土井先生が出張から戻るまで、しばらく尊奈門と共に一年は組を教えることになった。……という事実だけを教えた時、伏木蔵の反応は予想通り「スリルとサスペンス~」の一言だった。そしてその後、少し間を置いて「……アンド、ミステリ~」とも。
何故臨時教師が我々なのか、等の突っ込んだ質問をされたら上手くはぐらかす必要があると思っていたが、意外にも伏木蔵は深くは訊いてこなかった。
勘のいい子だ、何か踏み込んではならない事情が裏にあると本能で察しているのか。
じっと何か考え込むような様子は見せたが、すぐに一年は組の授業風景について等の他愛ない話に移った。
問いを口にされない限りは答える必要もないので、こちらとしてもありがたかった。
その後も授業の合間や、放課のちょっとした隙間時間にちょくちょく伏木蔵と会ったが、他愛ない話に始終するのは変わりなかった。
臨時授業と、各方面を調査させている部下からの情報収集。やることは多かったが時間を作ってでも伏木蔵と会っていたのは何故か。それは勿論、癒されたいからだ。
忍たまは可能性とはいえ、やはり『一年は組』は手強く、関係ない場所で見ている分には愉快だが教える立場となると地味にフラストレーションが溜まる。出来ないなりに態度は一貫して生真面目だった尊奈門と違い、は組は授業態度がよろしくない。
ドクタケの奇妙な動向や、掴めない土井半助の消息など、調査具合も思わしくない。
だが思わしくないなりに、不穏な雲行きはひしひしと感じる。
土井先生は長い出張に出ているだけ。その欺瞞を信じて、明るい陽の下で何も知らず伸び伸びと学ぶ忍たまたち。
塀に囲われた箱庭の内側だけが平和であればあるほど、それが砂上の楼閣のように脆く崩れる未来が目の前をちらつく。
この暢気な学園が気に入っていた。
そして忍術学園という大きな存在の中で、一番自分に近い端っこに居るのが私にとっては伏木蔵だった。
少しでも話すと、〝その時〟が束の間でも遠のくような気がした。
いつか保健室に匿われた時のように。
昼休み時、周囲に人気のない演習場近くで落ち合う。今日は木の上で話す事にした。
「お疲れですね昆奈門さん」
「……そう見えるかい」
「はい~」
太い枝に落ち着いて早々、膝の上に収まった伏木蔵がまじまじと私の顔を見上げて言った。
幹に背を預けて、ふっと息をつく。
まだ食堂にいる生徒が多いのか、学園内は静まり返っていた。上級生が居ないので余計なのだろう。鳥の声しかしない。
隔絶されたようなこの長閑さの中で伏木蔵に会い、気が緩んだものか。
私は正直にぼやいた。
「昨日、尊奈門がちょっとした失言をしてね」
「どんなですか~? 重要な秘密をバラしちゃったとか?」
「……いいとこついてるね」
「大変じゃないですか」
「結果的にはバレなかったから大丈夫だよ。拳固は落としたけど」
「エキサイティング~」
「でも、色々考えちゃってね」
「はあ」
「……」
先を促さない伏木蔵の余裕に甘えて言葉を止める。
尊奈門が土井半助へ勝負を挑むことを、良い鍛錬になると積極的に黙認してきた。
実力差がありすぎて相手は丸っきり子ども扱いとはいえ、仲間内での演習よりも実戦の方が遥かに身になる。
先方も教師のサガなのか何だかんだ付き合ってくれているし、向こうが本気で迷惑がらない内は腕を磨く機会として有難く活用させてもらうつもりだった。
しかしこういった不測の事態となると、その判断は間違いだったかもしれないという考えも頭を擡げてくる。
すべての事態を予想することなど出来ないのだとしても。
「人を育てるのは、任務よりも余程難しい。忍術学園の先生たちの苦労がちょっと分かるよ」
弱音のような言葉を吐きながら頭を撫でると、伏木蔵は私の胸に身体を預けて笑った。
「ぼくも雑渡先生の授業、受けてみたかったですけど~」
「そう? じゃあ今度マンツーマンで授業してみようか」
「スリリング~」
伏木蔵は呑み込みが早い。座学も実技も教えるのは楽しいだろう。
今度、という他愛ない約束が今は得難いものに感じる。
楽しみです~と笑う伏木蔵に私も破顔して、そろそろ戻ろうかと告げようとした。癒しの時間はお開きだ。
しかしその気配を察したのか、伏木蔵は「雑渡さん」と声を上げると、改まったように身体を少し離した。
「ぼくもちょっと失言してみてもいいですか?」
「……何かな?」
断ってからする類のものではないと思うが、続きを促す。
「土井先生はご無事なんでしょうか?」
いきなりの核心的な質問に、暫し沈黙した。
「……どうして?」
考えてから、それだけを問う。
どこまで分かっていての質問なのか、まだ読めないからだ。
「出張というのは、ウソなんでしょう?」
確信を持った、断定的な口調だった。
「……そう思う根拠は何かな」
「尊奈門さんの行動です」
「ほう……」
「土井先生のいない忍術学園で、尊奈門さんが何も言わず臨時教師をしているのはどう考えても不自然です。何かそうするだけの特別な理由が無い限り。たぶん……尊奈門さんが土井先生にいつもの決闘を申し込んだ時に、何かがあったんじゃないでしょうか? 土井先生の不在の穴埋めをするように大人しく授業をしている動機は、土井先生不在の原因がご自分にあるから以外に考えられません」
「……見事な推理だね」
思わずパチパチと拍手する。正直お手上げだった。誤魔化そうにもここまで鮮やかに指摘されると認めるほかない。
もし尊奈門が失言した場に伏木蔵も居たら、あの場は丸く収まらなかったことだろう。
しかし伏木蔵の推理はまだ終わらなかった。
「だとすると雑渡さんも一緒に臨時教師をなさっているのは、部下である尊奈門さんの行いの責任を取っているからでしょう。そして、は組実技担当の山田先生も任務にお出になってしまったために実技を教える人も必要だったからです。ここで気になるのは、山田先生が任務に出始めたのと同じタイミングで、上級生の先輩方も一斉に任務に出ていったことです。そのタイミングというのは、雑渡さんと尊奈門さんが臨時教師を始めたタイミングと同じです」
「……」
「もし仮に、あり得ないことだと思いますが、尊奈門さんが土井先生に勝ってしまったというのが真相だったなら、お二人が臨時教師を引き受ける理由がありません。タソガレドキのお仕事もありますし、それならもっと長期で教えられる人を就かせるでしょう。であれば、残る可能性は……土井先生は尊奈門さんとの勝負の最中、行方がわからなくなってしまったんじゃないですか? 山田先生と上級生の皆さん総出で就いている任務というのは、土井先生の捜索なのでは? その結果が出るまでの繋ぎとして、雑渡さんと尊奈門さんは臨時教師をなさっているんじゃないでしょうか」
沈黙が下りた。
鳥の鳴き声だけが静寂を破って響いてくる。
伏木蔵の細い喉がごくり、と上下した。緊張した眼差しが私を見上げている。
「……それ、誰かに喋った?」
強張った小さい唇に人差し指をちょんと当てて問う。
伏木蔵は素直に答えた。
「喋ってません」
「えらいね」
「本当にそうだとして、先生方は明らかに下級生には知られないようにご配慮なさっているし……まだ皆さんが戻ってこないということは、まだ土井先生は見つかっていない、あるいは、見つかっていてもすぐには帰って来られない状況にあるってことだから……」
す、と目を細める。
〝見つかっていてもすぐには帰って来られない状況〟という想定に、引っ掛かるものがあった。
しかしその閃きは置いておいて、まじまじと伏木蔵を眺める。
伏木蔵は叱られるのを待つような上目遣いでじっとこちらの出方を伺っていた。
「……どうしてタソガレドキが臨時教師なのかとか、疑問に思うだろう事を詳しく聞いてこないから。てっきり、空気を読んで臭いものに蓋をしたのかと思っていたよ。……ずっと一人で考えてたのかい」
「ハイ……ぼく、ミステリーのこととなると謎を追いかけずにはいられなくて……」
「正直驚いた。謎を解くコツはあるのかな、探偵さん」
「コツかどうか分かりませんけど、それぞれの登場人物の行動と動機を考えるとおはなしの全体像が見えてきます~」
「なるほどね……」
手入れされた伏木蔵の髪の先をくるくると指に巻きつけて呟く。
「君がスリルとサスペンスを追いかけるのは、危険を知るためじゃなくて、本当のことを知るためなんだね」
「あ、それ……斜堂先生にもおんなじことを言われたことがあります」
「フッ……そうか」
一年ろ組の先生も、苦労するだろう。この子を教え子に持つのは。
言える立場ではないが苦笑する。
私は小さな探偵さんの推理力に敬意を払って、本当のことを言うことにした。
「土井先生はご無事か、という問いだったね。正直に言うと、まだ分からない」
伏木蔵の顔が子供らしく不安げに曇る。
「大体君の言った通りだよ。対決の途中で気絶した尊奈門が目覚めると土井殿が居らず、以来行方不明になった。捜索中、不安を与えないよう下級生には緘口令が敷かれている。伏木蔵もこの事はここだけの話にしておくように。いいね」
「ハイ……」
しょんぼりと肩を落とす伏木蔵の頭を撫でた。
「無事に帰ってくるといいね」
「……はい」
隣のクラスの担任だ。この子も土井先生には懐いているだろう。
素直な優しい情緒は、真実を探求する聡明さとはまったく別軸であるらしい。
「気晴らしにちょっと散歩しようか」
「え?」
返事を待たず伏木蔵をしっかり抱き上げると、跳んだ。
「ひゃ~~~~」
高い木々の間を鳥と共に飛び移る。伏木蔵が上擦った高い声を上げて、下を見ながら言った。
「すごいスリル~~~~~~~~!!」
「楽しい?」
「楽しいですう~~~~~!!」
狙い通り、手を離したら落ちる状況に最早さっきまでの不安や心配どころではなくなったようで、顔を上気させて浮遊感と絶景に興奮している。
刹那的なスリルを追いかけて喜ぶ奇特な子どものそばで、刹那的な安らぎを得る自分。
陽の沈む僅かな間だけは全てが同じ色に染まるように、この子と居る時だけ起こる調和があった。
この子と居る時だけにしか現れない世界の色が。
―――
真実が明らかになれば、しなければならない事は自ずとはっきりする。
自由でいられるのは謎が謎のままである時だけだ。
山田伝蔵に束の間の教職に対する辞意を伝えた後、部下には引き上げる旨を伝達した。
忍術学園を去る前に、私は忍たまの長屋を囲む塀の上で笛を吹いた。
音を識る者にしかそれと知れないタソガレドキの笛を。
「……こなもんさん?」
既に寝間着姿の伏木蔵が、程なくして辺りを憚りながら抜け出してきた。
「やあ。こんばんは」
「こんばんは~。夜にこっそりお会いするなんてスリル~」
「フッ、そうだね。……お別れを言っておこうと思って。忍術学園を出る前に」
「と、いうことは……一年は組の先生は?」
「少なくとも我々はもうしない」
「……土井先生は……見つかったんですか?」
私はその問いに答えなかった。
跳躍し、伏木蔵の前に降り立つ。
少し仰け反った伏木蔵の丸い頬を撫でた。
「伏木蔵。登場人物の行動と動機を考えると、お話の全体像が見えてくると言っていたね」
「は……はい」
「君の言う通りだよ。逆に言えば、登場人物の行動と動機によってお話の全体像は変わってくるということでもある。今、私と君の知らなかった新たな登場人物が現れた。その人物の行動と動機が明らかになった事によって、お話の内容は変わってしまった。私という登場人物の役割も」
「雑渡さんの……役割?」
「勿論……曲者、だよ」
「……」
「まあ、こっちが本当で……今までの役割の方がおかしかったんだけどね」
私が仮初でも忍術学園の先生、だなどと。
これから私は、本物の先生を葬ろうとしているのだから。
忍者は、本当をウソにする役目だ。
自分だけは真実を誰よりも早く知り、そしてその真実を自分に都合のいいように弄ぶ。
果たして真実とスリルを追い求めるこの子どもは、一体どんな忍者になるのだろう。
見届けてみたいものだ。その資格を今から永久に失うであろう事とは別軸として。
追い詰められたような顔で私の言った言葉に考え込んでいた伏木蔵は、私の去る気配を察し、押し出されるように言った。
「また、お会い出来ますか……っ?」
私は元の塀の上に飛び移り、最後に一度伏木蔵を振り返った。
「……会えたらいいね」
それは本当の気持ちだった。
「さらば」
そして気配を背に、闇の中に出立した。
―――
〝土井先生〟が忍術学園に戻ってしばらく。
「土井! こいつを受け取れー!」
尊奈門が何らかのけじめをつけるような顔をしながら、いつも通りの果たし状を土井半助に叩きつけていた。
事件後初の顔合わせでである。
あいつすごいな、と上司ながら感心してしまう。土井殿もいつもの倍「やれやれ……」という顔をしているが、どこかさっぱりした顔もしていた。
そしてこちらに向けて静かに目礼した。
同じく目礼を返して、私はさっさと私の目的を果たしに行く。背後で尊奈門が一年は組にボコボコにされている声がしたが無視する。
わざわざ探して呼び出さなくても、噂を聞きつけてか伏木蔵はあちらの方から現れた。
「ちょっとこなもんさーん!」
叫びながら駆け寄ってくる伏木蔵に、手を広げながら訂正する。
「雑渡昆奈門だよ」
このやりとりもすっかりお約束になってしまった。
飛び込んできた伏木蔵を受け止めると、伏木蔵はしばらく抱き着いたまま動かなかった。
私は黙って頭を撫でる。
土井先生が帰ってきた時、聡い彼は全てを察しただろう。
それでもやがて顔を上げた伏木蔵は、念を押すように、お互いにしか聞こえない声で囁いた。
「おはなしは、ハッピーエンド、ですね?」
私はフッと笑った。
「色々なスリルとサスペンスがあっての、ね」
伏木蔵はにっこりと笑った。
私は小さな両手を持って、久々にぐるぐると伏木蔵を振り回す。
きゃっきゃと大喜びではしゃぐ声を聞きつけてか、私を探していたらしい血気盛んな六年生が「おのれ曲者!」「伏木蔵を離せい!」と遠くから走ってきているのが見える。
伏木蔵を追いかけてきたらしい顔色の悪い子どもが私を見て腰を抜かし、結果的に六年生を足止めしていた。
きり丸がどの対決の観戦チケットを売るべきかと目を銭にして涎を垂らしている。
駆け寄ってきて伏木蔵の名を心配そうに呼んでいた伊作くんは途中で落とし穴に落ちた。
遠い所で山田先生が呆れた顔でこちらを見守っている。その隣では一年ろ組の先生がこの世の終わりのような顔をしている。いや、普段からあの顔だった気もする。
回転を止めて抱き留めると、伏木蔵は上気した顔で言った。
「雑渡さんは本当にスリリングですね」
熱い告白を受けて、私も恭しく返事した。
「君も本当にミステリアスだよ」
見つめて笑い合い、私は伏木蔵を抱えて跳んだ。
今は二人きりになりたい。誰にも見つからない場所で。
背後の叫喚を背に囁く。
「約束通り授業してみようか。マンツーマンで」
「スリル~」
伏木蔵は勿論乗り気だった。
学園内だけでも秘密の場所ならいくつも心当たりがある。臨時教師をしている間に更に候補は増えた。
維持する努力なしには脆くも崩れ去る箱庭だろうと、束の間で過ぎ去る儚い時間だろうと、その中で起こることならば真実だ。
今この瞬間に感じる自由は紛れも無く本当だった。
願わくば長く続けと思う、この気持ちも。
