ゆく年くる年

 この村も年末年始には、おじいちゃんおばあちゃんと年末年始を一緒に過ごそうと、遠方からやってくるお子さんやお孫さんの世帯が多く訪れる。
 すっかり雪深くなった季節、診察の合間にそうした正月の予定を照れくさそうに話す人たちの顔は、皆一様に溢れんぐらいの喜色に溢れていた。
 顔を見れるだけで嬉しいのだと。そう口を揃える喜びの言葉に、そうですねと、素直に頷いて笑い合えるだけの社会性が今はある。
 誰にでも家族がいて、その人間模様はすべて一緒のようでいて、実に種々様々だ。逆もまた然り。
 人生に色々あるように、節目節目の過ごし方にも色々ある。そこに善いも悪いも無いのだろう。
 そして、オレの今年の年末年始はというと。

「先生すみません、ウチの子がお鍋こぼして火傷しちゃって……!」
「魚捌いてたらザックリ切っちまったぁ」
「雪道で転んじゃった!」
「熱が全然下がらなくて……」
 切れ目なく訪れる急患。ひっきりなしに鳴る電話。
 年末年始の診療所は一応休診日ではあるのだが、救急対応も兼ねているこの村の診療所に休みという概念は――少なくとも住み込みで常駐している先生とオレにとってはあまり関係がない。
 休みだろうと緊急手術となれば麻上さんや道具出しの出来る人間が招集されることもあるらしいが、幸いそこまでの重症患者が休診の間に出ることは滅多になく、基本的に二人で何とかしている。
 先生はどんなに急な患者でも嫌な顔ひとつせず淡々と処置するので、ここに来た初めの頃からずっと感心している。そもそもが表情というものをあまり顔に出さない人だが、それはそれだ。急患即対応という姿勢が24時間完璧に維持されているのがすごい。オレは流石に深夜に叩き起こされたりすると目がしょぼしょぼして、シャッキリするまでしばらく時間がかかってしまうのだが。正直それは仕方ないと思っている。

 何にせよ本日は大晦日、めでたい無礼講モードも最高潮らしく、まるで平日かと錯覚するほど診療所は急患で繁盛していた。
 朝から戸を叩く急患に二人で対応したかと思えば、電話に応じてオレが外に診に行ったり、先生が別の所に診に行ったり、戻ったらまた外来対応したり、とにかく飯を食う暇すら危うかった。
 でもそこは流石のイシさん、たんまりと日持ちのするおせちを用意していってくれていて、オレたちは台所に置いてあるお重の中身を手が空いた隙に一口つまんでいくという形でありがたくも飢えを凌ぐことができた。立ったまま口に入れるというのもお行儀が悪いが、座ってゆっくり食べる余裕も無いので仕方ない。当然とてもおいしいので、ちゃんと味わってはいた。
 基本的に外に出る前後に一人で口に詰め込んでいたが、稀に二人とも台所に揃うこともあった。しかし二人で悠長につついていられる時間は短く、すぐに新しい呼び出しがかかる。
 オレの方が先に台所に居たので「オレ行きます」と慌ただしく先生を置いて診察室に出ていく時、「これすごいおいしいです」とおせちの1コーナーを指さして先生に言い残していくと、後で見た時にその部分がかなり減っていてちょっと面白かった。

 夕方にちょっと小康状態になり、夜にまた慌ただしくなり、少し時間のかかる処置なんかもあり、ようやく患者さんがみんな帰って診療所に静寂が戻った頃、呆然としながらテレビのリモコンをつけると紅白が後半に差し掛かっていた。
 ぐう、とお腹が鳴って、ハッとして台所に向かう。
 村の老舗のお蕎麦屋さんが「よかったら年越しそば用に」とくれたお蕎麦の存在を思い出したからだ。
「先生そば食べますかー?」
 台所から声をかけると先生が顔を出した。
「茹でるのか」
「茹でます」
「食べる」
「じゃあ二人分茹でますね。いや……三人分でいいか」
 先生も1.5人分くらい食うでしょ。食わなくてもオレが2人分食うし。
 裏面の説明を見ながら茹で時間を確かめていると、先生が鍋をコンロに置いてくれた。
 三人分の麺の量にふさわしい量の水を注ぎ、火をつける。
「つゆもついてる。えーと、別途お湯を沸かして希釈する」
「水の量は」
「一人分250ミリリットルっス」
「麺は三人分だろう。500ミリリットルでいいのか」
「大丈夫でしょ、つゆは一人前ずつで」
「一袋余るな」
「余ったつゆはいつかイシさんがなんかのアレンジに使ってくれますよ」
 無責任なことを言ってオレはお誂え向きの器二つにつゆの素を入れた。
「蕎麦の茹で時間は」
「1分半から2分程度って書いてますね。短い」
「ならこっちも火をつけた方がいいな」
「そっスね」
 すげえ協力してくれるな先生。食べたかったのかな、と思いながら準備万端蕎麦を取り出し、オレはあっと声を上げた。
「そういえばイシさんが絶対ネギ入れろって言ってたんだった」
 言いながら冷蔵庫を開けてネギを取り出すと、珍しく少しツボった様子で先生が言った。
「入れた方がいい、ではなく、絶対入れろ、か」
「そう言ってましたよ。イシさんはメシに関する手抜きを許さないんスよ」
 あと切りたてが一番うまいから食べる前に自分で切れとも言われた。正直オレはそこまでネギにこだわりが無いので、面倒といえば面倒なのだがイシさんの指示とあれば従うしかない。
 ネギをちょっと洗って、まな板を置いて慎重にネギを輪切りにし始めたオレに、先生はまだ少し面白そうに呟いた。
「イシさんにそんな風なことを言われた覚えはないな……俺は」
「甘やかされてるんじゃないスか? 先生は」
 ネギに集中しながら適当に答えると、先生は短く笑った。なんだか楽しそうだった。

「できた~」
 シンプルなかけそばだが、美味しそうな出来栄えに大満足でテーブルに移動する。
 やっぱりネギがあることで彩りが大きくプラスされている。イシさんはいつも正しい。
 向かいに座った先生との中間あたりに小さな瓶を置く。
「七味もかけろって言ってました」
「フッ……」
 どうもイシさんの命令口調がツボらしい。先生はまたちょっと笑っていた。
 台所で蕎麦と格闘している間に、紅白は既に投票に入ったようだ。
「いただきます!」
「いただきます」
 画面の中のどんちゃん騒ぎを横目に、茹でたての蕎麦をすする。
「うま~!」
 自分で茹でたのと、あと単純に空腹だったのもあって、感動する美味さだった。
「うまいな」
 先生からも素直なコメントが出てくる。
 夢中で啜る間に投票は進み、紅白の勝敗もついたらしい。
 ペロリと食べ終えて大きく息をつき、空になった器を置く頃、テレビでは『ゆく年くる年』が始まっていた。
 胃の満足した心地よい弛緩の中で、画面内に賑わう全国各地の神社仏閣を眺める。何だか、ものすごくぼんやりしてしまう。今日一日大晦日どころではなかったので、年が明けるという実感に乏しい。
「初詣か」
 先生も既に食べ終わっていて、同じくテレビ画面を見ている。映る東京の寺院には参道を隙間なく埋め尽くすような人の波が出来ていた。
「っスね。ものすごい混んでる」
「少し前までなら考えられない光景だな。たとえ屋外でも、マスクなしでこの密集は」
「ですね~。インフルも流行ってるし、広がらなきゃいいんスけど」
 医療従事者としては真っ先に気になってしまうところだ。考えてみたら、この村への人の出入りも去年はここまでではなかった気がする。数年前はもっと静かだっただろう。
「この村でも、こっから一番近い神社は高いとこにあるからガチ勢しか来ないみたいッスけど、ちょっと離れた向こうのお寺は年始結構混むって聞きました」
「らしいな」
「初詣とか先生は行かない派なんですか?」
「行ったことはない」
「へー」
「お前は行きたければ、合間に行ってきていいぞ」
「いえ、大丈夫っス。オレも習慣は無いんで。ドイツに正月って概念無かったし」
「……成る程。あちらはクリスマスがメインか」
「そっスね。ドイツはクリスマスは盛大に祝うんスけど、年明けはしら~っとしてました。別に休みなわけでもないし。かといって親はキリスト教徒じゃなかったんで、ミサに行ってたわけでもないんスけど。日本に来ても初詣に行くでもなし、宗教行事には縁遠かったっス」
「……そうか。まあ、俺の家も似たようなものだ」
「あ、でもオレは行ってみたことはあるんですよ。ミサも初詣も」
「ほう……一人でか?」
「いえ、友達にくっついて。ミサの時は、友達が家族で行く所について来ないかって誘われて。初詣は中学の時の友達と。どっちの時も親には黙って……まあ、言ったところで何も言われなかったかもしれませんけど」
「興味があったのか」
「まあ、ハイ。物凄くたくさんの人が一か所に吸い込まれていくんで、一体中では何が行われてるんだろうって純粋に気になって……でも、楽しかったですよ。なんかいいなあって思いました。集まってる理由というよりも、集まれる理由があるってところに価値があるのかな~って」
「つまり……最終目的は集まることそのものだと?」
「勿論、真面目に参加してる人にとっては理由こそが大事なんだと思いますけど。でもそれとは別に、人間は社会的な動物って言われてるだけあって、そもそも集まること自体に幸福を感じる面があるでしょ。多分」

 年末年始で家族が集まることに、特別嬉しそうな顔をする村の人たち。例え怪我をして痛そうにしていても、心配そうな付き添いの家族に囲まれて、どこか鷹揚に仕方ないと苦笑する患者さんに覗く幸福。古い教会で、寺院で、見知らぬ人の波に囲まれながら同じ高揚感を共有する人の群れ。
 警戒なく他者とそばにいる時だけ見せる顔が人にはある。そのこと自体には、やはり善いも悪いも無いのだろうけど。
 混ざり切れない群れを見つめる心の内、少しうらやましい気がしていたのは確かだった。

「だから今年の年末年始は、患者さんに囲まれてあくせく働いてる時点で、社会的動物としての大きい目的は果たしてると言えます」
 オレにとっての理由は、白衣が与えてくれるものぐらいで丁度いいのだろう。
 本心からそう思う。が、捉えようにとっては皮肉に聞こえる発言になったなと言ってから思った。
 しかし先生は考え込むような沈黙の後、しみじみした声でこう言った。
「お前は、俺と似ているな」
「え。どこが?」
 素で返してしまう。
 思いも寄らないコメントにポカンとするオレの耳に、ボォーーーーンという鐘の音がテレビから響き渡った。
「あっ。年明ける」
 日付の変わる一分前であることに気付いて一気に気が逸れた。
 黙り込んで食い入るように見つめる画面の中、時刻が0時0分に変わる。
 厳かに年明けを継げるアナウンサーの声とともに、立派な仏像が映し出された。
「あけましておめでとうございます」
 姿勢を正し、改まって向かいの先生にペコリと頭を下げる。
「あけましておめでとう」
 先生も倣って一礼した。何だかくすぐったくて面白い。
「今年もよろしくお願いします」
 素直な気持ちで口にした。
 明日、いや今日は正月本番だ。下手をすれば大晦日より忙しくなるだろう。餅を食べる時は気を付けてくださいと、事前にしつこいほどお願いして回ったけれど。
 でも、先生がいれば何だかんだ大丈夫だと思う。いつも頼りにしている。心の内でずっと。
「今年もよろしく」
 先生も同じ言葉を返してくれた。少し笑ったその顔は、やっぱり何だか楽しそうだった。