
「ワシらにもプライドっちゅうもんがあるわ」
「そうじゃそうじゃ」
「あっ。来よったぞ」

「こ、こんちはー……」
 円陣を組むように多人数でヒソヒソ話し合う村人たちに、通りがかった若い医師が遠慮がちに挨拶の声を掛けてくる。
 顔を見合わせた村人たちは、目配せし合うとサッとその場から散った。
 どうせすぐに居なくなる医者なら、下手に愛想を振り撒かない方がいい。
 遅れた無医村と思い込みこの村に訪れ、すぐさま逃げ帰るように居なくなった医師はこれまで数え切れないほど居るのだから。

 *

「昼過ぎ、あの研修医が薬届けにウチ来よったわ」
「どんな感じだった?」
「表面上は真面目だな。色んなことをよう質問してきよる。薬の処方もまあ合っとった」
「K先生に教えてもらったんと違うか?」
「かもな」
「嫌々やっとる感じじゃなかったか?」
「そうは見えんかったなあ。案外しっかりしてる所もあるかもしれんぞ」
「どうだかなあ? あんた人が好いからよ」
「まあでも、こんだけあからさまに噂されても大した堪えた様子に見えないのは良い根性してるじゃねえか。研修医はプライド高いのが多いからな、普通すぐ参っちまって、それが態度にも出てくるんだが」
「結構図太い性格なのかもしらんな」
「まあ、性格と医者の適性はまた別だべや」
「そらそうだ」

 *

「んあ? ありゃあ……滝沢さんとこの奥さんじゃねえか?」
「あァ? ……本当だ。何しとんじゃ? あの兄ちゃん。……滝汗かいて……」

 その日、まだ高かった陽がすっかり傾いてしまうまでの間、地区の端から端まで、顔見知りの奥さんを若い研修医がおぶって歩いていく姿が多数の村人に目撃された。

「先生、私、ゆっくりなら歩けますから……。すごい汗よ? 先生の方が具合悪くなっちゃうわ」
「だ……大丈夫っス! こう見えて頑丈っスから! ッゼェ、……あと少しなんで……ッハァ、病院着いて……なんもないって、安心できたら、ッ……また、送っていきますから!」

 そんな調子で、汗だくになりながら頑として滝沢さんを歩かせず、ヒイコラ歩いていく若者の姿に村人は皆面食らった。
 滝沢の奥さんは穏やかで人当たりがよく、村の者は当然皆よく知っている。
「滝沢さん、何かあったんだべか?」
「そういえば最近カゼ気味で、買い物もよう出来んって言っとったなあ」
「でもあんな思いして運んでくほどの事かいな?」
「ようやるわ、若いから出来るんだな。見てるだけで腰が痛いわ」
「変な先生じゃなぁ」
「でも、心配だねぇ。ウチ近所だから、明日滝沢さんトコ言って大丈夫だったか聞いてくるわ」
「何も無いとええのぉ」
「まあ十中八九あの若い兄ちゃんの早とちりか何かだろうけど」
「だとしたら人騒がせなこっちゃ」
「話のタネには困らんな」
「変な研修医が来たもんだ」

 そんな暢気な話が出来ていたのは、滝沢さんがいつまでも診療所から出てくる気配がなく、かと思いきや滝沢さんの旦那さんが帰宅するなり慌てたように診療所に向かってすっ飛んでいく姿がその日の晩に目撃されるまでの事だった。

 *

「えっ!? 何だって!?」
「昨日まであんなに元気だったじゃねえか!」
「入院……どころか、死ぬとこだったって!?」
「なして! どっか悪いトコあったんか!?」
 近所の住民に囲まれ、質問責めにされた滝沢の旦那さんは、憔悴した顔を洗うように乾いた掌で撫でた。旦那さんだけが診療所から一人で家に戻り、少し落ち着いた次の日の朝だった。

「オレもまだビックリして……まさかと思ったんだが……どうも、心臓がかなり悪かったらしくてな……。ようわからんが、劇症型心筋炎、とかって……急に、本当にいきなり心臓が動かなくなっちまう病気なんだと。でも直前までカゼと同じような症状しかねえから、医者でも中々気付かないモンなんだって……。K先生が言っとった。なのに深刻な……命に関わる病気で……後遺症が出てきちまう前の、このタイミングで見つかったのは、かなり運が良かったって……」
 話している内に、滝沢さんはグス、と鼻を啜り、目元を拭った。
「あ、あの若い先生が、往診に来てくれて……最初カゼだと思って一度は帰りかけたらしいんだが、やっぱりどうも気になるからって、わざわざ引き返してきたんだと……。どうしても精密検査させてくれって……。そんで、あの長い距離ばおぶって、無理してK先生んとこに連れてってくれてなかったら……カ、カミさんは……し、死んでたかもしれんって……」
 そして堪え切れないように顔を覆って、震える声で言った。
「オレぁもう、あの高品先生に一生頭上がらん……! カミさんの命の恩人だ……!」

 絶句して聞いていた周囲の住民は、呆然とした表情でお互いの顔を見合わせた。
 
 *
 
「そう、なんですよねぇ~……」
 買い物に訪れたスーパーで、顔見知りの婦人たちに囲まれて真偽を問われた麻上は、頬に手を当てて首を傾げながらそう言った。
 この村において守秘義務という概念は存在しないと、もうここでの生活も長い麻上は十二分に理解している。昨日判明した一人の村民の病状が翌日の正午には村中に広まっていても特に驚きはしない。勿論自分から吹聴することは無いが、向こうの方が既に親族や近所の住民伝いに詳細情報を握っているのだ。
 
 興奮したように口々に婦人たちが声を上げる。
「お手柄じゃないのォ!」
「大したモンだよ、まだ駆け出しでねぇ!」
「ベテランでも見逃しちまう病気なんだろ!?」
「そうなんですけどねぇ~……」麻上はまだ難しい顔をしている。
「何だい麻上さん、何か気になることでもあるのかい?」
「いえ、村井さんもお手柄だって褒めたんですけどね。本人は否定するんですよ。心筋炎を見抜いたとかじゃなくて、本当に、なんとなく気になっただけなんだって」
「なんとなく?」
「そう、なんとなく。滝沢さんをおぶって汗だくでヘトヘトになって診療所に転がり込んできた時も言ってたんです。なんとなく、根拠はないけど……って」
「はあ~……変わった人だねぇ~」
「私も面食らっちゃって。なんなんだろうこの人って思ってたら、K先生が血相を変えて……本当に重大な病気だったとわかって。なんだか狐につままれたようで……」
「でもさ、なんとなく、でよくあの長い距離を一生懸命運べたもんだよ」
「それは本当にそう思います」
「しかも、それで滝沢さんは九死に一生を得たんだろ? やっぱりお手柄だよぉ」
「光造さんの話聞いて、正直今回の研修医は見込みないかと思ってたんだけど。もしかしたらわりと将来有望かもしれないねぇ」
「ねぇ~。すっかり応援したくなっちゃったよ」
「う~ん」
 何とも言えないというように苦笑する麻上に、ふと質問が飛ぶ。
「K先生はどんな感じなんです? あの先生に」
「そうだよ、それが重要だよ」
「先生は……」麻上は考え込むように言った。「一点だけ見込みがある、って言ってました」
「一点だけ?」
「なんです? それは」
「それが……光造さんが診療所の前で倒れてた時、一番初めにそれを見つけて声をかけたのが高品先生だったみたいなんですけど……その時に……ぷぷっ……あの、勘違いだったんですけど、高品先生、フッ、熊が出たって、フフフッ、早とちりしたらしくて」
「熊!」
「大丈夫だったんか!?」
「いえ、だから、フフッ、勘違いだったんですって……実際は熊なんていなかったんですけど、ウフフフッ」
 思い出してツボったのか笑いが止まらない麻上に、周囲は呆気にとられつつ疑問を浮かべる。
「で、それがなんなんだい?」
「ああ、それで……高品先生、その時とっさに光造さんの上に覆い被さったんですって。一人で逃げようとせずに。それがK先生の言う見込み、だそうです」
「ははあ~!」
 予想していなかった方向での説明に、皆は顔を見合わせた後、納得したように頷き合う。
「……えらいじゃないの」
「わかるよ、K先生の言うこと。要するに、いい子ってことだろ?」
「どんなに技術だ才能だって言っても、最終的には人柄よねぇ」
「んだ、それが一番大事だわ」
「なんだか嬉しいね、想像よりずっとマトモな研修医さんなんじゃないか」
「遠巻きにして悪いことしたねぇ」
 ワイワイと盛り上がる婦人たちに苦笑してから、麻上は穏やかに言った。
「研修医として、慣れないこともまだこれから沢山出てくると思いますけど……長い目で見守ってあげてくださいね」
 はぁい、と元気な声が村の片隅に響いた。

 *

「思い出した! そういや確かにあの時、K先生が来て助かったと思う直前、あの兄ちゃん悲鳴あげながらオレに覆い被さってきたっけなァ」
「おお~! やっぱ本当だったんか!」
「いい度胸してるじゃねえか、熊に襲われても身を挺して他人を助けようとするなんてなぁ」
「腕は未熟だけどなぁ」
「いいじゃねえか、研修医なんだしよ。心意気が立派ならよ」
「そうよ、熊に立ち向かえるんならな。もう怖いモンなしよ」
「にしても、その熊ってのは……」
「逃げたんだべ?」
「恐れをなして?」
「倒したわけじゃねえんだろ?」
「流石にそれはねえだろ」
「強そうには見えねえよな」
「いや、そうじゃなくてよ、実際は熊じゃなかったってのは……」
「やっぱ熊だったんじゃねえのか?」
「たまに出るんだよなあの辺」
「なんも無くてよかったよなァ」
「持ってる先生なんじゃねえかやっぱ」
「かもしれねえな」

 *
 
「あの先生また隠れた病気を言い当てたってよ」
「河西さんトコだべ? 聞いた聞いた」
「本当かい?」
「本人は痛風としか思ってなかったのに、往診に来たあの先生がまた精密検査させてくれって車借りてきてよ。診療所行ったらビンゴよ」
「持ってるなあ~!」
「いやくじ引きじゃねえんだから」
「そうだよ、目が確かなんだよ高品先生は」
「オレのオヤジも高品先生の往診受けてさ、別に大した病気が見つかったわけじゃないんだけど。すっかりオヤジが先生のこと気に入っちまってなあ。なんか、話をちゃーんと聞いてくれるのがイイんだと」
「確かに、懐に入ってくる感じがあるな」
「ポヤポヤしてるけど根が真面目なのがわかるっつーか」
「手術は不安だけど、診察は受けてみたいな」
「そうだな、手術はちょっとアレだけどな」
「な」

 *
 
「酒井さんの話聞いて羨ましいと思っとったけど、とうとうワシも受けたぞ! 高品先生の診察」
「おお! そりゃ羨ましい」
「どうだった?」
「いやあ確かになんか、クセになる診察だったわ」
「どういうこったよ」
「なんかなあ、ものすごい真剣に診てくれるんだよ。首ひねって考え込んでなあ。思わず頑張れ!って応援したくなっちまうわ。患者はワシなんだけど」
「ええなあ」
「その分ものすごく時間もかかったが」
「みんな、K先生の十倍くらいかかるって言っとるな」
「ええじゃろ、この辺のモンはみんな暇しとるんだから」
「人によるだろそれは」
「急いでる人はK先生一択だが、余裕ある人は高品先生に診てもらうのがむしろ面白いかもしれんな」
「んだ、話のタネになるわ」
「診察に関しては悪い噂聞かんしな」
「今度具合悪くなったら行ってみっか」
「オメー風邪ひとつひかねえくせに」
「へへへ」

 *
 
「彼は面白い医者ですな」
 ふと声に出した村井に、一人は目線だけ向ける。
「医師としてのプライドに乏しい。その分、保身がない。そして生来の、ただただ単純な親身で患者主体の診療に成功している」
 評に、一人の口元が緩んだ。カルテを棚に戻しながら言う。
「……大学病院等の完成された組織には、秀でた医師のモデルケースがある。そういった世界では、あいつのような人材はまずあまり評価されないでしょう。役割への研鑽ではなく、ただの人間の延長にあるような医療は……」
「確かに、そうでしょうな」
「実際、オヤジさんの病院では散々な評価だったようです。だが、あいつは決して周囲の言うようなポンコツではない。エンジンをかけてやればちゃんと動く。動かし方にコツがあるだけです。走るコースも違えば走り方にクセもある……しかし、存外いい動きをする。時には、遥かにスペックが勝ったマシンよりも」
 村井は微笑んだ。
「通好みですね」そしてしみじみと言う。「貴方も最近、いつになく楽しそうに見えます。手入れし甲斐のある、愉快なマシンのおかげですな」

 一人はその言葉に何か言うことはしなかった。ただ、口端で微かに笑うに留める。
「フフ……」

 今日の外来もまた、一人はひとりで龍太郎にやらせるつもりだ。