特等席

 縁側の籐椅子は土方の定位置だった。土方は結構頻繁に何処かへ出掛けるのでずっとアジトにいるわけでは無いのだが、それでも在宅の時は決まってその場所で新聞を読みふけっている。最新のものだけでなく、投獄されていた間の新聞もどこからか取り寄せているようだ。何せ三十年分だ、読もうと思えば毎日読んだって終わらないだろう。
 尾形はよくその近くにいた。こいつこそ誰よりもフラッと居なくなる頻度の高い男ではあったが、アジトで姿を見かける時はいつも、気付いたら土方の足元の畳に陣取って寛いでいる。
 どういうつもりなのかは知らない。そもそも尾形という男は何を考えているのかさっぱり読めない。ただ、必要なこと以外何を話すでもなく当然のように主のそばに収まる姿は、どこか動物的な奴の印象も相まって“飼われている”という風情だった。
 外での鍛錬に区切りをつけて牛山がアジトに戻ると、不在だった尾形がいつの間にやら戻っていたらしく、今日も今日とて縁側にはお馴染みの光景が広がっている。
 手下の破落戸どもは大なり小なり土方に心酔しているようなふしがあるが、その分畏れ多いという事なのか、いつも二畳分は遠巻きにして指示を乞うていた。牛山にとっても、別に心酔等これっぽっちもしていないとはいえ、土方の周りにはおいそれと近づけぬ間合いが存在した。刀の届く範囲、という殺伐とした意味合いだけではなくて、土方には周囲の空気ごと己の付属物にするような、謎の凄味がある。人を従わせる者の迫力、というのか。
 だから周囲が自然と避ける領域で、尾形だけがしれっと寛いでいるので、余計その光景には物珍しいような印象を受けるのだった。誰も近寄らないその領域を、何故わざわざ尾形は選ぶのか。想像はし辛いが、もしかしたら茨戸で付いてきた若い衆のように、尾形もああ見えて土方に、……懐いている? のだろうか。間違っても心酔や尊敬といった感情は持ち合わせないにしても。

 顔を洗って居間に戻ってくると、永倉から丁度いいとばかりに声を掛けられた。
「牛山、その火鉢をこっちの部屋に運んでくれ」
「あ? 火鉢? そっちにもあったろ」
「割れた。陶器なのに夏太郎のバカが一気に暖めて割った」
「おお……血管切れるぞジイさん」
 永倉の額に浮かんだ見事な血管からして、割とご立腹らしい。このジイさんは元来気の短いところがあった。夏太郎には雷が落ちたことだろう。牛山はそもそも寒さなど感じないので、どうでもいい問題に過ぎないが。
「だから新しいのを調達するまで、これをあっちに置くことにした。寝床を暖めておく方が先決だからな」
「へいへい」
 牛山は言われた通り、夏太郎の割った陶器製のものより重厚な金火鉢の取っ手に手をかけた。余談だが昨日遊郭に行ったばかりなので牛山の心は今非常に余裕がある。
 尾形が真ん前で暖を取っていたが、気にせず運び去った。すると、無言で永倉と牛山のやりとりを聞いていた尾形が、何故か一緒に立ち上がって、あとをついてきた。
「なんだよ」
 牛山が訊くが尾形は答えない。永倉が小さく笑って、呆れたような声で言った。
「お前は本当に火鉢が好きだな」
 言われた尾形は、肯定もしないが否定もしなかった。衝撃を受けて、牛山は思わず足を止めた。
「……え、お前、火鉢が好きだったからいつもあそこに居たの?」
 尾形は問いの意味が分からないのか、怪訝な顔をしている。当たり前だろというような。

 見慣れた不思議な光景の謎が急にとけた。……要するにコイツは、この家の中で一番暖かい場所を占領していただけだったのだ。
 目の前には火鉢。それが土方の側に置かれていたのは、その足元が冷えないようにという永倉の気遣いなのかもしれない。とりあえず尾形にはそんな事は全然関係なかったのだろう。背中には窓から日が当たる。あくまで尾形が居たのは足元だから、土方に遮られることなく日光は届いていた。尾形は本当に、文字通りぬくぬくと寛いでいたわけだ。他人の家の一番居心地のいい場所で。

「猫かよ」
 牛山は気の抜けた声で呟いて、脱力しつつ火鉢を指定の場所に置いた。柄にもなく内心を探っていたのが馬鹿らしく感じる。尾形は当然のようにその場に座り、再び火鉢と懇ろになった。牛山も何となく疲れたので座ることにした。
「座布団くらい敷け」
 後から入ってきた永倉が、部屋の隅に積まれていた座布団を一枚尾形に持ってきてやる。尾形も尾形で無言でそれを受け取って敷くので、どことなく甘やかしている爺と甘やかされている孫感がある。ちなみに牛山の分の座布団は貰えないらしい。
「お前はどうせ魚も好きだろう。余った干物があるから焼いて食え」
 そう言って永倉は火鉢に網を敷いて、いくつか油の少ない魚の干物を並べた。尾形は髪を撫でつけながら首を傾げる。
「嫌いじゃねえけど。どうせってなんだよ」
「まあ気にするな」
 短く笑い、火鉢を囲むつもりは無いのか永倉は部屋を出ていった。
 尾形は不思議そうに牛山に尋ねた。
「何か良いことしたか? 俺」
 牛山は、機嫌がいいんだろ、と適当に答えた。尾形はふうん、と気のない相槌をうって、とりあえず納得したらしい。別にそこまで気になってはいないのだろう。
 あれは孫というよりは、やはり猫扱いだなと牛山は思った。

「お前がいっつもあそこに居たのは、てっきり土方のジイさんの傍だからかと思ってたぜ」
 話の種として、せっかくだから先ほど解決した疑問を本人に伝えてみる。すると意外な答えが返ってきた。
「それもある」
「え? そうなの?」
「アイツの傍が一番静かだから」
 だから居心地がいい、と。
 その理由はやはり、なんとなく猫染みている気がしてならない。

 焼けたぜと言って魚の干物を食い出す尾形の顔を、変わった奴だなあと眺めていたら、いつの間にか部屋の入口に土方が立っていた。
 柱に肘をついて、真顔で尾形を見下ろしている。軽く肘ついた手に頭を預ける様は絵になっていると同時に、何か考え込んでいる様子でもあった。
 尾形も視線に気づいたのか干物を食いながらそれを見上げ、暫し奇妙な無言の見つめ合いが発生する。

 やがて土方は軽くため息をつくと、尾形の隣にどかりと座り、自分も干物を食い出した。
 尾形はそれをまじまじと見つめてから、ふっと興味を失くしたように視線を外して咀嚼に集中し出す。

 今の土方のため息がどういうため息だったのか、考えるのは野暮というものだろう。少なくとも、尾形の考えよりは分かる気がするが。
 牛山は何も言わず、自分も干物に手を伸ばした。一番でかいのは尾形に残してやった。